阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
1942年生まれが江戸川区から。

2003年7月「北朝鮮の工作船」の残骸をお台場の「船の科学館」で見た。             茶話 10

2023年09月25日 | エッセイ

   2003年の7月はじめのある日お台場の「船の科学館」へ行った。

そして海中から引き上げられ、調査が完了した後はここで展示されている北朝鮮の工作船の残骸を見てきた。


  この日は新橋のユリカモメの駅で学生時代、弓道部で一年先輩だった五十棲さんと待ち合わせた。

五十棲さんからは少し前に、学校の同窓会誌に掲載された「私の阪神淡路大震災体験記clickを読みました」と同窓会編集部気付でお手紙を頂き、そこから交信が復活した。

この日私が神戸から上京した機会に、卒業以来38年ぶりにお会いすることになった。

まことに「知己あり、遠方より便りあり」は生きている間に体験する哀歓苦楽の中の歓という大きな一つだ。

この日の小旅行は、五十棲さんが事前に男二人のデートコースを練りに練って下さり、

外からは何度も見ているが、内部は初めてのフジテレビ見学も、これもまた面白かった。

1)工作船は、添付の写真にあるように錆びた鉄のドンガラだった。上陸用の小型高速艇をも積み込んだスペースから見ると、

生活区域はどこなんだというくらい小さな船だが、スクリューだけは4本も並列に並んでおり、船体の大きさに不釣り合いな推進力があったことがわかる。

巡視船からの銃弾で何ヶ所も沢山の貫通孔も見えた。また最後は自爆したらしいが、自爆用の装置も積んでいた訳で、
真っ黒に焼けた広い個所があった。本体と合わせて引き上げられた銃火器や生活品、衣服などは第2会場に陳列されていた。

ハングルも当然あったが日本のメーカーの製品も多かった。中国政府の横やり(北朝鮮からの依頼もあってのことかもしれない)で、
引揚までに時間が長くかかり、海中に長期間漬っていたとは思えない保存状態だった。

保安庁の船が追跡を始めた時から工作船が自爆して沈没するまで、記録班?がビデオ撮影しており、
それを公開用に編集したビデオも連続放映されている。

これを見ると、砲撃開始までには停戦命令を日本語、英語、中国語、韓国・朝鮮語と4つの言語でくり返し繰り返し行い、
砲撃開始も「停戦命令に従わなければ国際法に則り砲撃する」と大音声のスピーカーで何度も警告している。

先方からの反撃の砲撃は当然ながら突然であり、ビデオの担当官も驚いている様子がカメラの揺れでわかる。
船の実物とビデオを見ると、
これに乗っていた連中は明らかに戦闘を常に予測している兵士だ。本国からの自爆指示か責任者が叩き込まれている
マニュアルによる自爆かはわからないが(また、自爆かどうかも本当のところはわからないが)、少なくとも十数名の
20代、30代の人間が死ぬ時に将軍様マンセーと言ったか、オモニー(お母さん)と言ったかは知らないが、停船せず、
また逮捕されることなく死んだ。

2)これらを見ていると、かの国は昭和20年から58年間、今も戦時体制にある国なんだと実感する。
見た船体も装備品もよくここまで使っているなあという古い品物が多かった。

この間、戦費や宮廷費用を調達するために、これらの船で大麻から麻薬からなんでも金になるものを日本に持ち込んだり、
潜入者の教育係のため、色々な階層の日本人を拉致してきた。

ある一族とその取り巻きの安寧と永遠の持続のためにだけ、その国の大多数の人間は存在するというのは歴史上どこにもあることだ。

(つい140年ほど前まで日本も、徳川さまご一家ご一統の安泰のため情報封鎖の鎖国をした。
そして厳しい禁令を沢山つくり、他国世間様とのお付き合いをさせないように取り締まった。

この間、向こうの島国人のイギリスがアメリカ、カナダ、豪州など好き放題に切り取り強盗をやる間、
本来彼ら以上にパワー溢れるこちらの島国人は300年間、大きな外航船は作れないし、
お家取り潰しにあわぬようなどお上の顔色を見てビクビク過すしかなかった。なんともったいない300年。

あのころお上が手をださない読み書きソロバンなど普通日本人が寺小屋などで受けた教育は、当時の世界レベルで質量共に
他国を圧していたことを思うと、お上が手を出したら碌な事にはならない例の一つだ)

にしても、北朝鮮にとって気の毒なのは、地球上の時代がこの50年で、もう偉大なる将軍様でも統領様でもないように、
不十分ながらも封建主義から民主主義にシステムが変わってしまったことだ。中国も、ロシア(ソ連)も
北朝鮮を緩衝材に使うだけ使って、今や使い捨てというのも気の毒だ。

3)かの国に自分が今生まれていたらと想像すると、気の毒に思うことは多々あるが、「暴力とカネ」だけがルールで、
ある一族だけのために50数年運営されてきた国の人とはもはや同じ常識は通用しない。
かの国が国として、金一族と共に自滅するしかないとすると、人間とはつらいもんだと思いながら会場を後にした。

(とは言え、昭和20年、アメリカが準備していた原爆をあと5発ほど落していたら、こちらも歴史家におんなじ事を書かれていた可能性もあるが)

五十棲さん、自分では行こうと思い付かないところへ連れて行って頂きありがとうございました。

2003.9.04 作成

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中華学校に通った日本育ちのアメリカ人の人生が濃すぎた!

