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ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

未確認飛行物体  入沢康夫

2015-06-24 22:16:53 | Poem


        
薬罐だって
空を飛ばないとはかぎらない。
水のいっぱい入った薬罐が
夜ごと、こっそり台所をぬけ出し、
町の上を、
心もち身をかしげて、一生けんめいに飛んで行く。

天の河の下、渡りの雁の列の下、
人工衛星の弧の下を、
息せき切って、飛んで、飛んで、
(でももちろん、そんなに早かないんだ)
そのあげく、
砂漠のまん中に一輪咲いた淋しい花、
大好きなその白い花に、
水をみんなやって戻って来る


『春の散歩・1982年・青土社刊』より。 



今朝の朝日新聞の「天声人語」に引用されていました。

この作品は、かつて大岡信が朝日新聞の2004年10月7日付けの「折々のうた」
でも取り上げていました。


ともかく入沢康夫は薬罐を空に飛ばせちゃったのである。
それに応えて薬罐はエッチラオッチラと、
水で重くなったからだで必死になって空を飛んだのである。
夜ごと、台所の窓からこっそり抜け出しては、
砂漠の愛しい白い花に逢いにいくのである。お水を差し上げるために。
そして朝にはいつもの薬罐に戻って、家族のコーヒーの湯をわかす。
そのコーヒーをのみながら詩人はひそかに薬罐を労い、そして微笑む。
その頃薬罐はうつらうつら……。(私の想像です。)



乾河道  井上靖

2015-06-23 16:56:29 | Poem


沙漠の自然の風物の中で、一つを選ぶとすると、乾河道ということに
なる。一滴の水もない河の道だ。大きなのになると川巾一キロ、砂州
がそこを埋めたり、大小の巖石がそこを埋めたりしている。荒れに荒
れたその面貌には、いつかもう一度、己が奔騰する濁流で、沙漠をま
っ二つに割ろうという不逞なものを蔵している。そしてその秋の来る
のをじっと待っている。なかには千年も待ち続けているのもある。実
際にまた、彼等はいつかそれを果すのだ。たくさんの集落が、ために
廃墟になって沙漠に打ち棄てられている。大乾河道をジープで渡る時、
いつも朔太郎まがいの詩句が心をよぎる。――人間の生涯のなんと短
かき、我が不逞、我が反抗のなんと脆弱なる――



秋……「とき」と読みます。

乾河道……「河道=かどう」は河水の流れる道。
     「かんかどう」と読んでいいかしら?


この詩は昭和59年(1984年)、集英社刊、詩集「乾河道」に収められ、
その後、1990年「増補愛蔵版」の「井上靖 シルクロード詩集」として、
日本放送出版協会より刊行され、再録された作品と思われます。

写真は「大塚清吾」氏です。


辺境地帯や砂漠地帯を旅する時、井上靖さんは小説家を廃業して、
詩人に終始されたそうです。

最近の私は、寝る前にベッドのなかで「一篇の詩」を読むことにしています。
お世話になっているのは、大岡信編「集成・昭和の詩・1995年・小学館刊」が
中心です。その他4冊ほど。

そこに、付箋をいつ貼ったのか思い出せないページがありました。
それが、この詩でした。こうなると眠れない(笑)。

なんと大きな時の流れ。人間の歴史をはるかに超えている。
人間の知恵の及ばぬ時間に滅ぼされ、また生きて、人はささやかに生きていた。

《浜田知明作・風景》に捧ぐ

2015-04-07 17:04:01 | Poem

 《浜田知明作・風景》


豪雨のなか
若い兵士の亡骸はすでに大地に溶け合おうとしていた
しかし古びた軍靴は歩き出そうとしていた
どこへ?祖国へ 

何故自分はここにいるのか
亡骸はつぶやく
お前はどこへ行くのか
海を渡る、と軍靴がつぶやく

若い兵士は
どの地で産声をあげたのだろうか
そこからどこへ?何度?移動したのか?
海を渡ったのか
どの母親から生まれたのか
父親は誰か
記憶は抹消され
物語はすべて一律化させられた

