塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 65 第5章 灯りの盛んに灯る場所

2010-09-24 03:37:12 | Weblog

6、村から街へ


(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




 卓克基から梭磨河に沿って下っていくと、その9kmという短い道のりの間に、河の両岸に美しいギャロンの村が一つまた一つと現れてくる。

 査米村という石の集落は山の斜面に寄りかかるように一塊になって、胡桃の樹の大きな日陰に涼しげに覆われている。
 村の前の広いアスファルトの道を車がけたたましく行き来するが、すぐそばにあるこの村は、何事もないかのようにひっそりとしている。深々とした日陰がいくつも重なり、辺りには果物の淡い香りがただよっている。

 更に下っていくと、河の向かい側の谷間の台地は、更に低く、広々としてくる。

 開けた畑の中では、ギャロンの家々が美しい点景となる。

 壁に巨大な日月同輝の図案や、宗教的意味合いを持つ金剛や、擁忠と呼ばれる卍の法輪が描かれた石の家が、黄色く熟した麦畑と青々したトウモロコシ畑の間に顔をのぞかせている。

 果樹園、麦畑が石の集落の周りを囲み、小さな集落は大きな集落を取り囲み、周辺にある集落は中央の集落とつながっていく。
 こうして、阿底と呼ばれる村が出来あがる。

 次に現れるのは査北村、その次に現れるのは、人々に忘れられたかのように名前がなく、だが、だがそのため却って穏やかに存在している村である。

 これらの村は、過ぎ去った時代、ただ一面の荒野でしかなかった。
 だが、今世紀の後半、ギャロンでは土司の姿が政治の舞台に現れ、そして消え去り、、歴史の重い幕が降ろされた。
 土司たちの姿が再び現れ、統一戦線の相手役として現代の政治の舞台に上った時には、過ぎ去った時代のすべては、彼らにとってもぼんやりとした幻となっていた。

 歴史は一度幕を降ろし、もう一度幕を開けた。
 強いライトに照らされたそこには、以前とは違う真新しいセットが用意されていたのである。

 この午後、私が通り過ぎたいくつかの村の中だけでも、1950年代から90年代にかけて、新しい建物が次々と現れ始めていた。

 兵営、学校、ガソリンスタンド。林業局と呼ばれる実際は伐採の労働者の根城。防疫所と呼ばれる場所は、この土地から天然痘とハンセン病を消滅させた。

 今、様々な名目の建物が大量に現れている。これらの建物は、この土地の景観を変えつつある。
 だが、少なくとも今のところ、街から遠くない村の中では、ギャロンの伝統的な建物が、ギャロンの地の景観の基本の姿を今に伝えている。

 私はこのような伝統的な姿がいつまでも続いていて欲しいと願っている。

 だから、私がここで一つ一つ文字を連ねているのは、ちょうど、建築の職人がレンガを一つ一つ積み上げていくのと同じ気持ちなのである。
 だが、その文字はつまるところは一冊の本という形をとるだけで、この土地の景観に変化を与えることは出来ないのだ。

 今はデザインの時代である。
 チベット族の中から新たに育ってきた優秀な人材の中で、その方面で仕事をしている仲間が、近頃話題の民族文化を現実のものにして欲しいと願っている。

 そして、この地に新しい形の建築が現れて、私たちが作り上げた街を、外観をも含めて、この地の文化にそぐわない、まるで別のものにしてしまわないようにと願っている。


(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)