『ケサル王伝』概説
2、最長の史詩 その1
私が今この文章を書いているのは、私が現代の手法で、史詩『ケサル王伝』をもとに、『ケサル王』という小説を書いたからである。
この物語は青蔵高原のチベット族の間で一千年に渡って伝えられてきた。
この長い時間と広大な大地の間に、この物語を語る者が数えきれないほど多く生まれている。
私はその中の一人に過ぎない。
この『ケサル王伝』と呼ばれる物語は、学会ではいくつかの呼び方がある。
ある時は神話と呼ばれ、ある時は史詩と呼ばれる。実際には、人類の遥か昔の歴史に関する伝説の中で、史詩と神話はほとんど同じものだった。
作家茅盾は史詩を「神話の芸術化」と言ったが、それはこの意味である。
この史詩は現在二つの記録を持っている。
一つは、前にすでに述べた、生きている史詩であること
一つは、『ケサル王伝』は世界最長の史詩であること。
この史詩は青蔵高原に長い間伝わって来た。
だが、外の世界から発見され認識され、系統的な研究がなされたのは200年余り前のことである。
それ以前は他の国の史詩が最長史詩として記録されてきた。
今、世界の文化はヨーロッパのルネサンス以後の文化を主流としている。そしてルネサンスの精神の源は古代ギリシャにある。そのため、かなり長い間、史詩といえばギリシャの史詩のことだった。
ギリシャ史詩の代表は『イーリアス』と『オデュッセイア』である。
これらの作品は当時、一人の盲目の詩人ホメーロスが琴を手に四方を彷徨いながら吟唱した、と伝えられている。
そのためホメーロスの史詩とも呼ばれている。
『イーリアス』は15,693行、『オデュッセイア』は12,411行ある。
ホメーロスの史詩が世界に与えた影響は大きく、今でもまだ舞台劇、ハリウッドの大作、小説へと書き換えられている。
そして、全世界の百人近い作家が参加する国際的なシリーズ「神話の再生」に加えられている。
私もまたこの企画に参加している一人であり、長編小説『ケサル王』によって、多くの優秀な作家と共に「神話の再生」に関わっている。
ホメーロスの史詩の後、人々の視野が広がるに連れて、インドの二大史詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』が発見された。
『ラーマーヤナ』は最も凝縮された短いもので3万行、『マハーバーラタ』では20万行を越える。
インドの偉大な詩人タゴールはかつてこう言った。
「もしヒマラヤのように高潔な普遍的理想と大海のような深遠な思想を同時に一つの作品にしたら、それはラーマーヤナになるだろう」
先ごろ亡くなったばかりの季羨林は70歳の時に『ラーマーヤナ』の新しい中国語訳を完成させている。
これまでに四部の有名な史詩を取り上げた。これに世界で最も古いバビロンの『ギルガメッシュ』を加えて、世界の「五大史詩」と呼ばれている。
……
では、『ケサル王伝』はどうだろうか。
フランスのチベット学者スタンは「『ケサル王』序言」の中でこう述べている。
「ヨーロッパでは1836-1839年の間に訳文を通して初めてこの伝奇物語が知られるようになった」
1836年『ケサル王伝』の訳本がロシアのサンクトペテルブルクで出版された。だが、系統だった研究が始まるには更に百年ほど待たなくてはならなかった。
そうでなければ五大史詩は六大史詩と呼ばれていたかもしれない。
このように言うのは、単純な民族的感情によって自分の文化の中の全てのものを無条件に偉大と見ているからではない。
研究と創作の過程で、私は常にこのような感情を克服するよう気をつけてきた。
知識は教養となり、教養は私たちの意識の中の、近視眼と偏狭な意識によってかきたてられる感情を打ち消す助けとなる。
始まりの部分で述べた、著作者が菩薩を褒め讃えるのは、それを通してこのような洞察力を得たいと望むからである。
チベット族は良く学び良く聞き良く考える者に美しい呼び名を送る。
「善知識」である。
もし私が何かを褒め讃えるとしたら、この規準にかなった「善智識」を讃えるだろう。
『ケサル王伝』はまさに世界第一を作り出した。史詩の中で、長さでは第一である。
どのくらいの長さなのだろう。百万行以上、百五十万行以上とも言われる。
具体的な数字に関しては様々な資料、様々な意見がある。どうして統計数の上でこのように差があるのだろうか。
それは、前に述べたいくつかの史詩と異なって、この作品は主に多くの民間の語り部の口頭の語りによって伝わっているからである。
このような民間の語り部とはいわゆる古代の吟遊詩人である。
それぞれの語り部が語る時、決まった手本があるわけではない。たとえ同じ章の物語を語るにも、それぞれの語り部によってそれぞれの想像とそれぞれの表現があり、固定した文章に整理する時に、すでに長さに差があった。
更に重要なのは、前に述べたように、この史詩はまだ成長していて、いまだに新しい部分が生まれていることである。
ケサルは今でもまだリンと呼ばれる国の国王であり、まだ軍を率いて東へ西へと戦い、妖魔を倒し、辺境を切り開き領土を拡大している。物語の長さはまだ増え続けている。