それぞれの一つの死が
山積し 散乱する
大地はすべてを抱きよせることができるだろうか
深い怒りは死とともに眠ったか
いや 疲れた軍靴は尚も歩こうとしているのだ

雨音が遠ざかってゆく
やがて空の青を映して
海の青が深まるとき
虹の足が降りてくる


   *    *    *


ささやかな献詩です。


味噌  河上肇

2015-02-26 12:15:02 | Poem

《画像は2月のさるすべり。線描画のようにうつくしい。》



味噌  河上肇


関常の店へ 臨時配給の
正月の味噌もらひに行きければ
店のかみさん
帳面の名とわが顔とを見くらべて
そばのあるじに何かささやきつ
「奥さんはまだおるすどすかや
お困りどすやろ」
などとお世辞云ひながら
あとにつらなる客たちに遠慮してか
まけときやすとも何とも云はで
ただわれに定量の倍額をくれけり
人並はづれて味噌たしなむわれ
こころに喜び勇みつつ
小桶さげて店を出で
廻り道して花屋に立ち寄り
白菊一本
三十銭といふを買ひ求め
せなをこごめて早足に
曇りがちなる寒空の
吉田大路を刻みつつ
かはたれどきのせまる頃
ひとりゐのすみかをさして帰りけり
帰りて見れば 机べの
火鉢にかけし里芋の
はや軟かく煮えてあり
ふるさとのわがやのせどの芋ぞとて
送り越したる赤芋の
大きなるがはや煮えてあり
持ち帰りたる白味噌に
僅かばかりの砂糖まぜ
芋にかけて煮て食うぶ
どろどろにとけし熱き芋
ほかほかと湯気たてて
美味これに加ふるなく
うましうましとひとりごち
けふの夕餉を終へにつつ
この清貧の身を顧みて
わが残生のかくばかり
めぐみ豊けきを喜べり
ひとりみづから喜べり

  ……1944年(昭和19年)元旦 作…… 


出典は茨城のり子著「詩のこころを読む」
1979年第1刷、1992年第30刷、「岩波ジュニア新書・9」


友人とごはんを食べながら、食べ物の話になった時に、
何故か芋類やら栗や南瓜の話になったことがある。
なにやら喉につまりそうなものばかり……。
その中でも熱がこもった食材は「里いも」だった。
東北出身の友人は、味噌と砂糖で味付けをすると言った。
北関東出身の私は、醤油と砂糖で味付けしたもので育ったけれど、
「河上肇」の「味噌」という詩を読んでから、
味噌で味つけした里いもも食べるようになったと話した。

それはかなり古い本で、茨城のり子によるアンソロジーだった。
しかし、その本は彼女も読んでいた。
東京育ちのもう一人の友人もこの本を読んでいた。
しかし、記憶に残った詩はそれぞれに違っていたのが面白い。
お二人とも「河上肇」の詩は記憶から落ちていたようだった。

しかし、三人が改めて、味噌味の里いもを煮るのはあきらかなこととなったが……。

音の歳時記  那珂太郎

2014-12-17 13:01:58 | Poem



「音の歳時記」    那珂太郎

一月 しいん

石のいのりに似て 野も丘も木木もしいんとしづまる
白い未知の頁 しいんーとは無音の幻聴 それは森閑の
森か 深沈の深か それとも新のこころ 震の気配か
やがて純白のやははだの奥から 地の鼓動がきこえてくる

二月 ぴしり

突然氷の巨大な鏡がひび割れる ぴしり、と きさらぎ
の明けがた 何ものかの投げたれきのつけた傷? 凍湖の
皮膚にはしる鎌いたち? ぴしりーそれはきびしいカ行音
の寒気のなか やがてくる季節の前ぶれの音

三月 たふたふ

雪解の水をあつめて 渓川は滔々と音たてて流れはじめ
る くだるにつれ川股に若草が萌え土筆が立ち 滔々た
る水はたふたふと和らぎ 光はみなぎりあふれる 野に
とどくころ流れはいっそう緩やかに たぷたぷ たぷ
たぷ みぎはの草を浸すだらう

四月 ひらひら

かろやかにひらひら 白いノオトとフレアアがめくれ
る ひらひら 野こえ丘こえ蝶のまぼろしが飛ぶ ひら
ひら空の花びら桃いろのなみだが舞ひちる ひらひら
ひらひら 緩慢な風 はるの羽音

五月 さわさわ

新緑の木立にさわさわと風がわたり 青麦の穂波もさわ
さわと鳴る 木木の繁りがまし麦穂も金に熟れれば ざわ
ざわとざわめくけれど さつきなかばはなほさわさわ
と清む 爽やか、は秋の季語だけれど 麦秋といふ名の
五月もまた 爽やか

