キップリングの『インド傑作選』を読んでとても面白かった。次は『ジャングルブック』を読もう。
そして、思った。キプリングが書いている森の近くの居留区とはいつの時代のものなのだろうか、と。
ふと目に入ったグレート・ゲーム(1813~1907年)という一語がキーワードとなった。これは『少年キム』の中で使われ、一般化されたものらしい。
始まりはカブールをめぐるインドとロシアの対峙だった。結局両国は直接戦わなかったが、そこから戦争が世界中にひろまり、日本にまで広がった。日本もそのゲームの一員になったのである。
キプリングが直接目にしたパンジャブに派遣されたイギリス兵は、アフガニスタンをめぐるロシアとの対峙の最前線にいた。集められた兵士たちはほとんど、本国では低辺での生活を余儀なくされていた下層民だったという。
野放図と言ってもいい彼らの言動を、インドの地ならではの空気の中でキプリングは描いている。解放感と緊張感、森から伝わってくる得体のしれない霊気のようなもの。それを楽しめる者もいれば、恐れて精神を病む者もいる。そのあわいを描く物語。それはいつかジャングルブックへとつながっていった。
この戦いの前にはセポイの戦いともいわれるインド大反乱(1857)があった。この時からアフガニスタンは緩衝国とされていたようだ。そこへロシアが手を出して、緊張が高まっていき、アングロ・アフガニスタン戦争へとつながっていく。
インド大反乱のきっかけはいろいろあるが、その一つはラクナウにあったアワド藩王国の取りつぶしにあったという。
藩王国の解体により、貴族、役人、軍人が職を失った。セポイとはインド人の傭兵のことで、彼らにもその影響は及んだ。宗教的、経済的な理由により、彼らはついに反乱を起こす。だが、結局反乱軍は破れ、東インド会社も解散させられ、いよいよイギリス国が直接インドを統治することになるのである。
そのアワド藩王の最後を描いたのがサタジット・レイの映画「チェスをする人」だった。
ああ、ここで私の中のいろいろなものがつながった。
アワド藩王はチェスが大好きで、政治を顧みなかった、と読んだことがある。
サタジット・レイはチェス狂の役割を二人の太守に担わせ、滑稽に描くことで、イギリスから王の冠を受けたことを誇りにし、歌舞にかまけて国力を失い、最後には追放される藩王の悲劇を際立たせる。
自分たちの藩国にイギリスの軍隊が駐留してくる時も、二人の太守はそれを意に介せずチェスの駒を動かし続けるのだった。
サタジット・レイがこの時代を描いたことの意味がわかった。