一年半の間、毎朝の楽しみだった堺屋太一の新聞小説「チンギス・ハン(日経朝刊掲載)」が終った。
この小説を書き上げて、彼は9月9日の同紙に「名君の許に賢臣あり」というエッセイを書いている。
エッセイの骨子はチンギスという人の窮地からの強靭な回復力と血族は勿論、モンゴルの他族や他人種など広範な人材の登用と育成をしたことだ。
「・・チンギス・ハン一人の力ではない。最初は家族の、次にはいろんな階層から出た友人知人の、そして最後にはユーラシアの各地から
集まった家臣たちの努力や才覚に負うところが大きい。・・」「名君は賢臣をつくるのである。」
この小説が面白かったのは、チンギス・ハンを主人公にしてはいるが、わずか7,8百年で変るはずのない人間の感情のぶつかりあいや、
組織の中の人間の意識と行動など現代人と同じ姿が向うに透けてみえたことだった。
彼はこのエッセイをこの文章で結ぶ。
「・・振り返って日本の現状を見ると、各分野とも突出した個性が少ない。特に政治や行政の分野では、失言失態で話題になる人材は多いが、
明確なビジョンや鮮烈な手法で世を刮目(カツモク)させる人物は乏しい。
東京生まれ東京育ちの二世三世のお坊ちゃま方と、霞ヶ関の仲間内評価だけを気にする官僚とが、地域からも外国からも隔絶した小宇宙に固まっているからだ。
今日の日本は、あらゆる既成概念に捕らわれずに斬新な個性に大胆な実行を委せたチンギス・ハンの時代とは正反対である。」
*堺屋太一はかって自ら霞ヶ関の東大出キャリア官僚でもあったし、その後も各地の万博プロデユーサーなどでキャリア連中との付き合いも長く内情に強い。
奈良県御所市名柄に本籍と実家がある堺屋太一。筆名は先祖が大阪府堺市から谷町筋に移住した店の屋号から取ったという。
今回の「チンギス・ハン」は先祖代々根っからの町人である、本名「池口小太郎」さんが小説家としてまた一国民として国を憂えて書いた小説でもあった。
それにしても毎朝次の展開がどうなるのか、ワクワクしながら待つものがあった幸せな一年半だった。
なお、次の連載小説は北方謙三の「望郷の道」が始まっているが、この小説は北九州の明治時代の任侠の世界が、
おそらく日本の現代につながる予想をさせてこれまたワクワクさせてくれている。
*「世界を創った男 チンギス・ハン」は書店で発売中。
(個人的なことながら昨9月9日は、かってモンゴル軍が蹂躙したであろうソ連邦ヤルタで、亡父が35年前に客死した命日でありました。)
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著者 堺屋太一 の言葉
今「時代」は根本的に変ろうとしている。近代工業社会が終り、新しい知価社会が始まったのだ。800年前、全世界が身分と信仰に蔽われていた中世の真只中で、人種も身分も宗教も越えたグローバル世界を創った男-チンギス・ハン。その生い立ちはゼロ・マイナスの極不遇。それ故にこそこの男は「世界」を変えられた。最新歴史学が拓いた巨人の成長期は、すべての人に勇気と希望を与えるだろう。
チンギス・ハンが育ったのは中世封建時代、強烈な格差社会だ。そこでこの人が引き継いだのは誇りと不遇。それ故に危機と苦労が何重にも襲って来る。それをこの人は、冷静に沈着に、厚顔にして根気強く切り抜けて行く。何よりの凄さは、それぞれの時期の力と立場と規模と情況に応じて、発想と判断を改めたことだ。ただ終生、革世の未来志向は変えなかった。すべての創業者が遭遇する悩みと苛立ちを乗り越えた男の生き様に身が震える。
チンギス・ハンの生涯には、少なくとも4度、絶体絶命の危機がある。史上の英雄で、これほどよく負けた者はいない。だが、結果としてチンギス・ハンほどの大成功した者も他にいない。 負けても負けても立ち直ったチンギス・ハン。そこには、負けて終らぬ思想と立ち直りの仕組みがあった。高齢期に至って漠北を制覇し、東西の超大国に挑んだ男の知恵と気迫が、遂に燃え盛る。
貧しく数少ない漠北の民が、中華(キタイ)の強大金国を破り、中東の隆盛ホラズム帝国を征し、長期安定の統治体制を築く。チンギス・ハンは馬上天下を取り、馬上世界を治めたのだ。その行動は実に慎重、その考えは至極普通、知識は客観的だが、倫理は主観的だった。チンギス・ハンは神でも天才でもない。この男の恐ろしさは、目的達成のために利用できることを、確実かつ徹底的に実行したことだ。チンギスは自らいった-「朕は災難である」