塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来『ケサル王』 85 物語:国王、国に帰らず

2014-12-30 16:57:37 | ケサル
物語:国王、国に帰らず その2





 トトンはギャツァの南方での動向を耳にすると、トビに乗って飛んで行った。
 果たして兵馬が整然と並びさながら田のようだった。

 「甥よ、リンは三年もの間主がいない。首席大臣は何もしようとしない。やはりお前が表に立って王に代わって政をすべきだ」

 ギャツはすぐさま遮り、
 「叔父上、もし私を苦しめたくないなら、誰にもその話をしないでください」

 「お前が兵器を作り兵馬を訓練していることについては、とっくにあれこれと取り沙汰されているぞ」

 「私がしていることは、リンが本当に強くなるのを望む一心からなのです」

 こう言った憶測からなるうわさはギャツァの耳にも入っていた。

 「国王が戻られたら、私は軍を動かすことのできる割符を返し、母について漢の地へ行き、母の望郷の想いを慰めるつもりです」

 そう言うとすぐに信書をしたため、同じ想いを首席大臣にも伝えることにした。
 使者に信書を届けさせたが、心の中はやはり不安を拭えず二人の伴の者を連れて、自ら会いに行った。

 首席大臣は言った。
 「これはむろん良いことだ。だが王が戻られるのを待つべきだろう」

 「もしその時、外敵が侵入して来たら」

 「賢い甥よ、我々の王は天の命を受け、強い神の力を持っておられる。そのように軽はずみに、自ら滅ぼされに来るものなどいるだろうか。また、王は深い知恵を持ち、全てを知っておられる。辺境に火の手が上がるようなことを許すはずはない」

 首席大臣は話題を変えた。
 「お前は鉄を溶かして砦の壁を作っていると聞いたが、それは本当なのか」

 「辺境の砦は強固でなくてはなりません」

 「臣下の居場所が王宮を超えてよいのか。つきつめて行けば、それは本分をわきまえない罪となる」

 「叔父上、あなたはこれまでの老総督のようではありません」

 「賢い甥よ、誰もが国となるのを望んだのだ。これが国なのだ、ワシも思うようにならず辛いのだ。お前は暫く辺境に帰らず王宮で務めを果たし、ワシを安心させてくれ」

 ギャツァはもはや辺境に戻ることはなく、心の中は憂鬱で塞がれていた。

 ジュクモはその様子を見て却って喜んだ。
 クルカル王から妻に望まれていることは口にしようもなく、ただこう言った。

 「近頃、夜ごとに悪い夢を見るのです。リンに何か事が起こるのではと心配です。あなたが王宮を守っていてくれれば、心安らかでいられます」

 この時、クルカル王はリンの国境に大軍を配備し、使者を送ってジュクモへの求婚を顕かにした。
 ジュクモはついにこの時が訪れたかと、涙をこらえることが出来なかった。

 ギャツァは、自ら魔国へ行って国王の帰国を促すことを願い出たが、誰も同意しなかった。
 一つには、ギャツァには神の力がなく、遥かな地へ行くのにどれほどの時を費やすか分からなかったため、二つには、この時国には強者がおらず、戦いに臨んで彼のような優れた大将を欠くことが出来なかったためである。

 協議の結果、リン国の魂の鳥、白い鶴を北への遣いとし、ケサルに速やかに戻り国を救って欲しいと伝えることにした。

 白鶴はケサルの元へと飛んで行ったが、ケサルは日夜二人の妃と酒を楽しみ、心も思考も朦朧としていた。
 「この鳥を前から知っていたような気がするのだが」

 鶴はケサルがこのように腑抜けている様を見て言った。

 「私はリン国の魂の鳥。リン国の王であれば、当然ご存じのはず。リンでは長い間君主が不在であったため、ホル国が大軍で押し寄せ、王妃ジュクモを無理やり妻にするよう迫っています。リンの民は大王がすぐさま戻られることを望んでいるのです」

 この知らせにケサルは驚き、全身から冷汗が噴き出した。
 すぐに人を呼び準備をさせ、あすの朝早くここを発って国へ帰ることにした。

 だが、次の日、朝日が昇り二人の妃の壮行の酒を飲むと、また頭が朦朧として、総てきれいさっぱり忘れてしまった。

 彼はメイサに尋ねた。このように大勢の者が整列しているのは何のためか、と。
 メイサは考えた。ジュクモは私に嫉妬したために、自分が恐ろしい目に遭うことになったのだわ、と。そこで答えた。

