阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

阪神淡路大震災の15ヶ月後、「犬の里親探しボランティア団体」から家に来たパティ     茶話 その2

2023年09月12日 | エッセイ
 

 震災の翌年5月の神戸新聞にボランティア団体が解散するという記事が出ました。飼主が避難するときに手離さざるをえなかったり、
 
飼主が亡くなったりした犬を引取り、新しい飼主を見つける活動をしていた団体でした。
 
震災後15ヶ月が経過し、ほぼ目途がついたので活動を終了するけどまだ何頭か残っているので、飼主が現われて欲しいという記事でした。
 
 活動している場所がたまたま歩いていける範囲だったので相方が訪ねました。

会社に行く前に今日、犬を見てくると彼女から聞いていましたが、家に帰るとボサボサの毛の痩せこけた茶色のかなり大きな犬がいました。

話を聞くと、本部を訪ねたらその犬を一時預ってくれているお宅へ連れて行かれたそうです。
 
その家では犬がドッグフードを食べないので持て余していて、もう返すからと言われて本部も困っていた犬だったそうです。

相方が犬を見るとその犬がすがるようにじっと見つめ返したそうです。

 その瞬間、相方はこの犬連れて帰りますと言っていました。
 
しかしウチには既に犬が一匹いると聞いた団体の責任者が、相性を試してからにしましょうと言いました。大喧嘩をして全く合わないケースもあると。


 預っていた家の奥さんの運転で家まできた犬が車から降りて、前からいるタローが近づいてくるのを責任者や奥さんや相方は息を潜めて見守りました。

タローはじっと身じろぎもせずお座りしている犬の全身をぐるっと廻って時間をかけて匂いをかいだあと、吠えもせず静かに座りました。
 
そのときみんなほっと安堵の息をついたそうです。相方はタローのチエックにじっと耐えている新参の犬がいじらしかったそうです。

奥さんはこれ結局食べてくれなかったんですよと言いながら、車に積んできたドッグフードの袋を犬と共に残してそそくさと帰って行きました。
    

 団体の責任者の話によると、この犬は阪神電車の青木駅の改札のところに何日もうずくまって、どこにも行こうとしないので困った駅員さんから電話があって引取ったのだそうです。
 
元の飼主が青木駅からどこか別の避難先へ移って、移動先ではもう犬は飼えない事情でもあったのか?いずれにせよこの駅でこの犬は飼主が戻るのをずっと待っていたのでしょう。

当時学校から帰った長女が(いまでも時々笑いながら話しますが)、家に帰ったら見知らぬ薄汚れた大きな犬がいてエッ何!と思ったら、
 
その犬が何ともやさしげな目でじ~っと娘を見つめたのだそうです。そのごあんなに優しい目は見たことないのにと言います。

犬もそのとき家のメンバーから認めてもらおうと必死だったんだねと言います。


 飼ってからわかりましたが、なるほどドッグフードを食べません。皆で想像したのですが、家の中でお年寄りの飼主が食べる食事と同じものを貰っていたのではと。

犬だから食器に入れておいたらハラが減ったらかならず食べるよと私は言いましたが、口の中に押し込んでも食べようともせず、
 
ドッグフードがそのまま口の中でふやけてしまうくらい頑固でした。

長い間ろくなものを食べていないらしく、骨はスカスカ、毛は硬くてバサバサで身体はタローより大きいのに抱くと半分ほどしか体重がありません。
 
病気になっては困るのでご飯をやるとしぶしぶ食べるのですが、シーチキンなど魚関連ををかけると口をつけず、ウインナとか洋風の味の濃いものを喜びます。
 
これも想像ですが、避難所などに配られる洋風弁当を食べてきたような感じです。しかしそんなエサを続ける訳にはいかないのである時から、
 
「ウチにいる積りだったら先輩のタローが食べているのと同じのを食べないとだめなのよ」と、相方が根気つよくパテイと名づけた犬に言い聞かせながらエサをやりました。

ちゃんとお座りも出来ないほど骨が弱っていたので、今思えば最初噛む力も弱かったのかも知れません。
 
毛の艶も出てきた頃にようやくドッグフードをメインにして食べるようになり、家族全員が安堵しました。


 茨城県北相馬郡生まれの11歳のタローは随分年下ではあるけど、生まれて初めてガールフレンド(獣医さんの推定ではパティは2歳)が出来て、
 
弱り気味だった身体に元気を取り戻しました。タローはパテイをよく可愛がりました。そしてパテイはタローのことが大好きでした。
 
うちに来てから12年、14歳になったパティは1998年の12月のタローの死後、1999年に後輩に迎えたムーと共に元気に暮らしました。
2007年記
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「ウクライナの停戦の条件」 内田樹     ロシアとウクライナの戦争はどうすれば終結に向かうか?  現時点で最も納得した分析 

