コロナウイルスを避けて家にこもっている。出来ることと言えば厚い本を読むこと。
ジャスミンのつぼみを気にしながら、日当たりのよい窓辺での読書ほど幸せなことはない。
『ガラスの宮殿』アミタヴ・ゴーシュ
ビルマの王朝がイギリスの侵略によって滅亡してから、アウンサン・スーチーによって新しい民主化運動が始まるまでの100年ほどの時間を、王宮と路上で強く生きる幼い男女の出会いから始まる家族の物語として描いていく長編小説。
登場する人物一人一人を丁寧に描き、歴史を家族の物語として語っていくのは、『シャドウラインズ』と似ているかもしれない。
100年という時間、しかも激動の時代を描いて壮大だ。だから、語り口のスピードは速くなるしかない。細やかで、詩的な表現もあるのに、襞のようなものが足りない。するっと通り過ぎてしまう。これだけの物語を描くのだから仕方がないし、書きたいものであふれていたのだろうけれど、ゴーシュらしい揺れのようなものが感じられないのが少し寂しかった。
でも、あまり語られてこなかったこの時代のビルマ(ミャンマー)の歴史を描くことへの情熱は伝わってくる。
ゴーシュは、語られなかったものを書こうとする作家なのだ。思えば、ミャンマーもインドもイギリスに占領されていた。その時間を知ることは必要なことだ。
この長い物語を読み終えた次の日の新聞にミャンマーのマンダレー近郊にかかるウーベイン橋の写真が大きく載っていた。
『ガラスの城』の表紙と同じ橋、同じ構図だ。橋を渡る人々がシルエットとなって写っている。
よく見るとそれぞれに望遠カメラで風景を撮ったり、友人と携帯で自撮りしたり、画面を見ながら一人歩いたりしている。
『ガラスの城』の表紙のシルエットは自転車を押し、棒を担いでいる人たちだ。
この物語の後の40年ほどで、世の中が変わっているのがよくわかる。
その間、人々は、ミャンマーの人たちはどう生きてきたのだろうか。そんなことを考えるのはこの本を読んだからにほかならない。
大きな体験を与えてくれる作品なのだ。
ムンバイとゴアの間にあるラトナギリ。そこがビルマの最後の王、ティーボー王の幽閉されていたところだ。
そこからの眺めを写した写真がある。
王が王宮から毎日見ていた風景があの時代へと思いを運んでくれる。
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