塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 100第7章 河の源流へと遡る

2012-09-30 20:32:33 | Weblog
4 地理と自然 その3



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)






 私が古爾溝に行ったのは数年前だった。その時、公道では温泉に行く人はすでにほとんど跡を絶ち、人々は徐々にこの温泉を忘れていった。
 このように忘れられたまま10数年が過ぎただろうか、その後、この温泉は再び発見される。

 今回の発見にはすでに確かな経済的な見通しが付けられていた。温泉はこの地の役場の観光プロジェクトの一つとして、米亜羅の紅葉温泉観光地区の重要な構成要素として、立て続けに開発されていった。

 古爾溝に着いたのはちょうど10月の秋深い時期だった。山々の高く険しい峰は、霜を受けた紅葉が高原の光に照らされて、揺らめく炎のようだった。
 温泉が溢れ出ている山の中腹から地下に埋めた引水管を使って、山を下り河を渡り、公道の傍の温泉旅館のそれぞれのプールに注がれていた。

 私は山の上に行ってみた。
 前の夜にひとしきり小雨が降った。高原の秋には冷たい雨が夜予想外に降ることが多い。そして、このような夜の小雨は往々にして、次の日が秋らしい輝くばかりの好天になる徴となる。
 朝、一台のチェルキーが私たちを乗せて曲がりくねった簡易公道に沿って河を渡り山へ登って行った。だが、車が2kmも行かないところで、道はどんどん急になり、雨の後の泥の路面は柔らかすぎ、タイヤが地面に二筋の深い溝を掘って、もう一歩も前に進めなくなってしまった。

 残りの道は歩いて温泉まで行った。

 実際に行ってみると、すべてが昔の人々の描写の中にすでにその通りに現わされていて、すべてが、何度も何度も来たかのように見慣れた感じがした。ただ、高度の関係で、昨夜の雨はここでは湿った白い雪に変わっていた。

 雪は緑の杉と赤い楓の上に積もり、特別な美を作り出していた。
 温泉の湯は谷川を緩やかに流れていくうちに、熱が冷まされ、青苔を一面につけた石の上にも雪が積もっていた。
 石の下を縫っていく流れは青く澄んで冷たそうだった。

 私は流れのそばに座り、解けた雪が木の上から一塊ずつ地に落ちる音が、静寂な林の中のあちこちで起こるのに耳を傾けた。

 麓に戻り、そこでも、雪の中から蒸気の上がる温泉の湧き出し口をぼんやりと見つめた。

 今日、またここへ来た。
 ある温泉旅館に泊まった。旅館の一階で一人用の浴室を使い、ゆっくりと温泉に浸かった。この温泉が、伝えられたように心の中の長年の間に溜まった汚れを取り除いてくれるかどうかは分からない。だが、湯から上がると体中の皮膚はとても滑らかだった。

 旅館のパンフレットを見ると、やはり古爾溝温泉の中の、微量な元素がもつ治療効果が認められていた。
 ただ、パンフレットには、温泉の名前はすでに昔のチベット・漢混合の名前ではなくなっていて、神峰温泉という名が書かれていた。




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)



阿来「大地の階段」 99第7章 河の源流へと遡る

2012-09-20 02:44:03 | Weblog
4 地理と自然 その2



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)





 その頃の古爾溝温泉があったのは、現在のような公道の近くではなかった。
 ギャロンチベット地区ではよく見られる伸臂橋(持ち送り式の橋)の幅広で厚い木の板を敷いた橋面を渡り、対岸から山へ登って行った。

 細い路が、山の斜面に作られた耕地通り抜け、ギャロンらしさが濃く漂っている村を通り抜けていく。最後に小道はカバ、マツ、スギ、ムクゲの混交する森林に入る。
 私はそこに行ったことがある。森林の中の柔らかくてでこぼこした小道を踏みしめて行った。
 しばらく進んで行くと温泉特有の微かな硫黄の匂いが漂ってくる。
 
 更に行くと、一団の霧が谷の間に立ち昇っている。
 そこが古爾溝温泉が湧き出している場所である。

 ギャロン人が年に一度温泉に入るのは、娯楽として遠出するためではなく、病気と邪悪なものを取り除くためである。

 湧き出し口が一番大きな源泉で入浴すると、体力の消耗はかなり激しい。体質の弱い人は10数分で眩暈がしてくる。
 耐えられなくなったら、温泉から出て自分のテントの中に座り、休みながらおいしいものをたらふく食べる。体力が回復したらまた湯の中に入り、忍耐強く浸かる。
 このような循環を何回も繰り返せば、一新した爽やかな体で自分の村に戻れるし、これからの一年の難儀な生活に備えることが出来る。

 温泉場にはいくつかの小さな湧き出し口がある。
 その中の一つの温泉水には胃腸病を治す神秘的な効果があるといわれている。
 
 治療法はとても簡単だ。たくさん温泉水を飲み、その後、適当な場所を探して胃の中の不要なものを吐いてきれいにする。全部吐いたらまたテントに戻って食べ、その後また温泉水を飲む。消化器系統の中にたまっている毒素と汚いものをすべてきれいに洗い流したと思えるまでこれを繰り返す。

 また一つの湧き出し口は、石の真ん中から親指くらいの太さの水柱がちょろちょろと上がっている。

 この水は髪の毛を洗うのに使う。特に偏頭痛の病人は数日休まず洗うとかなり良くなるといわれている。
 また頭痛がぶり返すのは、たぶん次の年の春頃で、また温泉に来ればいい。
 