 「今、勇壮なお芝居の稽古をしているのです。広々とした場所で芝居が演じられるのを見てみたいと王様がおっしゃったからです」

 国王にも微かにそのような記憶があった。
 ここで猶予したために、また丸々一年が経った。

 その後、危急の情況にあるリンはカササギを遣いとして国王へ知らせを伝えようとした。
 カササギは城門に停まり苛立ったようにギャアギャアと鳴いた。

 飛び立つ前、ジュクモはカササギに言った。国王は強い神の力を持っているのでお前の言葉を理解するでしょう、と。
 だが、国王は酒色に溺れ宴の真っ最中、二人の妃に尋ねた。
 「あの鳥は何を焦っているのだ。何か用事があるようだが」

 メイサはこの鳥はジュクモが寄こしたのだと知って、言った。
 「王様がお楽しみなのに、あの鳥はなんと喧しいのでしょう。王様は久しく弓の稽古をされていらっしゃいません。丁度良い機会ですから、いっそ射落としてはいかがでしょう」

 ケサルは知らせを携えて来たカササギを一矢の元に城門の下へと射落した。

 こうしてまた一年が経った。
 
 ジュクモは、首席大臣に国王に帰国を促すよう願った。
 だがロンツァは言った。
 「二度遣いを送りました。国王は知らせを御存知のはず。もし国王がお帰りにならないのなら、帰らない理由があるのでしょう」

 今の首席大臣は当時の英明で洞察力ある老総督ではなくなった、と言う者がいた。
 首席大臣は言った。

 「ワシに不満を持つのは構わない、だが国王の英明を疑ってはならない」

 こう言われては、人々は口をつぐむしかなかった。


 ジュクモは仕方なく狐に手紙を届けてもらうことにした。
 狐は口が利けないので彼女は指輪をはずした。国王が目にすればきっと自分を思いだしてくれるだろうと信じていた。

 狐は二人の妃に遭わないよう進んで行き、その指輪をケサルの前で吐き出した。
 それを見たケサルは何かを感じたかのように、城の頂上に登って天を仰いだ。
 もし大切な使命があるのなら、天の母が知らせに来るだろうと考えたのである。

 だが、天は雲が風に流されて、海のように平和な青を湛えるばかりだった。

 ケサルは水晶の宝鏡を持っていることを思い出し、取り出して覗くと、あっと驚いた
 。鏡の中に見えたのは、リンとの境界にホルの兵馬が一糸乱れず整列し、襲撃の開始を今か今かと待っている様子だった。
 続けて、リンの宮中でジュクモが憔悴し切っているのが見えた。

 すぐにケサルは命令を下し、月の昇る前に軍を挙げて出発することにした。
 だが、馬に乗って壮行の酒を二杯飲むと、再び記憶をなくして馬から下りてしまった。

 もともと魔国の酒はすべて物忘れの酒だった。

 魔国には元は民はいなかったのだが、魔王ロザンが周囲から人間をさらって来て、魔国の各地に住まわせたのである。
 彼らは酒を飲まされ、故郷のことをすべて忘れた。












阿来『ケサル王』 84 物語:国王、国に帰らず

2014-12-26 02:31:25 | ケサル
物語:国王、国に帰らず その1



 リンの東北、砂漠と草原と塩の湖の間、そこは広大な領地を持つホル国である。
 国王ジルハトは自ら天帝と称し、国を三つに分けて三人の息子をそれぞれの王としていた。

 三人の息子が住むテントの色が異なるため、それぞれ黒帳王、白帳王、黄帳王といった。
 その中で白帳王―クルカルは武芸に最も優れ、その臣下のシンバメルツは猛々しく朴訥で、向かう所敵なしだった。

 ここで述べるのはまさに、ギャツァが国王の帰還を待ちきれず、民を移して金沙江のほとりで鉄を練成し兵を配備した年のことである。

 不吉なことに、四羽の鳥がホル国からリンに向かって飛び立った。

 ホルのクルカル王が寵愛していた漢妃が世を去り、クルカル王は、異国から来た女性だけが漢妃の死による心の傷を補うことが出来る、と考えていた。
 そこでオウム、鳩、孔雀、カラスに命じて異族の美女を探しに行かせたのである。

 四羽の鳥はあらゆる地を飛んだが、いまだにクルカル王を満足させる女性を見つけ出せずにいた。
 この時、四羽はリンとホルの境にいた。
 オウムは言った。

 「我々四羽は、クルカル王の放った矢と同じで、飛び出すのは簡単だが帰るのは難しいぞ。王様の望む美女を探すのはなんと難しいんだ。それに、もし探し出せても、王様は兵を連れてその女性を奪いに行くだろう。そうなったら、どれほどの人が苦しむことか。このまま逃げたほうがいいんじゃないか」

 「じゃあ、どこへ逃げればいい」

 「鳩は漢の妃様と一緒に来たのだから漢の地へ戻ればいい。孔雀はインドへ戻り、オレはモンの辺りへ戻る。カラスは一番簡単だ。世界のどこにでもカラスはいるんだから、好きな所へいけばいい」