2、最長の史詩 その1
私が今この文章を書いているのは、私が現代の手法で、史詩『ケサル王伝』をもとに、『ケサル王』という小説を書いたからである。
この物語は青蔵高原のチベット族の間で一千年に渡って伝えられてきた。
この長い時間と広大な大地の間に、この物語を語る者が数えきれないほど多く生まれている。
私はその中の一人に過ぎない。
この『ケサル王伝』と呼ばれる物語は、学会ではいくつかの呼び方がある。
ある時は神話と呼ばれ、ある時は史詩と呼ばれる。実際には、人類の遥か昔の歴史に関する伝説の中で、史詩と神話はほとんど同じものだった。
作家茅盾は史詩を「神話の芸術化」と言ったが、それはこの意味である。
この史詩は現在二つの記録を持っている。
一つは、前にすでに述べた、生きている史詩であること
一つは、『ケサル王伝』は世界最長の史詩であること。
この史詩は青蔵高原に長い間伝わって来た。
だが、外の世界から発見され認識され、系統的な研究がなされたのは200年余り前のことである。
それ以前は他の国の史詩が最長史詩として記録されてきた。
今、世界の文化はヨーロッパのルネサンス以後の文化を主流としている。そしてルネサンスの精神の源は古代ギリシャにある。そのため、かなり長い間、史詩といえばギリシャの史詩のことだった。
ギリシャ史詩の代表は『イーリアス』と『オデュッセイア』である。
これらの作品は当時、一人の盲目の詩人ホメーロスが琴を手に四方を彷徨いながら吟唱した、と伝えられている。
そのためホメーロスの史詩とも呼ばれている。
『イーリアス』は15,693行、『オデュッセイア』は12,411行ある。
ホメーロスの史詩が世界に与えた影響は大きく、今でもまだ舞台劇、ハリウッドの大作、小説へと書き換えられている。
そして、全世界の百人近い作家が参加する国際的なシリーズ「神話の再生」に加えられている。
私もまたこの企画に参加している一人であり、長編小説『ケサル王』によって、多くの優秀な作家と共に「神話の再生」に関わっている。
ホメーロスの史詩の後、人々の視野が広がるに連れて、インドの二大史詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』が発見された。
『ラーマーヤナ』は最も凝縮された短いもので3万行、『マハーバーラタ』では20万行を越える。
インドの偉大な詩人タゴールはかつてこう言った。
「もしヒマラヤのように高潔な普遍的理想と大海のような深遠な思想を同時に一つの作品にしたら、それはラーマーヤナになるだろう」
先ごろ亡くなったばかりの季羨林は70歳の時に『ラーマーヤナ』の新しい中国語訳を完成させている。
これまでに四部の有名な史詩を取り上げた。これに世界で最も古いバビロンの『ギルガメッシュ』を加えて、世界の「五大史詩」と呼ばれている。
……
では、『ケサル王伝』はどうだろうか。
フランスのチベット学者スタンは「『ケサル王』序言」の中でこう述べている。
「ヨーロッパでは1836-1839年の間に訳文を通して初めてこの伝奇物語が知られるようになった」
1836年『ケサル王伝』の訳本がロシアのサンクトペテルブルクで出版された。だが、系統だった研究が始まるには更に百年ほど待たなくてはならなかった。
そうでなければ五大史詩は六大史詩と呼ばれていたかもしれない。
このように言うのは、単純な民族的感情によって自分の文化の中の全てのものを無条件に偉大と見ているからではない。
研究と創作の過程で、私は常にこのような感情を克服するよう気をつけてきた。
知識は教養となり、教養は私たちの意識の中の、近視眼と偏狭な意識によってかきたてられる感情を打ち消す助けとなる。
始まりの部分で述べた、著作者が菩薩を褒め讃えるのは、それを通してこのような洞察力を得たいと望むからである。
チベット族は良く学び良く聞き良く考える者に美しい呼び名を送る。
「善知識」である。
もし私が何かを褒め讃えるとしたら、この規準にかなった「善智識」を讃えるだろう。
『ケサル王伝』はまさに世界第一を作り出した。史詩の中で、長さでは第一である。
どのくらいの長さなのだろう。百万行以上、百五十万行以上とも言われる。
具体的な数字に関しては様々な資料、様々な意見がある。どうして統計数の上でこのように差があるのだろうか。
それは、前に述べたいくつかの史詩と異なって、この作品は主に多くの民間の語り部の口頭の語りによって伝わっているからである。
このような民間の語り部とはいわゆる古代の吟遊詩人である。
それぞれの語り部が語る時、決まった手本があるわけではない。たとえ同じ章の物語を語るにも、それぞれの語り部によってそれぞれの想像とそれぞれの表現があり、固定した文章に整理する時に、すでに長さに差があった。
更に重要なのは、前に述べたように、この史詩はまだ成長していて、いまだに新しい部分が生まれていることである。
ケサルは今でもまだリンと呼ばれる国の国王であり、まだ軍を率いて東へ西へと戦い、妖魔を倒し、辺境を切り開き領土を拡大している。物語の長さはまだ増え続けている。