(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
5 山神の民たち
チベット族と漢族の血が何代にも渡って混ざり合い、しかもチベット語がほとんど通じない家で、要領を得ない言い伝えをたくさん聞いた。これらの言い伝えは文化的にはチベット族よりも漢族の民間のそれに近かった。
客好きな主人は大きな豚の脂身の塊を出してきた。主人がナイフを入れた時、私は丹巴の街から持ってきた二本の白酒をリュックから取り出した。大きなどんぶりに注ぐ。
どんぶりは囲炉裏を囲む男たちの手から手へと回された。脂身とナイフが私に回ってきた。一塊切り取ってナイフの先に刺し、火にかざすと、火にあぶられてじわじわと油が滴り、炎がぱちぱちと立ち昇って、囲炉裏の周りに並ぶ顔を赤銅色に照しだした。その火は、頭の上に吊るされている煙で黄色く燻された電灯よりも明るかった。
酒が三巡し、何切れもの脂身が私の腹に納まった。
主人が言った「驚いたよ。あんた、この土地のモンには見えないな」
この時、外でトラクターの音が響き、まもなく、ジーンズ姿の青年が入ってきた。高校には行ったが大学には受からなかった息子が帰ってきたのである。
主人が、今日は運ぶ荷はあったのか、と尋ねた。青年は不機嫌な顔で言った。行っては見たが、道が塞がっていて途中で空で帰ってきた、稼ぎは無しだ、と。
彼はどんぶりを取り上げて一気に口に注ぎ込んだが、次に回さず、自分の前に置いた。今時の、伝統的な文化が崩れつつある村には、このように態度の悪い若造がたくさん現れている。
私は酒の勢いで、彼の前からどんぶりを取りあげ、たっぷり一口飲んでから、彼の父親の手に渡した。
若造の顔色が変った。
まるでたった今私に気づいたかのように、剥き出した目で私を睨みつけた。私もそのまま彼を睨み続けた。引くわけには行かなかった。
彼は目をそらし、また一口飲んでから、言った「あんた、どこへ行くんだ」
私は「ツァンラ」と答えた。
「ツァンラ?」
彼の父親が言った「小金のことだ」
彼は言った「小金なんてたいしたとこじゃないぜ。小金の薬屋が何人かやって来たことがあるが、俺たちに散々叩きのめされたよ」
それから、人を威嚇するような話をいくつかしてから、私のリュックとカメラを見て言った「北京と成都で騒動があったんだってな。今どこもかしこも、通行止めだ」
彼は私を大都市から来た人間と思っているようだった
彼の父親は、粗暴で、都会から来た人間を恨んでいる息子を制止できなかった。ただ私に向かってこう言っただけだった。
「こいつは酔っ払ってるんだ。相手にしないでくれ」
私はリュックを片付けて出て行こうとした。
彼はまた一つ話を持ちかけてきた。
「道が塞がっててジープは通れないぞ。よかったら明日俺がトラクターで小金まで送ってやるよ。二百元にしとくぜ」
このような吹っ掛けには、当然乗るわけには行かない。
終には、彼の父親は彼を部屋から追い出し、私をここに置いてくれることになった。
次の日目覚めたのが遅かったので、昨日の夜から今までただ微笑んでいるだけで一言もしゃべらなかった老人以外、みな仕事に出かけていた。
老人は茶を入れてくれ、チベット語で言った
「道でうちのろくでなしに会っても相手にしないようにな」
私は言った「彼のこと怖がってませんから」
老人は自分の耳を指して言った。
「もうだいぶ前から聞こえないんじゃ」
仕方なく、微笑んで別れを告げ、出発した。
二時間後、丹巴に戻った。
招待所で紙を取り出し「野人」という小説を書き始めた。
書くのに飽きると、招待所の前の曲がりくねった階段を下り、バス停まで散歩した。ここは相変わらず静かで、木陰はひっそりとしており、時間は静かに大地の中にちぢこまったまま、動き出そうとする気配がなかった。
そこで、また招待時に戻って、私の「野人」を書いた。
あの頃、私は旅先の旅館で短編小説を書くのが何よりも楽しみだった。ゾルゲで、理県で、丹巴の県城から50kmと離れていない小金の街で。この小説を書き終えたら、道はまだ開通していなくても、また旅に出なくてはならない。
旅の中で書くことが、25歳を過ぎてから30歳になるまで、私の生活方式だった。
あの時私は、この方法が私の人生で唯一つの生き方なのだ、などと考えていた。
私は出発した。目的地は50km先の小金の街だ。
出かける前、以前の同僚であり上司であり、そして友人でもある小金県委員会の書記、侯光に電話をした
彼は、行程の半分くらいのところにある新橋という村で私を待っている、そこはまだ山崩れが起こっていない、と教えてくれた。それから何度も繰り返し言った。村役場に着いたら電話するように、そこで飯を食おう、迎えの車がすぐ着くから、と。
その夜、県城の空を吹き抜ける風の音を聞きながら、すぐに眠りに着いた。
眠る前、私の口から出たのは、小金の以前の名前、ツァンラだった。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