 三羽の鳥は翼を羽ばたかせながら雲の中へ飛んで行った。
 カラスは木の枝に止まって驚きながらも喜びを隠せなかった。

 この間、カラスはずっと考えていた。
 美女を見つけたとしたらそれは誰の手柄になるのだろうか。

 自分は醜いので、褒美を与えるにも美しいものを好むクルカル王は自分には目もくれないだろう。
 今ならば、美女を探し出しても手柄を奪われることはない。
 こう考えるとカラスは歯を食いしばり飢えを偲んでリンの上空を飛び回った。

 七七四十九日飛んでもまだクルカル王の目に適う美女は現われなかった。
 リンに美女がいないからではなく、リンの平安を守るケサル大王が久しく帰らないために、クルカル王が様々な地で美女を探しているという知らせが伝わると、美しい女性たちはほとんど姿を現さなくなったのである。

 カラスが四方を飛び回ると、リンのすべての地はどこも不安に陥った。
 ただ妃ジュクモだけは、空の澄み渡った時に高台に登ってはるか彼方を見つめていた。

 カラスは何度か近くを通ったが、兵たちの矢が怖くて、王宮には近づかなかった。
 そのためジュクモを見つけることが出来なかったのである。

 ケサルが王になった後、トトンの心は常に塞いでいた。
 この日目覚めた時、やはり気持ちが晴れなかった。
 そこで、通力を使ってハヤブサに変身して空へと飛び上がった。

 ハヤブサは頭が小さく、人間のようにあれこれと思慮することが出来なかった。
 そんな時にカラスが現われた。

 ハヤブサは考える間もなく襲い掛かり見る間にその翼を引き裂くと、カラスは大声で叫んだ。
 「お許しください。私は白帳王クルカル様の手下です」

 「クルカル王の手下?美女を探しに来たのか」

 「まさにその通り」

 ハヤブサは何かを思いついたが、脳が小さくてうまく頭が働かず、そこで山の頂を回って木の後ろに降り、人の姿に戻って頭を働かせてからまた飛び上がり、カラスが慌てて逃げて行くのを見て言った。
 「怖がらなくてよい。リンの最も美しい娘は王宮の上にいるぞ」

 果たして、カラスは王宮の頂上にジュクモを見つけた。
 その美しさは一々細かく述べるまでもなく、軽くひそめた美しい眉、愁いをおびた表情だけでも、亡くなった漢の妃と見まごうばかりだった。

 カラスは一目見るなり、空中からまっすぐにとびかかり、ジュクモの頭のトルコ石の髪留めをくわえて飛び去った。
 カラスは空の上で得意そうに翼を揺らした。
 「暫くお待ちください。ホル国の優れて勇ましい白帳王クルカル様がお迎えに来られるでしょう」

 カラスは興奮を抑えきれず、飢えも渇きも何のその、クルカル王の元へ飛んで帰った。

 カラスはまず三羽の鳥がホル国を裏切った罪をひとしきりあげつらった。
 クルカル王は苛立って言った。
 「その三羽のことは後にしろ。ワシの心に適う美しい娘が見つかったかどうかを聞いているのだ」

 カラスは意気揚々と王の前まで飛んで来て、ジュクモのトルコ石の髪留めを差し出し、言った。
 「ケサルは魔国征服に勝利しましたが、新しい王妃の虜になり魔国の愛の巣で、楽しみに耽り帰ろうとしません。このジュクモは大きな宮殿で独り身を守っています」

 「ではすぐに兵を発して迎えに行くぞ」

 命を受けて兵を出した大将シンバメルツは進言した。
 「大王様、リンは小国ですがジュクモは国王の妃という高貴な方です。我らが勝手に嫁として娶ったら、両国の間に必ず戦いが起こり、民は塗炭の苦しみを味わうでしょう」

 クルカル王は大臣の勧告など聞くはずはなく、シンバに二度と不平を漏らさせないために、ジェツンイシ姫に占わせた。

 ジェツンイシは実はホル親王の娘で、顔かたちはホルの女性の中でも一番の美しさだった。
 漢の妃が亡くなった後、宮廷内で協議して、クルカル王にジェツンを娶らせようとしたが、クルカル王は堅く辞退した。

 ジェツンは生まれながらに聡明で、また修行者に伝授されて占いが出来、様々な霊験を持っていた。

 王とは、考えが謎めいていて、周りの者には推測しがたく、王座に座っていれば自ずと威厳があるものである。
 クルカル王は思った。
 もし自分に何らかの考えがあるとすぐに彼女に見抜かれてしまい、周りに威風を示せなくなだろう。

 そこでクルカル王は彼女の美貌に涎が出そうなのを必死でこらえ、違う部族から妻を探すことにしたのである。

 ジェツンイシは笑って言った。
 「占いでは凶と出ました。王様、訳なく兵を出されませんように」

 クルカル王は冷笑して言った。
 「お前はわしがリンの国から美女を嫁として連れて来るのを望んでいないのだろう。お前の若さと美しさを憐れんでいなければ、お前の首を切らせて、その生首を夜ごと山の上で吠えて人々を安らかに眠らせない餓えた狼に食わせてやるところだ」

