語り部 機縁 その2
ジンメイはこの時、自分が夢の中にいるのだと分かっていた。
夢には夢の自由がある。
神の子が消えると、ジンメイの視線は水辺の背の低いテントに移った。重い心を抱えながらテントの前で遠くを見つめている女性がジョルの母親、龍の娘メドナズだった。彼女の傍らに夫のセンロンはいなかった。
どうしてジョルの母親は夫の家である城にいないのだろう
どうしてジョルの母親は心配そうな顔をしているのだろう。
ジンメイは夢の中で疑問を声に出した。だが、千年以上前の女性には聞こえなかった。
夢の中のモノは思いのままに現れる。
いきなり一本の木が現れた。画眉鳥がその枝でしきりに鳴いている。
それは鳥の鳴き声ではなく人間の言葉だった。
「メドナズの子供は自分が神の子であることを忘れてしまい、天から授かった力を勝手に使ってたくさんの獣や鳥を殺したので、みんなジョルを憎んでいるのさ」
ジンメイはジョルに代わって弁解した。
「それは、たくさんの妖魔や物の怪が鳥や獣に化けているからじゃないのか」
「ジョルはそう言ってるが、誰もジョルを信じちゃいない」
「分身できる狐は妖魔が化けたものだというのは知るっているけど、でも、ジョルが殺した獣は全部が全部、本当に妖魔だったんだろうか」
画眉鳥は木の上でぴょんと跳びあがった。
「なんだって。おまえは、このワタシにかわいそうな子供の悪口を言えというのか」
「オレはジョルの母さんがかわいそうで…」
「そうか…」画眉鳥は翼を広げてその胸を叩いた。
「おまえはみんなが思ってるほど馬鹿ではなさそうだ」
饒舌な画眉鳥は続けた。
「みんなはワタシをおしゃべりだというが、でも、やはり言わせてもらおう」
話が始まったかと思うと、怪しい鳥は突然ギャーッと一声叫ぶと、翼を震わせて飛んで行ってしまった。
ジョルが来たのだ。
ジョルはたくさんの狐の死体を持ち帰り、血や肉、腹の中の汚物、脳みそを辺りにまき散らした。
緑の腸をおもいつくままの形に結んでは、木の枝にぶら下げ、自分のテントの入り口にまで掛けた。血なまぐさい空気があたりのものすべてを覆い尽くし、空の鳥、地上の獣、地下に暮らす尾のない鼠たちはそれぞれにこそこそと逃げ出した。
もはや神の子ではないかのようなジョルは、将来彼の功績を歌うことになるジンメイに向かって歯をむき出して笑った。
ジンメイは驚き、必死で夢の外へ抜け出した。
ジンメイは自分が夢の中にいるのが分かっっていて、悪夢から抜け出す唯一の方法は夢の外に逃れることだとも分かっていた。
思った通り、慌てふためきながらあちこち走り回っている自分が見えた。一つの山、また一つの山と駆け上がって行く。
だが山はまだずっと先まで続き、まるで波のように次から次と、自分めがけてやって来る。
助けを呼ぼうにも、いくら頑張っても声にならなかった。
その時、老総督ロンツァ・チャゲンが目の前に現れた。白い髭をなびかせた総督は言った。
「走らなくてよい。恐れることはないのだ」
後から波のように迫っていた悲惨な状況が突然消えたのが分かった。頭の上ではすでに雲が薄れ澄み切った空がのぞいている。
だが、老総督は憂いに眉をきつく寄せていた。
「ジョルはお前をびっくりさせたのだな」
ジンメイは何度もうなずき、同時に疑問をぶつけた。
「ジョルはどうしてあんなに変わってしまったんでしょう。どうして母親と一緒に城に住まないのですか」
総督は暫くジンメイを見つめ、首を振りながら言った。
「わしは夢を見た。夢はこう告げていた。この男は天からの知らせを受けることが出来る、そのわけをわしに教えてくれることが出来る、と」
「オレの夢はまだ終わってません。やっと天界の入り口に着いたところです。神様の姿もまだ出てこないんです」
「そのようだな、お前の目の中に天界から来た者が持つ特別な光が見て取れない」
こう言い終わると、老総督は消えた。ジンメイも続けて夢から醒めた。
彼はその時気づいた。目の前にある山、湖、河は、夢の中で見た景色そのものであることを。
黄昏時、羊を追って村に帰る道々、ジンメイは自分が見た夢に悩んでいた。彼が夢で見た情景と人が語る物語があまりにも違っていたからである。
囲炉裏の傍らに座って簡単な夕飯を食べると、少し眠くなった。
高い六弦琴の音がジンメイの心を震わせ、朝、道で会った語り部を思い出した。
老いた語り部は、芝居の衣装のような錦の長い服を身に着け、周りを囲む人々にかなり前から早く語り始めるよう囃したてられていたが、ただひたすら琴を撫でるばかりだった。
ジンメイが囲炉裏の前に現れると、語り部はやっと表情を緩め、さっと立ち上がって語り始めた。
「ルアララムアラ、ルタララムタラ!
