6 最後の行程 その2
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
鎮を出て、目の前の小さな丘に上がった時、私はやっと太陽の日差しが温かく、周りは明るいのだと感じる事が出来た。
大きな岩の上に腰を下ろした。
岩の傍で、野葡萄がえんどう豆ほどの大きさの紫色の実を付けている。下に広がる荒地にはアブラナの一群れが見えた。てっぺんに黄色い花が咲き、中くらいの莢と小さな莢はすでに一杯に膨らんでいる。これは以前ここで暮していた人たちが残した種が、そのまま自生したものだろう。
その周囲一面に広がる金色のキンセンカはどこかの庭から飛んできた種が次々と広まって咲いたものに違いない。
そこを去る時、私は振り向かなかった。だが、何かが後ろを付いて来て、絶え間なくぶつぶつと独り言をつぶやき、ため息をついているのが聞こえる気がして、背中がざわざわと冷たくなった。
だが心の中では、また日を改めて友人を伴って再びここを訪れようと決めていた。
ここは次回作である街道に関する小説の始まる場所になるだろう。これらの忘れられた街道筋の鎮、世界にとってはすでに消滅した記憶となった鎮の物語と人生を、私の文字の中で復活させなければならない。
その前に、このような場所にある種の神秘的な力を感じなくてはならない。
私にはこの鎮の亡霊はまだどこかで彷徨っていると思えるのだ。
このようなことを考えている時、目の前の峡谷がまた開けた。更に大きな谷が目の前に現れた。
懐かしい梭磨河の滔滔した流れが目の前に現れた。
一面の麦畑のふちを囲む柵の傍らを通り過ぎると、泉が見えた。柏の木の下からゆっくりと湧き出している。
湧き出している小さな穴の上に、柏の皮で出来たひしゃくが浮いていた。
そこから、道は村に近づくあたりで急に真っ直ぐな下りになり、高い河岸の土手を下ると、また大きな木の橋があった。
村は小さく、橋の上を歩く人はほとんどいなかった。木の橋板は雨水に綺麗に洗われ、象牙色の美しい文様が現れていた。
この村が新しい馬塘である。
だが、私はここに長くいるつもりはなかった。橋を渡り、再び山の上から曲がりくねりながら下っている公道に戻った。
1時間後、1台のトラックに乗り込み、運転手が私を刷経寺へ連れて行ってくれた。
刷経寺は50年代に急速に作られた鎮である。ここでは、両側の山はかなり低く、森や林はもうかなり少なくなっていた。
広々とした牧場には牧人の暮す牛の毛で作られた黒いテントが見えた。
すでに高原の端に近づいていて、この谷の海抜はすでに3000mになっていた。
ここでジープを借りようと思った。そうすれば、梭磨河の源流に連れて行ってもらえるだろう。
私の今回の旅は、一本の河の真の源へと遡るためのものなのだ。
梭磨河はギャロンにとって非常に重要な河であり、だから、その源流の風の音がこの本の最後の楽章となるだろう。
私にとって、刷経寺は見知らぬ土地ではない。友人を訪ね、彼の家で食事をし、酒を飲み、別れる時彼は言った。明日の朝9時に車が迎えに来る、と。
旅館に戻って床に就くと風が起こった。
風は窓を叩き、広大な原野の音を私の枕下に、そして、夢の中に届けてくれた。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)
鎮を出て、目の前の小さな丘に上がった時、私はやっと太陽の日差しが温かく、周りは明るいのだと感じる事が出来た。
大きな岩の上に腰を下ろした。
岩の傍で、野葡萄がえんどう豆ほどの大きさの紫色の実を付けている。下に広がる荒地にはアブラナの一群れが見えた。てっぺんに黄色い花が咲き、中くらいの莢と小さな莢はすでに一杯に膨らんでいる。これは以前ここで暮していた人たちが残した種が、そのまま自生したものだろう。
その周囲一面に広がる金色のキンセンカはどこかの庭から飛んできた種が次々と広まって咲いたものに違いない。
そこを去る時、私は振り向かなかった。だが、何かが後ろを付いて来て、絶え間なくぶつぶつと独り言をつぶやき、ため息をついているのが聞こえる気がして、背中がざわざわと冷たくなった。
だが心の中では、また日を改めて友人を伴って再びここを訪れようと決めていた。
ここは次回作である街道に関する小説の始まる場所になるだろう。これらの忘れられた街道筋の鎮、世界にとってはすでに消滅した記憶となった鎮の物語と人生を、私の文字の中で復活させなければならない。
その前に、このような場所にある種の神秘的な力を感じなくてはならない。
私にはこの鎮の亡霊はまだどこかで彷徨っていると思えるのだ。
このようなことを考えている時、目の前の峡谷がまた開けた。更に大きな谷が目の前に現れた。
懐かしい梭磨河の滔滔した流れが目の前に現れた。
一面の麦畑のふちを囲む柵の傍らを通り過ぎると、泉が見えた。柏の木の下からゆっくりと湧き出している。
湧き出している小さな穴の上に、柏の皮で出来たひしゃくが浮いていた。
そこから、道は村に近づくあたりで急に真っ直ぐな下りになり、高い河岸の土手を下ると、また大きな木の橋があった。
村は小さく、橋の上を歩く人はほとんどいなかった。木の橋板は雨水に綺麗に洗われ、象牙色の美しい文様が現れていた。
この村が新しい馬塘である。
だが、私はここに長くいるつもりはなかった。橋を渡り、再び山の上から曲がりくねりながら下っている公道に戻った。
1時間後、1台のトラックに乗り込み、運転手が私を刷経寺へ連れて行ってくれた。
刷経寺は50年代に急速に作られた鎮である。ここでは、両側の山はかなり低く、森や林はもうかなり少なくなっていた。
広々とした牧場には牧人の暮す牛の毛で作られた黒いテントが見えた。
すでに高原の端に近づいていて、この谷の海抜はすでに3000mになっていた。
ここでジープを借りようと思った。そうすれば、梭磨河の源流に連れて行ってもらえるだろう。
私の今回の旅は、一本の河の真の源へと遡るためのものなのだ。
梭磨河はギャロンにとって非常に重要な河であり、だから、その源流の風の音がこの本の最後の楽章となるだろう。
私にとって、刷経寺は見知らぬ土地ではない。友人を訪ね、彼の家で食事をし、酒を飲み、別れる時彼は言った。明日の朝9時に車が迎えに来る、と。
旅館に戻って床に就くと風が起こった。
風は窓を叩き、広大な原野の音を私の枕下に、そして、夢の中に届けてくれた。
(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)