 ジェツンイシは慌てることなく、哀れむように笑って、その場を下がり何も言わなかった。

 シンバメルツは大王がこれほどに固執するのを見て、兵馬を点呼し、クルカル王と共に出征した。

 東北の方角に大軍が押し寄せた。
 リンでは全ての人が国王の帰るのを待つばかりで、何の備えもしていなかった。

 ただトトンだけがホルの大軍が攻めて来るのを知っていたが、何も伝えようとはしなかった。








阿来『ケサル王』 83 物語 兵器部落

2014-12-20 12:22:49 | ケサル
物語:兵器 その2




 フクロウはギャツァの肩から飛んで行った
 だが彼の耳元には何時までもジュクモの深く長いため息が聞こえていた。
 その溜め息は彼の心を不吉な予感で満たした。

 リンの平安を保つため心の内に立てた計画は、国王の同意を待ってはいられない。
 国王が何時帰るのか分からなかったし、時には国王は戻って来ないのではと疑わざるを得なかったからである。

 彼は母に贈られた兵書に添って兵を訓練し、そこに書かれている通りに兵を布陣させた。

 リンがまだ国でなかった時、間の争いは主に勇将たちの働きにかかっていた。
 リンの三十英雄は、ほとんどがそれぞれの神の力を持っていた。
 さらに、その頃の戦いには、しばしば神と妖魔も参戦し、普通の兵では役に立たなかった。

 天上の神々は地上の人間を助けてそれぞれの国を建てた後、皆天に帰るという。

 リンの周りの多くの場所では、すでに神の姿は無かった。
 そこでは早くに国が建てられたからである。
 再び妖魔が現われて世を乱すことがなければ、神は安易に下界には降りてこず、人と人の間の事柄には関わらなくなる。
 そして、国が一度国らしくなれば、人は徐々に神の力を失っていく。

 国が一度建てば、人は野蛮な時代から抜け出す。
 つまり、決まり事によって人を管理し、手に入れた技術によって暮らしを立て、神の力には頼らなくなる。

 そのため、ギャツァは自分の部下を訓練し、神の力に頼らない軍隊を作り上げ、総ての兵に陣形の変化を理解させ、皆の戦いの術を高めなくてはならなかったのである。

 このように、一人一人の人間の持つ力、信念、技を集めるというやり方は、神の力よりも強い力となる。

 それを成し遂げるためギャツァは、一つのの民すべてを黄河の岸の草原から、南の深い山に移すことにした。

 その時はすでにとは呼ばず、万戸と呼んでいた。
 万戸の長はギャツァに、どうしたら安心して暮らせる場所を見つけ出すことが出来るのか、と尋ねた。

 ギャツァは万戸長に言った。

 南へ、南へと進み、かつてリンが大雪によって追われた故郷まで行く。
 そこで、故郷の河に出会ったら、その流れに沿って更に南へ向かう。
 その深い幽谷の険しい河岸の上に、銅と鉄を精錬できる場所が見つかったら、そこに落ち着けばよい。

 万戸長は言った。
 「我々は三日以内に出発できます。ただ私が恐れるのは、民が故郷を離れ時にあげる泣き声を聞くことです」

 ギャツァは言った。
 「では、誰かに歌を作らせよう。すすり泣く変わりに歌う歌を」

 が出発する時、本当に歌いながら出発した。

 ギャツァは兵を率いて先頭を進んだ。
 風も通らぬほの密林に出会った時、彼は兵に言った。
 今こそ刀術と腕力を試す時だ、と。兵たちは森の中で刀を振るって木を切り落とし、広く明るい道を作った。

 行く手を塞ぐ巨大な石に出会った時、将軍たちは兵に言った。
 「さあ、巨人と相撲で戦うための訓練をする良い機会だ」
 そこで兵たちは道を塞いでいる巨石を押して谷川に落とした。

 虎や狼に出会った時は、兵たちはその前に踊り出し、言った。
 「矢を放つ訓練をするよい機会だ」
 こうして、弓の最も優れた兵がまだら模様も眩い虎の皮を身に纏った。

 最後に彼らが着いたのは雄大に奔流する金沙江のほとりだった。
 谷は天に向かって開く蓮の花のようであり、周りの峰々は剣を手にして立つ勇士のようだった。

 草原にまだ雪が舞う厳冬の三月、東南に開いた谷には暖かい風がそよそよと吹き、十六夜薔薇と野生の桃の花が一面に咲き誇っていた。
 一夜の春雨の後、早起きの老人は、数日前ここに着いた時何気なく地に挿しておいた柳の杖から新しい芽が芽吹いているのを発見した。

