塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 39 第4章 ツァンラ

2009-03-10 01:35:22 | Weblog
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




5 時空をかけめぐる踊り その2


 目の前にいる男たちはほとんどが中年、または老人だった。そして多くは、頭も髭も白くなっていた。
 先ほど山を降りる道で、彼らは山を轟かすような雄叫びを上げていた。今彼らは盛装した姿で、郷役場の庭に集まり、静かに時を待っている。それはあたかも、過去の時代が目の前に現れたかのようだった。

 彼らの身に着けている衣装の、ギャロンのその他の地方と違うところは、特に狐の毛皮の帽子に現れている。彼らが被っている帽子は、どれも尾が残されていて、頭の後ろに自然に垂れ下がっている。ほんの少しの風でも、長くて柔らかい狐の毛はさらさらとなびく。そこに独特の美しさが生まれる。

 男たちが整列してからしばらくして、同じように盛装した女たちが長い列を作り、ゆったりとした足取りで入って来た。先に来た男たちと比べて、女たちの中には、若く照れくさそうな表情も見られた。

 郷長は甕に入った酒を二つ庭の中央に並べさせ、それから、県知事が積み上げた薪に火をつけた。
 山から下りて来た白い髭の老人が祝詞を唱え、酒甕の泥の封印を払った。
 このような幕開けの過程は私がこれまで見てきたものと同じだった。

 酒甕を開けた痩せた老人は、自然と輪になっていた隊列の先頭に移り、手に持っていた、真鍮の鈴をぐるりと止め付けた赤い革の輪を振り鳴らした。

 十以上もある鈴の澄んだ音が一度に起こると、なぜか独特のかすれたような響きとなり、聞く者の心を打った。
 この響きあう沈鬱なリズムの中、老人の足が動き出す。輪になった隊列の全体も体を揺らしながら踊り始める。

 女たちのゆっくりと張り上げた声は、高く美しい。

 男たちの踊りはすこしずつ早くなっていき、仮想の敵に向って威嚇する叫び声を上げる。

 私は本来静かに考えごとをするのが好きで、活動的な人間ではない。だから踊りや運動はあまり好きではない。更に、各地の踊りの違いを専門的に研究しているわけでもない。だから、特別に名の知られたザイロンの鍋庄舞とギャロン地区の他の踊りとの大きな違いは何か、見分けることは出来なかった。

 おまけに、その時私にはゆっくり鑑賞している暇などなかった。
 鄢長青が撮影機を担ぎ、息を弾ませて「いいぞ!」と掛け声をかけながら、一方では私に向って、ライトを男性の手に当てろ、女性の足に当てろと指図していたからだ。
 強烈なライトを当てると、当たった部分以外、踊り全体の姿は暗闇の中に隠れてしまう。電池がなくなって初めて、私は座って踊りを見ることができた。

 世話好きな当地の役人が何度も強調したように、これは私たち二人のために設けられた貴重な鍋庄舞の実演なのだが、踊っている者の顔、特に男たちの表情を見ていると、私たちがいるかどうかなど彼らにはまるで関係ないのは明らかだった。
 彼らが踊るのは彼ら自身の踊りであり、踊りの中で自分の激情と激情に呼び覚まされた思い出に浸りきっていて、観客がいるかどうか、テレビの撮影をしているかどうかは関係ないのである。

 この踊りの中で、人々は過去に、無限に遠く遥かな記憶の中に戻ることが出来る。
 踊りは、文化館が招いたチベット族歌手のゆるやかな歌の中で終わった。

 盛装した農民たちは、また、曲がりくねった山道を月の光を頼りに戻っていった。谷間にはまた、彼らの力強い叫び声が響きわたった。
 この夜、男たちの胸には出征する戦士の高ぶった感情が脈打ち、女たちの心は消えることのない切ない愛情で満たされていた。
 月の光の降りそそぐ野には艶やかな情愛の花が開こうとしていた。
 それは私たちが自らの手で触れたいと切に望んでいる、人間の心の最も美しい部分だった。

 県城の招待所に戻ってから、私はしばらくの間寝付けなかった。思い浮かべたのは月の光の下での愛情、望んだのもまた、月光の下での愛情だった。

 2年前、私は一人ザイロンの夜明け前の公道を歩いていた。
 気の向くまま歩みを止めたりしながら、昼になろうという頃、小金の街に入り、小金県委員会の林檎と柏の木が植えられているなじみの庭に入っていった。
 庭に入ると突然、以前ここに住んでいた漢族の若い女性のことを思い出した。

 あの頃、私は長い旅の途中でここに留まり、この招待所に泊まって体を休めながら短編小説を書いていた。彼女は毎日庭を通って、ひまわりや胡桃や林檎などを私の部屋に届けてくれた。こうして、一日に二、三回の彼女の訪問が、ついには私がこの庭に泊まっている間のささやかな期待となった。

 そうしたある日、彼女は私の胸に飛び込んできた。
 これは旅の途中ではまれにしかめぐり会えない、あまりにも短くあまりにも突然で、だから忘れることのできないときめきの花である。
 その後、この女性はこの土地を離れ、永遠に姿を消した。今ではその姿をはっきりと思い描けなくなってしまった。だが、あの時彼女が私の胸に飛び込んできた瞬間の自分自身に対する心のざわめきは、あの時のまま永遠に鮮やかである。

 今、この庭に彼女はいない。新鮮なときめきもなくなってしまった。あるのはただ一叢の菊と、木々の枝に実る青い果実と、私の全身を覆う疲労だけだ。私は県委員会書記の扉を押した。

 このなじみの人物は私を一目見て、その様子に驚くこともなく、自ら入れた茶を私の前に置き、言った「招待所に君の食事と部屋を用意さよう」
 彼が全ての手配を終えた時、私はソファーでぐっすりと眠り込んでいた。階下のどこかの部屋にまだ甘い記憶が残っていたとしても、疲労の勢いにはかなわなかった。
 後で知ったのだが、私が三人分のソファーを占拠してしまったために、書記が召集した重要会議は場所を移して開かれたという。

 書記と県知事たちは会議を終えてから、私を食事に誘った。
 その席で、彼らはフランスの葡萄の移植について討論していた。私は旅の間の、犬遠吼えと月の沈んだ後の暗闇を思い出していた。

 彼らの議題はまだ終わりそうもなく、私は街をぶらつくことにした。


(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)