塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

キップリングの『インド傑作選』とサタジット・レイの映画「チェスをする人」

2020-04-13 23:36:41 | 読書


キップリングの『インド傑作選』を読んでとても面白かった。次は『ジャングルブック』を読もう。

そして、思った。キプリングが書いている森の近くの居留区とはいつの時代のものなのだろうか、と。

ふと目に入ったグレート・ゲーム(1813~1907年)という一語がキーワードとなった。これは『少年キム』の中で使われ、一般化されたものらしい。
始まりはカブールをめぐるインドとロシアの対峙だった。結局両国は直接戦わなかったが、そこから戦争が世界中にひろまり、日本にまで広がった。日本もそのゲームの一員になったのである。

キプリングが直接目にしたパンジャブに派遣されたイギリス兵は、アフガニスタンをめぐるロシアとの対峙の最前線にいた。集められた兵士たちはほとんど、本国では低辺での生活を余儀なくされていた下層民だったという。
野放図と言ってもいい彼らの言動を、インドの地ならではの空気の中でキプリングは描いている。解放感と緊張感、森から伝わってくる得体のしれない霊気のようなもの。それを楽しめる者もいれば、恐れて精神を病む者もいる。そのあわいを描く物語。それはいつかジャングルブックへとつながっていった。

この戦いの前にはセポイの戦いともいわれるインド大反乱(1857)があった。この時からアフガニスタンは緩衝国とされていたようだ。そこへロシアが手を出して、緊張が高まっていき、アングロ・アフガニスタン戦争へとつながっていく。

インド大反乱のきっかけはいろいろあるが、その一つはラクナウにあったアワド藩王国の取りつぶしにあったという。
藩王国の解体により、貴族、役人、軍人が職を失った。セポイとはインド人の傭兵のことで、彼らにもその影響は及んだ。宗教的、経済的な理由により、彼らはついに反乱を起こす。だが、結局反乱軍は破れ、東インド会社も解散させられ、いよいよイギリス国が直接インドを統治することになるのである。

そのアワド藩王の最後を描いたのがサタジット・レイの映画「チェスをする人」だった。
ああ、ここで私の中のいろいろなものがつながった。

アワド藩王はチェスが大好きで、政治を顧みなかった、と読んだことがある。
サタジット・レイはチェス狂の役割を二人の太守に担わせ、滑稽に描くことで、イギリスから王の冠を受けたことを誇りにし、歌舞にかまけて国力を失い、最後には追放される藩王の悲劇を際立たせる。
自分たちの藩国にイギリスの軍隊が駐留してくる時も、二人の太守はそれを意に介せずチェスの駒を動かし続けるのだった。

サタジット・レイがこの時代を描いたことの意味がわかった。




映画『カブリワラ』1961年 ヒンディー語

2020-04-02 00:25:55 | 映画

タゴールの書いた短編小説『カブリワラ』。私の大好きな作品。
それが映画化されているというのを最近知り、すぐにDVDを持っている方からお借りすることが出来た。なんという幸運。

コルカタに住むおしゃべりでおしゃまな女の子ミニ。カブールからお金を稼ぎに来たナッツ売り(カブリワラ)。
二人の友情がなんとも微笑ましい。
カブリワラが異郷で娘を思う悲しさと、ミニを見守る父親の優しさが重なって胸が締め付けられる。

なにしろ、ミニがかわいくて、読んだ人は誰も自分なりのミニを心に刻み込まずにはいられない。だから、それが映像になっていると思うと、楽しみではあるけれど、イメージと違っていたらどうしよう、とちょっとドキドキしてしまう。

映画からは、カブリワラの堂々とした姿や売り歩く時の声、ミニの家の騒々しい暮らしぶり-使用人に厳しいミニの母親、のらりくらりやり過ごす使用人―通りの様子など、当時のコルカタを知ることが出来る。当時も、そして今も、コルカタはカブリワラのように外から来る人たちを受け入れる都市としての面目を保っている。

インド映画らしくいくつかの歌が挿入される。タゴールソングではなく、オリジナルの曲らしい。情感にあふれて美しい。カブリワラたちが、故郷を歌い、愛の歌を歌う。

ある夕暮れ時、カブリワラは岸辺で老人が歌う歌に惹きつけられる。
“ガンガーよ。どこからきてどこへ行くのか…夜の闇と昼の輝き、見てごらん、夕暮れがその色の違いを消していく。闇と光が水に戯れる。もし、愛の目で見つめれば私たちはみな親しい者なのだ”
歌っているのは…タゴールに違いない。ガンガーに寄せて、孤独なカブリワラを慰めるかのように歌う。

その後、ミニの父親の助けを得て故郷へ帰ったカブリワラは幸せになっただろうか。それはわからない。
確かなのは、カブリワラもミニの父親も変わりなく、娘を思う時の父親の心には喜びと悲しみが交差しているということだ。

原作と同じ美しく哀しい余韻が残る映画だった。

監督はヘメン・グプタ。カブリワラを演じたのはバラジ・サーニ
ガンガーの歌を歌っているのはへマントクマール 作詞、グルザール






『ガラスの城』 アミタヴ・ゴーシュ

2020-03-26 00:36:24 | 読書





コロナウイルスを避けて家にこもっている。出来ることと言えば厚い本を読むこと。
ジャスミンのつぼみを気にしながら、日当たりのよい窓辺での読書ほど幸せなことはない。

『ガラスの宮殿』アミタヴ・ゴーシュ

ビルマの王朝がイギリスの侵略によって滅亡してから、アウンサン・スーチーによって新しい民主化運動が始まるまでの100年ほどの時間を、王宮と路上で強く生きる幼い男女の出会いから始まる家族の物語として描いていく長編小説。