 ここには一つ良いところがあった。
 急いで家を建てる必要がなかったのである。
 人々はしばらく山の洞穴で暮らした。

 開墾した谷に緑の苗が伸びる頃、一部の人たちは山里から鉱石を掘り出していた。
 その石は自ら変化する方法を知っているかのように、炉の前の空地に積まれ、風や雨にさらされて あるものは赤く変色し、あるものは緑に変色した。

 こうして、銅が出来、鉄が出来た。

 リンの民が自ら精製した銅と鉄である。

 そのためこのは後の人から兵器と呼ばれた。

 このは多くの職人を生み出した。
 採石の職人、炉を作る職人、鉱石を練成する時に火の管理する職人、銅と鉄で様々な兵器を作る職人。

 刀、剣、矛、矢、馬具、鉄菱、鎧兜。
 この時からギャツアの大軍が陣を敷くと、太陽に照らされて、すべての鉄器が黒々と輝き、厳めしく堂々とした姿を現した。

 ギャツアは信じていた。
 このような大軍が整列して押し寄せたら、どのような強敵も抵抗出来ないだろう。

 秋、ここより更に南のが豊かに実った食糧を奪いに来た。
 ギャツアは知らせを受けると、兵たちに応戦させず、ただ、収穫の終わった田畑で陣の演習をさせた。
 南方のの民たちは林の中から三日間様子を覗った後、自ら現れて臣下になることを願い出た。

 ギャツアは人を遣わして彼らを王宮へ送った。
 首席大臣は、この地方について聞いたことがなかった。

 彼はひれ伏し、北に向って拝した。
「ケサル大王様、お祝い申し上げます。王の威名を慕って南方の未開のが彼らの広大な土地と共に帰順に参りました」






阿来『ケサル王』 82 物語 兵器部落

2014-12-16 01:10:16 | ケサル
物語:兵器



 ギャツアには大きな計画があった。
 心の内で長い間考え抜き、国王が魔国を征服して帰って来たらすぐに許可を願うつもりだった。

 だが、ケサルは魔国に行って三年、王妃メイサと新しい妃アダナムと北方の魔の地で日夜酒宴を楽しみ、帰ろうとしない。

 人々は疑い始めた。
 この人物は確かに強い神の力を持っているが、思いのままに行動するばかりだ、本当にリンの国王にふさわしいのだろうか。

 メドナズは言った。
 「神が彼を下界に遣わし国王にされたのです。彼がふさわしくないなら、他に誰がいるでしょうか」

 首席大臣ロンツァ・チャケンも同じ考えだった。

 だが、ギャツアは心配でたまらず、首席大臣に進言した。
 「私の母は言いました。漢の地では、もし皇帝が楽しみに耽り、政を顧みないなら、民はその皇帝を王として戴かないそうです」

 首席大臣は厳しい顔つきで言った。
 「我々の国王は天から降りてきた神の子だ」

 ギャツァは言った。
 「母が言うには、漢の地の皇帝も天子と言うそうです。天の子という意味です」

 ロンツァは言った。
 「口を慎みなさい。お前はケサルの兄であり、国王の大切な将軍だ。トトンのように、陰険で利己的な言い方はやめるのだ。我々が新しく定めた法律では、そのように朝廷を貶める議論を何と言うか知っているか」

 「私はただ、国王が早く帰られるよう、人を遣わして頂きたいのです」

 首席大臣はため息をついた。
 「王妃ジュクモも私を訪ねて来て同じことを言われた。だが、国王は戦いに発つ時にこう言いつけられたのだ。整然と事を進め、税を集め、訴訟を行わないようにと。お前に辺境を守らせたのと同じように」

 「そうなのです。より強固に辺境を守るため、国王にお伝えしたいことがあるのです。それなのに、虚しく待つばかりで、丸々三年経ってしまいました」

 首席大臣はもちろんギャツァの真っ直ぐな忠誠心を知っている。
 そこで、席から降りて彼を慰めた。
 「今はやはり辺境に戻りなさい。リンはすでに国となり、国王の権威は揺るがすことは出来ない。国王を疑うなど、なおさらだ。やはり陣営に戻り、王の命の通りに事を行いなさい」

 ギャツァは仕方なく母に別れを告げに行き、そこで国王への恨みを口にした。
 母は言った。
 「リンは国になったとはいえ、まだ生まれたばかりです。国として成熟していない部分も多いでしょう。もし命に従うことでより良い国の姿に近づけられるのなら、やはり命に従いなさい」

