塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来が語る『ケサル王伝』② 最長の史詩 2

2013-03-23 21:19:48 | ケサル
『ケサル王伝』概説


2、最長の史詩  その1

私が今この文章を書いているのは、私が現代の手法で、史詩『ケサル王伝』をもとに、『ケサル王』という小説を書いたからである。

この物語は青蔵高原のチベット族の間で一千年に渡って伝えられてきた。
この長い時間と広大な大地の間に、この物語を語る者が数えきれないほど多く生まれている。
私はその中の一人に過ぎない。

この『ケサル王伝』と呼ばれる物語は、学会ではいくつかの呼び方がある。
ある時は神話と呼ばれ、ある時は史詩と呼ばれる。実際には、人類の遥か昔の歴史に関する伝説の中で、史詩と神話はほとんど同じものだった。
作家茅盾は史詩を「神話の芸術化」と言ったが、それはこの意味である。

この史詩は現在二つの記録を持っている。
一つは、前にすでに述べた、生きている史詩であること
一つは、『ケサル王伝』は世界最長の史詩であること。

この史詩は青蔵高原に長い間伝わって来た。
だが、外の世界から発見され認識され、系統的な研究がなされたのは200年余り前のことである。
それ以前は他の国の史詩が最長史詩として記録されてきた。

今、世界の文化はヨーロッパのルネサンス以後の文化を主流としている。そしてルネサンスの精神の源は古代ギリシャにある。そのため、かなり長い間、史詩といえばギリシャの史詩のことだった。
ギリシャ史詩の代表は『イーリアス』と『オデュッセイア』である。
これらの作品は当時、一人の盲目の詩人ホメーロスが琴を手に四方を彷徨いながら吟唱した、と伝えられている。
そのためホメーロスの史詩とも呼ばれている。

『イーリアス』は15,693行、『オデュッセイア』は12,411行ある。
ホメーロスの史詩が世界に与えた影響は大きく、今でもまだ舞台劇、ハリウッドの大作、小説へと書き換えられている。
そして、全世界の百人近い作家が参加する国際的なシリーズ「神話の再生」に加えられている。
私もまたこの企画に参加している一人であり、長編小説『ケサル王』によって、多くの優秀な作家と共に「神話の再生」に関わっている。

ホメーロスの史詩の後、人々の視野が広がるに連れて、インドの二大史詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』が発見された。
『ラーマーヤナ』は最も凝縮された短いもので3万行、『マハーバーラタ』では20万行を越える。
インドの偉大な詩人タゴールはかつてこう言った。
「もしヒマラヤのように高潔な普遍的理想と大海のような深遠な思想を同時に一つの作品にしたら、それはラーマーヤナになるだろう」
先ごろ亡くなったばかりの季羨林は70歳の時に『ラーマーヤナ』の新しい中国語訳を完成させている。

これまでに四部の有名な史詩を取り上げた。これに世界で最も古いバビロンの『ギルガメッシュ』を加えて、世界の「五大史詩」と呼ばれている。

……

では、『ケサル王伝』はどうだろうか。

フランスのチベット学者スタンは「『ケサル王』序言」の中でこう述べている。
「ヨーロッパでは1836-1839年の間に訳文を通して初めてこの伝奇物語が知られるようになった」
1836年『ケサル王伝』の訳本がロシアのサンクトペテルブルクで出版された。だが、系統だった研究が始まるには更に百年ほど待たなくてはならなかった。
そうでなければ五大史詩は六大史詩と呼ばれていたかもしれない。

このように言うのは、単純な民族的感情によって自分の文化の中の全てのものを無条件に偉大と見ているからではない。
研究と創作の過程で、私は常にこのような感情を克服するよう気をつけてきた。
知識は教養となり、教養は私たちの意識の中の、近視眼と偏狭な意識によってかきたてられる感情を打ち消す助けとなる。