縁のあるものが現れた、
羊飼いのお坊ちゃま、どの段がお好きかね」
ジンメイは苛立って叫んだ
「神の子は、4歳を過ぎたばかりで、神の心はもう消えかけていた!」
この言葉を聞き、物語をよく知る村人たちは一時騒然となった。
老いた語り部が両手を下に向けて皆を制し、あたかも国王のように命令すると、聴衆はすぐおとなしくなった。まるで薪の上で炎を揺らしていた風が方向を変えたかのように。
静寂の中、琴の音が高く響いた。まるで月が光を放って地面を照らしたかのようだった。
今ここで、一人の語り部の物語に違った道筋が現われるかもしれない。
もともと、神が人間界に降りて来たとしても、そのまま衆生の長になれる訳ではない。必要な曲折を経て、衆生の心を敬服させてから、最後に人々の上に立って呼びかけた時、初めてそれに応える者が雲のように集まってくるのである。
ジョルの一挙一動はみな天神の視線の内にあり、これから人を遣わして更に神通力を授けることはなくとも、持って生まれた力は凡人とは比べ物にならなかった。
術士や妖怪たちと常に交わり、卑劣な行いを多くしてきたトトンもジョルの相手ではなかった。
もし、これがまさに繰り広げられようとしている芝居であるなら、舞台に登場したばかりの主役がこのように演じるのは、すでに監督の演出に背いていることになるのではないだろうか。
それとも、この意外な展開は、監督の施した、より深い意味を持つ演出なのだろうか。
ジンメイはこの時、自分が夢の中にいるのだと分かっていた。
夢には夢の自由がある。
神の子が消えると、ジンメイの視線は水辺の背の低いテントに移った。重い心を抱えながらテントの前で遠くを見つめている女性がジョルの母親、龍の娘メドナズだった。彼女の傍らに夫のセンロンはいなかった。
どうしてジョルの母親は夫の家である城にいないのだろう
どうしてジョルの母親は心配そうな顔をしているのだろう。
ジンメイは夢の中で疑問を声に出した。だが、千年以上前の女性には聞こえなかった。
夢の中のモノは思いのままに現れる。
いきなり一本の木が現れた。画眉鳥がその枝でしきりに鳴いている。
それは鳥の鳴き声ではなく人間の言葉だった。
「メドナズの子供は自分が神の子であることを忘れてしまい、天から授かった力を勝手に使ってたくさんの獣や鳥を殺したので、みんなジョルを憎んでいるのさ」
ジンメイはジョルに代わって弁解した。
「それは、たくさんの妖魔や物の怪が鳥や獣に化けているからじゃないのか」
「ジョルはそう言ってるが、誰もジョルを信じちゃいない」
「分身できる狐は妖魔が化けたものだというのは知るっているけど、でも、ジョルが殺した獣は全部が全部、本当に妖魔だったんだろうか」
画眉鳥は木の上でぴょんと跳びあがった。
「なんだって。おまえは、このワタシにかわいそうな子供の悪口を言えというのか」
「オレはジョルの母さんがかわいそうで…」
「そうか…」画眉鳥は翼を広げてその胸を叩いた。
「おまえはみんなが思ってるほど馬鹿ではなさそうだ」
饒舌な画眉鳥は続けた。
「みんなはワタシをおしゃべりだというが、でも、やはり言わせてもらおう」
話が始まったかと思うと、怪しい鳥は突然ギャーッと一声叫ぶと、翼を震わせて飛んで行ってしまった。
ジョルが来たのだ。
ジョルはたくさんの狐の死体を持ち帰り、血や肉、腹の中の汚物、脳みそを辺りにまき散らした。
緑の腸をおもいつくままの形に結んでは、木の枝にぶら下げ、自分のテントの入り口にまで掛けた。血なまぐさい空気があたりのものすべてを覆い尽くし、空の鳥、地上の獣、地下に暮らす尾のない鼠たちはそれぞれにこそこそと逃げ出した。
もはや神の子ではないかのようなジョルは、将来彼の功績を歌うことになるジンメイに向かって歯をむき出して笑った。
