塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 訳了しました

2012-12-31 22:56:13 | Weblog


やっと『大地的階梯』を訳了しました。
訳し終わった時、この作品の最後、阿来が河の源流にたどり着いた時と同じように、「予想していたような感情の昂ぶりなかった」です。

4年間、細々と続けてこられたのが不思議です。

日本では知られていない阿来の大ヒット作『塵埃落定』を理解するために始めたことでした。
この間、思い知らされたのは、阿来は歴史を書く作家だったのだ、ということです。
「大地的階梯」で一番取り上げられた事件は清朝の乾隆帝の時に起こった「金川の戦い」でした。二回に渡る戦いによって、この地を治めていた土司(族長)たちはその権力を失い、この辺りははっきりと清朝の版図に入れられていきます。

私が旅した次の年にチベット動乱があり、そして、四川大地震、同じ東チベットの玉樹でも地震が起こりました。そして今悲しい現象が次々と発生しています。

北京からはるかに離れたこの地には、一体何があるのでしょうか。

阿来は次に「ケサル王」を出版しました。舞台は東チベットカム地方。この地を救った英雄の叙事詩を、阿来は、物語を伝える語り部とケサル王との交感の物語として描きました。
そして、今年、ケサル王に関するドキュメンタリーを作った監督と出会い(http://gesar.jp/)、ケサルの文化について更に興味を深めました。

これから何をしたらいいのか…
阿来という微妙な位置に立つ作家を通して、もう少し東チベットについて私なりに考えていきたいと思っています。そのために、
作品に関する阿来のブログを訳す。
「ケサル王」を抄訳し、もとの英雄叙事詩と比べてみる。

どこまで出来るか、まだ先が見えているわけではありません。
これまでの翻訳のみではなく、自分の考えを文章に出来たら、と考えています。

これからも、よろしくお願いします。


皆様、良いお年を!


火鍋子の鬼の編集員のブログ「鬼の繰り言」にも入れていただいて、阿来の微博を訳しています。
こちらもご覧ください。http://suishobo.cocolog-nifty.com/oninokurigoto/






阿来「大地の階段」 108第7章 河の源流へと遡る

2012-12-26 21:22:48 | Weblog
7.河の源流に遡る その3 最終章




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)





 もうほんの少し溯っていけばこの流れの始まりを見ることができるかもしれない。
 それが梭磨河の源流のはずだ。
 だが、それは私の想像でしかなかった。

 谷はもう一度開けた。

 渓流は輝いたまま、広い湿地に隠れてしまった。
 この湿原が私を再び山裾へと追いやった。

 こうして、私は河の流れからどんどん遠ざかり、湿原の中央の曲がりくねってとらえどころがなく、だがその跡を辿ることはできる渓流から、優に数kmは離されていた。
 これだけの距離があるなら車に乗せたリュックを持って来ればよかったと後悔した。

 それからたっぷり二時間歩くと、谷はまた狭まり、細い渓流がまた私の足元に戻ってきた。

 この時、両側の丘陵はほとんど姿を消していた。
 まだ丘陵があるとしたら、それは二筋の目立たないほどの起伏でしかなかった。

 この時こそ間違いなく、私は梭磨河の源流にたどり着いたのだった。

 どこにでもあるような、小さな水溜りだった。
 水は草の下からゆっくりと滲み出しているが、地面を伝うほどの流れは見えなかった。
 そこで私は小さな葉を摘み取り、水の上に置いてみた。
 そうしてやっと、かすかな水の上を草の葉がゆっくりと流れて行くのを確かめることができた。

 私の体にも心にも、予想していたような感情の昂ぶりなかった。

 もちろん、これがチベット文化の中でも独特な、ギャロン文明を育んだ大切な水の源であり、大渡河、長江の支流の最初の一滴なのだ、ということはよく分かっている。
 それでも私の心は、草が生い茂り果てなく広がるこの広野のように、静かだった。

 かつては、源流の風景を想像し、源流に至った時の情景を思い描いては、激情みなぎる詩句をいくつも書き連ねてきたのだったが。

 人生のある日に、このように豊かな瞬間を持てたなら、その後でもし、失意や苦難に出会ったとしても、悠然と向き合えるのではないだろうか。

 私はうつ伏せになってゆっくりと梭磨河源流の水を飲んだ。
 すがすがしい水には骨に沁みる冷たさがあった。

 小さな丘に登った。
 これは私が辿り着くべき大地の階段の最後の一段である。

 これは地理的な頂点であり、私の人生の経験の中での頂点でもあった。

 後ろを見回すと、河の水は折れ曲がり、河幅を増し、いよいよ険しさを増す群山の中に消えていく。
 それは長江水系の群山であり、連なって東南へと向っている。

 東南の風が峡谷に沿って絶えず昇って来る。
 それは大海の気流がこの高地に雨雲をもたらす方向である。
 そして私の故郷の方向でもある。

 私は今地理の境界に立っている。
 この場に立って方向を変え、西北を向けば、まるで大きく息を吹きかけたように、秋風に揺れる黄金色の草原が広がっていく。

 草原で遊牧するチベットの民は、ここでは、もう一つの言語、もう一つの慣わしを持つ。
 そこは伝統の上ではアムドと呼ばれる遊牧文化の地なのである。

 丘の西北に広がる一面の湿原は、もう一つの豊かな河の流れの源である。
 チベット語でガチュと呼ばれ、その意味は白い河。
 白い河は高原の光の下で銀色に輝いている。それは天国を流れる牛の乳の河でもある。

