E・M.・フォースター『デーヴィーの丘』
1912年と1921年、フォースターは中央インドのデーワースという小さな藩王国にいた。一度目は旅人として、二度目は藩王の秘書として。その間の日々を伝えているのがこの作品だ。
手紙の引用という形をとっているが、それが本当に当時のものなのか、それとも創作なのかはわからない。だがそのため、簡潔で親密で、時にユーモラス時に辛辣な描写で綴られることになり、そこから藩王国の真実の姿が現れてくる。フォースターの人間観察力が全開されて、豊かで人間味にあふれている。
その底に言いようのない悲しさが常に感じられるのは、この藩王国の無能さと、それでも、それをいとおしいと思うフォースターの愛からだろう。あるいは、この中央インドという美しい文化が滅びつつある土地柄のためかもしれない。そしてイギリスに占領され、独立へはまだ遠い1921年前後という時代のせいかもしれない。
藩の力が衰えているのは確かだが、イギリスもまたやり方を間違えているとフォースターは感じていた。インドにイギリスはいらないとも、はっきりと書いている。この地の人々がガンジーを藩王国を一掃する者と見ていることにも触れている。フォースターの時代と文化を見るまなざしである。
その目を持っていなかった藩王は、いや、その渦中にいる藩王は、クリシュナへの信仰のため宗教に明け暮れ、王宮は未完成のまま、怠惰な召使たちの管理もできず、親族のうちにもスパイ騒動が起こってしまう。
その辛さから逃れるために、最後は数人の家族とともにインドの中のフランス―ポンディシェリに移り住んで、そこで命を終える。
これは、「インドへの道」を読む助けになると同時に、「インドへの道」と同じテーマで書かれたもう一つの美しい小説といってもいいだろう。
特に、ゴークル・アシュトミー祭りの描写は素晴らしい。
藩王はこの中で重要な役を演じる。何日にもわたる大音響の中で宗教的な恍惚状態に入っていく。それが藩王の本来のあるべき姿なのだ。
フォースターは藩王についてこう書いている。
「ゴーグル・アシュトミー祭りから日常の人間関係に至るまで、彼のすべての生活の中に、愛情あるいは愛情の可能性を信ずる気持ちがふるえていた」と。
フォースターをこの地に滞在させ、理解できないものも含めて見届けようとさせたのは、彼の藩王への愛情なのである。
最後は別れてしまうことになっても、二人は深いところで理解しあっていたのだろう。
それは「インドへの道」と同じテーマである。
祭りの中で繰り返されるトウカーラームという言葉がある。宗教的な真言かと思っていたがマラーター族の詩人の名前だった。この祭りの場面は「インドへの道」にも描かれていて、何度も繰り返される詩人を崇拝する歌は、祭りの熱さを盛り上げていた。
滞在中、フォースターはウッジャイン、マンドゥなどの古い都へも旅し、やはり冷静に辛辣に、そして詩的な感性と偏らない描写で、その美しさを伝えている。
風の吹き抜ける時刻のデーワースでのお茶の時間、そこで語られるとめどない幻想のような、インドでしかない時間が漂ってくる。