六月 しとしと

しとしとしとしとしとしとしとしと 武蔵野のえごのき
の花も 筑紫の無患子の花も 小笠原のびいでびいでの
花も 象潟の合歓の花も うなだれて絹濃のなが雨に聴き
いる しとどに光の露をしたたらせて

七月 ぎよぎよ

樹樹はざわめき緋牡丹は燃え蝉は鳴きしきる さつと白
雨が一過したあと 夕霧が遠い山影をぼかすころ ぎよ
ぎよぎよ 蛙のこゑが宙宇を圧しはじめる 月がのぼる
とそれは  ぎやわろっぎやわろっぎやわろろろろりっ
と 心平式の大合唱となる

八月 かなかなかな

ひとつの世紀がゆつくりと暮れてゆく 渦まく積乱雲の
ひかり 光がかなでる銀いろの楽器にも似て かなかな
 かなかなと ひぐらしのこゑはかぼそく葉月の大気に
錐を揉みこむ 冷えゆく木立のかげをふるはせて

九月 りりりりり

りりりりり......りり、りりり......りりり、りり......り、
りりりり...... あれは草むらにすだく虫のこゑか それと
も鳴りやまぬ耳鳴りなのか ながつき ながい夜 無明
長夜のゆめのすすきをてらす月

十月 かさこそ

あの世までもつづく紺青のそら 北の高地の山葵色の林
を しぐれがさっさつと掠めてゆくにつれ 幾千の扇子
が舞ひ 梢が明るみはじめる 地上にかさこそとかすかな
気配 栗鼠の走るあし音か 地霊のつぶやきか

十一月 さくさく

しもつきの朝の霜だたみ 乾反葉敷く山道を行けばさり
さり 波うちみだれる白髪野を行けばさくさく 無数の
氷の針は音立ててくづれる  澄んだ空気に清んだサ行
音 あをい林檎を噛む歯音にも似て

十二月 しんしん

しんしん しはすの空から小止みなく 白模様のすだれ
がおりてくる しんしん茅葺の内部に灯りをともし 見
えないものを人は見凝める しんしんしんしん それは
時の逝く音 しんしんしんしん かうして幾千年が過ぎてゆく


   *        *        *


「しんしんしんしん かうして幾千年が過ぎてゆく」のですね。
今日はとても寒い。風が強い。
もっと寒い地方では、この厳しい冬を何度繰り返してきたのだろうか?
そして幾千年が過ぎて、時が逝く(行く、ではなくて)音は「しんしん」となる。


炭つぐや骨拾ふ手のしぐさにて     那珂太郎


ここまで追いつめておいて、「一月」は
「やがて純白のやははだの奥から 地の鼓動がきこえてくる」となる。

この詩と俳句が、どの時期に書かれたものかはわからないが、
私の思いのなかでは、奇妙に繋がっている。

夏のはじめとおわりの唄   多田智満子

2013-06-06 01:05:02 | Poem


はじめ


  子午線の上に旗が立つ
          五月
          五月
        愛を待つ


         光る鳩
キリキリ舞いするキリスト
  白い波止場に波が立つ
       夢が泡立つ
        風が立つ


  ふかくえぐれた波の跡
      まぶしい羽音
         散る鳩
  裸のマストに蜘蛛の巣
  そして孤独なママゴト
          五月
          五月
        愛を待つ



おわり

     
    首をかしげた港町
     クレーンまわり
     ひまわりまわり
まわりおえて枯れてしまい
   丘は火葬場のけむり
   海辺は工場のけむり
まじりあって消えてしまい
         ………
  遁走する船にむかって
屋上の子供たちは手旗信号


 いっせいにサイレン鳴り
 いちめんにコスモス揺れ
  幾千の眼がしばたたき
     そしてしずかに
  海は坂からずり落ちる


(詩集「薔薇宇宙」・1964年)より



詩のなかに「季節」が欲しいと切実に思うようになった。
間もなく夏の日々がやってくる。「愛を待つ」季節なのだろうか?
夏のおわりには、「海は坂からずり落ちる」のだろうか?