 彼は母に伝えた。
 「トトン叔父が宴を設けようと言っているのですが、どうしたらよいでしょう」

 母は身震いして言った。
 「息子よ、自分の駿馬に乗って夜の内に発ちなさい」

 月のない夜、ギャツァは馬を鞭打ちながら辺境の陣営へ向かった。

 星灯りで、彼は微かに遠くを眺める人影を認めた。
 それはジュクモによく似ていて、城の楼台に立ち、ぼんやりと北を眺めている。

 ギャツァはリンの多くの人とは違い、いくつかの不思議な力を持っていが、それは厳しい修練によって手に入れたものであり、遠くからでははっきりと見定めることが出来なかった。

 だが、ジュクモも少し通力があり、すでにギャツァに気付いていて、フクロウを遣わして彼の肩に止まらせた。
 フクロウが口を開くとそれはジュクモの声だった。
 「あなたが帰って来たと聞き、明日は城に尋ねて来られるかと待っていました」

 ギャツァは馬から降り、宮殿に向かって恭しく応えた。
 「王妃様、私が帰って来たのは国王に報告があったからです。だが、国王は魔国へ遠征してまだお帰りになりません。私は再び辺境に戻ります。首席大臣は規律を守り、王にお帰りを促そうとはされません。国に主がいなければ民の心は不安になりましょう。やはり王妃様が先に立って国王に早く帰っていただくようすべきです」

 ジュクモはただため息をつくばかりだった。
 今回の魔国との曲折はもともとはジュクモの嫉妬が起こしたことであり、この時も口には出来ない辛さを抱えていた。

 ギャツァはそんなジュクモの胸の内を知る由もなく、ただ態度が曖昧なのを目にして、馬に乗って去ろうとした。
 ジュクモが突然話し始めた。
 「ここ数日私の心は穏やかではありません。何か良くないことが起こるように思えるのです」

 「王妃さまは王宮で国王のお帰りをお待ちになっていれば、悪いことなど起こるはずはありません」

 「占星術師が夜天象を見て言ったのです。邪気が私の星を犯していて、時が来たら…」

 「もし王妃様に災難が降りかかったら、このギャツァがすぐにお守りします。万死も恐れずお力になります」

 言い終ると馬を駆って夜の中に消えて行った。







阿来『ケサル王』 81 語り部 恋愛

2014-12-09 14:58:08 | ケサル
語り部:恋愛 その2



 次の日、新しい語り部がやって来た。中年の女性だった。
 牛を放牧している時雷に打たれ、目が覚めると、誰にも習ったわけでもないのにケサルを語るようになった、と言った。

 大声でしゃべる女だった。

 その日の昼、二人は招待所の廊下で出会った。
 ジンメイは食堂の料理を盛った琺瑯の大きな椀を抱えて帰って来るところだった。

 女は彼を遮り、ジンメイさんかと尋ね、彼は頷いた。
 「みんながあんたは語りがうまいって言ってるよ」

 彼がまた頷くと、この大雑把な女ははにかんだ表情を見せて言った。
 「私はヤンジンドルマ」

 ジンメイは笑った。
 ドルマとは仙女の意味だ。この女は声はどら声、目つきは凶悪、まるで仙女らしくない。

 ヤンジンドルマは言った。
 「何を食べてるのか見せてご覧。チッ!スープ、それと饅頭か。チッ!前に来た時もこればっかり食べさせられてさ。うんざりして、辞めたのさ」

 「でもまた来たんだろう」

 ヤンジンドルマは彼の手を引っ張った。
 「来て」

 二人は彼女の部屋に入った。
 「自分で料理してもいいことになったんだ。でも、ここじゃ薪を起こせないだろう。電気で作るんだ」

 ヤンジンドルマが泊っているのは内と外の二間だった。
 内で寝て外で料理し、茶を飲む。電気コンロが部屋の真ん中に置いてあった。

 ドルマは彼の肩に手を当て、敷物に座らせた。
 「うまい茶を入れるからね」

 コンロの上のやかんはすぐに沸いた。
 そこに粉のミルクを入れると、香りの良いミルク茶になった。
 椀に注ぎチーズを並べた。その椀には青菜が浮いていて、それを捨てると、子供のように笑って言った。

 「こっちへ来て、饅頭を食べな」

 食事はとてもおいしかった。三食分はあるチーズを一回で食べてしまった。
 ヤンジンドルマはわざとらしく、だが満足した表情で言った。
 「神様、この男はやかん一杯の茶を全部飲んでしまいました」

 次の日ジンメイが語りに行く時、ヤンジンドルマは彼に魔法瓶を渡し言った。
 「お茶だよ、歌って喉が乾いたら飲みな」

 「語る時は飲んじゃだめなんだ」

 「フン、あいつらは飲めるんだろう」

 「みんな外で飲んでる」

 「じゃあ、あんたも外へ行けばいいじゃないか」

 「行かせてくれないんだ」

 「誰が」

 「アサンさんが」

 ヤンジンドルマは鋭い目で彼をにらんだ。
 「語りの金は国がくれるんだ。あんな女の言うこと、聞かなくてもかまいはしないさ」

 その日、茶を飲むことは出来なかった。
 飲むか飲まないかの問題ではなく、アサンがこう言ったのだ。
 「あなたの体から出た牧場臭い空気をやっときれいにしたのに、なんでまた匂うのかしら」

