ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

ヘヴン  川上未映子(続)

2010-02-21 00:03:36 | Book
 この「日記」を書く度に、一回の文章が長すぎることは避けたいという思いがいつでもある。しかしやはり言葉足らずだったという後悔が残る場合があります。今回ももう1つ思っていたことを書かずにいましたが、やはりこれは書いておきたいと思います。

 この小説の主人公は中学生です。「斜視」ゆえに「いじめ」のターゲットとなった「僕」と、「汚い」ゆえに同じ側に立たされた女子中学生「コジマ」、「いじめる側」の男子中学生の「百瀬」との会話は、中学生の会話としてはできすぎた会話です。それはこの「会話」に作者の考え方が見事にはめこまれているからでしょう。

 「コジマ」は「いじめ」を受けつつも「弱さに意味がある。」というキリスト教的発想をする。彼女は「僕」に「君の目が好き」と言うのだった。

 一方、いじめグループの「百瀬」は「したいことをやってるだけ」と「いじめ=悪」を否定し、「僕」がいじめられるのは「斜視」のせいではない。集団には「生贄」が必要なので、相対的に不利な位置にいた者が生贄になるだけに過ぎないのだと言う。百瀬の論理はここに完結しているかのようだ。「僕」は論理的にも負けていたのだ。

 「コジマ」と「百瀬」との間で揺れながら、「僕」は必死に考える。そうするうちに、「いじめ」は教師や大人に隠し切れない事態となる。それは最終的には大人と教師に委ねられる部分が大きくなる。わずかに心の荷物を軽くした「僕」は学校をやめて、直らないと思い込んでいた「斜視」を治すのだった。世界はようやく一歩だけ「闇」を脱いだ。そこからまた彼等は大人までの道のりをどう生きてゆくのだろうか?

 「開き直り」や「しらけ」「無気力」が若者を支配している今日、善&悪、美&醜、強&弱とはどのように共存できるのか?という問いと回答はこの1冊にあふれるばかりだった。