登場する人物一人一人を丁寧に描き、歴史を家族の物語として語っていくのは、『シャドウラインズ』と似ているかもしれない。
100年という時間、しかも激動の時代を描いて壮大だ。だから、語り口のスピードは速くなるしかない。細やかで、詩的な表現もあるのに、襞のようなものが足りない。するっと通り過ぎてしまう。これだけの物語を描くのだから仕方がないし、書きたいものであふれていたのだろうけれど、ゴーシュらしい揺れのようなものが感じられないのが少し寂しかった。

でも、あまり語られてこなかったこの時代のビルマ(ミャンマー)の歴史を描くことへの情熱は伝わってくる。
ゴーシュは、語られなかったものを書こうとする作家なのだ。思えば、ミャンマーもインドもイギリスに占領されていた。その時間を知ることは必要なことだ。

この長い物語を読み終えた次の日の新聞にミャンマーのマンダレー近郊にかかるウーベイン橋の写真が大きく載っていた。
『ガラスの城』の表紙と同じ橋、同じ構図だ。橋を渡る人々がシルエットとなって写っている。
よく見るとそれぞれに望遠カメラで風景を撮ったり、友人と携帯で自撮りしたり、画面を見ながら一人歩いたりしている。
『ガラスの城』の表紙のシルエットは自転車を押し、棒を担いでいる人たちだ。
この物語の後の40年ほどで、世の中が変わっているのがよくわかる。

その間、人々は、ミャンマーの人たちはどう生きてきたのだろうか。そんなことを考えるのはこの本を読んだからにほかならない。
大きな体験を与えてくれる作品なのだ。

ムンバイとゴアの間にあるラトナギリ。そこがビルマの最後の王、ティーボー王の幽閉されていたところだ。
そこからの眺めを写した写真がある。
王が王宮から毎日見ていた風景があの時代へと思いを運んでくれる。




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映画『像は静かに座っている』

2019-12-07 01:11:13 | 映画


胡波監督の『象は静かに座っている』を見た。奇跡のように美しい映画だった。
中国河北省石家荘の小さな町に暮らす四人のある一日を描いている。

物語は重い。
友人の妻と一夜を共にし、友人を自殺に追いやった男。誤って同級生を殺してしまった高校生。教師と交際する女子高生。家族から老人ホームに追いやられようとしている男性。
登場人物のだれもが傷つき罪を犯し、それを他のせいにしようともがき、もがくほどにどんどん深みに落ちていく。そうやって周りを傷つけ、傷つけることによって自分の罪を知っていく。その時から何かが変わり始める。
象を求めて旅が始まる。

風景も重い。
空は常に曇っている。だがそれは、そっとベールをめくるとその奥に熱を持った色彩が隠れているかのような深い諧調の灰色だ。

象を求める旅に救いはないだろう。その先にあるのは光などではない。今と同じような出口のない日常だ。
それでもある瞬間、彼らは暗闇の中に美しい光景を生み出す。彼ら自身はそれを知らない。
彼らの苦しみが生み出したその一瞬を私たちはいとおしく見つめる。

4時間という長さを感じさせない、いや、もっとここにいたいと思わせられる。
監督がすべての魂を注ぎ込んだ作品だ。

E・M.・フォースター『天使も踏むを恐れるところ』

2019-11-20 16:37:26 | 読書

E・M.・フォースター『天使も踏むを恐れるところ』 


フォースターは二つの国、異なった文化の間で人は互いを理解しあうことが可能なのか、その中で人はどのような反応をするのかを知るために小説を書いていると思える。「インドへの道』も『ハワーズエンド』もそうだった。
処女作ともいえるこの『天使も踏むを恐れるところ』を読めば、初めからすでにその主題が確立されていたのがわかる。

未亡人になりながらも、婚家から解放されずにいるイギリス女性リリアが、気分転換に旅したイタリアの小さな町で結婚を決めることから物語は始まる。これもその後の小説に共通する始まり方だ。
婚約を伝える手紙が周りの人々を巻き込み、思わぬ悲劇へと進んでいく。だが、その過程で右往左往する登場人物たちの様子は軽快で喜劇的だ。

結婚相手のイタリア男性ジーノは美しいがいい加減な男で、リリアは翻弄され、男の子を生みおとすと死んでしまう。
そしてまた始まるのがその子をめぐるドタバタである。

子供を取り戻そうとイタリアに向かうのはリリアの義理の姉ハリエットと弟フィリップ、リリアと旅した友人アボットの三人、そしてジーノも含め、登場人物はそれぞれの目的を達成しようとして、悩み、憎み、争い、共感し、改め、和解し、ほとんど愛に近づきさえする。そしてそれらすべての感情が会話となり、言葉として相手に投げかけられる。
まるでシェークスピアの喜劇のようだ(と言っても、私は読んだことがないのだが)。

フィリップは思う、イタリアのこの街には言いようのない魅力がある、イタリア人にとって美だけが大切なものなのだ、と。
イギリスから来た三人は、この町でオペラに熱狂し、紫色の空と銀色の星の下で幸せな夜を味わう。
男の子を沐浴させるアボットの姿はまさに聖母子像を思わせる。

ついには、三人はもう一つの悲劇を引き起こす。
だが、その事件の後みな相手を理解し、和解し、ジーノを、イタリアを愛していることに気付くのである。

その愛を心にとどめながら、三人はイギリスへと帰っていく。
その愛はこれからどうなっていくのだろうか。フィリップとアボットは帰りの汽車の中で互いへの愛を確かめようとするが、それは行き違いに終わりそうだ。