 この河は北に向かい、中国の大地のもう一つの重要な流れ、黄河へと注いで行く。

 私のギャロンの旅はここで終わる。






(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)











阿来「大地の階段」 107第7章 河の源流へと遡る

2012-12-16 00:41:17 | Weblog
7.河の源流に遡る その2




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)




 二時間後、車はすでに査真梁の下を走っていた。これは川西平原からゾルゲ平原へと登る最後の一段である。
 登れば、海抜4000mの果てしない草原だ。

 私は213号線を選ばず、最も嶮しくだが最も近い道を選んだ。もし213号線を行ったら、河の源に行けなくなってしまう。
 そこで、公道を離れ、山のふもとの河に近い草地をがたがたと揺れながら5kmほど走った。

 ここでは河の水は一本の渓流に変わっていた。大きく足を踏み出せば渡れるほどの渓流である。
 両岸の草地は少しずつ柔らかくなり、更に先へ行くと、車は沼地に嵌まりそうだった。
 運転手は私を見た。もう先へは進めないという意味だ。
 そこで、車を山すその草原に停めた。

 まばゆい光が草原を照らし、体も陽を浴びて暖かくなってきた。

 運転手は河のほとりへ行って手で水の温度を試し、日差しで水が暖たかくなったので、これなら魚が出てくるだろう、と言った。
 そうしたら、竿を入れればいい。

 私は柔らかい草地に腰を下ろし、それほど遠くないところにいる丸々と太ったタルバカンを眺めていた。
 タルバカンは乾燥した丘の上で日向ぼっこをしていた。
 私と同じように太陽の下で温まっているタルバカンは、いかにも老練沈着といった様子をしていた。彼は地上にしゃがみ、上半身をピンと伸ばして両手を胸の前であわせている。
 篤く仏教を信仰するチベット人が見れば、これは仏に祈っている姿そのものである。
 そのため、この動物は草原で繁殖し禍となってしまった。

 だが、見たところただののろまに見えるこの動物は、すこぶる賢くて狡猾である。
 彼らは草原の地下に複雑な通路を作っている。もし彼らに何かしようとすると、さっと身を翻して地下に潜ってしまう。その穴の前でじっと待ちぶせし、しかも十分な忍耐を覚悟していると、彼らは突然別な出口からその太った体を地上にのぞかせるのである。

 ここ数年タルバカンの数も減り始めた。
 ほとんどの時間地下で生活するこの動物は、毛皮は良い布団になり、よく煮た肉にはリューマチを治す作用があるからだ。当地の人々は宗教的な理由で彼らには手を下さないが、外地の人間と街の幹部はそうは考えていない。

 運転手は辺りで牛の糞を集め、火を起こす準備を始めた。見たところ、彼は河に隠れている魚でうまいスープを作ることに十分な自信を持っているようだった。

 私はタルバカンとしばらく見つめあい、タバコを一本吸い、それから銃を肩に掛けて渓流に沿って上流にへと歩いていった。

 足元の草地は表面が乾いていて、連なっている草の穂が両足に絡みついてカサカサと音をたてる。
 だが、地面の下はとても柔らかく、一歩足をおろすごとに小さな窪みが出来る。
 さらにしばらく歩くと、目の前にはもう平らな草地はなくなった。

 そして、年月を経た枯れ草と複雑に絡み合った細い草の根で出来た大きな草の塊がきのこの群れのように沼の上に浮いていた。
 一つの塊から一つの塊へと飛び移って行くと、あっという間に体中から細かい汗が噴出してきた。
 これらの塊が一つの面に繋がらない所では、土砂を深く堆積させた明るく澄んだ水溜りがはるかに離れた一つ一つの孤島を隔てている。

 何対かの黄色い鴨が水溜りで食べ物をあさっている。これらの水鳥はこの一年で最後の渡り鳥となった。あと少し秋の霜を過ぎたら、彼らは長い旅をして遠くの南方へ渡っていく。来年の夏までは帰って来ない。
 鴨は私に驚いて飛び立ち、空中をしばらく旋回していた。

 ついに、道は河辺を離れ、私は近くの山の辺りまで歩いた。
 足はまたしっかりした地面を踏んでいた。

 振り向いて見やると、空にいた黄色い鴨はまた降りて来て、あの明るい水溜りに戻っていた。
 河の水は午前の斜めに差し込む強烈な日差しを浴びて、一筋の銀の光をはね返していた。

 私はずっと河を眺めていた。一面の湿地が終わると、広い谷間は両側の小高い丘によって狭まり、私はまた河辺に戻ることができた。
 ここでは河の水はいよいよ少なくなり、透きとおって浅くなった水を透して、ゆっくりと流れていく細かい砂粒が見えた。
 穢れのない草の根が房飾りのように水の中を漂っている。