 彼は魔法瓶をスタジオの外に置きに行った。
 アサンは言った。
 「さあ、始めましょう」

 彼は茶が入ったままの魔法瓶を持って部屋に戻った。
 ヤンジンドルマはそれを見て言った。
 「チッ!」

 後からこんな話が伝わった。
 あの田舎者はまるで白日夢を見るみたいに、新しい時代の女性を愛してしまったらしい、と。

 アサンはそれから後の番組では、怖い顔をして何も話さなかった。

 何回か、ジンメイはアサンに言おうと思った。
 「あの噂はみんな嘘です。オレのようなものがあんたを好きになれるわけがないでしょう」

 それでも、スタジオのライトが暗くなり、たくさんの機械の光がチカチカと点滅すると、彼女がいつもの優しい声で話し始め、すべてがうっとりと魅惑的になった。
 彼女の声は磁石のように人を引きつけ、彼女の体からは良い匂いがたちのぼった。

 ついにある日、アサンは言った。
 「もし続けて語りたいなら噂話を流した人のところへ行って、自分はそんなこと思ってない、と言って来てちょうだい」

 「そんなこと思ってない、とは?」

 アサンは泣き出した。
 「あなたって不潔で間抜けね。私を愛したことはないと言って来なさい、ってことよ」

 彼は頭を垂れ、自分の罪の重さを深く恥じたが、それでもやはり本当のことを言った。
 「夜、いつもあんたの夢を見るんです」

 アサンは鋭い叫び声をあげると、泣きながらスタジオを飛び出した。
 録音は中止になり、外にいたスタッフが飛び込んで来た。

 「おい!何をしたんだ」

 自分は本当に何もしていない、自分の言葉には呪いをかける人のように毒の針が埋まっていたのだろうか。
 だが彼は何も言えなかった。
 みんながあまりに恐ろしげで、怖くて何も考えられなかった。

 ヤンジンドルマでさえ深く傷ついた様子で、彼の姿を見て言った。
 「チッ!」

 放送局を出入りする時、みんながからかって言ったものだ。
 「この二人の語り部が一緒にいると、天地が定めた一対のようだね」と。

 ヤンジンドルマはそれを聞くたびに幸せそうな微笑みを浮かべていた。
 だが、今、彼女はジンメイの姿を見て言ったのだ。
 「チッ!」

 数日前、彼女はジンメイに言った。
 「ケサルは長いことリンに帰らなかったけど、その責任は、アダナムとメイサだけにあるんじゃない。もし、ケサルが会うたびにその女を好きになったりせず、ジュクモだけを好きになってたら、地上にこんな騒動は起こらなかっただろうに」

 ジンメイはこう答えた。
 「神の授ける物語をオレたちは勝手に批判しちゃいけない」

 ヤンジンドルマは言った。
 「物語はきっと、男の神様が授けたんだよ。女の神様だったらこんなふうにはしなかったはずさ」

 ジンメイはそれを聞いて驚き、神様を刺繍した旗を広げて何度も跪いて拝んた。
 ヤンジンドルマも怖くなり、ジンメイと一緒に神の前に跪き、必死で許しを乞うた。

 だが今、ジンメイは許しがたいほどに自分を恥じていた。
 彼は本当に病気になった。

 ギーと音がしてドルマが入って来た。彼は弱々しく言った。
 「なんで来たんだ」

 「今、誰が自分に一番ふさわしいか分かっただろう。誰が自分とお似合いか分かっただろう」

 彼女は彼の額と手に口づけした。彼の肌は熱い涙で濡れた。
 だが、この熱い涙も彼の心の内へ染み込んではいかなかった。

 彼は言った。
 「帰って休んでくれ。明日茶を飲みに行くから」

 ヤンジンドルマはもう一度口づけし、彼をこう呼んだ。
 「私の可愛い人、私の運命の人」


 彼女がドアを閉めると、ジンメイはドルマが流していった涙を拭いた。
 心に浮かぶのはやはりスタジオの中のあの魅惑的な姿だった。

 こうして、彼は何も言わず出て行った。
 の放送局から、この町から姿を消した。

 彼がどこへ行ったのか。誰も知らなかった。







阿来『ケサル王』 80 語り部 恋愛

2014-12-03 02:53:39 | ケサル
語り部:恋愛 その1



 ジンメイは学者に連れられて省のチベット語放送局に来た。
 放送局での日々はとても幸せだった。

 幸せ、それは偽りのない感想だった。

 放送局のスタジオに座るとライトが暗くなる。
 番組の司会者は突然声の調子を変える。

 ジンメイはふと思った。王妃ジュクモが話す時もきっとこんな声だったのだろう。
 魅惑的で威厳がある。

 ここは放送局の語り部番組制作部である。
 スタジオの明かりが暗くなると、総てがあやふやになってしまう。
 スタジオを出れば彼をまともに扱おうとしない若者たちも、態度を一変してとても親切になり、あの声はより一層優しく感動的になるのだから。

