「物語 神の子下界に降る」 その3
地上では、老総督がタントン・ギャルポを砦の中に招き入れ、集会の間で、上師の前に深々と拝伏していた。
「昨日の夜、上師が私の夢を通って行かれました。今日は、どうぞ私のために、そして苦海に沈みそうなリンの民のために、この夢を詳しく解いて頂きたいのです」
タントン・ギャルポは笑った
「よいだろう、私にうかつにも人の夢をかすめさせたのは、どなたかの仕業だろう。
さて、少しは法力があるとはいえ、口が渇いたままでは夢を解くことは出来ぬ」
老総督は自分の頭を叩いて言った。「水をお持ちするのだ」
清らかに澄んだ泉の水が捧げされた。
「いや、乳だ」老総督は手を振りながら言った。
上師は口をすぼめて甘い泉の水をすすり、一息で牛乳を飲み干した。
「このように長い道のりは、自分の足で一歩ずつ歩いて来たのではなくとも、腹の中にはいささか隙間が出来るものだ」
「もう一杯お召し上がりください」
「もうよい。さて、おまえの夢について語ろう」
老総督は姿勢を正し上師の下座に座り、頭を深々と下げて言った。
「どうぞご開示ください」
上師はよく通る声で語り出した
「ウォン、 宇宙の万物に本来生死はない
ア- 、 だが、哀れにも生死を受け継いだ衆生よ!
フム 、 その不可思議な夢を解こう。聞くがよい」
老総督は夢の中で東の山に昇る太陽を見た。
これは、リンがこの後、慈悲と知恵の光で照らされることの象徴である。
空から降りて来た金剛杵。
これは、天から降される英雄が、老総督の治める地に誕生することの象徴である。
英雄はついにはリンと呼ばれる偉大な国を作るであろう。
センロンが夢の中に現れ、その手には宝傘があった。
これは、センロンが、天から降される英雄の人間界での父親であることの象徴である。
傘の影が覆う広大な地域とは、英雄である息子が作り上げる国の広大な領域を象徴している。
上師の言葉を聞いて、老総督はたちまち、目の前の霧が晴れ光明に満たされるのを感じた。
この時、リンの各の首領は多くの供を率いて聳え立つ山脈を超え、悠々と流れる河と湖を超え、それぞれの方角から相次いで到着し、老総督の砦の前に集まった。
威厳に満ちた砦は、山脈が弓のように湾曲した要に高々と聳えている。
西北から豊に水を湛えて流れて来るヤーロン河は、ちょうど山の湾曲に対して弦のような真っ直ぐな線を描き、弓と弦の内側は花々が咲き乱れる、あくまでも平らな草原である。
老総督の砦の前には人や馬が賑やかに行きかい、色とりどりの旗が立ち並び、ごとに張られた天幕が草原を埋め尽くしていた。
人々は祭りの正装に身を包み、まるで花々が艶やかさを競っていかのようだった。
天幕は河が描き出す巨大な半円に面して並び、中央の集会用の大きな天幕を囲んでいた。集会用の天幕は真っ白な雪山のように高く聳え、その上を覆う金の頂は朝日のように目もくらむばかりに煌めいてた。
天幕の中には金銀の席が整然と並べられ、英雄の席には英雄としての威厳をいや増す虎や豹の毛皮が敷かれていた。
砦の上から頭領たちを集会に召集するほら貝の音が響いた。
巨大な天幕の中では、まず各の頭領が位に応じて席に着き、次に各の集落の長たちが相次いで席に着いた。
徳望の高い年配者は上座に、勇猛を誇る若者は下座についた。まさに、人には頭、首、肩があり、牛には角、背、尾があり、地には山、川、谷があるように、それぞれの分に応じていた。
すべての人が賑々しく序列に従って席に着くと、老総督は皆に向かって自分が夢に見ためでたい兆しと、タントン・ギャルポの夢解きの言葉を伝えた。
喜びの知らせは、巨大な天幕からすべての民へと電光のように伝わり、リンの民たちはひと時喜びに湧きかえった。
老総督は燃えるような目で天幕に並み居る者たちを一渡り見回し、厳粛で重々しい表情で言った。
「皆は聞いたことがあるだろう。リンの外に出れば、東西南北どの方角に行っても、すでにそれぞれ自分たちの国を作り上げている。
王宮は壮麗で、秩序は整っている。知恵を持つ者は深い思考から生まれた言葉を学堂で伝え、田畑では豊かで味わい深い作物が収穫され、牧場から溢れる乳はまるで尽きることのない美味な泉のようである。
だが、我がリンの民は、毛がついたままの血の滴る生肉を食らい、自身の外と内にいる妖魔の悪行に翻弄されるばかりである。
それはなぜか。
神が我々を加護されないのではなく、我々の行いに神の加護を得るほどの資格がないからである。
今日、リンの者たち、特に我々大きな天幕に易々と坐り、多くの民の命運を決めている者たちは、自を省みなくてはならない」
皆は一斉にうなずき、顔を伏せ、黙って自分の心の内を省みた。
だが、ダロン部の首領トトンのように納得しない者がいた。
彼は独りつぶやいた。
「それは、首となるものが最も重い責任を負うべきことだ。もし、わしがリンの総督になったら……」
他のの首領は軽蔑をこめて彼を制した「しっ!」
「その態度は何だ!わしを家畜だとでもいうのか」
「もし人間であるのなら、総督様のお言葉通り、我が身を省みるべきではないか!」
各の民たちは集会の大天幕の中で起こったざわめきを知らなかった。
ただ、天界からついに救いの手が伸べられ、下界のいざこざや苦しみは終わりを告げるのだと、思いのままに歓呼の声を挙げるばかりだった。
数万の民の喜びの声はそのまま雲を突き抜け天庭に届いた。天庭の入り口の雲の幔幕は歓呼の声に激しく揺らめいた。