塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

キップリングの『インド傑作選』とサタジット・レイの映画「チェスをする人」

2020-04-13 23:36:41 | 読書


キップリングの『インド傑作選』を読んでとても面白かった。次は『ジャングルブック』を読もう。

そして、思った。キプリングが書いている森の近くの居留区とはいつの時代のものなのだろうか、と。

ふと目に入ったグレート・ゲーム(1813~1907年)という一語がキーワードとなった。これは『少年キム』の中で使われ、一般化されたものらしい。
始まりはカブールをめぐるインドとロシアの対峙だった。結局両国は直接戦わなかったが、そこから戦争が世界中にひろまり、日本にまで広がった。日本もそのゲームの一員になったのである。

キプリングが直接目にしたパンジャブに派遣されたイギリス兵は、アフガニスタンをめぐるロシアとの対峙の最前線にいた。集められた兵士たちはほとんど、本国では低辺での生活を余儀なくされていた下層民だったという。
野放図と言ってもいい彼らの言動を、インドの地ならではの空気の中でキプリングは描いている。解放感と緊張感、森から伝わってくる得体のしれない霊気のようなもの。それを楽しめる者もいれば、恐れて精神を病む者もいる。そのあわいを描く物語。それはいつかジャングルブックへとつながっていった。

この戦いの前にはセポイの戦いともいわれるインド大反乱(1857)があった。この時からアフガニスタンは緩衝国とされていたようだ。そこへロシアが手を出して、緊張が高まっていき、アングロ・アフガニスタン戦争へとつながっていく。

インド大反乱のきっかけはいろいろあるが、その一つはラクナウにあったアワド藩王国の取りつぶしにあったという。
藩王国の解体により、貴族、役人、軍人が職を失った。セポイとはインド人の傭兵のことで、彼らにもその影響は及んだ。宗教的、経済的な理由により、彼らはついに反乱を起こす。だが、結局反乱軍は破れ、東インド会社も解散させられ、いよいよイギリス国が直接インドを統治することになるのである。

そのアワド藩王の最後を描いたのがサタジット・レイの映画「チェスをする人」だった。
ああ、ここで私の中のいろいろなものがつながった。

アワド藩王はチェスが大好きで、政治を顧みなかった、と読んだことがある。
サタジット・レイはチェス狂の役割を二人の太守に担わせ、滑稽に描くことで、イギリスから王の冠を受けたことを誇りにし、歌舞にかまけて国力を失い、最後には追放される藩王の悲劇を際立たせる。
自分たちの藩国にイギリスの軍隊が駐留してくる時も、二人の太守はそれを意に介せずチェスの駒を動かし続けるのだった。

サタジット・レイがこの時代を描いたことの意味がわかった。




映画『カブリワラ』1961年 ヒンディー語

2020-04-02 00:25:55 | 映画

タゴールの書いた短編小説『カブリワラ』。私の大好きな作品。
それが映画化されているというのを最近知り、すぐにDVDを持っている方からお借りすることが出来た。なんという幸運。

コルカタに住むおしゃべりでおしゃまな女の子ミニ。カブールからお金を稼ぎに来たナッツ売り(カブリワラ)。
二人の友情がなんとも微笑ましい。
カブリワラが異郷で娘を思う悲しさと、ミニを見守る父親の優しさが重なって胸が締め付けられる。

なにしろ、ミニがかわいくて、読んだ人は誰も自分なりのミニを心に刻み込まずにはいられない。だから、それが映像になっていると思うと、楽しみではあるけれど、イメージと違っていたらどうしよう、とちょっとドキドキしてしまう。

映画からは、カブリワラの堂々とした姿や売り歩く時の声、ミニの家の騒々しい暮らしぶり-使用人に厳しいミニの母親、のらりくらりやり過ごす使用人―通りの様子など、当時のコルカタを知ることが出来る。当時も、そして今も、コルカタはカブリワラのように外から来る人たちを受け入れる都市としての面目を保っている。

インド映画らしくいくつかの歌が挿入される。タゴールソングではなく、オリジナルの曲らしい。情感にあふれて美しい。カブリワラたちが、故郷を歌い、愛の歌を歌う。

ある夕暮れ時、カブリワラは岸辺で老人が歌う歌に惹きつけられる。
“ガンガーよ。どこからきてどこへ行くのか…夜の闇と昼の輝き、見てごらん、夕暮れがその色の違いを消していく。闇と光が水に戯れる。もし、愛の目で見つめれば私たちはみな親しい者なのだ”
歌っているのは…タゴールに違いない。ガンガーに寄せて、孤独なカブリワラを慰めるかのように歌う。

その後、ミニの父親の助けを得て故郷へ帰ったカブリワラは幸せになっただろうか。それはわからない。
確かなのは、カブリワラもミニの父親も変わりなく、娘を思う時の父親の心には喜びと悲しみが交差しているということだ。

原作と同じ美しく哀しい余韻が残る映画だった。

監督はヘメン・グプタ。カブリワラを演じたのはバラジ・サーニ
ガンガーの歌を歌っているのはへマントクマール 作詞、グルザール