ここでもまた、会話をすることで互いへの感謝と生きる勇気を手に入れていくのである。
それは清々しくさえもある。







E・M.・フォースター『デーヴィーの丘』

2019-11-20 16:30:35 | ケサル

E・M.・フォースター『デーヴィーの丘』
  

1912年と1921年、フォースターは中央インドのデーワースという小さな藩王国にいた。一度目は旅人として、二度目は藩王の秘書として。その間の日々を伝えているのがこの作品だ。

手紙の引用という形をとっているが、それが本当に当時のものなのか、それとも創作なのかはわからない。だがそのため、簡潔で親密で、時にユーモラス時に辛辣な描写で綴られることになり、そこから藩王国の真実の姿が現れてくる。フォースターの人間観察力が全開されて、豊かで人間味にあふれている。

その底に言いようのない悲しさが常に感じられるのは、この藩王国の無能さと、それでも、それをいとおしいと思うフォースターの愛からだろう。あるいは、この中央インドという美しい文化が滅びつつある土地柄のためかもしれない。そしてイギリスに占領され、独立へはまだ遠い1921年前後という時代のせいかもしれない。

藩の力が衰えているのは確かだが、イギリスもまたやり方を間違えているとフォースターは感じていた。インドにイギリスはいらないとも、はっきりと書いている。この地の人々がガンジーを藩王国を一掃する者と見ていることにも触れている。フォースターの時代と文化を見るまなざしである。

その目を持っていなかった藩王は、いや、その渦中にいる藩王は、クリシュナへの信仰のため宗教に明け暮れ、王宮は未完成のまま、怠惰な召使たちの管理もできず、親族のうちにもスパイ騒動が起こってしまう。
その辛さから逃れるために、最後は数人の家族とともにインドの中のフランス―ポンディシェリに移り住んで、そこで命を終える。

これは、「インドへの道」を読む助けになると同時に、「インドへの道」と同じテーマで書かれたもう一つの美しい小説といってもいいだろう。

特に、ゴークル・アシュトミー祭りの描写は素晴らしい。
藩王はこの中で重要な役を演じる。何日にもわたる大音響の中で宗教的な恍惚状態に入っていく。それが藩王の本来のあるべき姿なのだ。

フォースターは藩王についてこう書いている。
「ゴーグル・アシュトミー祭りから日常の人間関係に至るまで、彼のすべての生活の中に、愛情あるいは愛情の可能性を信ずる気持ちがふるえていた」と。
フォースターをこの地に滞在させ、理解できないものも含めて見届けようとさせたのは、彼の藩王への愛情なのである。

最後は別れてしまうことになっても、二人は深いところで理解しあっていたのだろう。
それは「インドへの道」と同じテーマである。

祭りの中で繰り返されるトウカーラームという言葉がある。宗教的な真言かと思っていたがマラーター族の詩人の名前だった。この祭りの場面は「インドへの道」にも描かれていて、何度も繰り返される詩人を崇拝する歌は、祭りの熱さを盛り上げていた。

滞在中、フォースターはウッジャイン、マンドゥなどの古い都へも旅し、やはり冷静に辛辣に、そして詩的な感性と偏らない描写で、その美しさを伝えている。

風の吹き抜ける時刻のデーワースでのお茶の時間、そこで語られるとめどない幻想のような、インドでしかない時間が漂ってくる。





『路上の人』 堀田善衛

2019-11-03 00:37:02 | 読書

『路上の人』 堀田善衛 

最近旅に行くときはなぜか堀田善衛の本を持って行く(結局ほとんど読まないのだけれど)。『上海』『インドで考えたこと』『バルセローナ』『ゴヤ』。対象に迫ろうとする想像力に圧倒される。今年の夏の旅には『路上の人』を持って行った。

堀田さん(と呼ばせていただく)には珍しく、ファンタジーかサスペンスかラブロマンスかと思えるほどストーリーのある作品である。私はまず『少年キム』を思い出した。みなしごであるすばしっこい少年が師と仰ぐ老人と旅しながらいろいろなことを学び、自身の出自までも知っていく、という物語はロードムービー的と言ってもいいだろう。

『路上の人』の主人公ヨナは貧しく、路上で働く男。必要に迫られて様々な言葉を覚え、便利がられて修道士や騎士の旅のお供をするようになり、旅する中でその時代の宗教界のあり様を知っていく。それはご多分に漏れず、美しい世界ではなかった。
普遍的なものという意味のカソリックの中に権謀術数を見ることになる。

ヨナが最初に仕えた神父は、キリストの本質に迫る任務と真摯に取り組む途中で亡くなるのだが、ヨナは師を思いやりながら、その姿を心に刻んでいった。
次に仕えたイタリア人の騎士、実はローマの法王付き大秘書官である人物と共にカタリ派を追うことになる。

カタリ派は清浄な人々と呼ばれ、穢れた世俗との関係を断つ禁欲的な信仰を持ちつづけているため、異端の原始キリスト教としてカソリックによって排除されようとしていた。

ヨナの主人である騎士がヴェネチアで知り合った恋人が、その中にいるかもしれない。カタリ派と法王庁との争いを避けるために、二人はスペインからピレネー山脈を超えてフランスへとカタリの山上の教会のあるモンセギュールを目指していく。