 「今日の語りをお聞かせする前に、ジンメイさんに二つの質問をしたいと思います」

 ジンメイは電気が走ったように体をこわばらせ、座ったまま姿勢を正した。

 「ジンメイさん、あなたは初めて電波を通して史詩を語った語り部ですが、このことについて何か特別な思いはありますか」

 ジンメイは自分の声が変わっているのが分かった。いつもは良く響く声がかすれている。
 「幸せです」

 アナウンサーは笑った。
 「ジンメイさんがおっしゃりたいのはとても光栄に思っているということですね」

 「はい、幸せです」

 「分かりました。とても幸せだそうです。では、視聴者に教えてあげて下さい。街や、この放送局でどのように過ごしているのか」

 彼の声はやはりひどくかすれていた。
 「幸せです」

 アナウンサーはいらいらしているようだった。
 「ジンメイさんはとても楽しいとおっしゃっています。では彼の語りを聞いてください」

 アナウンサーは出て行った。ガラス越しに彼女と番組の録音技師、他の数人がふざけ合っているのが見える。

 ジンメイは語り始めた。
 語っている時、彼はいつものジンメイだった。
 目の前のガラスの壁は消え、左右そして後ろの壁もすべて消え去った。
 雪山と草原の広がる大きな空間の中で、天にも地にも、特別な力に満ちた神、人、魔物が行き来し、はかりごとをし、祈り、戦っていた。

 そこに登場する美しい女性たちは何とも不思議だった。
 彼女たちは、村の女たちと同じように泣き、愛を競い、小さなはかりごとを仕掛け合い、神の力を持つ人と魔物の間を行き来し、そうやって物語の中で大切な役割を果たしているのである。

 その日、ジンメイはたくさんの時間をかけてジュクモとメイサを語った。
 語りが一段落すると、司会者が入って来て、視聴者に向かっていつもと同じ言葉を投げかけた。

 「視聴者のみなさま、夜の十時になりました。どうぞお忘れなく。明日の夜九時、英雄詩史ケサル物語で、必ずお会いしましょう」

 終ると、彼女はジンメイの後ろに立ち、体を屈めて来た。
 ジンメイにはそれが、大きな鳥が空から降りて来て、まず始めに、地上の可哀想な生物をその影で包みこんだかのように感じられた。

 彼の体は震えていた。
 彼女は香しい息をしている。
 彼女が彼の後ろに立ち、体を屈めると、唇が彼の首に触れそうだった。

 「今日の語りはとても素晴らしかったわ。もしかしてあなたは女性のことをあまり知らなのかしら」

 彼は頭がくらくらして倒れそうだった。
 我に帰った時、スタジオには彼一人だけだった。
 スタジオを出ると、迷宮のような廊下で方向を見失い、より複雑で広い漢語放送制作部に迷い込んでしまった。
 会う人ごとに、アサンさんを探していますと話しかけた。だがここは別世界で、誰もアサンを知らなかった。

 その後どのように歩いたか分からなおのだが、大きな建物を抜け出し、まぶしい太陽の下にいた。
 招待所に戻りベッドに寝転がると、体が冷たくなったり熱くなったりした。
 ウトウトする間に、アサンがジュクモの服装をして、青い山の頂を彷徨い、憂いを抱きながら北の方を眺めている夢を見た。
 早く逃げろ、危ないことが起こるぞ、と叫んだが声が出なかった。

 午後、学者が研究所から会いに来た。
 食堂から届いた食事がそのままなのを見て言った。
 「病気か」

 彼は思った。自分は病気なのだろうか。
 思い返してみて、自分で自分に驚いた。頭の中でずっと司会者の女性を思っていたのだ。
 彼は怖くなって言った。

 「家に帰る」

 学者は厳しい表情で言った。
 「本当の語り部、本当の仲肯は天の下総てが自分の住処なのだ」

 「草原に帰りたい」

 学者は言った。
 「ここで語ることはある種の戦いだ。君だけじゃなく、他にも語り部が来てケサル語ることになっている。
 一番うまく語れた者には国が金を与え、家を建て、世話してくれる」

 ジンメイは言い返したかった。
 「住処も家も同じことだ。仲肯があちこちを彷徨う運命なら、家をもらっても何の役にも立たない」
 だが、やはりジンメイである、口答えなどせずに、ただこう言った

 「怖いんです」
 学者は笑った「
 そんなふうに敏感でこそ、芸術家だ、天下の芸術家だ」