始まりの部分で述べた、著作者が菩薩を褒め讃えるのは、それを通してこのような洞察力を得たいと望むからである。

チベット族は良く学び良く聞き良く考える者に美しい呼び名を送る。
「善知識」である。
もし私が何かを褒め讃えるとしたら、この規準にかなった「善智識」を讃えるだろう。

『ケサル王伝』はまさに世界第一を作り出した。史詩の中で、長さでは第一である。
どのくらいの長さなのだろう。百万行以上、百五十万行以上とも言われる。
具体的な数字に関しては様々な資料、様々な意見がある。どうして統計数の上でこのように差があるのだろうか。

それは、前に述べたいくつかの史詩と異なって、この作品は主に多くの民間の語り部の口頭の語りによって伝わっているからである。
このような民間の語り部とはいわゆる古代の吟遊詩人である。
それぞれの語り部が語る時、決まった手本があるわけではない。たとえ同じ章の物語を語るにも、それぞれの語り部によってそれぞれの想像とそれぞれの表現があり、固定した文章に整理する時に、すでに長さに差があった。

更に重要なのは、前に述べたように、この史詩はまだ成長していて、いまだに新しい部分が生まれていることである。
ケサルは今でもまだリンと呼ばれる国の国王であり、まだ軍を率いて東へ西へと戦い、妖魔を倒し、辺境を切り開き領土を拡大している。物語の長さはまだ増え続けている。








阿来が語る『ケサル王伝』① 生きている史詩

2013-03-21 02:01:16 | ケサル
阿来が書いた『ケサル王伝』の解説をご紹介します。
2009年、自作の『ケサル王』を書き終えた阿来は、あるテレビ局に請われて、ケサルに関する講義をすることになり、そのための文章を書きました。(結局番組は取り消しになったようです)

分かりやすく書かれているので、所々省略しながらご紹介することにしました。
3部に分かれています。今回はその1です


     ***************



『ケサル王伝』概説

1、生きている史詩

まず一つの詩から私の話を始めよう。


知恵の花心は、幾重にも重なり その麗しさは少年のようです

諸法を見つめる時 あたかも鉄の鉤となって 美女の心を捉えるかのようです

本質を見つめ 曇りなく自己を知れば 様々に変化する舞や歌が現れるでしょう

文殊菩薩よ 作者の口元を美しく飾ってください 



チベットでは、もっと詳しく言えば、チベット族に伝わる著作の中では、これから展開するのがどのような題材であっても、どのような形式のものであっても、必ずまず始めにこのような詩が書かれている。
この詩はチベット族の歴史の名著『チベット王臣伝』の前置きに、作者が記した頌詩である。

この詩は文殊菩薩に捧げられている。寺に入ったことのある者なら誰でもこの菩薩を知っているだろう。この菩薩ともう一体の普賢菩薩は常に釈迦牟尼佛と共にあり、左文殊、右普賢といわれている。一方は獅子に乗り、一方は大きな象に乗っている。乗っている動物と方位が二つを見分ける大きな特徴となる。

では、どうして文殊菩薩を褒め称えるのだろう。それは文殊菩薩が知恵の象徴だからである。また、語自在の王とも言われている。
文殊を褒め称えることは、その神の力の加護を得て、智を解き放ち、著作が滞りなく進み、洞察と真の知恵が満ちるよう願うことなのである。

……

チベット族伝統の考え方では、著作とは神性をおびた事柄である。
それは、人生や歴史の真理を求める事であり、時には天の秘密を漏らすことでもある。
だが、この秘密は天が故意に漏らすもの、天が選んだ者を通して示すものでもある。
そのため、人は著作の衝動を持った時、天が自分を選んだのだと考える。
そこで、天の神に向ってひれ伏し褒め称えるのである。


私が語ろうとしている『ケサル王伝』は文学者が書いた作品ではなく、広く長く民間に伝わる口承文学である。
物語の主人公ケサルは本来天界に暮していたが、人の世が乱れ苦しんでいるのを見て、大願を発し人の世に降る――だが、テレビドラマによくあるように雲に乗って突然表れるのではなく、人の世に身を投じ、普通の人間と同じように成長し、人の世の様々な苦しみを経て大きな功績を成し遂げ、最後にまた天に帰って行く。

