塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 102 第7章 河の源流へと遡る

2012-10-23 03:15:47 | Weblog
5 鷓鴣山を越える その2




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)




 2時間後には、日陰に白い雪を積もらせている峠が見えた。山を登っていく車の後ろには大量の土ぼこりが一面に舞い上がる。エンジンは力のこもった音を響かせているが、スピードは非常にゆっくりだ。

 峠まであと30分ほどのところで、目の前に広がるキイチゴの茂みに腰を下ろした。
 赤紫のキイチゴはすでに熟れていて、遠からすでに甘酒の匂いがしていた。ただしそれは甘酒よりも更に甘い。
 そこで私は斜面に座ったまま、尻をずらしながら一つのキイチゴの茂みから次の茂みへと向きを変え、げっぷが甘酒の匂いになるまで食べ続けた。そうしてからやっと、また先へと歩き始めた。
 もう少しで公道までたどり着く頃、険しい山の斜面にトラックの残骸が散らばっているのが見えた。

 再び足を踏み出してからは、もう顔をあげなかった。そうしなければ、最後のこの道が特別長く感じられそうな気がしたからだ。

 峠にたどり着いたのは午後3時50分だった。

 強い風が背を吹き、公道が山を通り抜ける辺りでは、両側の斜面から滲み出して来る水が風の中で表面を薄く凍らせ、風が耳元を吹きぬけると、笛のような愉快な音を立てた。
 日陰に入る手前で、来た方向を振り返ってみた。この山より更に高い雪の峰が、どこまでも青い空の下に静かに聳え、まぶしいほどにキラキラと透明に輝いていた。

 雪の峰は、私の周りで、この地形に高く聳え立つ中央の部分を構成していた。

 この中央部分の東南方向、霧でぼんやりしているあたりが、曲がりくねり、少しずつ開けていく峡谷と、峡谷の両側の緑に覆われた群山である。公道、一本の灰色の帯は、陽の光の下でキラキラ輝く河の流れを従え、群山の向こうへと進んで行く。

 この高度から一段一段上へ昇って行く大地の梯子がはっきりと見えた。

 私は又前を向き、鷓鴣山の峠を通り抜けた。この数十mのほんの短いでこぼこの道は、群山の影に覆われていた。これは公道の両側の斜面の影で、峠の反対側まで歩き着いた時、光はまた私の体に降り注いだ。

 この尾根もまた重要な分水嶺である。東側は泯江流域である。そして、私の目の前に姿を見せている、あの森林と草地の中から流れ出す多くの渓流は、複雑に入り組んだ大渡河の細い支流である。

 更に顔をあげて遠くを望むと、また別の風景になる。

 東の山野は雄大で高く険しく、西側の群山はどれも少しずつ緩やかになり、低くなっていく。まるで私が峠に登りついた時発した大きく長いため息のようだ。
 東側の斜面はすべて森林に覆われ、西側の丸みを帯びて緩やかな斜面は見渡す限りの高原の牧場である。秋の初め、近くの草はまだ緑だが、遠く眺めると草の先端の点々とした黄色が濃さを増し、雲の立つ辺りは目を奪うばかりの黄金色になっている。

 この時私は、群山の梯子を踏んで、本当に青蔵高原に登り付いたのである。

 私は峠から離れ、山の途中をカーブしながら下っていく公道からも離れ、急な角度で下っていく峡谷の中へ踏み込んでいった。
 峠から眺めた時には、まだそこには一本の道路がぼんやりと見えた。これは数十年間、荒れ果てたまま忘れられた古い街道が残した微かな痕跡である。
 私は雑草の生い茂るこの街道に沿って、峡谷を降りて行った。だが、峡谷の底の清らかで浅い渓流の辺りで、この道を見失った。
 私はこれは荒地の草と群れて生えている潅木のせいだと考えた。

 それからの時間、私は潅木の茂みの包囲を突破するために奮闘した。
 脱出口を見つけた時、目の前に一人の狩人が現れた。彼は私がこんな所に現れたのに少しは驚いているはずだ。だが、彼はただちらっと笑っただけで言った。
 「何でそんなところに嵌まり込んでるんだ」
 私は頭に来て言った
 「道が悪すぎる」

 彼は手を伸ばして、複雑に絡まりあった小さな木の間から引っ張り挙げてくれた。

 この時、すでに夕日が山に隠れ、たそがれ時になっていた。
 周囲の森では木々の間を抜ける風の音がざわざわと響いていた。幸いにも、私はこの時、狩人に連れられて大きな道に戻っていた。
 彼は木のうろから二羽の雉を取り出した。先程仕留めて置いておいた獲物だ。二発の弾はどれも頭に当たっていた。彼は私を見て笑った。言うことには
 「林に何かいるのが見えたんで、クマかと思ったよ。何にも考えずに、どこにでも入っていくのはクマだけだからな」
 言い終わると、手の中の銃をぽんぽんと叩き、無造作に背に担いだ。