陽はおちてゆきながら
異国の空に朝を届けにゆく
円形の時間は几帳面に
アポロンの馬車の轍を描き続ける
短夜の闇にうなだれて
ひまわりが疲れた花首をさすっている夢をみた

『野の舟忌』

2013-06-01 01:11:24 | Poem


5月30日は、詩人清水昶さんの三回忌でした。
その日に昶さんの忌日に「御名前を。」と願っていましたが、
望み通りに「野の舟忌」と決まりました。

さて、生きている者は生きていかなければならない。

いざ生きめやも。

野の舟 清水昶

2013-05-30 00:30:02 | Poem


今日は、詩人清水昶さんの三回忌です。
この日にお名前をつけてあげたい。
「野の舟忌」はいかがでしょうか?


野の舟  清水昶

うつぶせに眠っている弟よ
きみのふかい海の上では
唄のように
野の舟はながれているか
おれの好きなやさしい詩人の
喀血の背後でひらめいた
手斧のような声の一撃
それはどんな素晴らしい恐怖で海を染めたか
うつぶせに眠っている弟よ
きみが抱え込んでいるふるさとでは
まだ塩からい男たちの
若い櫂の何本が
日々の風雨を打ちすえている?
トマト色したゆうひを吸って
どんな娘たちが育っているか
でもきみは
おれみたいに目覚めないことを祈っているよ
おれは
上半身をねじって
まっすぐ進んでゆくのが正しい姿勢だと思っているが
どうもちかごろ
舌が紙のようにぺらぺらめくれあがったり
少しの風で
意味もなく頭が揺れたりして
もちろん年齢もわからなくなっている
だからときどき
最後の酒をのみほしたりすると
はげしい渇きにあおられて
野の舟の上でただひとり
だれもみたことのない夢へ
虚無のように
しっかりと
居座ってみたりするのさ


《詩集・野の舟》より。

 (昭和49年・1974年・河出書房新社刊・「叢書・同時代の詩Ⅲ」)



亡霊になってはじめて人間は
生きているみたいになつかしい


《詩集・詩人の死》より。詩作品「北村太朗」より抜粋しました。


 《追記》

「Weekly "ZouX" 329号(2013年5月26日発行)に兄上の清水哲男さんが、昶さんの「三回忌」宛てに俳句を詠んでいらっしゃいます。

岡真史詩集 ぼくは12歳 (高史明・岡百合子編)

2013-05-24 22:36:11 | Poem


高史明(コ・サミョン・1932年1月11日~)は、岡真史の父親であり、在日朝鮮人作家、評論家。
岡百合子は高史明の妻であり、岡真史の母親。
岡真史は1975年7月17日(中学1年、12歳)に自死。


空のすべり台  (小学6年・1974年~1975年)

つらいくさとりがおわり
ズキンとするこしをあげて
みれば
空に七色のすべり台が
あった

じっとすべり台を
みていると
スーとひきこまれる
くものかいだんを
のぼり
七色のすべり台を
すべる
ほしのかぜをひきさき
はてしなく
すべっていく……
ろうどうあと
そんなことをかんがえたりする


人間  (中学1年・1975年)

人間ってみんな百面相だ


ひとり  (中学1年・1975年)

ひとり
ただくずれさるのを
まつだけ


ぼくはしなない  (中学1年・1975年……最後の詩作品と思われる。)

ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから  (*この行の9文字すべてに傍点がついています。)


この詩集の「あとがき」で、父親の高史明は悲痛な叫びをあげている。
かつての自著「生きることの意味」に記した、下記の言葉に苦しんで……。

『わたしは死による安らぎに人のやさしさを感じることはできません。
 人間はむしろ、死と戦い、自分自身とともに他人を生かそうとしてこそ、
 はじめてやさしい安らぎに包まれることができると思うのです。
 もちろん、人間は、たとえそのように生きても、やがては必ず死ぬ身です。
 でも、わたしは思うのです。
 人間はかならず死ぬ身であるからこそ、その人生をせいいっぱい生きるとき、
 自分自身を乗り越えることも可能になるのだ、と。
 そのとき、人間はきっと、やがてくる死を、心静かに迎えることもできるのです。』

そして、父親はこう書いています。
『人間の死は生とは別ものではなく、生そのものの中にあったのでした。
 死もまた、日々を生きているのです。』と……。

  (1976年初版第一刷・筑摩書房刊)


   *      *      *

民族差別による「いじめ」から12歳少年の自死、という類似した事件が4年後にも起きています。
1979年9月9日、埼玉県上福岡市のマンションで、市立上福岡第3中学校1年の林賢一君(12歳)が飛び降り自殺。


「国名・清水昶」はこの事件から書かれた詩です。

1979年9月9日 埼玉・中1少年いじめ自殺事件