これは正確な歴史書ではない。だが、この詩史を研究した専門家の一致した結論では、この物語の曲折はチベットの歴史の事実を反映している、という。

人々が興味を抱くのは往々にして真実の歴史ではなく、芸術化された歴史である。この点は、他の民族の文化でも同じだろう。
漢族の文化でも同じであり、例えば玄奘が経を取りにいく『西遊記』の伝奇物語、「三国志」から生まれた『三国志演義』、そして現代の映像作品やネット上の大量に現れている面白おかしく語られる作品もそうである。

……

『ケサル王伝』は歴史の事実を基礎として生み出された作品である。ただその中の歴史の姿はかなり希薄で見分け難くなっているが。
多くの研究者が私に教えてくれたのは、歴史から物語へと生まれ変わっていくには、まず物語が民間の語り物の台詞のような方式で伝わり、最後に文学者がそれを整理して小説にするという長い長い過程を経なくてはならない、ということである。

『ケサル王伝』は千年以上を経ているが、まだ、様々な民間の語り部が民間で自由に伝え歩いている段階でもある。

この史詩は様々な歴史の段階で、異なった語り部の異なったバージョンが記録されて来た。そのため多くの異なった記録本が現れた。
だが、これらの記録本もこの広大な史詩が民間に伝わり、伝わる中で様々に変化するのを停止させなかった。

『ケサル王』を書く準備を始めたころに、四川ガンゼ州セルタ(色達)県で二人の語り部に会った。私はこの様な人たちにたくさん会って来たので、名前を忘れてしまった。

一人は女性で教育を受けていない。
彼女は放牧している時に不思議な模様の石を集めた。コレクションがブームになり、何でもコレクションの対象になる現代、彼女がこれらの石を集めたのは値上がりを待つためだろうか。いや、彼女はこの世界に奇石のコレクションがあることを知らない。

彼女が言うには、それぞれの石が彼女にとっては映画のスクリーンのようなものなのである。
神に祈りを捧げ、ふさわしい石を手のひらに乗せると、ケサルの物語の断片が目の前に現れ、彼女は目を軽く閉じて歌い始めた。

もう一人の老人は老僧が座禅を組んでいるかのように、自分の家で静かに座り、ほとんど沈黙している。だが、一旦霊感が降りてくるとあっという間に、それまでと違う状態が現れる。それはどんな状態だろうか。
一人のフランス人が一世紀ほど前このような民間の語り部と接し、言った。
「それは神が乗り移った興奮状態だった」

始めの方で私は、「神性」による著作、と言った。チベットの民間の口承文学にも同じような特徴がある。
彼らは、語る力は神から賜ったものと信じている。この形式は現代人から見たらあまりにも神秘的に映るだろう。

例えばあの女性は、教養がなく字も読めないが、飛びぬけた語りの能力を持っている。
教育を受けていないか、程度がかなり低い者達が語る時も、用いられる言葉は日常の話し言葉ではなく、リズミカルで調和の取れた優雅で古典的な文語なのである。

フランスのチベット学者スタンは言う。
語りの台詞は様々な場所を流浪する職業的な歌手や吟遊する語り部が伝えてきたものだ。ある者は詩史すべて、または大部分の章を身につけており、またある者はその中の一部分だけを身につけている。
もし彼らを招いて語ってもらったら、日に日を継ぎ、週に週を加えて、空んじた物語を語り続けることになるだろう。

チベット語ではこのような民間の語り部を「仲肯」と呼ぶ。仲は物語、肯は神から授かったという意味である。
意訳すれば、「神から力を授かった語り部」となる。
このような者達が、青蔵高原の遊牧と農耕のチベット族の間の至る所にあらわれてこの物語を伝えるのである。