その過程で語られる世界は多様で、ある意味国家というものはないのだと思わせられる。ヨナの覚えた言語はいくつあるのだろう。地方ごとに言葉が変わっていくような状態だった。人々の動きも、この二人のように想像を超えるほどダイナミックだ。現代のEUという考え方は新しいものではないのかもしれない。

多くの資料にあたってこの十三世紀のヨーロッパを描いた堀田さんの思いに圧倒される。それはある意味当時のキリスト教への批判に尽きるかもしれない。私もスペイン、イタリアに行った時に初めに突き当たったのは過剰ともいえる教会の装飾だった。これは何のためなのだろう、という戸惑いからこの『路上の人』を見つけた。

結局カタリ派はカトリックによって解体させられる。そしてヨナと騎士はまた旅に出る。キリスト教の生まれた地へと。

カタリ派のような原始キリスト教は、今でも各地で昔のままに信仰されているという。





E・M・フォースター 『インドへの道』

2019-10-30 23:48:30 | 読書
Facebookで、7日間自分の好きな本を紹介するというチャレンジをした。そこで書ききれなかったことをここに残しておきます。


E・M・フォースター 『インドへの道』



第一次世界大戦後、植民地インドの東の小さな街。街のはずれに聖者が住んだという洞窟を持つ丘が望める。
この街でクラブに集う同胞とは距離を置いて暮らすイギリス人の教育者フィールディングとインド人の医師アジズの出会いを通して、二つの国、西洋と東洋は理解し合えるのかを描いていく。

雨期が近づいているインド。この地に来たばかりのムア夫人はクラブでの観劇に疲れ一人モスクへとやって来る。そこでアジズと言葉を交わし、互いを尊敬するようになる。
ムア夫人の息子の結婚相手として夫人と同行して来たクエステッドもまたインドを理解したいと望んでいた。この二人を通してアジズはフィールディングと出会い、親交を深めていく。

アジズは友情の発露として、過剰なまでの準備をして二人の婦人をあの洞窟へと案内する。だがその思いは空回りし、かえってそこで事件が起き、裁判が行われ、街を挙げての騒ぎとなる。被害者クエステッドがアジズを犯人と思い込み、訴えたのである。
イギリス人たちはこの時とばかりインドを非難するのだが、冷静になったクエステッドは、あれは自分の思い違いでアジズは犯人ではないと訴訟を取り下げてしまう。この間に、アジズに有利な証言をさせないためにムア夫人はイギリスへ返され、船上で亡くなる。
傷心のクエステッドも帰国し、フィールディングもインド各地を巡りながら帰国する。
アジズはこの二人はいずれ結婚するだろうと思い込み、フィールディングを憎むようになる。

登場人物のそれぞれが、なんと悩み多いことか。そしてそれを誰かに吐露せずにはいられない。それがイギリス人なのだろうか、それともフォースターのたくらみなのだろうか。いずれにしても物語のほとんどが、その真摯な会話によって進められていく。
登場人物それぞれが役割を与えられていて、執拗ともいえる会話がそれぞれの人間像を描き出し、英印の関係を描き出し、フォースターの思いを伝えていく。

単なる対立にとどまらない、刻々と変わる一人一人の心の揺れを受け止めていくのが、この小説を読む醍醐味と言えるかもしれない。

数年後、宮殿のある街でアジズは医者として働いていた。そこへフィールディングが夫人を連れてやって来る。クエステッドではなかった。
誤解は解けた。だが、二人の友情が再び結ばれるにはまだ早い。
時はインド独立前。この地を去るフィールディングにアジズは叫ぶ。
「われわれはイギリス人を一人残らず海の中へ投げ込んで見せる。そうしたら…そうしたら、あなたと私は友人になれるだろう」
二人は「駄目だ、まだ駄目だ」と叫びながら一本道を進んでいく。

その情景は、私には、二人がすでに理解しあっているようにも見える。
それはフォースターがインドを見つめるまなざしでもあるだろう。







タゴール「カブリワラ」

2019-05-09 20:43:43 | 読書

今日はインドの詩人タゴールの誕生日。  শুভ জন্মদিন

アジアで初めてノーベル賞を獲った偉大な詩人。
その詩を二千曲の歌にしている。インド古典音楽のラーガにのっとりながら、アイルランドの音楽など、新しい要素を取り入れ、詩をより身近に感じさせてくれる。
偉大な思想家でもある。
カンジ―を支持し、だが堂々と批判もし、それでもなお生涯の友として共にインドに尽くそうとした。
日本のナショナリズムを批判した文章は禁書にもなった。
教育者としてコルカタの西北シャントニケタンに大学を作った。
自由で開放的な教育は今も続いている。
晩年には絵も書くようになった。

タゴールの作品を味わい、考えることは、人類にとって永遠のテーマであるだろう。

もちろん、小説や戯曲も書いている。

その中で最近読んだ愛らしい短編「カブリワラ」。

1900年代始めのコルカタ。5歳のおしゃまな女の子ミニーは、一日中しゃべりどおし。小説家らしい父親はそれが可愛くてたまらない。ある日カブールから来た物売りに興味を惹かれたミニーのために、その男を家に呼び入れる。ところがミニーは怖がって姿を見せなかった。おかげで物語が滞ってしまったと父親は嘆く。だが、その数日後、ミニーとカブリワラ(カブールの人)は入り口に座って楽しそうに冗談を言い合っていたのだ。
この頃コルカタには彼のようなカブリワラがたくさんいたという。アフガン戦争後の家族の生活を支えるために、陸や海からこのおおらかな都市コルカタにやって来たのだろうか。故郷にも小さな女の子のいるこの男は、その後辛い日々を送る。同じ父親として、ミニーを通じてこの男の想いを理解していく父親の暖かくゆるぎないまなざしは、まさしくタゴールのものだろう。

