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塵埃落定の旅  四川省チベット族の街を訪ねて

小説『塵埃落定』の舞台、四川省アバを旅する

阿来の初期短編 『魚』(89年)

2019-01-26 01:02:00 | 塵埃落定


阿来の初期短編 『魚』(89年)  概要
(魚と題する短編は二作あり、こちらの方が遅く書かれた)


 仲間三人と宗教調査に来た“私”は、東チベットのタンクーの街からいくつかの丘を越えた湿地帯で釣りをすることになる。他の三人は野兎やタルバカンを撃ちに行ってしまい、仕方なしに一人で釣りを始める。

 チベットの草原では伝統的に水葬が行われ、水と魚によって魂の入れ物である肉体を消滅させてきた。そのためほとんどのチベット人は忌むべきものとして魚を避けている。中央民族大学の教授に寄贈された本によると、チベット人は悪鬼や穢れたものを払う儀式を行い、目に見えないが至る所で祟りをするものに呪いをかけ、最後は水へと駆逐する。そのため水の中にいる魚はこれらの不吉なものの宿主なのである。
 チベット人が魚を獲らず食せずの習慣を持って久しい。だが今は二十世紀の後半、私も魚を食べるチベット人の一人となった。だが、食べた後口には腐敗の匂いが残ると感じている。

 魚を釣るのは初めての私は、しばらくしてやっと一匹釣りあげる。魚に近づく時、腐った人間の死体が連想され、突き出した悲しげな眼を正視することが出来ない。もう釣りたくない、だが今をおいて魚への禁忌を破る機会はないだろう、とも思う。そんな私の意に反して魚はどんどん針にかかる。草の上で動かない魚を見ていると、彼らは自分という殺戮者の心の限界を試しているようにも思えて来る。今日の釣りは自分との戦いとなる。文化と、自分の中にある禁忌に勝たなければならない。

 その後も魚はどんどんと吊り上げられる。まるで彼らは自ら死に向かっているかのようだ。その表情は邪教を信じる者のようだ。空は雲に覆われ雷が轟く。ずぶぬれになった私は、知らぬ間に声をあげて泣いていた。まだ死んではいない魚たちは傍らでクウ、クウと叫んでいる。

 太陽が顔を出し、仲間も帰って来た。車でこの場を離れようとする時、先ほどの事件はすでになかったことのようだった。

            ******



 前回まで、魚は清らかな命として神聖視されているのだと思い込んでいた。だが、この作品を読むとはそうではないらしい。純粋に忌み嫌われてきたようだ。
 現代を生きる主人公はすでにそのような禁忌は持っていないが、やはり体の中にその歴史は生きているのだろう。そんな主人公にとって、魚を獲ることは戦いとなる。もう獲りたくない、でも魚はどんどんかかり、やめることが出来ない。その不条理な状況を、魚が生命を失っていく危うい姿と主人公の心理描写によって描き出している。

 前作の『魚』は、文革に巻き込まれていく辺境の村の一つの時間が、阿来らしい美しい風景描写とチベット人のタブーである魚の死を通して、次につながる物語として描かれていた。今回の『魚』は抒情を排した、阿来にとっては実験的な作品と言える。

 同じ「魚」という題名で二編の短編がかかれたということは、チベットでの魚へのこだわりがそれだけ強いということだろう。












 

フォークナー短編集(滝口直太郎・訳)

2019-01-17 01:27:31 | 塵埃落定


フォークナー短編集(滝口直太郎・訳)を読み終わった。

 硬直したアメリカ南部の人々、特に女性の心理を描いた物語、ヨクナパトーファに連なる作品等、バラエティーに富んでいる。

 『納屋は燃える』は、村上春樹の『納屋を焼く』との関連性をよく語られている。
 この作品もヨクナパトーファに属する作品と言えるだろう。
 怒りを抑えられず、気に入らないことがあると、その家の納屋を焼き他の地に一家で移住するという生活を繰り返す父親(スノーブス)と、そんな父を尊敬するしか知らなかった少年が、いつしか自分の中に流れる血と抗いながら父親の行為に疑問を持ち、さらに父親を救おうとさえするようになる、その心の葛藤を描いている。

 この短編集の中で私が一番面白いと思ったのは『赤い葉』だった。

 インディアンの首長が死ぬ。首長の埋葬に当たって、それまでそばに仕えていた黒人を副葬するという習慣があるが、生に執着するその黒人は失踪してしまう。二人のインディアンが男を探しに行く。
 道々の会話から、二人は心の中でこのやり方に反対しているのがわかる。それはインディアンの誰もが考えていることでもある。インディアンにとって黒人は白人から押し付けられた厄介者だった。汗をかくのが好きな黒人のために仕方なく畑を耕すという仕事を作ってやったが、そうなれば自然の成り行きとして、白人をまねて、土地を開き、食べ物を植え、黒人を育て増やし、その黒人を白人に売るようになっていく。インディアンは本来汗をかくのが嫌いなのだが。
 何日かが過ぎ首長の体は腐っていく。だが二人のインディアンに焦った様子はない。明日は今日なのだから。
 黒人たちも男にそっと食料を与えたりはするが、匿うわけでも突き出すわけでもない。誰もが結末は分かっているのだ。
 こうして6日目に男は捕まる。男は最後に思い切り水を飲ませてもらう。

