塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来「大地の階段」 105 第7章 河の源流へと遡る

2012-11-25 15:00:17 | Weblog
6 最後の行程 その2





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)





 鎮を出て、目の前の小さな丘に上がった時、私はやっと太陽の日差しが温かく、周りは明るいのだと感じる事が出来た。

 大きな岩の上に腰を下ろした。
 岩の傍で、野葡萄がえんどう豆ほどの大きさの紫色の実を付けている。下に広がる荒地にはアブラナの一群れが見えた。てっぺんに黄色い花が咲き、中くらいの莢と小さな莢はすでに一杯に膨らんでいる。これは以前ここで暮していた人たちが残した種が、そのまま自生したものだろう。
 その周囲一面に広がる金色のキンセンカはどこかの庭から飛んできた種が次々と広まって咲いたものに違いない。

 そこを去る時、私は振り向かなかった。だが、何かが後ろを付いて来て、絶え間なくぶつぶつと独り言をつぶやき、ため息をついているのが聞こえる気がして、背中がざわざわと冷たくなった。

 だが心の中では、また日を改めて友人を伴って再びここを訪れようと決めていた。
 ここは次回作である街道に関する小説の始まる場所になるだろう。これらの忘れられた街道筋の鎮、世界にとってはすでに消滅した記憶となった鎮の物語と人生を、私の文字の中で復活させなければならない。
 
 その前に、このような場所にある種の神秘的な力を感じなくてはならない。
 私にはこの鎮の亡霊はまだどこかで彷徨っていると思えるのだ。

 このようなことを考えている時、目の前の峡谷がまた開けた。更に大きな谷が目の前に現れた。
 懐かしい梭磨河の滔滔した流れが目の前に現れた。

 一面の麦畑のふちを囲む柵の傍らを通り過ぎると、泉が見えた。柏の木の下からゆっくりと湧き出している。
 湧き出している小さな穴の上に、柏の皮で出来たひしゃくが浮いていた。

 そこから、道は村に近づくあたりで急に真っ直ぐな下りになり、高い河岸の土手を下ると、また大きな木の橋があった。
 村は小さく、橋の上を歩く人はほとんどいなかった。木の橋板は雨水に綺麗に洗われ、象牙色の美しい文様が現れていた。
 この村が新しい馬塘である。
 だが、私はここに長くいるつもりはなかった。橋を渡り、再び山の上から曲がりくねりながら下っている公道に戻った。

 1時間後、1台のトラックに乗り込み、運転手が私を刷経寺へ連れて行ってくれた。

 刷経寺は50年代に急速に作られた鎮である。ここでは、両側の山はかなり低く、森や林はもうかなり少なくなっていた。
 広々とした牧場には牧人の暮す牛の毛で作られた黒いテントが見えた。
 すでに高原の端に近づいていて、この谷の海抜はすでに3000mになっていた。

 ここでジープを借りようと思った。そうすれば、梭磨河の源流に連れて行ってもらえるだろう。

 私の今回の旅は、一本の河の真の源へと遡るためのものなのだ。
 梭磨河はギャロンにとって非常に重要な河であり、だから、その源流の風の音がこの本の最後の楽章となるだろう。

 私にとって、刷経寺は見知らぬ土地ではない。友人を訪ね、彼の家で食事をし、酒を飲み、別れる時彼は言った。明日の朝9時に車が迎えに来る、と。

 旅館に戻って床に就くと風が起こった。
 風は窓を叩き、広大な原野の音を私の枕下に、そして、夢の中に届けてくれた。






(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)










阿来「大地の階段」 104 第7章 河の源流へと遡る

2012-11-18 23:13:23 | Weblog
6 最後の行程 その1





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)





 これからの二、三日の道のりが、この旅の最後の行程になる。
 私の予想では、この二、三日はひたすら自然を味わうための旅であり、村や寺に目を向けることはないはずだった。

 ところが、鷓鴣山のふもとの峡谷で、山間の広い草原から離れて、渓流に沿って5kmほど歩き、遥か遠くにこの谷のはずれに開いている峡谷の入り口が見えた時、目の前に大きな廃墟が現れて、呆然とした。
 途中でこの廃墟に出会うことは前から分かってはいたのだが、だが実際に目の前に現れると、やはり心が大きく震えた。

