1 河の両岸の風景 その2
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
このように辺鄙で小さな街では、若者は一種異様な精神状態になるものだ。
自分たちと少しばかり違う身なりの人間を好まず、都会から来た人間が目の前をうろついているのだと思い込む。
もし、誰かがしょっちゅう異質な身なりで彼らの前に現れたら、自尊心を傷つけられたような気持ちになってしまうのである。
だから私はまず、登山用のリュックをどこかに置かなければならない。
リュックを背負っていなければ、私はこの街の人たちとほとんど変わらない。
そうすれば、少しばかり酒を飲んで、なんでもいいから発散する理由を探している人たちの目に留まることもないだろう。
私は、各県城にある、おおむね最も安全できちんとしている県の招待所に部屋を取った。
15.6年ほど前には、私は大きな街に行ったことがなかった。その頃はよく、大きな街へ行った人が持ち帰る、自分とは縁のない世界の噂話をいくつか聞かされた。
このような噂話は、世慣れた人々の大都会での旅を、すべて華麗な冒険に変えていった。
その当時、私の印象では、都会は私達のような者が行くところではなかった。
たとえば、ある噂では、都会の旅館や招待所は、入り口の扉まで来ると、頭の先から足の先まで品定めさる。しかも、どんなに立派な服を着ていても、小さな村から来た、世間知らずな人間だと見抜かれてしまう、というのだ。
都市が歓迎するのは世慣れた人なので、庶民は旅館の門さえ入ることは出来ないのだ。
当然、この話をしたのは中へ入ることが出来た人だ。入れなかった人がこのような耐え難い経験を、まるで醜い傷跡のように人々にひけらかすはずがないのだから。
もちろん、このような物語がもてはやされる年代はとっくに過ぎてしまったが。
現在の中国人は、ほとんどが遠くに出かけたことがあり、多くの人がもっと遠い所まで行っている。
私は都会の旅館で中に入れてもらえないといったひどい目に遭った事はなく、かえって、ドアボーイが笑顔でドアを開け、タクシーから荷物を下ろしてくれて、ちょっと申し訳なく思えたものだ。
だが、地方を旅すると、様子はまた変わってくる。
たとえば、その時、私が入って行ったのは、まあまあ立派といえるロビーだった。
二三人のスタッフがおしゃべりに夢中になっていて、この地の独特な方言が功を奏しているのか、討論会のような空気を本物より更に熱くしていた。
私はカウンターの前まで来て、リュックを下ろし、中から身分証と財布を出した。
美人と言えなくもない一人が私をチラッとだけ睨んで、すぐまた自分たちの話の中へと戻っていった。
私はあまり口を利きたくなかった。長いこと水を飲んでいなかったし、とても暑かったので、のどがからからだったのだ。だが、声をかけない訳にはいかない
「誰か、手続きを、宿泊で」
もう一人の女性の目線が飛んできた。
彼女たちのおしゃべりは続いていき、何分かがそのままゆっくりと過ぎていった。
もう一度声をかけた。今回はカウンターから言葉が返ってきた
「大きな部屋はないわよ」
私は言った
「そんな大きな部屋でなくていいんだ」
しばらく間があいて、また言葉が返ってきた
「二人用のスタンダードならあるけど」
私は言った
「熱いお湯の出るバスルーム付きで」
こうしてやっと、一人がめんどくさそうに私の目の前までやって来て、一枚の紙を差し出た
「これ、書いて」
紙はあるが書くものがない。私はまたリュックの奥からペンを取り出した。
すべて書き終えると、相手はよく見もせずに脇へほおり投げ
「お金は」
こうして支払いとなった。
私は何時もの癖で言ってみた
「少し安くならないかな」
先程の紙が投げつけられ
「泊まる気があるの。ホテルを相手に値切るなんて」
支払いを済ませ、部屋に向った。
上の階に行き、しばらく待ち、何度か声をかけ、下から人がやって来て、ドアを開けた。さっき下のカウンターでおしゃべりしていた女性の一人だった。
さっきまではご機嫌で世間話に花を咲かせていたのに、今はぶすっとした表情でいかにも眠そうにしている。
洗面所に入り鏡をのぞいて見た。長い旅のせいで、確かにぼろぼろに疲れきっていて、頭も顔も埃だらけだった。
もし車に乗って来たならこんなふうではなかっただろう。
私だって役所の車に乗ってここに来たことはあるのだ。
その時受けた適切なサービスが思い出された。
昔からの伝統で、親切で客好きだった私の故郷ギャロンは、いつからこんなにまで様子が変わってしまったのだろう。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)
