塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

E・M・フォースター 『インドへの道』

2019-10-30 23:48:30 | 読書
Facebookで、7日間自分の好きな本を紹介するというチャレンジをした。そこで書ききれなかったことをここに残しておきます。


E・M・フォースター 『インドへの道』



第一次世界大戦後、植民地インドの東の小さな街。街のはずれに聖者が住んだという洞窟を持つ丘が望める。
この街でクラブに集う同胞とは距離を置いて暮らすイギリス人の教育者フィールディングとインド人の医師アジズの出会いを通して、二つの国、西洋と東洋は理解し合えるのかを描いていく。

雨期が近づいているインド。この地に来たばかりのムア夫人はクラブでの観劇に疲れ一人モスクへとやって来る。そこでアジズと言葉を交わし、互いを尊敬するようになる。
ムア夫人の息子の結婚相手として夫人と同行して来たクエステッドもまたインドを理解したいと望んでいた。この二人を通してアジズはフィールディングと出会い、親交を深めていく。

アジズは友情の発露として、過剰なまでの準備をして二人の婦人をあの洞窟へと案内する。だがその思いは空回りし、かえってそこで事件が起き、裁判が行われ、街を挙げての騒ぎとなる。被害者クエステッドがアジズを犯人と思い込み、訴えたのである。
イギリス人たちはこの時とばかりインドを非難するのだが、冷静になったクエステッドは、あれは自分の思い違いでアジズは犯人ではないと訴訟を取り下げてしまう。この間に、アジズに有利な証言をさせないためにムア夫人はイギリスへ返され、船上で亡くなる。
傷心のクエステッドも帰国し、フィールディングもインド各地を巡りながら帰国する。
アジズはこの二人はいずれ結婚するだろうと思い込み、フィールディングを憎むようになる。

登場人物のそれぞれが、なんと悩み多いことか。そしてそれを誰かに吐露せずにはいられない。それがイギリス人なのだろうか、それともフォースターのたくらみなのだろうか。いずれにしても物語のほとんどが、その真摯な会話によって進められていく。
登場人物それぞれが役割を与えられていて、執拗ともいえる会話がそれぞれの人間像を描き出し、英印の関係を描き出し、フォースターの思いを伝えていく。

単なる対立にとどまらない、刻々と変わる一人一人の心の揺れを受け止めていくのが、この小説を読む醍醐味と言えるかもしれない。

数年後、宮殿のある街でアジズは医者として働いていた。そこへフィールディングが夫人を連れてやって来る。クエステッドではなかった。
誤解は解けた。だが、二人の友情が再び結ばれるにはまだ早い。
時はインド独立前。この地を去るフィールディングにアジズは叫ぶ。
「われわれはイギリス人を一人残らず海の中へ投げ込んで見せる。そうしたら…そうしたら、あなたと私は友人になれるだろう」
二人は「駄目だ、まだ駄目だ」と叫びながら一本道を進んでいく。

その情景は、私には、二人がすでに理解しあっているようにも見える。
それはフォースターがインドを見つめるまなざしでもあるだろう。