 廃墟が現れる前に通ったのは、いくつかの、かつて開墾され、かなり長い年月種を撒き耕され、そして見捨てられた土地だった。
 何故かは分からないが、これまで、見捨てられ荒れた土地が再び美しい草地に戻ったのを見たことがない。
 まるでその「荒れた」という言葉を証明するかのように、腰の高さほどの、名前の分からない、棘が多く草でもなく木でもない植物が生えていた。草むらの中にたくさんの鼠のようなものが走り回っているが、それは尻尾のない高原のナキウサギである。

 この荒地を抜けて行くと、渓流にかかる小さな橋がすでに崩れ落ちていた。両岸に残る朽ちた橋げたから、この橋はかつてかなり大きかったのが分かる。

 しばらくして、傾きかけた小さな街が現れた。
 通りに生えた草はふわふわと柔らかく、踏んでいくと腐った屍の上を歩いているような感じがした。

 数百メートルほどの小さな通りの両側にある、いくつもの石の家は、みな倒れ崩れていた。風雨にさらされた壁がいくつか、ぽつりぽつりと残っているだけだ。
 以前、街道が通じた頃には、ここは賑やかな鎮だった。商人が雲の様に集まる、遠くまで名の知られた宿場だった。

 宿場の名前を馬塘という。

 50年代、鷓鴣山に公道が通ってから、この街道は日ごとに荒れ果てて行った。
 鎮を行き来する商人は少しずつ去って行った。残った人たちもまた、ちらほらと数キロ先の公道の近くへ移って行き、再び集まって来た時はすでに鎮ではなく、他となんら変わらない小さな村になっていた。
 村の名前はまだ馬塘と呼ばれていたが、その意味するものはすでに跡形も無くなっていた。

 二三年前、ここに来てみようと考えた。
 その時、ある人が私にこう言った。古い街にはまだ二、三軒人家があるかもしれない、と。
 だが、まるで現実とは思えないこの通りを歩いた時、完全に残っている家は一軒もなく、見たところこの古い鎮はすでに完全に死んでしまい、この世に残っているのはただ、遥かでぼんやりとした記憶だけだった。

 道の両側の壊れた壁はあちらこちらに傾き、荒れ草に埋もれていた。ノイバラの木が生えている庭もあった。
 壊れた壁のほとんどは、通りに向って窓と出入口がガランと口を開けていた。その空洞になった窓と出入口の後ろには、かつては昼となく夜となく、多くの夢と多くの物語があり、多くの愛と恨みがあった。
 だがそれらすべては今、時の手によって無常にこじ開けられ、空洞となった出入口や窓の後ろにあるのは、ただあっけらかんとした緑の山と青い空だけだ。

 街道の両側に石の板を嵌めて作られた二筋の用水路があるのに気付いた。用水路の上には石の板が敷かれている。
 大勢の商人が集まっていた時代、この用水路は澄みきった渓流の水をそれぞれの家の前まで送っていたに違いない。

 壊れた壁を乗り越えてみようかと思った。すでに過去となった家に入って行き、乱れた石と朽ちた木の下に何が隠れているのか、見たかった。

 だが私はそうしなかった。

 突然心に恐れが生まれ、ここで深く眠っている亡霊たちの目を覚ますのが怖くなったからだ。
 この広い廃墟の中で、私はこの世に亡霊がいるのだと本気で信じていた。
 

 心に生まれた怖れのため、私の歩みは知らぬ間に早くなっていた。





(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)







阿来「大地の階段」 103 第7章 河の源流へと遡る

2012-11-11 01:44:14 | Weblog
5 鷓鴣山を越える その3




(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)




 山道を二つ回りこんでいくと、道は平らで緩やかになった。
 道の傍の小さな沼や沢から沁み出して来た水がゆっくりと集まり、せせらぎとなって流れている。
 水の音を聞き、空いっぱいに赤く燃え上がる夕焼けを眺めながら、私の歩みはいつの間にか軽やかになっていった。

 渓流の両岸にぽつぽつと平らな草地が現れ始めた。
 草地の上に紫色の果実をつけたユキノシタが風に揺れている。私には、これはすでに長い間見ることのなかった風景だった。
 ひんやりと新鮮な空気を胸一杯に、むさぼるように吸い込んだ。空気には秋草の香気が充満していた。

