阿来の『大地の階段』は、雲南人民出版の企画した「走進西蔵」の中の一冊で、2000年に出版されました。扎西達娃、阿来、範穏、曾哲、彭見明、江浩、龍冬の7人の作家が選ばれて参加しています。
2008年南海出版公司からも出版されました。こちらは写真も豊富で、後記がついています。興味深い文章なので、ご紹介します。
阿来『大地の階段』後記 その1
これまで私が出した数少ない本の中で、これは唯一企画が先にあった本である。当時これはかなり新しいやり方だった。
1999年、ある出版社が数人の作家を選び、異なったルートで「チベットへ」入り、それぞれが一冊の本にするという企画を立てた。押しなべて企画に沿った行動には慌しさが付きものだが、今回のプロジェクトもそこから逃れることは出来なかった。数人の作家が異なる方向からチベットに向い、それを本にするという計画は、現在の企画性の強いすべてのプロジェクトにありがちな、特別な色彩を持っていた。特に、他の数冊の本と、この本と同時期に出版された本を並べて見た時、その特徴は更に明らかだった。
今回のプロジェクトの中で、私に与えられたのは四川―西蔵のルートだった。これはどうしても受け入れなくてはならなかった。まだこのルートを完全に走破していなかったのだ。今回のプロジェクトのためにラサで行われた壮行の式典には飛行機で飛んで行った。
私は旅の重点を故郷四川省チベット族自治州アバのギャロンに決めた。本の重点も当然そこに置いた。実はこれは、長いこと企んでいた事だった。
北京のチベット学センターで「走進西蔵必勝会」が行われ、決死の覚悟でいくつもの危険を乗り越えてもチベットに着くことはできないかもしれないとい雰囲気が、悲壮な色彩強めいていた時、二人のチベット人、私とザシダワは暗黙の了解で、目を見合わせて苦笑いした。つまり、今回私は、主催者の意図のままにチベットを目指すのではない、とその場で決心したのだった。
雰囲気に煽られ感動している記者、感動の表情を期待しているカメラを目の前にして、私は冷静に言った
「もし、今回チベットへ行くことが、仲間にとっては探検であり発見であるとしたら、私にとってそれはいつもの旅の一つであり、発見ではなく過去を振り返る旅である。それは個人的な記憶であり、そしてチベット族の一つ、ギャロンと呼ばれる部族の集団の記憶でもある」
これはテレビの記者に語った言葉である。私の言葉は彼女を失望させたにちがいない。どうしたらこんなに冷静にチベットを語れるのだろうか、と。理由は簡単だ。
中国には二つの概念のチベットがある。一つはチベットに暮す人たちのチベット。質朴で、力強く、同時に、人間の悲しみ喜びに満ちている。それは受け入れなければならない現実であり、日々目を覚まし扉を開ければすぐそこにあるチベットである。もう一つはチベットから遥か離れた場所にいる人たちのチベットである。神秘的で、遥か彼方にあり、清らかな雪山そのものよりも更に形而上的な意味を持つもの。そしてもちろん、ロマンチック―この言葉は、中国人にとって最もたくさんの解釈が出来る言葉だが。私のチベットは前者のチベットであり、後者のチベットではない。
次に別のメディアが取材に来た時、私はすぐさま「チベットは一つの形容詞である」という文章を書いた。それほど長くないので、全文をここに引用するのを許していただきたい。
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「チベットは一つの形容詞である」
一冊のチベットに関する新しい本を持って、あちこち走り回っていた時、多くの人々と出会った。チベットと接したことのある多くの人、またはこれから接しようとしている多くの人が、たくさんの問いを投げかけてきた。私も常に、より深い交流をしようと心がけた。その時気付いたのは、問を発する人はすでにチベットに対する固定観念を持っているということだった。
