塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 64 第5章 灯りの盛んに灯る場所

2010-07-18 03:52:57 | Weblog
5 梭磨河 本当のギャロン



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)


 ジープが谷を抜け出した時、そこで車を停めてもらった。
 運転手は不思議がった「マルカムへ帰るんじゃなかったのかい」
 私は言った「ここでちょっと休んでいこうと思って」
 
 運転手の目には、私の行動への疑問がありありと浮かんでいた。

 私が車から飛び降りると、彼はリュックを背負うのを手伝ってくれた。
 私はそこに立って、まだ不思議そうにしている運転手がエンジンをかけ、車がすさまじい音を立てて動き始め、車の後ろから舞い上がる土埃が私を覆い隠すまでの間のことを見ていた。

 埃が全て納まってから私は再び足を踏み出し、ナチュ溝の最後の1kmを進んで行った。 この1kmの道はこれまでの全ての谷と同じように急な角度で下へと下っている。

 私がどうしてこんなに確かに距離が分かるのかというと、それは、1kmを示す道標が渓谷に近い道端に建てられているからだ

 この1kmは私にとってとても重要である。
 この3000歩は重要な過程であり、私をゆっくりと自分が本当に帰属する場所、故郷へと近づけてくれる。この3000歩は、美しい物が本来の姿を失いつつある世界の中で、ギャロンの昔からの美しさを保っている田畑や村へと、少しずつ近づけてくれるのである。

 私の後半生でここを離れている時間は長く、帰って来たとしても、それはほんのしばらくの間だけだろう。

 公道に沿った急な流れの淵に、小さな草地とまだ若い胡桃の樹々がある。
 ギャロンを旅する時、道端に胡桃の樹を見かけたら、それはすでに村に近づいているという証拠である。

 続いて、もう一つの、よく知っている風景が目の前に現れた。
 それは小さなダムである。

 コンクリートの用水路、コンクリートの堰、黒いレンガで出来た機械室。水が堰を超える時、小さ人工の滝となり、そこから、電線が目には見えない電力がギャロンの一つ一つの村に届けられるのである。

 これと対照的なのが、ダムの少し下流の、伝統的な粉引き小屋である。
 石でできた低い壁、平らな泥の屋根の上にはびっしりと雑草が生えている。粉引き小屋の上流の木の水門は閉まっていて、木の樋に沿って流れてきた渓流の水は堰き止められ、そこで扇形の水しぶきをあげる。

 ダムと粉引き小屋を通り過ぎ、山道を曲がり険しい岩壁の陰から抜け出すと、目の前が一気に開け、西索(シースオ)という名のギャロンの村と、梭磨河が流れる広々とした谷が現れる。

 私の目線は河岸の辺りの西索一帯に翻るタルチョと、木の瓦と石の板で覆われた屋根を越えて、河の対岸にむけられる。

 対岸は、地理学上では沖積台地と呼ばれる地形の典型的な形状をしている。
 千年何万年にも及ぶ河の流れは、それぞれの高度に大小さまざまな扇形の堆積を残している。一つの地質の時代が始まると、河の流れは深く谷を削っていく。ある深さまで削り取ると次の何百年から千年の間は穏やかに流れ、両岸に平らな台地を堆積させる。そして、また次の地質変動の時代を待って再び谷を深く侵食して行くのである。

 地質学者は、河の水が浸食していった地球の表面の一つ一つの断層を、一冊の巨大な本の中の情報量の豊かな一つの章と考える。
 この地の住民はそのような理屈を知る由もなく、彼らはただ代々受け継がれてきた労働によって、この幾層にも重なった台地を肥沃な畑へと開墾してきたのである。

 現在、村はこちらに一つあちらに一つと、この台地の良く肥えた畑と森林の周辺に散在している。

 このような台地は段々と下に下っていき、楊柳と白柳が影を落とす河岸の辺りまで続いている。
 このような広々とした谷では、河の水は浸食によって広い河原を形成し、金を含んだ砂と滑らかな小石を敷き詰めている。洪水の時には、河の水は広い河原からあふれ出て、河岸に襲いかかっていく。

 梭磨河にかかる花崗岩の橋の上で歩みを止め、四方を見渡す。

 風は上流から吹いてきて私の背中に吹き抜ける。風は強くないが十分な力を持ち、私の着ているシャツがパタパタと幡のような音を立てる。

 河の下流は東南へと向っている。水は高原の光の下、どこまでもキラキラと耀いている。

 河の左岸は山の懐の斜面にもたれるように並ぶ西索村である。

 村の裏手には、緑を湛えた山が迫っていて、屋根の上に清らかな白い雲が二つ三つ浮かんでいる。
 尾根の辺りでは、険しかった斜面も緩やかになり、潅木の林は山の上の草原へと移っていく。草原では村の牛や山羊が放牧されている。

 ギャロンのどの村も、午後のこの時間帯が一日で最も静かな時である。
 子供は学校に行き、働いている大人たちはは村から最も離れた場所にいる。
 村の中では厚い木の門に銅の錠前がかけられている。鍵は静かに金属の冷たさを帯びてどこかの壁穴の中に静かに身を潜めている。
 家の中のいろりの火は消され、火種はそっと灰の中に埋められている。銅の壷の中の水や、缶の中の牛乳は、静かに考え事をしているかのようだ。

 外では、果樹の木陰で猟犬が昼寝をしている。
 小さな菜園ではちょうど実をつけた山椒の木の下に、にんにく、ねぎ、香菜、唐辛子が植えられている。これらはみなギャロンの農民がよく使う調味料である。

 村に入るまでもなく、このような親しみ深い光景を目にすることができる。大きな金色のひまわりがまだ盛んに咲いている菜園もあった。

 近頃は、屋根に美しい花を咲かせている家が多い。この時期盛んに咲いているのは花期の長いヒメジオンである。より美しいのは、野から採ってきて植えた赤、黄色、象牙色の百合の花である。

 これらすべては、私の良く知っている、そしてこれからも永遠に愛し続けていく光景である。

 村はナチュ河の対岸にあり、そのため、流れの上に小さな橋が現れるのは、必然のことである。ただし、今では、村の前に架かる木の橋はすべて以前より広く丈夫になったている。なぜなら、以前は橋を渡るのは人と牛と馬だったが、現在、ほとんど一家に一台トラクターがあり、毎日自分の家まで運転して帰ってくるからである。

 これらのすべてを、私は川風が強く吹き抜ける橋の上に立って見ていた。

 大きな河の右岸では、この公道ともう一本の公道が交わっている。そして、その公道のあたりで、台地が一層また一層と積み重なっていって、私の目の及ばない高さまで続いている。台地は白い雲が寄り添っている山頂まで積み重なり、そこにもやはり田畑と村がある。

 大きな橋を通り過ぎ、河の流れていく方向へ更に8km進むと、そこが私のよく知っている山の中に開けた街、すべてのギャロンの心臓、明かりの燃え盛るマルカムである。





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)