 私は言った「あんたが撃たなくて助かったよ」
 彼は言った「オレは優秀な狩人だぜ。優秀な狩人は獲物をみきわめて、それから撃つのさ」
 私は笑った。
 彼は言った「あんたはなかなかのモンだ、大概の人間は、街へいくと肝っ玉が小さくなるもんなんだが」





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)


  



阿来「大地の階段」 101 第7章 河の源流へと遡る

2012-10-10 01:58:11 | Weblog
5 鷓鴣山を越える その1




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)





 次の日、宿を出て、歩いて米亜羅まで来ると、周りはすでに典型的なギャロンチベット地区の風景になっていた。
 農民の小型トラクターに乗せてもらって米亜羅に着いた。

 左右にずっと付き添うように流れているザクナ河は、少しずつ支流が失われたため、水量は日増しに減少していた。米亜羅の街で昼食を食べ、トラックに乗り込み、20数km走って鷓鴣(シャコ)山に着いた。

 アバ・チベット自治州、ギャロンにある昔の古い街道では、鷓鴣山の海抜3800mの峠は重要な砦だった。
 今、西南の主要な都市成都と甘粛省の省都蘭州を繋ぐ国道213号線もこの峠を通り、この大動脈上の多くの支線を繋げている。

 鷓鴣山のふもとの山脚壩という村には、ただ一つ小さな道路工事の飯場がある。アスファルトの道もここで終わる。
 それは滑り止めのためである。
 山の上は常に大雪が降り、一年のうち数ヶ月に渡る氷結期には、氷が地面を覆ってしまう。そのため、この山の上では、事故が起きないようにでこぼこの黄土の路面のままにしておくのである。

 飯場の労働者は道端の渓流にゴム管を埋めておく。その管の片方を持ち上げると、勢いよく澄んだ水が噴き出してきて、空中に美しい扇面を作る。
 埃だらけになった自動車はここまで来て、流れの傍で洗車する。

 ここでは、ザグナ河は流れの急な渓流に変わり、谷底のサージー(沙棘)やタマリスク(紅柳)が密生した林を抜けていく。
 公道の向かい側の北斜面はカバノキとモミの林である。そして私が今登っている南斜面は一面の牧草地だ。
 這うようにしばらく登って振り返ると、公道は谷間の更に深いところへ伸びて行き、最後には谷間の端でカーブし、山の中に巨大な曲線を描き出していた。

 私の採ったルートは昔の街道で、山の麓から直接峠に近づいて行く直線の道である。そして、公道は最後には峠で私のルートとぶつかる。

 それは秋の始め、高山の草原の花の季節はすでに過ぎ、密生する牧草は種を付けていた。
 一面の金色の穂がわずかな風に軽く揺れていた。
 草むらの中には多くの薬材がある。
 モッコウの大きな葉は放射状に開いて、ヒトデの様に草むらの中に平らに横たわっている。
 キバナオオギは豆の莢のような実をつけている。バイモの電灯の笠のような花もすでに盛りを過ぎ、今は一つ一つの実がまるで鈴のようだ。
 他にもたくさん薬材がある。
 葉の小さなツツジの群れとタチクラマゴケの傍の大きなな植物はダイオウの群れである。

 小道が湿った低い木の林を抜けた時、突然林の中に春に属する花アツモリソウを見た。

 この袋状の紫色の花は私の子ども時代の懐かしい記憶を呼び覚ました。

 私が小さかった頃、子どもたちは山の上で羊を放牧している時に、いつも回りでこの花を摘んだ。そして、よく練ったツァンパを袋状の花の中に入れ、弱い火の上に置いてゆっくりとあぶる。最後に焦げて干からびた花を剥くと、花の芳しい香がすべて小さな丸いツァンパの中に沁みこんでいる。
 それは子どもたちの遊びの中から生まれた美食だった。

 シプリペディウム(毛杓蘭)はその学名で、植物学の本は次のようにこの花を記述している。

  ラン科に属する多年草、高さ20-30cm、茎の頂上に一つの花をつける、淡い紫又は黄緑色、海抜2500-4000mのトウヒ、モミの林の下と潅木の茂みの中に育つ

 そして、ギャロンチベット語では、この花を“グドゥ”と呼ぶ。
 グドゥとは一種の擬音語で、カッコーの鳴き声である。毎年ギャロンの群山に春がやって来て、深い山の中の緑が日一日と深味を増して行く頃、麦の芽が顔を出し、カッコーが鳴き始める。
 人々は言う、カッコーの鳴き声が日ごとに昼を延ばしていき、林の中の“グドゥ”を咲かせるのだ、と。
 そこで、この美しく不思議な形の花はこの名で呼ばれるようになった。

 今はすでに秋である。カッコーはすでに鳴くのをやめたが、私はこの花を見つけた。海抜の高さが作り出した一種の現象だろう。

 私は更に山の中を訪ね歩き、春に咲く花がこの時期ここで咲いているか、もっと見たかった。
 だが、顔を上げて空の太陽を見ると、今日峠を越えるには時間が迫っているのが分かった。
 
 私は、歩みを速めた。




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)