そしてコルカタには今でもカブリワラがたくさんいるという。たくさんの宗教がまじり合いたくさんの人の熱気が渦巻くベンガルの都市コルカタの街がこの物語の隠れた主役かもしれないと私には思える。





阿来の初期短編 『魚』(89年)

2019-01-26 01:02:00 | 塵埃落定


阿来の初期短編 『魚』(89年)  概要
(魚と題する短編は二作あり、こちらの方が遅く書かれた)


 仲間三人と宗教調査に来た“私”は、東チベットのタンクーの街からいくつかの丘を越えた湿地帯で釣りをすることになる。他の三人は野兎やタルバカンを撃ちに行ってしまい、仕方なしに一人で釣りを始める。

 チベットの草原では伝統的に水葬が行われ、水と魚によって魂の入れ物である肉体を消滅させてきた。そのためほとんどのチベット人は忌むべきものとして魚を避けている。中央民族大学の教授に寄贈された本によると、チベット人は悪鬼や穢れたものを払う儀式を行い、目に見えないが至る所で祟りをするものに呪いをかけ、最後は水へと駆逐する。そのため水の中にいる魚はこれらの不吉なものの宿主なのである。
 チベット人が魚を獲らず食せずの習慣を持って久しい。だが今は二十世紀の後半、私も魚を食べるチベット人の一人となった。だが、食べた後口には腐敗の匂いが残ると感じている。

 魚を釣るのは初めての私は、しばらくしてやっと一匹釣りあげる。魚に近づく時、腐った人間の死体が連想され、突き出した悲しげな眼を正視することが出来ない。もう釣りたくない、だが今をおいて魚への禁忌を破る機会はないだろう、とも思う。そんな私の意に反して魚はどんどん針にかかる。草の上で動かない魚を見ていると、彼らは自分という殺戮者の心の限界を試しているようにも思えて来る。今日の釣りは自分との戦いとなる。文化と、自分の中にある禁忌に勝たなければならない。

 その後も魚はどんどんと吊り上げられる。まるで彼らは自ら死に向かっているかのようだ。その表情は邪教を信じる者のようだ。空は雲に覆われ雷が轟く。ずぶぬれになった私は、知らぬ間に声をあげて泣いていた。まだ死んではいない魚たちは傍らでクウ、クウと叫んでいる。

 太陽が顔を出し、仲間も帰って来た。車でこの場を離れようとする時、先ほどの事件はすでになかったことのようだった。

            ******



 前回まで、魚は清らかな命として神聖視されているのだと思い込んでいた。だが、この作品を読むとはそうではないらしい。純粋に忌み嫌われてきたようだ。
 現代を生きる主人公はすでにそのような禁忌は持っていないが、やはり体の中にその歴史は生きているのだろう。そんな主人公にとって、魚を獲ることは戦いとなる。もう獲りたくない、でも魚はどんどんかかり、やめることが出来ない。その不条理な状況を、魚が生命を失っていく危うい姿と主人公の心理描写によって描き出している。

 前作の『魚』は、文革に巻き込まれていく辺境の村の一つの時間が、阿来らしい美しい風景描写とチベット人のタブーである魚の死を通して、次につながる物語として描かれていた。今回の『魚』は抒情を排した、阿来にとっては実験的な作品と言える。

 同じ「魚」という題名で二編の短編がかかれたということは、チベットでの魚へのこだわりがそれだけ強いということだろう。












 

フォークナー短編集(滝口直太郎・訳)

2019-01-17 01:27:31 | 塵埃落定


フォークナー短編集(滝口直太郎・訳)を読み終わった。

 硬直したアメリカ南部の人々、特に女性の心理を描いた物語、ヨクナパトーファに連なる作品等、バラエティーに富んでいる。

 『納屋は燃える』は、村上春樹の『納屋を焼く』との関連性をよく語られている。
 この作品もヨクナパトーファに属する作品と言えるだろう。
 怒りを抑えられず、気に入らないことがあると、その家の納屋を焼き他の地に一家で移住するという生活を繰り返す父親(スノーブス)と、そんな父を尊敬するしか知らなかった少年が、いつしか自分の中に流れる血と抗いながら父親の行為に疑問を持ち、さらに父親を救おうとさえするようになる、その心の葛藤を描いている。

 この短編集の中で私が一番面白いと思ったのは『赤い葉』だった。

 インディアンの首長が死ぬ。首長の埋葬に当たって、それまでそばに仕えていた黒人を副葬するという習慣があるが、生に執着するその黒人は失踪してしまう。二人のインディアンが男を探しに行く。
 道々の会話から、二人は心の中でこのやり方に反対しているのがわかる。それはインディアンの誰もが考えていることでもある。インディアンにとって黒人は白人から押し付けられた厄介者だった。汗をかくのが好きな黒人のために仕方なく畑を耕すという仕事を作ってやったが、そうなれば自然の成り行きとして、白人をまねて、土地を開き、食べ物を植え、黒人を育て増やし、その黒人を白人に売るようになっていく。インディアンは本来汗をかくのが嫌いなのだが。
 何日かが過ぎ首長の体は腐っていく。だが二人のインディアンに焦った様子はない。明日は今日なのだから。
 黒人たちも男にそっと食料を与えたりはするが、匿うわけでも突き出すわけでもない。誰もが結末は分かっているのだ。
 こうして6日目に男は捕まる。男は最後に思い切り水を飲ませてもらう。

