4 地理と自然 その3
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
私が古爾溝に行ったのは数年前だった。その時、公道では温泉に行く人はすでにほとんど跡を絶ち、人々は徐々にこの温泉を忘れていった。
このように忘れられたまま10数年が過ぎただろうか、その後、この温泉は再び発見される。
今回の発見にはすでに確かな経済的な見通しが付けられていた。温泉はこの地の役場の観光プロジェクトの一つとして、米亜羅の紅葉温泉観光地区の重要な構成要素として、立て続けに開発されていった。
古爾溝に着いたのはちょうど10月の秋深い時期だった。山々の高く険しい峰は、霜を受けた紅葉が高原の光に照らされて、揺らめく炎のようだった。
温泉が溢れ出ている山の中腹から地下に埋めた引水管を使って、山を下り河を渡り、公道の傍の温泉旅館のそれぞれのプールに注がれていた。
私は山の上に行ってみた。
前の夜にひとしきり小雨が降った。高原の秋には冷たい雨が夜予想外に降ることが多い。そして、このような夜の小雨は往々にして、次の日が秋らしい輝くばかりの好天になる徴となる。
朝、一台のチェルキーが私たちを乗せて曲がりくねった簡易公道に沿って河を渡り山へ登って行った。だが、車が2kmも行かないところで、道はどんどん急になり、雨の後の泥の路面は柔らかすぎ、タイヤが地面に二筋の深い溝を掘って、もう一歩も前に進めなくなってしまった。
残りの道は歩いて温泉まで行った。
実際に行ってみると、すべてが昔の人々の描写の中にすでにその通りに現わされていて、すべてが、何度も何度も来たかのように見慣れた感じがした。ただ、高度の関係で、昨夜の雨はここでは湿った白い雪に変わっていた。
雪は緑の杉と赤い楓の上に積もり、特別な美を作り出していた。
温泉の湯は谷川を緩やかに流れていくうちに、熱が冷まされ、青苔を一面につけた石の上にも雪が積もっていた。
石の下を縫っていく流れは青く澄んで冷たそうだった。
私は流れのそばに座り、解けた雪が木の上から一塊ずつ地に落ちる音が、静寂な林の中のあちこちで起こるのに耳を傾けた。
麓に戻り、そこでも、雪の中から蒸気の上がる温泉の湧き出し口をぼんやりと見つめた。
今日、またここへ来た。
ある温泉旅館に泊まった。旅館の一階で一人用の浴室を使い、ゆっくりと温泉に浸かった。この温泉が、伝えられたように心の中の長年の間に溜まった汚れを取り除いてくれるかどうかは分からない。だが、湯から上がると体中の皮膚はとても滑らかだった。
旅館のパンフレットを見ると、やはり古爾溝温泉の中の、微量な元素がもつ治療効果が認められていた。
ただ、パンフレットには、温泉の名前はすでに昔のチベット・漢混合の名前ではなくなっていて、神峰温泉という名が書かれていた。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
私が古爾溝に行ったのは数年前だった。その時、公道では温泉に行く人はすでにほとんど跡を絶ち、人々は徐々にこの温泉を忘れていった。
このように忘れられたまま10数年が過ぎただろうか、その後、この温泉は再び発見される。
今回の発見にはすでに確かな経済的な見通しが付けられていた。温泉はこの地の役場の観光プロジェクトの一つとして、米亜羅の紅葉温泉観光地区の重要な構成要素として、立て続けに開発されていった。
古爾溝に着いたのはちょうど10月の秋深い時期だった。山々の高く険しい峰は、霜を受けた紅葉が高原の光に照らされて、揺らめく炎のようだった。
温泉が溢れ出ている山の中腹から地下に埋めた引水管を使って、山を下り河を渡り、公道の傍の温泉旅館のそれぞれのプールに注がれていた。
私は山の上に行ってみた。
前の夜にひとしきり小雨が降った。高原の秋には冷たい雨が夜予想外に降ることが多い。そして、このような夜の小雨は往々にして、次の日が秋らしい輝くばかりの好天になる徴となる。
朝、一台のチェルキーが私たちを乗せて曲がりくねった簡易公道に沿って河を渡り山へ登って行った。だが、車が2kmも行かないところで、道はどんどん急になり、雨の後の泥の路面は柔らかすぎ、タイヤが地面に二筋の深い溝を掘って、もう一歩も前に進めなくなってしまった。
残りの道は歩いて温泉まで行った。
実際に行ってみると、すべてが昔の人々の描写の中にすでにその通りに現わされていて、すべてが、何度も何度も来たかのように見慣れた感じがした。ただ、高度の関係で、昨夜の雨はここでは湿った白い雪に変わっていた。
雪は緑の杉と赤い楓の上に積もり、特別な美を作り出していた。
温泉の湯は谷川を緩やかに流れていくうちに、熱が冷まされ、青苔を一面につけた石の上にも雪が積もっていた。
石の下を縫っていく流れは青く澄んで冷たそうだった。
私は流れのそばに座り、解けた雪が木の上から一塊ずつ地に落ちる音が、静寂な林の中のあちこちで起こるのに耳を傾けた。
麓に戻り、そこでも、雪の中から蒸気の上がる温泉の湧き出し口をぼんやりと見つめた。
今日、またここへ来た。
ある温泉旅館に泊まった。旅館の一階で一人用の浴室を使い、ゆっくりと温泉に浸かった。この温泉が、伝えられたように心の中の長年の間に溜まった汚れを取り除いてくれるかどうかは分からない。だが、湯から上がると体中の皮膚はとても滑らかだった。
旅館のパンフレットを見ると、やはり古爾溝温泉の中の、微量な元素がもつ治療効果が認められていた。
ただ、パンフレットには、温泉の名前はすでに昔のチベット・漢混合の名前ではなくなっていて、神峰温泉という名が書かれていた。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)