2023年09月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

中華学校に通った日本育ちのアメリカ人の人生が濃すぎた!

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09月24日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年09月25日 | SNS・既存メディアからの引用記事

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年08月25日(木)のブログ ] から    「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリー

2023年09月25日 | 東日本大震災ブログ
2011年08月25日(木)
 
小沢一郎はどうあがいても官産複合体には勝てない
 
小沢批判を18年続ける日本メディアをオランダの大学教授批判

一部引用・・

私は30年以上にわたって日本政治、そして日本と国際社会との関係を取材・研究してきた。その立場から自信を持っていえることは、
 
現在の日本は、民主主義国家としての命運を左右する重要な転換期を迎えているということである。

その最大のキーマンが小沢一郎氏だ。私は現在の日本政治において、本当の意味での改革を成し遂げられるのは彼以外にないと考えている。

しかし、民主党の代表選がいよいよ始まろうとする中で、小沢氏に対して再び官僚や新聞・テレビメディアによる攻撃が強まっている。
 
私は『誰が小沢一郎を殺すのか?』(角川書店刊)の中で、繰り返される「反小沢キャンペーン」が、いかにアンフェアで悪意に満ちた「人物破壊」を目的としたものであるかを論じた。

もちろん他の国でも、政敵に対するネガティブキャンペーンはある。だが、小沢氏に対する攻撃は、1993年の自民党離党・新政党結成以来18年の長きにわたって続いてきた。
 
これほど長期にわたって個人を標的にした「人物破壊」は世界に類を見ない。

全文はこちら

☆小沢一郎がこれまで日本の旦那衆(エスタブリッシュメント)から排除されてきた理由は二つある。

○小沢は終始一貫「官僚国家日本」という官僚支配の仕組みを政治主導の仕組みに変えようとしてきた。

○小沢は終始一貫「米国従属」から、「主権独立国日本」を目指してきた。

 現在のアメリカの核の傘の下で、宗主国の顔色を窺って、その意に添いさえすれば体制維持が出来る「財務・外務・防衛官僚」と、
 
大マーケットのアメリカを怒らせたくない「財界」複合体からすれば、この二つはあっては困るものだ。

岡目八目・・、外から日本を見続ければ中では見えないことも見えてくることがある??☆
 
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昨日見たネット動画 8月24日版 
 
○宮崎哲弥のトーキング・ヘッズ8/19(金)「国家と情報 Part2」2/4    こちら

○首都圏にも広がる放射能汚染 私たちにできる対策は?1/3   こちら
 
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メディアの傲慢 その一例 「緊急患者の受け入れ拒否??」
 

救急患者の「受け入れ拒否」ではない、「受け入れ不能」なのだ

一部引用・・

●救急システム不備の責任を「たらい回し」しているだけ

私がここで言いたいのは、メディアの報道に使用されている「たらい回し」や「受け入れ拒否」という表現は現状に即したものではないということです。

本当は「(専門的な処置が不可能なことによる)受け入れ不能」と表現すべき状況だということを、みなさんに知っていただきたいのです。

「不要不急の救急利用を止める」「広域救急体制(埼玉県内で対応不能な場合には都内へ搬送するなど)を整備し、現場の受け入れを改善するために予算を増やし、

人員を増やす」といった対応はある程度は有効でしょう。けれども、その方策だけで問題が解消されるわけではありません。

 一番大事なのは、行政、医療機関、利用者が一体となって日本の救急医療の仕組みと現状を理解し、各自ができることを一つひとつ行っていくことだと思います。

「救急内部の連絡が不十分だった」として救急隊を責めたり、専門外でも診察するよう二次救急医療機関に責任を負わせる結論では、議論が先に進んでいきません。

結局は、24時間対応できる救急体制そのものが不足していることの責任を「たらい回し」しているだけに過ぎないのです。

全文はこちら

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人間の能力についての二つの小論by内田樹
 

「大阪京都両府警の捜査官が広域事件について打ち合わせしたとき、京都府警の刑事が「こういう事件もあるんです」と、ある空き巣事件の容疑者の写真を大阪の刑事に示した。

打ち合わせが終わって外へ出て10分後に大阪府警の刑事は近くの競艇場外発売所近くでその容疑者を発見した。

この捜査員は雑踏の中から指名手配犯などをみつける『見当たり捜査』の専門家だそうである。

そういうものだろうと思う。こういう人たちは『犯罪にかかわる人間』が発する微細なオーラを感知する能力を備えている。そういう能力を持っている人が警察官になるべきであり、

