塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

白い血

2017-07-11 01:09:49 | ケサル

 ケサルの兄、ギャツアはこの物語の重要な存在でありながら、なぜか早くにこの世を去ってしまう。
 物語の中の最も大きな戦い、「ホル・リンの戦い」で、ケサルが酒色に溺れている間に、一人敵地に乗り込み、あっけなく命を落とすのである。

 ホル国の将軍シンバメルツは、ギャツアの強さをよく知っていて、まともに戦っては敵わぬと策略を巡らし、一対一で弓の技を競おうと申し出る。そしてあろう事か、ギャツアが準備している隙に、額に矢を放ち殺してしまうのである。いかに名将とはいえ、卑怯この上ない、許しがたい戦法だ。(こんなメルツが後にケサルに許され、臣下となるのだから、これもまたケサル物語の面白さでもあるのかもしれない)

 弟思いで純真で一途な、そしてきっと見た目も麗しい人物がこのように早く物語の舞台から退場してしまうとは、なんともくやしく残念である。

 阿来もそう感じたのかどうか。死の前にもう一つギャツァにまつわる悲劇的な物語を加えている。それは白い血を流して死んでいく弟の物語である。


 ホルに乗り込んだギャツアを最初に迎え撃ったのはホルの年若い王子だった。彼は自分はギャツアの弟だと名乗る。信じられないギャツアは攻撃の手を緩めない。もはやこれまでという際に王子は言う。もし私が死んで流れ出す血が白かったら、私があなたの弟だという証です。ギャツアが一突きすると、王子は白い血を流して死んでいった。自分の兄が真の英雄であることに満足の笑みを浮かべながら。
 この王子とギャツァの母は漢の地から嫁いで来た姉妹であり、二人はいとこであったのだ。

 悲しんだギャツァは死を覚悟してシンバに戦いを挑むのである。そしてあえなく世を去る……


 この悲しい物語について直接阿来に聞いてみた。その答えは、

               *

 『ケサル王』の中の物語のいくつかはもとの物語と完全に同じではなく、私が書き換えたものもあるのです。
 この白い血の物語もその中の一つです。
 何故白い血を流すのか、それはある物語から啓発を受けたからです。
 南宋が蒙古元朝によって滅ぼされた後、捕虜となった南宋の幼い皇帝はチベットのサキャ寺に送られ出家させられました。
 彼は成人し学問に精通した高僧となりましたが、元朝は安心できず、彼が謀反を企てたとして内地に呼び戻し、今の武威、古代の涼州で殺害しました。
 刑に臨みこの前皇帝は言いました。私には謀反の考えはない、処刑後、流れ出す血が白ければ、私が潔白だという証拠である。
 果たして彼の体から流れてきたのは白い血でした。
               ⋆

 いくつかの資料を探すと、この物語が書かれていた。


 南宋最後の皇帝、名は趙顕。四歳で皇位に登り七歳で元に破れ退位する。元の太祖フビライは彼を燕の国に封じたが、先王朝の皇帝を近くに留めておくのは穏やかなことではないと、チベットのサキャ寺へ送り出家させる。この年趙顕は十九歳。だが、その後については中国の歴史書には伝わっていない。

 そこで1960年代にある歴史家がチベットの歴史書を漁り、その続きを見つけ出した。

 趙顕の法名は合尊、チベット語の意味は神の家の出家者、皇室出の僧という意味である。チベット語と梵語に通じ、高名な翻訳者でもあった。だが、彼はやはり悲惨な運命から逃れることは出来なかった。
 元の次の皇帝・英宗はある占い師の言葉を信じた。「西方の僧が謀反し皇位を奪取するだろう」調査に向わせると多くの信者が合尊大師を取り囲んでいた。そこで英宗は彼を斬首し後の愁いを絶った、という。

 また、趙顕は詩によって罪を得たという説もある
 「寄語林和靖 梅花幾度開 黄金台下客 無復得還」
 (梅の花は幾度咲いただろうか、私は燕京の客となり家に帰ることが出来ずにいる)
 数十年前の古い詩を密告され「江南の人心を動かそうとの意あり」として、趙顕は命を差し出すことになったのである。

 趙顕―合尊大師は殺される時白い血を流したという。チベットの言い伝えでは無実の罪で死ぬ者の血は白いとされている。
 彼は死に臨んでこう言った「私は謀反を思ったことなどない。殺されるからには次の余で蒙古皇帝の位を奪わんことを願う」
 チベットの歴史書によると、趙顕は死後大明皇帝、即ち朱元璋に転生し、帝位を奪い返した。また、元順帝は趙顕の子という説もある。



 武威は漢の地からチベットへの入り口である。古代の武威―涼州にはいくつもの言葉が行き交っていた。だが、吐蕃が敗れ去った後、その地は忘れ去られていった。このような地にあって、死に臨み自らの潔白を訴えた皇帝の姿は、歴史と地理の変遷を強く感じさせる。
 ケサル物語のホルの国とは蒙古といわれている。ホルと戦うギャツアの想いと、時代に翻弄された皇帝の想いが、阿来の中で何らかの反応を起したのだろう。


 阿来が自ら述べているように、『ケサル王』の中には作者の自由な創造が至る所に織り込まれている。




     ★ 『ケサル王』の第一回は 阿来『ケサル王』① 縁起-1 です  http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/m/201304