 この温泉水は、目を洗うのにも良く使われている。
 すると、目の病気を治せるだけでなく、一切の不浄なモノを見ないですむといわれている。そのモノとは、林の中の物の怪、亡くなった人の魂、そして、奇妙奇天烈な漢語の中ではふさわしい言葉を探せない神秘的な存在が含まれている。

 私の生まれた村では、別の世界にしか存在しないモノをしょっちゅう見ると言う人がいると、誰もが「こいつは温泉に行って目を洗った方がいいな」と言うのである。




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)







阿来「大地の階段」 98第7章 河の源流へと遡る

2012-09-05 12:37:15 | Weblog
4 地理と自然 その1



(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)





 私はウォーロンのはずれの雪に覆われた巴朗山には行かなかった。元の路を折返し、国道213号線の映秀に戻り、ここから、続けて岷江に沿って上って行った。

 車で一時間ほど走った頃、窓から顔を出してみると、視線に入るものはすべて木も草もない禿山だった。この山の上のどこかが、ワス土司の当時すでに落ちぶれ始めていた集落だったのだが。
 もし私がこの山の上まで登ったら、この本はすべていくつかの歴史物語で埋められ、自然からは離れてしまったかもしれない。

 この旅が始まった時、この章に決めた主題が「地理と自然」だった。

 地理とは二つの河と一つの山である。自然とは、この河の両岸と大きな山の頂きや峰の自然である。

 成都から約150km離れた汶川県の県城威州山鎮で、岷江の主流は北へ向って折れ、そのまま松潘へ通じている。この街道に沿って北上すると有名な景勝地・黄龍がある。
 さらに北西に進むと、岷江の源流で弓杠嶺を越え、もう一つの水系嘉陵江流域に入る。その中の一つの支流白龍江のほとりが、世界自然遺産に加わった景勝地・九塞溝である。

 私はかつて自分の足でこの水流の上流の地理を実地調査したことがある。だが、この路線はギャロン領内ではないので、今回の旅からは省略することにした。

 私が採った路線は汶川から西へと向い、ほんの少し南に寄っている。岷江に沿った重要な支流ザクナオ河を上っていくものである。
 この路の両側は、かつて強大だったザク土司の統括地だった。現在の理県のほとんど全域にあたる。

 その夜理県に泊まるつもりだったが、県城の周りの荒涼とした風景は、目を背けたくなるようなものだった。さらに言えば、理県県城の周りは、わずかな民家とギャロンの特色を残す石の砦以外、そこを出入りする人々の生活の中に、すでに本当のギャロンの姿を取り戻す余地はなくなっていたのである。

 すでに夕日が傾く時分になっていた。公道の傍らに行き、小さな食堂の前で腰を下ろした。
 一台のトラックが走って来たので、乗せてくれと頼んだが運転手はまるで相手にしてくれなかった。我慢強く彼が食事を終えるのを待ち、そのうえタバコを一本差し出した。
 彼はニヤッとして言った「どんな仕事してるんだ」
 私は答えた「少なくとも、道路を管理する仕事じゃないよ」
 今回、彼はやっと首を縦に振った。

 彼のような長距離トラックの運転手にとって、路上で管理する役人はたくさんいる。交通警察、林業警察、防疫係りおよびその他の名前がよくわからない何々係り。
 普通、運転手はこれらの国家の役人を避けたがるものだ。

 30㎞以上走って、古爾溝で降りた。
 今度は運転手の顔に残念そうな表情が現れた。なぜなら、彼は夜間に長距離を運転するつもりで、これから越える大きな山の頂上で一緒にタバコを吸い話をする相手が欲しかったのだ。
 一瞬、私もちょっと心が揺らいだ。
 それは運転手の名残惜しそうな眼差しのためとではなく、車の前の強烈な光の柱が思い浮かんだからだ。路傍の木々を、渓流、切り立った崖、そしてすべてのものを一つ一つ照らし出し、次々と後ろの暗闇に放り投げる光の柱。
 私は一人でそれに感動していた。

 だがやはり、私はここの温泉に入りたかった。
 そこで車から飛び降り、運転手に別れを告げた。

 古爾溝という地名は、漢とチベットの言葉が混合している名前であり、これもまたこの地の人々の生活や習慣を物語っている。
 そして古爾溝がなぜ有名かといえば、温泉があるからである。

 ギャロンチベット族は温泉の治療効果を強く信じている。
 私の故郷は、ここから遠く離れた雪山の反対側のソマ川の河岸にあるが、故郷の人たちはよくここへ来る。長く厳しい道程を経て、温泉に浸かる。

 それは毎年春の終わり、ハダカムギの種とソラマメの種を畑に撒き終えた時期。雪はだんだんと雨に変わる。河の岸辺の草地がやっと淡い緑を伸ばし始める。種は土の下の暖かく潤った暗がりの中でゆっくりと芽生えていく。
 この季節の農民は、畑の周りの柵を修理する以外、基本的には何もすることがないのである。

 一年で最ものんびりしたこの時、たくさんの人が数百里も離れた場所から温泉に向って出発する。

 その頃、広々と開けた農村の間にはすでに公道が出来ていたのだが、ギャロンの農民は温泉に行く時は、やはり馬を準備する。
 馬の背に、テントと上等の食べ物、たとえば、年代物の豚の脚の燻製、腸詰、卵、熊の肉、そして、蜂蜜と自家製の焼酎を積む。老人、特に老婦人は小さなロバに乗ることもある。
 彼らは短くても3から5日、長ければ10日以上の旅をする。そしてやっと温泉に来ることが出来るのである。

 テントを張り、一年に一度のゆったりとした温泉での日々が始まる。




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)