塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 81 第6章 雪梨の里 金川

2011-10-24 01:26:17 | Weblog

1 河の両岸の風景



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)



 
 長距離バスは、狭く、だが平坦なアスファルトの道を飛ぶように前へ進んで行く。

 一本の河が影のように公道によりそい、ずっと窓辺に姿を見せている。
 
 両岸の山が遠くへ退くと、あっという間に谷は広がって、河は公道から離れ、その間を柳とポプラによって隔てられる。時には、公道と河の間を、耕地と村が隔てることもあり、そこが人々が穏やかに暮らしている場所なのである。
 
 両岸の山の峰が再び近づいてきて、絶壁となって大河の両側に垂直に迫ってくる。河はまた窓の外で咆哮し始める。
 
 人々の暮らす広い谷間と、木々に覆われた狭い谷が旅の途中に交互に現れる。

 この旅の間に、一つまた一つと現れる地名はみな慣れ親しんだ名前だ。
 かつて「旅立ち」という詩の中で書いたことがある。

 毎回、気ままな旅に出ようとする時、
 そこに列なる名前を思うだけで
 一つ一つの文字がきらきらと光を発し、
 その名前をそっと読み上げるだけで
 旅はもう始まっている。

 
 今、私はまた旅をしている。車窓の風景が幻へと変わっていく。

 次々と現れる地名がそれぞれに具体的な姿を持った村へと変わっていく。
 白湾、石光東、可璽因、周山、党覇、その一つ一つが大渡河の谷にあるギャロン人の村の名前である。

 一つのカーブを曲がると、一つの村が河岸の開けた地に現れる。ほどなく、その村は後方へと退き、谷の両側の高い山が迫ってくる。
 バスが狭まった道をしばらく進んでいくと、山は再び退き、咆哮していた水は開けた川床に身をゆだね、伸びやかに広がっていく。

 その時、また一つの村が濃い緑の中から現れるのである。

 最後に、バスが党覇を通った後、大きな山は再び開け、一旦開けると、そのままはるか彼方へと退いて行った。
 そして、花崗岩の山は、厚い黄土の何層にもなる堆積へと変わった。黄土のゆるやかな斜面が幾層もの棚田へと切り開かれているのである。

 河は広い河床をゆっくりと流れていく。一つ一つと現れる村は、谷間や、幾層もの黄土の階段の上に散らばっていた。

 この広々として豊かな谷間は、清の乾隆年代前は、常にギャロン文化の中心だった。
 そして、チベット族本土の宗教、ボン教の中心地だった。

 だが今、これらの谷は、伝統的な意味でのギャロン地区という外在者としての面影は見られなくなっていた。
 村の民家はほとんどが漢族の様式で建てられている。
 それでも、一面の梨畑と、河から山の中腹へと伸びる幾層もの畑は、そのままで一種特別な美しさを生み出している。

 これらの豊かな村を歩きながら、出会った人々に何族かと尋ねると、誰もがみなチベット族と答えるだろう。
 それでも、ここではギャロンの文化が日増しに薄らいでいるのがはっきりと見て取れる。

 だが、河の両岸の村や田や野のたゆみない力には、昔と同じように、強く心を打つものがある。
 金川の県城の周りの広い谷間には、チベット語でツーチンと呼ばれる場所が、かつてギャロン文化の中心だったというかすかな痕跡も見られないのだが。

 金川の県城も同じである。

 バスが停留所に停まった時、私はちょうど降りようとしていた。
 すると、運転手が尋ねた。古い町に行くかね、と。そこで私はまた座りなおした。
 運転手は煙草を一本差し出して言った。
「ここまで旅して来る人たちは、みんな古い街へ行きたがるんだよ」

 私は金川へ始めて来た訳ではない。だから、今目の前にある一部の新しい街は、ほとんどが解放以後に建設されたのを知っている。
 それ以前から、金川は県城として早くから中国の版図の中にあった。

 バスはまた動き出した。
 険しくなった公道は、新しい県城の後ろ側から蛇行しながら山の斜面を登っていく。

 あっという間に、もう一つの台地が目の前に広がった。

 この台地に昔の金川の県城がある。金川の地元の人が言う老街である。
 この老街にも、ギャロンの文化の息遣いを感じられる場所はどこにもなかった。

 何年か前、ここには壁板が黒ずみ軒に草の生えた、店と宿を兼ねた古い家がいくつかあった。だが今、このような家はほとんどなくなってしまった。

 金川は豊かな地である。気候は穏やかで、生産量は豊かだ。
 それに加えて、ここではチベット族と漢族の血が混ざっていて、漢文化の精神をより多く受け継いだ人々は特別勤勉である。
 住民たちはみな美しい家を建てる。

 だが、私の今回の目的はこの美しい家を見ることではない。
 そこでまたリュックを背負い、山のふもとにある県城を目指して歩き始めた。

 まず、夜を過ごす寝床を見つけて、体を休ませなくてはならない。



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)