語り部以外にも、文字でケサルの物語を伝える者にも会った。
前に書いた二人の語り部のいるあのセルタ県で、私はそのラマに会った。新しいケサルの物語を書いていた。

人は言うかもしれない。では、彼はあなたと同じ作家ではないか、と。
もし私が同意しても、ラマはこの様な見方に同意しないだろう。
第一に、彼はケサルの物語のみを書く。
第二に、彼は、物語は自分が書いているとは考えていない。
物語はすでに発生し、すでにそこにあり、ただ、秘密の宝物と同じように彼の心に深く埋められているのである。彼の心は宝を含んだ鉱脈である。彼がするのはただ、神の神秘な開示の下に、心の中から、宝蔵を掘り出すように物語を掘り出すことだけだ。

彼らはケサル研究界から「発掘する語り部」と命名されている。

2006年夏、私は国内で権威ある二人のケサル研究専門家と共にこのラマを訪ねた。
彼はちょうど新しい作品を仕上げた所だった。より正確に言えば、ちょうど発掘を成功させた所だった。
座禅用の席に座った彼は衰弱しきっているように見え、私たちと話す声は低くかすれていた。
だが、彼の筆から姿を表した新しいケサルの物語について語る時、彼の目の中には特別な光が煌めくようだった。

もし、簡単に結論を出すなら、これは神性の輝きを放つ、生きている史詩といえる。









ケサル王伝  王になったケサルが天に帰るまでの簡単なあらすじ

2013-03-15 18:37:19 | ケサル


王になったケサルは、平和な毎日に落ち着かない。
周りの者が、王に11人の妃を娶らせる。ジュクモを入れて妃は12人となる。

天の母の命により、ケサルは修行に出かける。妃の一人メイサを連れて行くよう命じられたのだが、ジュクモの嫉妬のため、メイサを置いて修行に行く。
その間にメイサが魔国の王にさらわれてしまう。

こうして、いよいよケサルの戦いが始まる。

一人魔国に向ったケサルは、魔王の妹アダナムの助けを得て、魔王の魂の拠り所を取り除くことによって、魔王を倒す。
勝利の後、アダナムの求めに応じて彼女を妃の一人に加え、メイサとリン国に帰るのだが、途中で三人の暮らしを楽しみ三年を過ごす。

その間、今度は第一の妃、ジュクモがホル国に連れ去られ、ホル王の妃にさせられる。
なかなか帰らぬケサルを待ちきれず、ホル国に攻め入った兄が戦死する。
やっとリンに帰ったケサルはジュクモを救いに行き、ホル王を倒す。
ジュクモはホル王との子供を生んでいたが、ケサルはその子を殺し、ジュクモを連れ帰る。
兄を倒したホル国の大臣をリン国に迎える。

リン国の塩を求めて兵を進めてくるジャン国と戦う。
ジャンの王子ユラトを仲間にする。
ジャンの王はケサルの魔法により、飲み込んだ魚が体の中で爆発し亡くなる。

以前から幾度かリンを占領しようと戦いを挑んでいたモン国と戦い、王を倒す。

この四回の戦いがケサルの物語の中心となる。
他に十八の小国を次々と倒していく。
戦いでは、様々な戦神や山の神がケサルを助け、ケサルも知恵を用いて相手を倒していく。

最後に、魔王の妹だった妃アダナムを地獄から救い、ケサルの代わりに地獄に落ちた母を救い出し、ケサルは天に帰って行く。



        *******************


こうして見てくると、ケサルの周りにはいつも女性がいて戦いの動機になることが多く、戦いのたびに仲間を増やしていきます。それがこの物語の魅力なのかもしません。

様々なバージョンがあり、今でも研究は続けられています。
登場する神々やエピソードを調べていくと、それはチベット文化の精華であり、目くるめく世界を味わうことになるでしょう。
東チベットの人々は今でもケサルを実在の人物としています。