 私は今、目の前にある情景をいとおしく思った。





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)







阿来「大地の階段」 106 第7章 河の源流へと遡る

2012-12-03 03:38:11 | Weblog
7.河の源流に遡る その1






(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)



 朝目覚めると、頭の中がウオンウオンと鳴って、足元が少しふわふわした。
 これは海抜が高いために起こる軽い反応だ。2,3年このような場所に来なかったためだろう。
 窓を開けると、冷たく凛とした空気が一気に部屋の中に入ってきた。窓の外の道路には埃が舞っているが、丸い丘の上の空は微塵も汚されていない。

 神様がよい天気を与えてくれた。こう考えると、心が愉快になってきた。

 階下の回族のレストランで熱々の羊のそぼろ麺と焼餅を二つ食べ、膨らんだ腹を叩いている時、猛スピードでやって来た北京のジープが私の前で停まった。
 よく見るとそれはかなり古い車だった。どこかの職場でお払い箱になり、数千元で個人に払い下げられたものだろう。
 このような辺鄙な鎮では、就業の機会がなく何もすることのない若者が、家の金をかき集めてこのような車を買い、一人二人まばらな観光客を見つけ1,2百キロメートル走って車代を稼いでいる。
 これでもまともな職業といえるだろう。

 後ろの席のドアを開けて荷物を投げ込んだ時、座席に釣竿と猟銃があるのに気付いた。
 
 運転手の隣の席に座ると、エンジンは雄叫びを上げ、しばらく後ろに埃を振りまいて、車は動き出した。
 出発だ。

 車が鎮を出て間もなく、これまでとは違った風貌の峡谷が目の前に現れた。
 公道の両側の柳の木と草地には薄い霜が降りていた。河の両岸を囲むように続く潅木の茂みと草地は進むほどにどんどん広くなり、両側に延々と連なる山脈は遠くへと退き、そして少しずつ低くなり、丸みを帯びて行った。
 河の水は徐々に少なくなり、穏やかになり、曲がりくねって地面との分かれ目がはっきりしなくなっていった。

 80年代、私は小説の中でこの一帯の自然の姿を描き始めた。
 初めての作品は短編で、題名は『快楽行程』だった。この作品の中で、私はこの地帯を群山と草原の移行地帯と名付けた。この命名はあまりすっきりとしてないが、かなり適格だと思う。
 地理学者がこのような移行地帯に簡潔でより正確な名前をつけたのを見つけ出すまでは、10年前自分の小説の中で命名した呼び方をこの地帯に使うしかない。

 この地帯は、昔は梭磨土司の治める地で、土司の家の牧場だった。現在は草原にある紅原県の管轄となっている。

 運転手は速度を少し緩め、後ろの席の猟銃を私に渡した。
 それは、窓の外の草地には、いつでも獲物が現れる可能性があり、車の中からいつでも打ってかまわない、という意味である。

 私は尋ねた「1発いくらだ」
 「20」彼は言うとすぐに舌を出し、そして言った「いや、それは観光客用の料金だ。あんたは違う、友達の紹介だから」
 私は笑った「安くしてくれるのか」
 彼は何も答えなかった。じっと前を見つめながら、ゆっくりと車を停めた。それから手で遠くを指し示した。

 彼の指す方向を見ると、視線の先に二羽の雉が見えた。埃だらけの雉は潅木の茂みの中で、足の爪を使って一心に何かを掘っている。
 時々警戒するように長い首を伸ばして頭を潅木の上に突き出し、周囲の動静に聞き入っている。
 雉が頭を潅木から伸ばしている様子は、頭と首の回転の仕方が、潜水艦から海面に伸びて偵察している潜望鏡のようだった。
 だが私には、見ているというよりは、聞いているように感じられた。

 車から飛び降りてゆっくりと彼らに近づくと、二羽の雉は翼をパタパタとはためかせながら、必死で駆けて行った。
 ほとんどの雉はすでに飛ぶ能力を失い、翼をはためかせるのは、逃げる時に足の負担を軽くするだけのためだった。
 雉は時には翼を広げて空中に優美な飛行の姿を見せるのだが、それはただ高いところから低いところへ滑空するだけなのだ。


 二羽の雉は河のほとりまで駆けて行き、立ち止まり、また長い首を伸ばした。
 猟銃で狙いをつけたが、照星の先は微かな光ばかりで目標が見えなかった。ここ数年、視力が徐々に弱っていて、雉は私がとらえることが出来る射程の外にいた。

 それでも一発打った。
 銃声は広い谷の中であっという間に清冽な空気に吸い取られてしまった。
 期待していたような強い響きはなかった。

 道路に戻り、再び目を上げると、二羽の雉はまだ河のほとりに立っていて、銃声に驚いた様子もなかった。

 私たちは再び出発することにした。
 運転手が2回警笛を鳴らすと、今回は雉は潅木の茂みにもぐり込み、見えなくなった。








(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)