 インディアンが終末へと向かう停滞したかのような時間の中で、彼らと黒人の関係が描かれて興味深い。

 だが、ある研究者の発言によるとフォークナーの描くインディアンは歴史的には不正確なことがあるという。それは本人も「でっち上げ」と認めていて、史実と伝承と類型の寄せ集めであるという。だが、それが作品を否定する理由にはならないだろう、と私は思う。

 同じ研究者が書いている。フォークナーの書くインディアンは強制移住の時代から南北戦争後の時代に、白人に道を譲って消えていくインディアンであり、消滅を運命づけらているようだ、と。
 まさしくこの『赤い葉』に描かれている世界だ。


 『響きと怒り』の訳者による解説にでは、ヨクナパトーファ・サーガの第一作ともいえる『サートリス』で、フォークナーが描こうとしたのは、架空の街の名門サートリス家が滅んで行く、旧家没落の物語だという。
 終末を描くこと、それは次の時代を描くことにつながっていく。壮大な家族の物語、ヨクナパトーファ・サーガである。

 阿来もまた、『塵埃落定』でまさに終末を描き、次の『空山』を生み出した。東チベットのある村の文革期を乗り越えた人々の物語だ。それは初期の短編集の中にすでに原形を見せている。











阿来の初期中編 『魚』

2019-01-10 15:41:33 | 塵埃落定



阿来の初期中編『魚』 概要


 東チベットの山の中の小さな村、柯村。
 いつも河で魚を見ている子供がいる。ドク。

 この子は普通の子とは違っていた。ある人たちは、それはいとこ同士の近親婚のせいだという。近親婚の後裔には極端な生命方式が現われる。特別に頭がおかしいか、特別に頭が良くて寿命が短いか。このような家は、純粋な血統により高貴な感覚を生み出す。そして衰退へと向かって行くのである。このような家の最後の子共は不可解なものを好むことがある、例えば魚。魚はチベットでは畏敬され、神秘なものとされてきた。
 
 ドクの目は魚のように飛び出している。村人は彼を“魚目のドク”と呼ぶ。河辺で魚を見るのが好きで、常に魚のことを考えている。魚は冬になったらどこへ行くのだろう。暗い水の洞窟の中でどうやって物を見るのだろう。
 魚は人から畏敬される神秘的なものだ。だが、この一帯では魚は美しさに欠けるとしてま忌み嫌われていた。爬虫類のように憐れまれていた。誰も、魚が何を食べているのか知らなかった。魚は生きているのに食べる物がなく、常に飢えている、ならば必ず天罰に逢うだろう、と考えた。前世で有り余る富を集めたか、残忍だったか、ずる賢かった…まるで病人のように魚を嫌った。そのため魚は増えるばかり、一団となって黒々と河を下る姿は不吉なものに映った。だから村人は、魚目のドクの家の衰退を予感せざるを得なかった。

 ドクの父親は8歳年上のいとこである母と結婚させられたのだった。母チュウチュウの父は近親婚は牛乳に砂糖を加えるようなものと考えていた。こうすれば一族の財産はまた一つにまとまるのだ、と。だが父親は反革命に参加し、草原で殺されてしまう。ドクは今、母チュウチュウと父の弟シアジャと暮らしている。若い叔父シアジャは少女のようにか弱く、魚を怖がっている。

 数年後、母は風習通りシアジャを後添えにしようとするが、シアジャは男としての機能を果たせなかった。そこへ父と一緒に戦ったアンワンが帰って来る。父は死ぬ時、アンワンに妻を頼むと言い残したという。
 村へ帰ってすぐ、アンワンは反革命分子として、地主となったドクの一家と共に、批判闘争でつるし上げにあう。シアジャはアンワンが村人に打たれるのを怖がりながらも心の中で喜び、だが彼の行動には感動する。こうして彼ら4人は一緒に暮らすことになる。

 1960年代中頃、村に伐採場が出来、漢人がやって来る。彼らは魚を恐れない、魚を食べる民族である。彼らは山の木を切り倒し、森林は失われていった。彼らが魚を釣るのを見たドクは、魚が餌のミミズを食べ、蚊を食べるのを知り心を乱す。魚があんなに醜くふにゃふにゃのミミズを食べるなんて…これまで、魚は水しか飲まず、清らかで神秘的だと聞かされていたのに…
 伐採場からは魚を焼く良い匂いが漂って来る。ある日ドクとシアジャは伐採場で饅頭とスープをもらって飲む。それが魚のスープだと知ったシアジャは橋から落ちて死ぬ。自ら飛び込んだようにも見えたという。ドクはそうとは知らず麦畑へ一人入って行った。

 シアジャが死んでからドクはミミズを育て始める。そして、魚が河ではなく柳の林の中の水たまりにいるのを見て、不思議な興奮を覚える。

 数日後、両親が仕事にいっている間に雷が轟き大雨が降る。それにかまわず、ドクは一人で水たまりに行き、盗んだ竿にミミズを付け、魚を釣る。だが、魚はうまくかからない。激しい雨のため、水たまりから水があふれ、魚もあふれ出す。ドクはそばにあった木を拾い、魚を叩く。魚の白い腹の柔らかさに恐怖を感じながらも、次第に熱狂し、疲れも忘れ、アンワンが探し当て止めるまで魚を叩き続ける。たくさんの魚が死に、だが生きているかのように河へと流れていったった。
 帰り道、雨は止み、厚い雲の層の切れ目から黄金の光が溢れ出した。ドクはアンワンに言う。僕、もう魚はいらない、と。