遥かな地、異国的、神秘的。最も多かったのは当然「神秘的」だった。つまり、チベットは多くの人にとって、一つの形容詞であり、具体的な中身を持った名詞ではないのである。
少し前、昆明のテレビ局の授賞パーティーの会場で、司会者が受賞暦のある作者としての私と少し話をしたいと言って来た。私の作品のチベット的な世界が、彼女の知識の範囲を超えた交流に根拠のない自信を抱かせていた。彼女は尋ねた。
「阿来先生、あなたはどのようにチベットの神秘を表現し、その神秘で人々を魅了したのですか」
私の答えは簡単だった。
「私のチベットには神秘的なものなどなく、だから特別神秘的に表現する必要もなかった」更にはっきりと言った「私は作品の中でこのような神秘をほぐそうと努めている」
このような真面目な答えには相手を困らせる作用があるようだ。少なくともその日、それ以上話題は弾まなかった。形容詞には多くの主観的な意味を盛り込むことが出来る。だが名詞はそうはいかない。名詞とはそれ自身なのだから。
だが、より多くの時、チベットは形容詞化された存在である。チベットに行ったことのない人にとって、チベットは一つの神秘である。では、チベットに行ったことのある人にとって、チベットが相変わらず神秘的で日常と異なった存在なのは何故だろう。神山や聖なる湖にも行き、有名な、またはそうでない寺にも行き、旅が終われば住処とする街に戻り、写真を眺める。その時、多くの困難や危険、自然が与えてくれた言葉に出来ない心の高まりを思い出すと同時に、自分がまるでチベットの中に入っていなかったことに気付くだろう。
なぜならチベットに入って行くには、まずチベットの人々の中に、チベットの日常生活に入っていかなくてはならないからだ。だが、優越感たっぷりの好奇の目で周りを見回していては、絶対にチベットには入って行かれない。優位にある文化が自分のやり方そのままに弱い文化を突破しようとする時、彼らは本当の交わりをしようとせず、殻を閉じて言うだろう、「だめ」と。
このような状況は中原の文化とチベットとの間に留まらない。更に広く、西方と東方との間にも当てはまる現象だ。外国人は金も時間もあり、来ては去り、去ってはまた来る。だが、彼らにとって中国はやはり神秘に満ちている。理由は簡単だ。
彼らはただ中国の様々な場所に行っただけで、膨大な見知らぬ中国の群衆の中に入ったことはなく、ただ舌足らずに「ありがとう」と「こんにちは」の二つの挨拶を学んだだけで、永遠に門の外に締め出されたままなのである。ここ数年、国外に身を置き中国との関係によって暮らしを立てている、いわゆる漢学者たちと会ったことがあるが、却って彼らの中に中国の神秘が感じられた。
だから、私はよりはっきりと、感性によってチベット(自分の故郷)、そして、チベットの人々(私の同胞)の中に入り、そうしてから、真実のチベットの姿を描き出そうと心に決めた。『大地の階段』はこのような努力の一つの成果である。
なぜなら、小説の方式では、結局のところ文学的、虚構的に過ぎ、そうであるなら、私の二本の足と心の深いところで故郷の大地を見る時に私の前に現れるものこそ、真実のチベット、概念化されていないチベットであり、そうであるなら、こうして私が描き出すものは、確かなチベットであり、形容詞化された神秘的なチベットにはならないはずだから。当然、もし私が、自分の書く何冊かの本によってこの神秘を解き放すことが出来ると考えたら、それもまた妄想だろう。
根本的な原因は、多くの人が文化人類学者の役を演じようとはしないことである。
人々が様々に工夫を凝らして入って行くのは形容詞である。なぜなら日常の世界では、ほとんどの時、たくさんの名詞の中で生活していて、そこには詩的なものが欠けているからだ。そこで、チベットという巨大な形容詞の中に入り、詩という酸素の充満した袋を手にいれて、貪欲に呼吸せずにはいられないのである。
ラサの八廓街のあるバーで、午後の半日すべてを使って、旅行者たちの残したメッセージを読みながら、私は更に深くそのこと感じ取った。
(つづく)