5 山神の民たち
チベット族と漢族の血が何代にも渡って混ざり合い、しかもチベット語がほとんど通じない家で、要領を得ない言い伝えをたくさん聞いた。これらの言い伝えは文化的にはチベット族よりも漢族の民間のそれに近かった。
客好きな主人は大きな豚の脂身の塊を出してきた。主人がナイフを入れた時、私は丹巴の街から持ってきた二本の白酒をリュックから取り出した。大きなどんぶりに注ぐ。
どんぶりは囲炉裏を囲む男たちの手から手へと回された。脂身とナイフが私に回ってきた。一塊切り取ってナイフの先に刺し、火にかざすと、火にあぶられてじわじわと油が滴り、炎がぱちぱちと立ち昇って、囲炉裏の周りに並ぶ顔を赤銅色に照しだした。その火は、頭の上に吊るされている煙で黄色く燻された電灯よりも明るかった。
酒が三巡し、何切れもの脂身が私の腹に納まった。
主人が言った「驚いたよ。あんた、この土地のモンには見えないな」
この時、外でトラクターの音が響き、まもなく、ジーンズ姿の青年が入ってきた。高校には行ったが大学には受からなかった息子が帰ってきたのである。
主人が、今日は運ぶ荷はあったのか、と尋ねた。青年は不機嫌な顔で言った。行っては見たが、道が塞がっていて途中で空で帰ってきた、稼ぎは無しだ、と。
彼はどんぶりを取り上げて一気に口に注ぎ込んだが、次に回さず、自分の前に置いた。今時の、伝統的な文化が崩れつつある村には、このように態度の悪い若造がたくさん現れている。
私は酒の勢いで、彼の前からどんぶりを取りあげ、たっぷり一口飲んでから、彼の父親の手に渡した。
若造の顔色が変った。
まるでたった今私に気づいたかのように、剥き出した目で私を睨みつけた。私もそのまま彼を睨み続けた。引くわけには行かなかった。
彼は目をそらし、また一口飲んでから、言った「あんた、どこへ行くんだ」
私は「ツァンラ」と答えた。
「ツァンラ?」
彼の父親が言った「小金のことだ」
彼は言った「小金なんてたいしたとこじゃないぜ。小金の薬屋が何人かやって来たことがあるが、俺たちに散々叩きのめされたよ」
それから、人を威嚇するような話をいくつかしてから、私のリュックとカメラを見て言った「北京と成都で騒動があったんだってな。今どこもかしこも、通行止めだ」
彼は私を大都市から来た人間と思っているようだった
彼の父親は、粗暴で、都会から来た人間を恨んでいる息子を制止できなかった。ただ私に向かってこう言っただけだった。
「こいつは酔っ払ってるんだ。相手にしないでくれ」
私はリュックを片付けて出て行こうとした。
彼はまた一つ話を持ちかけてきた。
「道が塞がっててジープは通れないぞ。よかったら明日俺がトラクターで小金まで送ってやるよ。二百元にしとくぜ」
このような吹っ掛けには、当然乗るわけには行かない。
終には、彼の父親は彼を部屋から追い出し、私をここに置いてくれることになった。
次の日目覚めたのが遅かったので、昨日の夜から今までただ微笑んでいるだけで一言もしゃべらなかった老人以外、みな仕事に出かけていた。
老人は茶を入れてくれ、チベット語で言った
「道でうちのろくでなしに会っても相手にしないようにな」
私は言った「彼のこと怖がってませんから」
老人は自分の耳を指して言った。
「もうだいぶ前から聞こえないんじゃ」
仕方なく、微笑んで別れを告げ、出発した。
二時間後、丹巴に戻った。
招待所で紙を取り出し「野人」という小説を書き始めた。
書くのに飽きると、招待所の前の曲がりくねった階段を下り、バス停まで散歩した。ここは相変わらず静かで、木陰はひっそりとしており、時間は静かに大地の中にちぢこまったまま、動き出そうとする気配がなかった。
そこで、また招待時に戻って、私の「野人」を書いた。
あの頃、私は旅先の旅館で短編小説を書くのが何よりも楽しみだった。ゾルゲで、理県で、丹巴の県城から50kmと離れていない小金の街で。この小説を書き終えたら、道はまだ開通していなくても、また旅に出なくてはならない。
旅の中で書くことが、25歳を過ぎてから30歳になるまで、私の生活方式だった。
あの時私は、この方法が私の人生で唯一つの生き方なのだ、などと考えていた。
私は出発した。目的地は50km先の小金の街だ。
出かける前、以前の同僚であり上司であり、そして友人でもある小金県委員会の書記、侯光に電話をした
彼は、行程の半分くらいのところにある新橋という村で私を待っている、そこはまだ山崩れが起こっていない、と教えてくれた。それから何度も繰り返し言った。村役場に着いたら電話するように、そこで飯を食おう、迎えの車がすぐ着くから、と。
その夜、県城の空を吹き抜ける風の音を聞きながら、すぐに眠りに着いた。
眠る前、私の口から出たのは、小金の以前の名前、ツァンラだった。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)