3パンダを発見する
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
パンダは非常に古い生物で、生物学者にとっては、一種の生きた化石である。植物界のソテツや鳩の木と同じように。
ウォーロン保護区の中にはたくさんの別種の植物がある。だが、パンダが発見され保護計画が起こり伐採する労働者の斧が止まらなければ、パンダと同じように生物学的意義のある植物も、滅亡の運命を逃れられなかっただろう。
中国人は自然界に対する認識能力が非常に貧弱である。そのため、ウォーロン地区の中に人類が初めて足を踏み入れた時には、パンダが生存してかなり長い歳月が経っていた。
最後には、やはり西洋人がさまざまな動機からパンダを発見し、この動物の名前を世界中くまなく響かせることになった。
過去の中国の象徴は想像の架空の生き物、龍と鳳凰だった。
そして今は、パンダが、世界各地の人々が中国を語る時、最初に思い浮かべる動物になった。
パンダはすでに中国の象徴になったのである。
ギャロンので、人々は皆、パンダのおしっこには神秘的な薬としての価値があると信じている。誤って飲み込んだ金属を溶かすことが出来るというのである。
だが、人が誤って金属を飲み込む機会はとても少なく、更に、当時の、ウォーロンの森の中の人口は極めて少なくて、だから、この動物を殺しても大して役に立たなかった。もしかしたらそれが原因で、パンダ一族の弱々しい血脈が辛うじて代々伝わり、今に至ったのかもしれない。
パンダのおしっこが金属を溶かすことが出来るという伝説は、実はパンダの特殊な習性から来たものである。
ウォーロン保護区内、あるいは他の一部の地方では、パンダはしょっちゅう農家や、保護区のスタッフの宿舎に入ってきて、なべの中のものを食べつくし、さらに、アルミ鍋などの金属の容器を噛んでぼろぼろにし、しばらくして、消化出来なかった金属の塊の混ざった糞をするのである。
今世紀の初め、西洋の伝道師と探検家たちが四川西北のギャロン地区に入って来て、伝説の中の珍しい野生動物の足跡を探し始めた
1869年3月、群山の中の春の初め、一人の狩人が一枚の毛皮をフランスの宣教師アルマン・ダヴィッドに贈った。
神父はこれを根拠として、この動物を西洋に紹介した。
これが科学的な観点を持った科学者たちがパンダの運命に注目する起点となった。
ということは、パンダが科学的な視野に入った歴史はたかだか100年と少しに過ぎないのである。
ダヴィッド神父は日記の中で書いている。
「この異教徒の里で、私は有名な黒白熊の毛皮を見た。見たところ体格はかなり大きいようだ。これはめったに出会えない動物だ。狩人は言った。間もなくこの動物を一頭しとめることが出来るだろう、と。とてもうれしい。彼らは、明日この動物を捕まえに出発するそうだ。きっと新しくて興味深い科学的な材料を提供してくれるに違いない」
同じ野蛮な狩ではあっても、西洋の神父は科学に思い至り、種に思い至る。
中国人の常識では、パンダの毛皮は布団として使うものである。その上で眠ると邪悪なものを避けることが出来、夢を見ることが出来、パンダの毛皮の上で見る夢の中で、未来を予見することが良くあるのだという。
ダヴィッド神父は果たしてパンダの毛皮を手に入れることが出来た。未成年のパンダのものだった。更に一週間経って、神父はまた成年のパンダの毛皮を手に入れた。
神父は、これらから結論を出した。
「パンダはたぶんクマ科の動物の新しい品種で、色が特殊なだけでなく、足の裏に毛が多く生えていて、他にこれまで見たことのない特色をたくさん持っている」
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
パンダは非常に古い生物で、生物学者にとっては、一種の生きた化石である。植物界のソテツや鳩の木と同じように。
ウォーロン保護区の中にはたくさんの別種の植物がある。だが、パンダが発見され保護計画が起こり伐採する労働者の斧が止まらなければ、パンダと同じように生物学的意義のある植物も、滅亡の運命を逃れられなかっただろう。
中国人は自然界に対する認識能力が非常に貧弱である。そのため、ウォーロン地区の中に人類が初めて足を踏み入れた時には、パンダが生存してかなり長い歳月が経っていた。
最後には、やはり西洋人がさまざまな動機からパンダを発見し、この動物の名前を世界中くまなく響かせることになった。
過去の中国の象徴は想像の架空の生き物、龍と鳳凰だった。
そして今は、パンダが、世界各地の人々が中国を語る時、最初に思い浮かべる動物になった。
パンダはすでに中国の象徴になったのである。
ギャロンので、人々は皆、パンダのおしっこには神秘的な薬としての価値があると信じている。誤って飲み込んだ金属を溶かすことが出来るというのである。
だが、人が誤って金属を飲み込む機会はとても少なく、更に、当時の、ウォーロンの森の中の人口は極めて少なくて、だから、この動物を殺しても大して役に立たなかった。もしかしたらそれが原因で、パンダ一族の弱々しい血脈が辛うじて代々伝わり、今に至ったのかもしれない。
パンダのおしっこが金属を溶かすことが出来るという伝説は、実はパンダの特殊な習性から来たものである。
ウォーロン保護区内、あるいは他の一部の地方では、パンダはしょっちゅう農家や、保護区のスタッフの宿舎に入ってきて、なべの中のものを食べつくし、さらに、アルミ鍋などの金属の容器を噛んでぼろぼろにし、しばらくして、消化出来なかった金属の塊の混ざった糞をするのである。
今世紀の初め、西洋の伝道師と探検家たちが四川西北のギャロン地区に入って来て、伝説の中の珍しい野生動物の足跡を探し始めた
1869年3月、群山の中の春の初め、一人の狩人が一枚の毛皮をフランスの宣教師アルマン・ダヴィッドに贈った。
神父はこれを根拠として、この動物を西洋に紹介した。
これが科学的な観点を持った科学者たちがパンダの運命に注目する起点となった。
ということは、パンダが科学的な視野に入った歴史はたかだか100年と少しに過ぎないのである。
ダヴィッド神父は日記の中で書いている。
「この異教徒の里で、私は有名な黒白熊の毛皮を見た。見たところ体格はかなり大きいようだ。これはめったに出会えない動物だ。狩人は言った。間もなくこの動物を一頭しとめることが出来るだろう、と。とてもうれしい。彼らは、明日この動物を捕まえに出発するそうだ。きっと新しくて興味深い科学的な材料を提供してくれるに違いない」
同じ野蛮な狩ではあっても、西洋の神父は科学に思い至り、種に思い至る。
中国人の常識では、パンダの毛皮は布団として使うものである。その上で眠ると邪悪なものを避けることが出来、夢を見ることが出来、パンダの毛皮の上で見る夢の中で、未来を予見することが良くあるのだという。
ダヴィッド神父は果たしてパンダの毛皮を手に入れることが出来た。未成年のパンダのものだった。更に一週間経って、神父はまた成年のパンダの毛皮を手に入れた。
神父は、これらから結論を出した。
「パンダはたぶんクマ科の動物の新しい品種で、色が特殊なだけでなく、足の裏に毛が多く生えていて、他にこれまで見たことのない特色をたくさん持っている」
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)