阿来の「ケサル王」はどのようにケサルを描き、現代の東チベットの人たちはそれをどう受け入れるのか。
これから、少しずつ思いつくままに考えていきたいと思います。
そのため、あらすじは本当に簡単に済ませてしまいました。これから更に膨らませていきますので、ご期待ください。









ケサル王伝  神の子の誕生から王になるまで

2013-03-05 23:58:42 | ケサル


ケサルは梵天の三男が自ら望んで地上に生まれ変わったものであるというバージョンと、梵天の孫が選ばれて地上に降されたというバージョンがある(他にもあるのかもしれない)。これでケサルははっきりと仏教から始まったということになるのだろうか。

梵天について調べてみると、その起源は古代インドのバラモン教の神ブラフマーで、ヒンズー教にも受け継がれ仏教に取り入れられたということだ。そこまで考えるのは飛躍しすぎと言えなくもないが、ケサルの持つ得意な生命力とつながっているようにも思える。
ボン教や、チベット土着の宗教との関連も視野に入れて、仏教に固定しないで考えていきたい。
そうでなければケサルのダイナミックな姿は見えてこないだろう。

阿来はどちらかというと無宗教的立場をとっているように見える。

物語の始まりは、どれも壮大で複雑なものになりがちだ。

中国語版では、大慈大悲の観世音菩薩が極楽世界の主宰阿弥陀仏にお願いし、梵天(ブラフマー)の孫、ツイバガワを人間の世に遣わそうと決め、パドマサンバヴァに後のことを任せる。
パドマサンバヴァは自分の住まいにいながらすべてを知り、与えられた使命を執り行う。

 
パドマサンバヴァはまずケサルが生まれるにふさわしい地を選び、それから人間界での両親にふさわしい人物を探す。
人物と言うよりは家柄である。
この家柄の問題は、これからの物語にたびたび話題になり、物語展開のきっかけともなる。
いわゆるトーテムである。古代チベットのしきたりがうかがえる。

 
ケサルの父は穆氏のセンロン、彼は山神だという説もある。
母メトラツェは龍宮の龍族から選ばれ、パドマサンバヴァの計らいで海から地上へと連れてこられ、嫁ぐのを待つ。

リン国の長官に神の子が降るという知らせが届き、こうしてケサル、幼名ジョルはリンの地に誕生する。

ここで登場するパドマサンバヴァは漢字では蓮華生大師と書かれる。
8世紀、ティソンディツエン王の時にインドから招かれ、ボン教を抑えて仏教を広めた。
ボン教の神を降すごとに、その神を仏教の守護神にしていったので、チベット仏教は神の多い宗教となった。
ケサルの物語に出てくる神がボン教の神なのか仏教の神なのか、その目くるめく世界が、一つの魅力ともなっているのかもしれない。


パドマサンバヴァが登場するなら、ケサルの物語は8世紀のチベット(トバン)の物語なのか。それもいまだにはっきりしていない。
それ以前の土着宗教しかなかった時代にも似たような物語があったと言う説もある。

ケサルを読むには想像力が必要だ。

 
地上に生まれたジョルは、嫉妬深い叔父トトンによって国を追放され、母と共にテントで暮す。
その間多くの妖魔を下し、血なまぐさい状況が人々を恐れさせる。


ジョルは北の地に新しい国を用意し、雪で追われたリンの人々を受け入れる。
そこで、王を選ぶための競馬大会が催され、優勝したジョルがついに凛々しいケサルとなって、リン国の王となる。

ケサルとはどのような王なのだろうか…



     ***********************


私はまだケサル初心者で、うまく説明できるか不安です。
詳しい訳や、登場人物の説明をしたホームページがあるのでご紹介します。まず、これらをご覧ください。
ただ、どれもみな未完なのです。残念です。
それだけ、ケサル王伝は壮大で手ごわい相手なのです。

宮本神酒男氏のHP 詳しい訳があります

リン・ケサルの伝承世界 登場人物やあらすじが詳しくかかれています。

もう一つ ドキュメンタリー「ケサル大王」監督のホームページもご覧ください。