 より多くの光が空から降り注ぎ、疎らだが清冽な鳥の鳴き声が背後で長く響く。橋と同じ高さまで逆巻く濁った水は、陽光に照らされて金属的な輝きと狂暴な音を発している。山野を覆うすべての気は河の中から湧き上がっていた。
アンワンとドクは村には帰らなかった。架けられたばかりの橋と共に消えてしまったのである。

 家の者がすべて世を去り、母チュウチュウの性格はがらりと穏やかになった。それは死ぬまで変わらなかったという。


         * * * * *


チベットでは、魚は一つの生命として神聖視されているとはよく聞くが、忌み嫌われているとは知らなかった。
同じように、文革期のチベットのごく普通の生活とその移り変わりについて知る機会は少ない。
阿来は美しい筆致で時に細やかに、時に非情に、時に幻想的に描いていく。山と光と水の美しさ、魚の死を思わせるなまめかしさ、少年たちの危うさが、物語以上にスリリングに伝わって来る。

魚目のドクは、自らの血と、習慣を超越した魚への執着によって、家と村の衰退を背負っていたかのようだ。それは後の『塵埃落定』の原形と言えるかもしれない。

阿来にはもう一つ『魚』と題された短編がある。それを読んでから、更に魚について考えたい。












阿来の新作 汶川大地震を描いた『雲中記』

2018-12-26 23:00:47 | 塵埃落定
阿来の新作 『雲中記』

今年は四川省で大地震が起こってから10年目に当たる。5月12日だった。私が初めてチベット地区へ行った次の年である。

震源地の近くを故郷とする作家阿来は、すぐさま妹のいる現地へ向かった。途中の車の中で同郷の作家たちと連絡を取り、壊れた小学校再建を目指すが、政府の政策と合わず叶わなかった。
様々な被災者たちの物語を目にしながらも、それを急いで作品にすることを封印した。次の年、山奥の小さな村の40年を通して地震とは違う現代史の揺れを描き出した『空山』を世に出す。今年、それは『ジル村の物語』として新たな装いで出版された。
作家としての当時の思いをインタビューで語っている。
https://m.thecover.cn/news_details.html?id=1514469&from=timeline&isappinstalled=0

そして今、地震を描いた作品が出来上がった。
なぜ阿来は地震後すぐに書かなかったのか。それは、書くのであればその作品を末長く読まれるに値するものにしたかったからであり、そうでなければ、地震で亡くなった方々に恥じることになると考えたからだという。長い間読まれ続けるにはどうしたらよいか。その題材と共に、どのように書くかが重要だ、よりよい方法が見つからなければ、その時を待とう。阿来はそう考えた。

地震から10年たった今年、2018年5月、阿来の心に一つの小さなエピソードがよみがえり、亡くなった多くの命を想って涙が止まらなくなった。書くべき時が来た、そう感じた阿来は、そのまま、長い間温めて来た作品に取り掛かった。その日、書斎で一人、涙を流しながら筆を進めたという。

題名は『雲中記』。雲中とは地震で消えてしまった村の名前である。雲中記の三文字は、また、清らかで美しい響きを持っている。この世にはたくさんの悲しみがあり、だから我々の魂は美しいものを必要としている。これは阿来の大切にしている美意識であり、必ず作品の中に反映されているだろう。

この作品の始めでこう書いた、と阿来は語っている。
地震で尊い命を失った人々に捧げる、そして、この地震の救済に当たった人々に捧げる、そして、モーツアルトに感謝する、と。
地震直後、阿来は何度も被災地を訪ねた。被災者を取材するためではなく、傷ついた人々と共もにいるためだった。成都から被災地に向かう途中、何度もモーツアルトのレクイエムを聞いた。この作品はその厳粛な哀悼の調べのもとで書かれたのだ。

雲中記は雑誌十月2019年第一期に掲載された。
日本で読める日が早く来ますように。










もう一冊インドベンガルの小説『ジャクモーハンの死』

2018-12-23 23:24:44 | 読書


ベンガルの小説 『ジャクモーハンの死』モハッシェタ・デビ

もっとベンガルの小説が読みたくて見つけたのがこの作品集。
「ジャクモーハンの死」(1970年?)と「千八十四番の母」(1973年)が収録されている。

作者は1926年生まれ。作家であり、不可触民・部族民の地位向上・自立を目指した活動家でもある。
解説にあった彼女の言葉が印象的だった。
「私は(インド独立後)現在の社会構造が変わることを渇望するが、単なる党派性に基づく政治には信を置いていない。インド独立後三十一年の間に…(国民の)解放をもたらさなかった社会構造に対する一点の曇りもない、純白の、太陽にも等しい怒りこそが私のすべての作品を鼓舞する」
かなり激しい人のようだ。

収録されている「千八十四番の母」は、彼女の中では珍しく抒情的な作品だという。
亡くなった息子がナクサライト運動に参加していたことを知った母親が、生前には家族には見せなかった息子の真の姿を見つけていく物語。
息子が運動の当事者として命を落としたと知った時、事業で成功している父親は遺体と会うより先に、その死が公表され仕事に影響が出ることを恐れ、もみ消しに奔走する。そんな家庭に違和感を持つ母親は同じ闘争で息子を失った母親や、息子の恋人を訪ね、息子を理解していく。だが、彼女たちとは心の中では通じ合いながら、やはり階級の差によって、完全には共感し合えないまま物語は終わる。
古い社会と新しい時代の動きの狭間に戸惑う母親と、純粋な若者つながりがせめてもの救いとなる。