これまではなってきたのだと思う。警察という制度はそのような能力を勘定に入れて制度設計されている。

だが、挙動不審な人間を感知する能力や嘘をついている人間とほんとうのことを言っている人間を見分ける能力などは、その有無や良否をエビデンスによって示すことができない。

そして、私たちの社会では『エビデンスによって示すことができないものは存在しないものとみなす』というルールを採用しているのである。

そのせいで、わが国のあらゆるシステムは劣化したと私は思っている。

冤罪事件が多発するのは、司法システムが『嘘をついている人間と真実を述べている人間を直感的に識別できる能力』を備えた司法官が

一定数存在することを前提に制度設計されているからである。物証がなくとも、自供がなくとも、証言の真偽を直感する力を備えていると想定された司法官に賦与されている諸権限を、

そのような能力を持たない司法官に許したからこそ、『今起きているようなこと』が多発するのである。

人々は司法制度の改善(平たく言えば『司法官がどれほど無能でも真犯人が逮捕され、正しい判決が下せる制度』の実現)を願っている。

それも一つの道だろう。だがそれでは制度の劣化は止まらない。遠くから容疑者に引き寄せられる捜査官や、偽証を直感できる司法官はどのようにすれば選抜され、

育成されるのかという問題は純粋に技術的なものだ。それを誰も論じないという事実が制度劣化の病態そのものなのである。」(AERA8月一週号)

次はニセ医者について書いたもの。今週号のAERAに掲載されている。


「石巻市の災害ボランティアセンターで、医師免許を持たない人物が医療行為を行っていた。

朝日新聞は『ひと』欄でこの男性をカナダの大学病院所属の『小児救命救急医』と紹介し、社外から詐称ではないかという指摘を受けて、二日後に記事を削除した。

この事件には日本のメディアの本質的な弱さが露出していると私は思う。

それはジャーナリストに『人を見る目』がなくなったということである。取材のたびに、記者たちの前にはさまざまな人物が登場して、

さまざまな言明をなす。多くは主観性のバイアスがかかっている(中にはあからさまな誇張や虚偽も含まれる)。

だから、報道を職務とするものに一番必要なのは、彼らに向かって語っている人間の言明のうちの真実含有量をクールに計測する能力である。

しかし、このような能力は入学試験や就職試験では査定の対象にならない。受験科目にないし、大学でも教えない(

そもそも教員たちも上司たちも若者がそのような能力を持つことをほんとうは望んでいない)。

その結果、私たちの社会では『人を見る目』を持つ人が絶滅に瀕しつつある。


『人を見る目』というのは、コンテンツの理非については判断できないが、『この人の言うことなら信じてもよい』と判断できる力のことである。

あるいは、話のつじつまは合っているが、『この人を信じてはいけない』と直感できる力のことである。

この先駆的なスクリーニングによって、さまざまな犯罪や業務上のミスは未然に防がれ、社会的コストは抑制されている。


けれども、この能力には顕示的なエビデンスが存在しない。『人を見る目がある人間』の身の上にはさしあたり何も起こらないからである。

不可解なことだが、私たちの社会はこの『予防的に厭な思いを回避した力』をゼロ査定する。危機的状況に際してはこの能力の有無がしばしば生死を分かつことになるにもかかわらず。

このニセ医者には朝日新聞の他に複数のマスコミが騙された。『他社が取り上げた』ことを以て取材対象の身元保証に代えることができると信じたのだとしたら、

マスメディアはまさに危機的状況にある。」(AERA8月三週号)

私が言いたいことはどちらも同じである。


人を見るときに私たちがなすべきは、表面的なロジックの整合性や資料的根拠を吟味することではなくて、

「あなたはそれを言うことによって何を言いたいのか?」という分析的問いを差し向けることである。

人間の抑圧された欲望はその表層にあからさまに露出しているので、見ればわかるのである。

 ほんとに。

引用元はこちら

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今日読もうと思うネット記事 8月25日版 その1
○菅政権に入ってわかったことと、できなかったこと  こちら

○2011/08/23 東電・保安院 会見  こちら

○週刊東洋経済8月27日号の「トップの肖像」に福島原発行動隊の山田代表が取り上げられました  こちら

○教育基本法について(内田樹の研究室)  こちら
 
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