塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 77 第5章 灯りの盛んに灯る場所

2011-06-22 20:12:43 | Weblog


10 永遠の道班と過去の水運隊 その3




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)



 車は走り出した。公道の縁の石垣も、集落も、ほとんどのものが20年前と変わっていない。
 その当時、私はここから15km離れたズムズ郷中学で一年間国語の教師をしていた。

 車に乗るとすぐに、彼は大きなりんごを手渡してくれた。彼の弟の様子を尋ねた。
 彼は言った「弟はあるラマの弟子になりました」
 「シャマルジャは出家したのか」
 彼は首を振って、言った。「ラマについて絵を学んでいるだけです」

 ほんの一眠りしている間にズムズに着いてしまった。
 戸惑いながら慌てて車を降り、リュックを背負い、かつて、毎日たよりを待っていた郵便局の前に立った。
 突然今自分はどこにいるのだろう、という感覚にとらわれた。

 あの時、この村の建物の多くは新しく建たられたばかりだった。その中で最も新しかったのがこの郵便局と私たちの新築の学校だった。

 昔、ここはとても賑やかな場所だと思っていた。だが今受ける印象は以前と違っている。
 閑散としてうら寂しい場所になってしまった。
 そして、自分がいつの間にか、このような都市と村の間に介在する場所を疎ましく思っていることにも気付いた。

 私はかつて一年教師を務めた学校に行って一巡りしてみた。

 当時この村で最も大きく美しい建築だった校舎の窓は壊れかけ、ペンキがはがれ落ちている。
 すでに学制からはずされた中学は、本当に短い存在でしかなかった。徐々に薄れ最後には消えてしまう記憶でしかなかった。
 
 広い場所を占めている校舎は今では郷の中央小学校になっている。
 ちょうど夏休みで、校庭に人の姿はない。運動場の周はどこも雑草が伸び放題だった。

 運動場の真ん中に立つ。
 ふと、当時の若い教師と教師を囲む学生たちの笑い声が聞こえてきたようだった。

 その時、誰かが私の袖を引っ張った。振り返ると、十歳くらいの男の子が私の後ろに立っていて、背負っている荒織りの袋を下ろそうとしている。
 男の子はいささか大人びた口調で言った。
 「やあ、社長さん、マツタケは要らないかね」

 男の子は袋の口を開けた。たくさんの木の葉や草で一つ一つ包まれた松茸だった。
 あたりはあっという間に独特なすがすがしい香りでいっぱいになった。

 松茸はこのあたりの山林に自生する数ある野生のきのこの一つである。
 ここ数年、野生のきのこ類に抗癌作用があると発見されたため、海外輸出の主力商品となり、価格は一気に1kg百元以上に跳ね上がった。

 私は男の子にチベット語で言った。
 「俺はマツタケを買いに来たんじゃないんだ」

 すると、垢で真っ黒な顔に頬だけ赤く、格別に美しく澄み切った瞳を持つ男の子は、なんとも申し訳なさそうにちらっと舌を出し、飛ぶように走り去った。

 この表情は昔のいたずらな生徒たちを思い出させた。
 その中に、客を乗せ走り回っている兄の話によると今ラマの元でチベット画を習っているシャマルジャがいた。


 校門を出る時、また見覚えのある顔に出会った。当時の女生徒だった。
 彼女は赤ん坊を抱いていた。たぶんそれは彼女の息子だろう。当時は今の自分より若かった教師に出会って、彼女はぽっと顔を赤らめ、ちょっと舌を出し、かすかに驚きの声を上げ、走り去っていった。


 ここに戻って来て、まさに、「物は是なるも、人は非にして」の思いを味わった。
 だが、自分がこのような感覚が好きなのかどうか、はっきりと分からないでいる。



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)









阿来「大地の階段」 76 第5章 灯りの盛んに灯る場所

2011-06-09 00:13:40 | Weblog
10 永遠の道班と過去の水運隊 その2





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)





 大真面目な文字の遊びの例はたくさんある。
 ローズウという小さな地方だけでも一つにとどまらない。

 たとえば、道班(道路工事の飯場)という言葉、これは公道を補修する道路工事の労働者が住み込む所である。
 だが、70年代、ある日突然、飯場に掛かっていた表札がすっかり変えられた。
「道班」が「工班」に変わったのである。

 たとえば、今私の目の前の、ローズウの飯場の入り口には一つの表札がかかっている。
 「ローズウ工班」である。
 このように改変したのは飯場を率いる機関にある日、「道」は「盗」を連想させやすいという、おかしな発想が生まれたからだ。そこですべての表札を「○○工班」という表現に変えた。
 だが、人々はすでに呼び方までは変えられなかった。

 もう一つ、先程書いた水運隊という呼び方。
 昔からこれまで、木材の流れてくる河の辺りの人々はこのようには呼んでこなかった。この名称は、耳にしただけでは、水上運送をする船団の名前のように聞こえる。話し言葉ではずっと「流送隊」と呼ばれてきた。

 実際にそこで働く人たち自身も自分たちをそう呼んでいだ。

 「流送」。彼らにとってこれはより具象的で、より適切な名前なのである。だが、文字の上ではあくまでも固執して水運隊と呼んでいる。

 あまりにも文字の魔力を信じすぎると、どの言葉もみな呪術師の呪文となってしまうかもしれない。

 だが今、私がローズウの橋の袂に立っているのは言語の問題を考えるためではない。私はここでこれから進む道を選ばなければならない。

 今私は花崗岩でできたアーチ型の橋の上で徘徊している。橋の下では増水期を迎えた河の水が疾走し、咆哮している。黄色く濁った水の上には白い浪が次々と飛沫を上げる。

 橋からそれほど遠くないあたり、数百メートルの下流で、水量を増したスムズ河が左岸の二つの大きな岩の間から溢れ出すように流れて来て、リンモ河の流れと一つになる。
 二つの流れが激しくぶつかり合い、花崗岩の高い岸壁の足元で巨大な波を舞い上がらせ、激しい波音が雷鳴のように山の間をこだましていく。

 ここで公道からまた細い枝道が分かれている。

 本道はリンモ河に沿ってひたすら下って行き、金川を過ぎ、もう一度以前訪れた丹巴に至る。橋を渡るとズムズ河に沿って枝道が更に深い山の中に伸びていく。そうして、また途中で細かな枝道が分かれていき、最後にはそれらは一つ一つ山の奥に消えていく。

 今考えているのは、この道を行くべきかどうかだ。もし行ったら、またその道を戻ってこの橋の上帰ってきて、それから、改めて旅の路線を考えなければならない。

 それはとても面倒なことだ。

 そうしている内に、終には、一台の小型バンがやって来て、私の前に停まった。運転手が「先生」と叫んだ。私はゆっくりと思い出した。
 その顔は20年ほど前の垢じみた学生の顔へとゆっくりと変わっていった。

 私はためらいながら尋ねた「シャマルジャかい」
 彼は首を振って言った「僕はシャマルジャの兄です。乗ってください」
 
 そこで、私は車に乗った。





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)