ジンメイは驚き、必死で夢の外へ抜け出した。
ジンメイは自分が夢の中にいるのが分かっっていて、悪夢から抜け出す唯一の方法は夢の外に逃れることだとも分かっていた。
思った通り、慌てふためきながらあちこち走り回っている自分が見えた。一つの山、また一つの山と駆け上がって行く。
だが山はまだずっと先まで続き、まるで波のように次から次と、自分めがけてやって来る。
助けを呼ぼうにも、いくら頑張っても声にならなかった。
その時、老総督ロンツァ・チャゲンが目の前に現れた。白い髭をなびかせた総督は言った。
「走らなくてよい。恐れることはないのだ」
後から波のように迫っていた悲惨な状況が突然消えたのが分かった。頭の上ではすでに雲が薄れ澄み切った空がのぞいている。
だが、老総督は憂いに眉をきつく寄せていた。
「ジョルはお前をびっくりさせたのだな」
ジンメイは何度もうなずき、同時に疑問をぶつけた。
「ジョルはどうしてあんなに変わってしまったんでしょう。どうして母親と一緒に城に住まないのですか」
総督は暫くジンメイを見つめ、首を振りながら言った。
「わしは夢を見た。夢はこう告げていた。この男は天からの知らせを受けることが出来る、そのわけをわしに教えてくれることが出来る、と」
「オレの夢はまだ終わってません。やっと天界の入り口に着いたところです。神様の姿もまだ出てこないんです」
「そのようだな、お前の目の中に天界から来た者が持つ特別な光が見て取れない」
こう言い終わると、老総督は消えた。ジンメイも続けて夢から醒めた。
彼はその時気づいた。目の前にある山、湖、河は、夢の中で見た景色そのものであることを。
黄昏時、羊を追って村に帰る道々、ジンメイは自分が見た夢に悩んでいた。彼が夢で見た情景と人が語る物語があまりにも違っていたからである。
囲炉裏の傍らに座って簡単な夕飯を食べると、少し眠くなった。
高い六弦琴の音がジンメイの心を震わせ、朝、道で会った語り部を思い出した。
老いた語り部は、芝居の衣装のような錦の長い服を身に着け、周りを囲む人々にかなり前から早く語り始めるよう囃したてられていたが、ただひたすら琴を撫でるばかりだった。
ジンメイが囲炉裏の前に現れると、語り部はやっと表情を緩め、さっと立ち上がって語り始めた。
「ルアララムアラ、ルタララムタラ!
縁のあるものが現れた、
羊飼いのお坊ちゃま、どの段がお好きかね」
ジンメイは苛立って叫んだ
「神の子は、4歳を過ぎたばかりで、神の心はもう消えかけていた!」
この言葉を聞き、物語をよく知る村人たちは一時騒然となった。
老いた語り部が両手を下に向けて皆を制し、あたかも国王のように命令すると、聴衆はすぐおとなしくなった。まるで薪の上で炎を揺らしていた風が方向を変えたかのように。
静寂の中、琴の音が高く響いた。まるで月が光を放って地面を照らしたかのようだった。
今ここで、一人の語り部の物語に違った道筋が現われるかもしれない。
もともと、神が人間界に降りて来たとしても、そのまま衆生の長になれる訳ではない。必要な曲折を経て、衆生の心を敬服させてから、最後に人々の上に立って呼びかけた時、初めてそれに応える者が雲のように集まってくるのである。
ジョルの一挙一動はみな天神の視線の内にあり、これから人を遣わして更に神通力を授けることはなくとも、持って生まれた力は凡人とは比べ物にならなかった。
術士や妖怪たちと常に交わり、卑劣な行いを多くしてきたトトンもジョルの相手ではなかった。
もし、これがまさに繰り広げられようとしている芝居であるなら、舞台に登場したばかりの主役がこのように演じるのは、すでに監督の演出に背いていることになるのではないだろうか。
それとも、この意外な展開は、監督の施した、より深い意味を持つ演出なのだろうか。