2023年09月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2023年9月10日付東京新聞

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09月11日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年09月12日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年08月12日(金)のブログ ] から    「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリー

2023年09月12日 | 東日本大震災ブログ
2011年08月12日(金)
AP通信によるYouTube「日本政府の情報隠し」世界に拡散
 

一部引用・・〔☆ フクシマ・NEWS〕 AP通信が特報(APインパクト)で日本政府の「SPEEDI放射能予報」の“不拡散”問題を追及・解明 世界の有力各紙が掲載 

▽ 「SPEEDI」が「予報」していた「放射能雲」、浪江町の一時避難所、苅野小学校を直撃! 

▽ 苅野から津島への再避難 脱出ルートは「放射能雲」の直下 

▽ 「SPEEDI」の予報図は経産省原子力安全・保安院にまでは届いていた!

▽ 小佐古東大教授 菅首相あての秘密報告書でこの問題を告発! 

▽ 被曝避難民が日本政府を相手に裁判も 

 史上空前の原発大災害となった「フクシマ」原発事故が発生した際、日本政府が「SPEEDI」による放射能拡散予測を“揉み消し”

避難民を被曝させていた問題で、米国のAP通信は9日、「日本政府、自分の被曝予報を無視(Japan ignored own radiation forecasts)」と題する特報記事(APインパクト)を報じた。

全文はこちら
 

 
 
人の感情は化学物質が左右する
 
感情と脳に影響する化学物質

一部引用・・

今回から、

感情と脳の関係について書いていきます。

今回はまず、

様々な化学物質と感情の関係について書きます。

とはいっても、

脳に作用する化学物質には様々なものがあります。

明らかになっているものから、

未だ知られていないものまで、無数の種類があるでしょう。

そのうちで、

今回紹介するのは、

ドーパミン、
セロトニン、
バソプレシン、

の3つです。

一般の方々にとっても、
 
どこかで聞いた事のある化学物質かもしれません。

それでは、これらの化学物質が感情に対してどういった影響を及ぼすのかを

簡単に書いてみます。

全文はこちら
 
 
 
放射能汚染地図   作成by早川群馬大学教授
 
最新地図はこちら(地図が現れたら地図をクリックすると拡大)

7月26日掲載「3訂版」

一部引用・・
 関東地方の都庁、県庁、区役所、市役所が地域内でかなり細かく空間放射線量の測定を進めており、各役所のホームページで公開している。実態がかなりわかってきた。
 
数値を見ると、想像以上に高い地域があり、3月下旬に放射能雲(プルーム)が風に乗って関東平野に到達し、雨とともに放射性物質が地上に降下し、放射線を出し続けていることがわかる。

 ここで紹介する放射能汚染図は、群馬大学教育学部地学教室の早川由紀夫教授が、東北・関東の各自治体が観測した数値を集めたデータをもとにして地図上に表し、
 
ブログで発表したものである。等高線のように見えるエリアは、放射線量の値を結んだ等値線だ。

地図作成上の要点は、ほかの多くの論考とともに早川教授のブログ(こちら)をお読みいただきたい。

本稿では早川教授の了解を得て地図を転載する。地図を拡大しながら読者もすみずみまでご覧いただきたい。
 
筆者は各自治体が公表している数値を見ながら地図を見ているが、慎重にマッピングされた精緻なものである。初めて見る読者も多いと思われる。これが汚染の実態なのである。

 関東平野の状況については新聞やテレビも先週から今週にかけて断片的に報じているが、数値を書いているだけで要領をえないし、結論もない。新聞を読むのはムダである。

全文はこちら
 
 
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