このように辺鄙で小さな街では、若者は一種異様な精神状態になるものだ。
自分たちと少しばかり違う身なりの人間を好まず、都会から来た人間が目の前をうろついているのだと思い込む。
もし、誰かがしょっちゅう異質な身なりで彼らの前に現れたら、自尊心を傷つけられたような気持ちになってしまうのである。
だから私はまず、登山用のリュックをどこかに置かなければならない。
リュックを背負っていなければ、私はこの街の人たちとほとんど変わらない。
そうすれば、少しばかり酒を飲んで、なんでもいいから発散する理由を探している人たちの目に留まることもないだろう。
私は、各県城にある、おおむね最も安全できちんとしている県の招待所に部屋を取った。
15.6年ほど前には、私は大きな街に行ったことがなかった。その頃はよく、大きな街へ行った人が持ち帰る、自分とは縁のない世界の噂話をいくつか聞かされた。
このような噂話は、世慣れた人々の大都会での旅を、すべて華麗な冒険に変えていった。
その当時、私の印象では、都会は私達のような者が行くところではなかった。
たとえば、ある噂では、都会の旅館や招待所は、入り口の扉まで来ると、頭の先から足の先まで品定めさる。しかも、どんなに立派な服を着ていても、小さな村から来た、世間知らずな人間だと見抜かれてしまう、というのだ。
都市が歓迎するのは世慣れた人なので、庶民は旅館の門さえ入ることは出来ないのだ。
当然、この話をしたのは中へ入ることが出来た人だ。入れなかった人がこのような耐え難い経験を、まるで醜い傷跡のように人々にひけらかすはずがないのだから。
もちろん、このような物語がもてはやされる年代はとっくに過ぎてしまったが。
現在の中国人は、ほとんどが遠くに出かけたことがあり、多くの人がもっと遠い所まで行っている。
私は都会の旅館で中に入れてもらえないといったひどい目に遭った事はなく、かえって、ドアボーイが笑顔でドアを開け、タクシーから荷物を下ろしてくれて、ちょっと申し訳なく思えたものだ。
だが、地方を旅すると、様子はまた変わってくる。
たとえば、その時、私が入って行ったのは、まあまあ立派といえるロビーだった。
二三人のスタッフがおしゃべりに夢中になっていて、この地の独特な方言が功を奏しているのか、討論会のような空気を本物より更に熱くしていた。
私はカウンターの前まで来て、リュックを下ろし、中から身分証と財布を出した。
美人と言えなくもない一人が私をチラッとだけ睨んで、すぐまた自分たちの話の中へと戻っていった。
私はあまり口を利きたくなかった。長いこと水を飲んでいなかったし、とても暑かったので、のどがからからだったのだ。だが、声をかけない訳にはいかない
「誰か、手続きを、宿泊で」
もう一人の女性の目線が飛んできた。
彼女たちのおしゃべりは続いていき、何分かがそのままゆっくりと過ぎていった。
もう一度声をかけた。今回はカウンターから言葉が返ってきた
「大きな部屋はないわよ」
私は言った
「そんな大きな部屋でなくていいんだ」
しばらく間があいて、また言葉が返ってきた
「二人用のスタンダードならあるけど」
私は言った
「熱いお湯の出るバスルーム付きで」
こうしてやっと、一人がめんどくさそうに私の目の前までやって来て、一枚の紙を差し出た
「これ、書いて」
紙はあるが書くものがない。私はまたリュックの奥からペンを取り出した。
すべて書き終えると、相手はよく見もせずに脇へほおり投げ
「お金は」
こうして支払いとなった。
私は何時もの癖で言ってみた
「少し安くならないかな」
先程の紙が投げつけられ
「泊まる気があるの。ホテルを相手に値切るなんて」
支払いを済ませ、部屋に向った。
上の階に行き、しばらく待ち、何度か声をかけ、下から人がやって来て、ドアを開けた。さっき下のカウンターでおしゃべりしていた女性の一人だった。
さっきまではご機嫌で世間話に花を咲かせていたのに、今はぶすっとした表情でいかにも眠そうにしている。
洗面所に入り鏡をのぞいて見た。長い旅のせいで、確かにぼろぼろに疲れきっていて、頭も顔も埃だらけだった。
もし車に乗って来たならこんなふうではなかっただろう。
私だって役所の車に乗ってここに来たことはあるのだ。
その時受けた適切なサービスが思い出された。
昔からの伝統で、親切で客好きだった私の故郷ギャロンは、いつからこんなにまで様子が変わってしまったのだろう。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒!)