阿来の新作 『雲中記』
今年は四川省で大地震が起こってから10年目に当たる。5月12日だった。私が初めてチベット地区へ行った次の年である。
震源地の近くを故郷とする作家阿来は、すぐさま妹のいる現地へ向かった。途中の車の中で同郷の作家たちと連絡を取り、壊れた小学校再建を目指すが、政府の政策と合わず叶わなかった。
様々な被災者たちの物語を目にしながらも、それを急いで作品にすることを封印した。次の年、山奥の小さな村の40年を通して地震とは違う現代史の揺れを描き出した『空山』を世に出す。今年、それは『ジル村の物語』として新たな装いで出版された。
作家としての当時の思いをインタビューで語っている。
https://m.thecover.cn/news_details.html?id=1514469&from=timeline&isappinstalled=0
そして今、地震を描いた作品が出来上がった。
なぜ阿来は地震後すぐに書かなかったのか。それは、書くのであればその作品を末長く読まれるに値するものにしたかったからであり、そうでなければ、地震で亡くなった方々に恥じることになると考えたからだという。長い間読まれ続けるにはどうしたらよいか。その題材と共に、どのように書くかが重要だ、よりよい方法が見つからなければ、その時を待とう。阿来はそう考えた。
地震から10年たった今年、2018年5月、阿来の心に一つの小さなエピソードがよみがえり、亡くなった多くの命を想って涙が止まらなくなった。書くべき時が来た、そう感じた阿来は、そのまま、長い間温めて来た作品に取り掛かった。その日、書斎で一人、涙を流しながら筆を進めたという。
題名は『雲中記』。雲中とは地震で消えてしまった村の名前である。雲中記の三文字は、また、清らかで美しい響きを持っている。この世にはたくさんの悲しみがあり、だから我々の魂は美しいものを必要としている。これは阿来の大切にしている美意識であり、必ず作品の中に反映されているだろう。
この作品の始めでこう書いた、と阿来は語っている。
地震で尊い命を失った人々に捧げる、そして、この地震の救済に当たった人々に捧げる、そして、モーツアルトに感謝する、と。
地震直後、阿来は何度も被災地を訪ねた。被災者を取材するためではなく、傷ついた人々と共もにいるためだった。成都から被災地に向かう途中、何度もモーツアルトのレクイエムを聞いた。この作品はその厳粛な哀悼の調べのもとで書かれたのだ。
雲中記は雑誌十月2019年第一期に掲載された。
日本で読める日が早く来ますように。
今年は四川省で大地震が起こってから10年目に当たる。5月12日だった。私が初めてチベット地区へ行った次の年である。
震源地の近くを故郷とする作家阿来は、すぐさま妹のいる現地へ向かった。途中の車の中で同郷の作家たちと連絡を取り、壊れた小学校再建を目指すが、政府の政策と合わず叶わなかった。
様々な被災者たちの物語を目にしながらも、それを急いで作品にすることを封印した。次の年、山奥の小さな村の40年を通して地震とは違う現代史の揺れを描き出した『空山』を世に出す。今年、それは『ジル村の物語』として新たな装いで出版された。
作家としての当時の思いをインタビューで語っている。
https://m.thecover.cn/news_details.html?id=1514469&from=timeline&isappinstalled=0
そして今、地震を描いた作品が出来上がった。
なぜ阿来は地震後すぐに書かなかったのか。それは、書くのであればその作品を末長く読まれるに値するものにしたかったからであり、そうでなければ、地震で亡くなった方々に恥じることになると考えたからだという。長い間読まれ続けるにはどうしたらよいか。その題材と共に、どのように書くかが重要だ、よりよい方法が見つからなければ、その時を待とう。阿来はそう考えた。
地震から10年たった今年、2018年5月、阿来の心に一つの小さなエピソードがよみがえり、亡くなった多くの命を想って涙が止まらなくなった。書くべき時が来た、そう感じた阿来は、そのまま、長い間温めて来た作品に取り掛かった。その日、書斎で一人、涙を流しながら筆を進めたという。
題名は『雲中記』。雲中とは地震で消えてしまった村の名前である。雲中記の三文字は、また、清らかで美しい響きを持っている。この世にはたくさんの悲しみがあり、だから我々の魂は美しいものを必要としている。これは阿来の大切にしている美意識であり、必ず作品の中に反映されているだろう。
この作品の始めでこう書いた、と阿来は語っている。
地震で尊い命を失った人々に捧げる、そして、この地震の救済に当たった人々に捧げる、そして、モーツアルトに感謝する、と。
地震直後、阿来は何度も被災地を訪ねた。被災者を取材するためではなく、傷ついた人々と共もにいるためだった。成都から被災地に向かう途中、何度もモーツアルトのレクイエムを聞いた。この作品はその厳粛な哀悼の調べのもとで書かれたのだ。
雲中記は雑誌十月2019年第一期に掲載された。
日本で読める日が早く来ますように。