塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来初期短編 『老房子(古い家)』

2018-11-20 19:25:43 | 塵埃落定
『老房子(古い家)』1985 (要約)

山の中の朽ち果てた建物。それは何代にも渡りこの地を治めて来た白玛土司の城塞だった。
四十数年前の解放の時、若い土司はこの地を捨て内地へ行ってしまう。残された若い土司夫人は民国の兵たちに犯され、出産の時に命を失う。

この土司に仕えた門番。すでに108歳だ、と自らつぶやく。ある日若者が尋ねて来て手紙を渡す。それをきっかけに、自分が仕えた主人と古い建物を思い起こす。
あの時、土司夫人の叫び声によって窓に貼られた紙が破れ、貼りかえられないままに風に揺られ、風の吹き抜けていく音はまるで夫人のうめき声のように聞こえる。

夫人が犯された時、彼もその場を目撃した。一人の兵士が殺されて、床に血がたまっていた。だが、土司夫人は誇りたかく黙って立ちはだかっていた。恐怖に気を失った彼を夫人が手当てし、一つの床で寝る。
その後夫人が孕み、産み落とす時、彼は血まみれの子を取り上げ、土の中に埋める。難産のため夫人は命を落とす。
狩りに来た男の話では、その時門番の男も一緒に死んだと伝えられている、という。では、自分は…もう死んでいるのだろうか。

届いた手紙は、内地へ行った土司からで、内地で役人となり、夫人とは離婚するとあった。23年前に届いていた手紙。夫人はそれを読んだのだろうか。手紙には、門番のことも書いてあったのだろうか。
手紙は、強い風にさらわれて、山の下へと消えて行く。

門番は破れた窓の紙を貼り変えようと建物に入って行く。彼が歩くごとに、階段も壁も崩れていく。風が吹き、鹿の脂の灯が揺れ、窓の紙に燃え移る。そして彼の服にも炎が上がる。

夫人の産んだ子は自分の子だったのだろうか。そう、自分の子だった。炎の中で彼はそう考える。

*****

交差する過去と現在と幻。
この地の族長である土司の時代の終わりを、悲しく、血なまぐさく、幻想的に描いている。
『塵埃落定』へと続く一つの段階と言える。








阿来の初期短編 『守霊夜(通夜)』

2018-11-15 00:45:32 | ケサル
『守霊夜(通夜)』 1988年 (要約)

4月、山の中の小さな村。村人たちが遺体の納められた棺が届くのを待っている。
その遺体は、この村で育ち、他の村で教師となり、車の事故で亡くなった男性・貴生。彼の教え子で今教師をしているグサンドルジェが付き添っている。

通夜の夜、多くの村人が棺の守をするが、その中で貴生の死を最も悲しんでいるのは章明玉だった。彼は、解放の時に内地からこのスルグ村に分配され教師となり、貴生はじめ多くの子供を教えた。教え子の多くは幹部となっているが、貴生は怖がりの優しい子で、教師となったが出世はしなかった。かれの父親はやはり車の事故で早くに死に、母と妹はよその地に行ってしまったが、貴生はこの村に埋葬されるのを望んだという。

章は悲しみと酒の勢いとで周りの者に悪態をつき、疎まれる。だがそこには自分の生き方への自責の念と教え子への想いがあふれていた。

貴生の教え子グサンドルジェは後に教育局で職を得る。章は52歳の時に女性問題で処分を受ける。だが、30年教師をしたことによりもとの村に留まることを許された。少年だった阿来は後にこの小説を書くことになる。この夜のことが彼の中でもっとも強く印象に残っていたと書かれている。

あの通夜に集まって来たのは、貧農協会のバオロン、退役軍人ヨンツォン、大隊長ガルロ、そしてまだ少年の阿来もその中にいた。彼らはスルグ村の村人として、他の物語にも登場する。

*****

やはり阿来はフォークナーのヨクナパトーファのように、この小さな村を通して壮大な物語を描きたかったのだろう。
中国の歴史に翻弄されながらも、東チベットの地にしっかりと息づいた人々の姿をもう少し肉付けしていきたい。
それがどのように『塵埃落定』へと結実していくのか、まだ謎はたくさんある。