ナクサライトとは、1975年に西ベンガル州を中心に起こった、「インド共産党マルクス派(CPI-M)」傘下の農民組織による激しい反地主闘争・極左政治運動の総称。闘争の発生した場所・ナクサバリをとってこう呼ばれている。中国の農民革命をモデルに、農民の武装蜂起により都市を包囲して権力を奪取する革命理論を信奉していたという。
当時中国はこの運動を「インドの春雷」と賛美した。
当時の中華人民共和国政府の支援のもとで進められたナクサライト運動は、インド全体の革命運動から孤立し、インド政府による弾圧も加えられ、インド政治の地図上からは消滅してしまった。
多くの若者―特にベンガルの中産階級の家庭の子弟が参加し、命を落とした。
だが、あまり語られていないようだ。

現代の作家・ジュンパラヒリも『低地』で、ナクサライトに参加して命を落とした若者とその後の家族を描いていて、この運動の悲しさを知らされる。

1925年に結成されたインド共産党だが、ナクサライトの中心となった「インド共産党マルクス主義派(CPI-M)」と袂を分かった穏健派(CPI)はそのまま残り、1980年代以降は、州・連邦議会選挙にも参加している。


もう一つ収録されている「ジャクモーハンの死」は、飼い主に捨てられたジャクモーハンという象の物語。食べ物を求めて西ベンガルの地を彷徨い、行く先々で飢饉や部族間の闘争と出会って行く。






インド・ベンガルの小説 タラションコル・ボンドバッタエ

2018-12-15 00:40:31 | 読書



タラションコル・ボンドバッタエ(1897年生まれ)
『船頭タリニ』 大西正幸 訳  
『ジョルシャコル』 丹羽京子 訳 

ベンガルの小説を読みたくて見つけたタラションコル・ボンドバッタエの短編集。
語られる物語は多彩だが、結末は予想外に過酷だった。

洪水から逃れる途中で妻を置き去りにしてしまう船頭、
周りから魔女だと言われ続け、自らもそう信じてしまう少女、
強盗と殺人を代々受け継ぐ棒使いの一家、
僧と出会い愛し合うが別れて一人生きていく純真なバウル、
蛇使い、炭鉱夫…
美しく厳しい自然に囲まれ、辛辣ながら親密な会話を楽しみ、それでも、抜け道のない暮らしに捕らわれ悲しい結末を招くことになる。

出口のない辛さはバラモンである領主の華麗な生活の中にもある。
ヒンドゥー教にはシヴァ神を信仰し性器崇拝をする性力派と、ヴィシュヌ神を信仰しクリシュナへの信愛を説く信愛派がある。司祭であるバラモンは、それぞれの信仰を守ろうとして、家族や領民を傷つけ苦しめて悩む。その姿は、より悲愴と言えるかもしれない。

表題の「ジョルシャコル」は、七代にわたり領主として権勢を誇ったラエ家の終末を描いている。
新興の資産家に領主の地位を奪われ、崩れかけた屋敷で無聊の日々を送る末代のラエは、最後に意地と誇りをかけて音楽の宴を開く。代々の領主は音楽を通して文化を受け継ぐ者としての役割も果たして来た。だが、成り上がりの新領主はそれを理解できず、礼節は無視され、宴は哀しい幕切れとなり、音楽堂(ジョルシャコル)の扉は末代ラエの命で固く閉じられる。

そのラエ家の四代目を描いた「ラエ家」は、洪水の夜、妻子を失った領主が音楽堂に灯る明かりを見て、再び生きる決意を下すまでの心の葛藤が壮大に描かれている。この作品はタゴールが絶賛し、その詩にも影響がみられると言われている。

タラションコルはタゴールより少し年下の同時代の作家であり、作品を通してお互いに刺激を与えあった。

訳者による解説に、運命的とも言える二人のつながりが書かれていた。

1905年、ベンガル分割令が発令された年、「ラキ・ボンドン」という儀式がベンガルで行われた。「ラキ・ボンドン」は兄弟姉妹間の絆を祝うため、女性が兄弟の腕に紐を巻き付ける行事で、「兄弟姉妹祭り」とも呼ばれる。
本来は8月に行われ、夏にインドに行くと、この時期道端の差し掛け小屋で様々に意匠を凝らした紐が売られている。
タゴールは、宗教の違いを超えた同胞意識を高めるための象徴的な行為として、この年の10月16日に全ベンガルでこの祭りを行うことを提唱した。
幼いタラションコルも活動家である知人の女性から紐を結んでもらい、その時の感動が民族主義運動にかかわりを持つ出発点となったという。特に目立った運動には参加しなかったが、その想いは彼の作品の中に流れ続けている。

以前、映画「英国提督 最後の家」を見て、印パ分離独立の時タゴールが生きていたらどうしただろう、と考えずにはいられなかった。
祖国の分裂と虐殺という悲惨な状況を嘆き悲しみ、憤りのあまり憤死したかもしれない。いや、だが、タゴールならきっとそれを未然に防ぐ方法を用意しただろう。この「ラキ・ボンドン」のように、戦いではなく美しい行いによって。
タゴールの深い洞察力と詩に裏付けされた精神は人々に大きな影響を与えている。

タラションコルの作品は悲しみに満ちている。だが、その先にあるものを見つめる強さが、読む者に清々しい印象を残す。


「ジョルシャコルজলসাঘর」はサタジット・レイが映画化し、今でもYouTubeで見ることができる。
https://www.youtube.com/watch?v=9dCYfC1g_QQ
https://www.youtube.com/watch?v=6QAg1ga1z2A

日本では「音楽サロン」という題名で2008年に銀座エルメスで上映された。