 空が暗くなる直前、谷は突然開け、巨大な空間が現れた。黒い塊のような杉の樹林もはるか遠くへと後退し、数百ムーはあろうかという広い草地が目の前に現れた。
 風は草の先を震わせ、次々と私の体を旋回して行く。
 もうこれ以上は歩けなくなった。二本の脚と心が息を渇望している。
 そのまま、ドスンと座り込んだ。風が密生する草を揺らし、私の頬を軽く打った。

 狩人が言った「もう歩けないのか」
 私は言った「もう歩けない、歩きたくない」
 彼は私のそばに暫く座り、空の色を見て言った。
 「じゃあ、ここで待っててくれ、すぐに呼びに来るから」

 こうして、彼は行ってしまった。彼が戻って来るかどうか、どうでもよかった。
 そのまま草の上に横になった。
 その時、秋の草が四方から私のすべてを包み込んだ。草が絶えずゆらゆらと揺れ、まるで大海原に寝ているかのようだった。

 頬が地面に触れ、よく肥えた土から太陽が残した微かな温もりが立ち昇ってくる。
 しばらくして、涙が知らぬ間に流れていのに気付いた。
 涙が収まると、体全体が内からあふれ出る心地よさを感じていた。

 私はそのまま横になり、夜がこの草地に降りてくるのを見ていた。星が青い天幕で踊り始めた。
 その時、世界とはこの草原のことだった。この草原が世界のすべてだった。
 すべての星が草の葉先で踊っていた。

 夜が訪れ、風が止んだ。ため息のように歌っていた森も静かになった。踊っていた草も静かになった。
 どこからか幸福感が私の心に降りてきて、涙がまたあふれそうになった。

 その時、遠くから狩人の声が響いて来た。私の名前を叫んではいない、彼は私の名前を知らないのだから。彼の叫び声は一つの咆哮となり、山の間に次々と響いていった。

 立ちあがると、森のほとりの小さな木の建物に、明るい火の色がちらちらと瞬いていた。
 木の家は渓流の向こう側にあり、渓流の上には小さな木の橋が架かっていて、滑り止めのために、橋板の上に柔らかい草が敷かれていた。
 ここは冬の牧場のようだ。冬が来て山が雪に閉ざされる頃、牧人は牛をここまで追ってきて、草質のよい草原は牛たちに一冬の食糧を提供する。
 狩人は、ここで草刈をしている。刈った草は干して、家の後ろの大きな木の根元に積んであった。
 そのため、この夜、秋草の香りはどこよりも濃厚だった。

 夕飯が並べられた。主菜は二羽の雉の内の一羽で、ジャガイモと一緒に煮てあった。野生のねぎとウイキョウの香が熱気の中から立ち昇っていた。ジャガイモと雉の肉を鍋からよそった後、スープの中に新鮮なきのこを加えて煮た。

 出発の時にリュックに白酒を入れて来なかったのを今心から後悔した。
 彼は座ったまま後ろから酒を一本探りだし、碗いっぱいに注いでくれた。
 囲炉裏の炎はゆらゆらと震え、薪からは松脂の香が立ち昇って来る。
 その夜、私は大いに酔った。

 朝目覚めた時、狩人はすでに仕事に出かけていた。
 扉を手で押し開けると、彼が草むらの奥で力いっぱい鎌を振るっているのが見えた。
 振り向くと、床に三本の酒瓶が転がっていた。

 冷たい流れの水で顔を洗っている時、彼が帰って来たた。囲炉裏の上にきのこのスープが作ってあった。
 食べ終わり、別れの時が来た。
 リュックの中をしばらくかき回し、やっとスイス製の軍刀を見つけ出した。これだけが彼の役に立ちそうなものだった。それを彼に贈った。
 彼は受け取らないかもしれない。心配だったので、言った。
 「ここに置いておいてくれ、来年また来るから」
 
 彼は家中をくまなく見回し、申し訳なさそうな表情になった。何も言わなかったが私には分かった。贈るものが何もない、と言いたかったのだ。

 それからかなり歩いたが、彼はまだ道の分かれ目に立っていた。少しも動かずに立っている。手も振らず、叫ぶこともなく。

 山を回ったところで再び振り返った時、私たち二人は、それぞれ相手の視線から消えていた。






(チベット族の作家・阿来の旅行記「大地的階梯」をかってに紹介しています。阿来先生、請原諒。)