阿来の初期短編  『生命』

2018-11-10 01:19:24 | 塵埃落定

阿来の『塵埃落定』をどのように訳したらいいのか。
フォークナーを読んでからずっと考えている。
その答えを得るために、阿来の初期の短編を読んでみることにした。
まず、『生命』。1985年の作と思われる。この中で阿来は詩を何よりも価値のあるものと訴えている。『塵埃落定』はやはり詩として訳すべきなのかもしれない。



『生命』(要約)

秋霜の降りた草原へと続く険しい山の中。長時間きつい道を登り続け、同行の馬も歩みを止める。二人の男はここで一休みすることにした。一人は長髪、一人は坊主頭。二人ともかつては僧だった。
解放によって彼らの寺は封鎖され、年取ったラマは寺を焼き死んだ。二人の若いラマも死んだと思われていた。だが彼らは生き延びていた。その後彼らは、迷信を破るためという理由で、工作隊から山で狩りをするよう迫られるが、殺すよりは自分が死ぬと言って断崖から跳び下りる。死んだ、と思われた。だが、彼らはこの時もまた生き延びた。それ以降、二人は戒を捨て、一人は髪を伸ばした。
それがこの二人である。夜雪が降る。彼らは衣にくるまって眠る。

同じころ同じ山の中、風に苦しみながら、若い郵便配達員が馬に新聞や手紙を積み、険しい登り道を進んでいた。自ら志願し、年老いた配達員の代わりに往復五日かる山の中の小さな村を目指していた。ホイットマンの詩を口ずさみながら。だが、激しい風と雪にその声も止み、喘ぐ馬を気遣って荷を下ろすと、その上に自分のコートを被せ、休むことにした。

深夜、二人のラマは遠くに馬のいななきを聞きつけ、駆けつけると、若者が意識を失っていた。僧たちに温められて若者は生き返える。

僧たちは若者になぜこここに来たのかと尋ねる。若者は答える。詩を書きたかったのだ、と。そして、今深く雄大な詩を読んでいるのを感じる、自分が雄大な詩を読むホイットマンになれると信じられる、と。
僧が訪ねる。怖くないのか?
怖くない。
何故?
そうやって死ねば価値がある。
価値?
そう、誇り高く死ねる,.人間らしく。

二人の僧は考える。自分たちのあの二回の死は価値のある死ではなかったのだ、と。
若者が尋ねる、どうしたんですか?
いや、何でもない。
僧は静かに微笑んだ


***** *****


若者が雪の中で口ずさんだホイットマンの詩
ホイットマン「草の葉」冒頭

申し分なく産みつけられ、一人の完全な母によって育て上げられ、
生まれ故郷の魚の形をしたパウマノクを出発して、
多くの国々を遍歴したあと――人の往来はげしい舗装道路を愛するものとして、
わたしの都市であるマナハッタのなか、さてはまた南部地方の無樹の大草原のうえの住民として、
あるいは幕営したり、背嚢(はいのう)や銃をになう兵士、あるいはカリフォルニアの抗夫として、
あるいはその食うものは獣肉、飲むものは泉からじかというダコタの森林中のわたしの住居に自然のままのものとして、
あるいはどこか遠い人里離れたところへ黙考したり沈思するために隠棲(いんせい)し、
群衆のどよめきから遠のいて合間合間を恍惚(こうこつ)と幸福に過ごし、
生き生きした気前のいい呉れ手、滔々(とうとう)と流れるミズリー川を知り、強大なナイアガラを知り、
平原に草を食う水牛や多毛でガッシリした胸肉の牡牛(おうし)の群れを知り、
わたしの驚異である大地、岩石、慣れ知った第五の月の花々、星々、雨、雪を知り、
物まね鳥の鳴く音と山鷹(やまたか)の飛び翔(か)けるのを観察し、
明け方には比類まれなもの、湿地種のシーダー樹林からの鶫(つぐみ)の鳴くのを聴き、
《西部》にあって歌いながら、ただひとりでわたしは《新世界》へと旅立つ。

                                   富田砕花・訳