塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 84 第6章 雪梨の里 金川

2012-02-11 02:14:53 | Weblog
4大金川の渡し場 その1



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)




 夜通し過ぎ去った金川について読む。だが、少しも飽きることはなかった。
 昼間はやかましい県城も今は静まり返っている。夜半過ぎに雨は止んだ。あちこちから聞こえる鶏の鳴き声が私に眠るよう促している。
 本を置き、しばらく目を閉じた。
 だが、空はすぐに明るくなり、そのまま起き出した。

 また旅を続ける。

 昨夜は、本の中から過去の物語を読んだ。今日は、道すがらそれらの物語を振り返ることにしよう。

 宿を出て、ヨンドゥン・ラディン寺に向った。

 早朝の澄み切った川風が吹いてくる。
 風は微かな冷気を佩び、私は少し歩みを速めた。体がすぐ温かくなり、うっすらと感じていた寒気は消えていった。

 私が向かっているのはギャロンに名を馳せていた、以前はユンドゥン・ラディンと呼ばれていた寺である。この寺は大金川の西側、安寧郷に属するモモザ村の近くにある。金川の県城から34kmの場所だ。

 歩き始めて一時間位だろうか、一台の車が後ろから走ってきた。
 手を挙げたが、車は止まってくれない。おまけに、車の中から私に向って指で払いのけるような仕草をしている。
 二台目がやって来たのでまた手を挙げると、車は停まった。東風のトラックで、運転手は現地の人だった。

 彼に漢族かチベット族か尋ねてみた。

 この質問はある人々に対しては避けなければならないものだ。
 だが、この運転手は中年で温和な顔つきをしていたので、尋ねてみた。

 運転手はハンドルを握って前方の道をじっと見つめていたが、かなり経ってからやっと口を開いた。
 逆に私にこう尋ねた。
 「どっちだと思う」
 私も前方の道路を見つめながら、何も答えなかった。

 彼はため息をついて言った。
 「オレのような人間は一体何族なんだろう。
 ここで暮して何代にもなるが、元からいる人たちはオレたちを漢族と見ているし、本当の漢族の所へ行ったらオレたちみたいのはチベット族ということになる。
 純粋なチベット族と純粋な漢族はオレたちをどこか見下している。口には出さないし、気を遣ってくれてはいる。
 だが心の中で見下しているんだ」

 この話題を持ち出したのを少し後悔し、それからは口をきかなかった。
 運よく、すぐに目的地に着いた。

 鎖の吊り橋に着くと、運転手は車を停めた。
 ここから橋を渡り、東岸へ行き、流れに沿って川下へ1kmほど進むとユンドゥン・ラディン寺である。

 数年前の秋、金川県委員会統戦部の幹部に付き添われて、この道を歩いたことがある。
 その時、統戦部の人は野菜と肉を持って行って、寺のラマにチベット式の料理を作ってもらった。
 具体的に何を作ってもらったのかはっきり覚えていない。
 寺の様子もまたはっきり覚えていないのだが、庭に青い実をぽつぽつと2,3個ぶらさげたみかんの木があったのを、今でも覚えている。

 私は多くのみかんの木を見てきたが、それはみな内地でのことだった。
 ギャロンの、歩き回って来た数百kmを越す道程の中で、これは私が見た唯一のみかんの木だった。

 私は思った。このみかんの木には、以前マルカム寺の跡で見たあの楡の木と同じように、特別な物語があるのかもしれない。
 もはや本来の姿を取り戻すのが難しいいくつかの物語が…

 だが、私は今までずっとこのみかんの木を覚えていた。

 運転手は私が動かないのを見て言った
 「寺まで行くんじゃなかったのか」

 私は答えた
 「渡し場から行きたいんだ」
 
 運転手はエンジンをかけ、言った
 「前にも来たことがあったんだな。渡し場を知ってるなんて」

 すぐに車は入り江を廻り、河に沿ったカーブを進み、小さな山の凹みへと向って曲がった。
 車を降りると、渡し場は目の前だった。

 向こう岸の柳の木の下に小さな木の船が繋ながれている。
 岸の上には緑の折り重なるトウモロコシの畑が広がっていた。

 畑の突き当たり、山裾に接する辺りが、その昔ギャロン全域に名を知られたユンドゥン・ラディン寺である。




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)





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