 インディアンが終末へと向かう停滞したかのような時間の中で、彼らと黒人の関係が描かれて興味深い。

 だが、ある研究者の発言によるとフォークナーの描くインディアンは歴史的には不正確なことがあるという。それは本人も「でっち上げ」と認めていて、史実と伝承と類型の寄せ集めであるという。だが、それが作品を否定する理由にはならないだろう、と私は思う。

 同じ研究者が書いている。フォークナーの書くインディアンは強制移住の時代から南北戦争後の時代に、白人に道を譲って消えていくインディアンであり、消滅を運命づけらているようだ、と。
 まさしくこの『赤い葉』に描かれている世界だ。


 『響きと怒り』の訳者による解説にでは、ヨクナパトーファ・サーガの第一作ともいえる『サートリス』で、フォークナーが描こうとしたのは、架空の街の名門サートリス家が滅んで行く、旧家没落の物語だという。
 終末を描くこと、それは次の時代を描くことにつながっていく。壮大な家族の物語、ヨクナパトーファ・サーガである。

 阿来もまた、『塵埃落定』でまさに終末を描き、次の『空山』を生み出した。東チベットのある村の文革期を乗り越えた人々の物語だ。それは初期の短編集の中にすでに原形を見せている。











阿来の初期中編 『魚』

2019-01-10 15:41:33 | 塵埃落定



阿来の初期中編『魚』 概要


 東チベットの山の中の小さな村、柯村。
 いつも河で魚を見ている子供がいる。ドク。

 この子は普通の子とは違っていた。ある人たちは、それはいとこ同士の近親婚のせいだという。近親婚の後裔には極端な生命方式が現われる。特別に頭がおかしいか、特別に頭が良くて寿命が短いか。このような家は、純粋な血統により高貴な感覚を生み出す。そして衰退へと向かって行くのである。このような家の最後の子共は不可解なものを好むことがある、例えば魚。魚はチベットでは畏敬され、神秘なものとされてきた。
 
 ドクの目は魚のように飛び出している。村人は彼を“魚目のドク”と呼ぶ。河辺で魚を見るのが好きで、常に魚のことを考えている。魚は冬になったらどこへ行くのだろう。暗い水の洞窟の中でどうやって物を見るのだろう。
 魚は人から畏敬される神秘的なものだ。だが、この一帯では魚は美しさに欠けるとしてま忌み嫌われていた。爬虫類のように憐れまれていた。誰も、魚が何を食べているのか知らなかった。魚は生きているのに食べる物がなく、常に飢えている、ならば必ず天罰に逢うだろう、と考えた。前世で有り余る富を集めたか、残忍だったか、ずる賢かった…まるで病人のように魚を嫌った。そのため魚は増えるばかり、一団となって黒々と河を下る姿は不吉なものに映った。だから村人は、魚目のドクの家の衰退を予感せざるを得なかった。

 ドクの父親は8歳年上のいとこである母と結婚させられたのだった。母チュウチュウの父は近親婚は牛乳に砂糖を加えるようなものと考えていた。こうすれば一族の財産はまた一つにまとまるのだ、と。だが父親は反革命に参加し、草原で殺されてしまう。ドクは今、母チュウチュウと父の弟シアジャと暮らしている。若い叔父シアジャは少女のようにか弱く、魚を怖がっている。

 数年後、母は風習通りシアジャを後添えにしようとするが、シアジャは男としての機能を果たせなかった。そこへ父と一緒に戦ったアンワンが帰って来る。父は死ぬ時、アンワンに妻を頼むと言い残したという。
 村へ帰ってすぐ、アンワンは反革命分子として、地主となったドクの一家と共に、批判闘争でつるし上げにあう。シアジャはアンワンが村人に打たれるのを怖がりながらも心の中で喜び、だが彼の行動には感動する。こうして彼ら4人は一緒に暮らすことになる。

 1960年代中頃、村に伐採場が出来、漢人がやって来る。彼らは魚を恐れない、魚を食べる民族である。彼らは山の木を切り倒し、森林は失われていった。彼らが魚を釣るのを見たドクは、魚が餌のミミズを食べ、蚊を食べるのを知り心を乱す。魚があんなに醜くふにゃふにゃのミミズを食べるなんて…これまで、魚は水しか飲まず、清らかで神秘的だと聞かされていたのに…
 伐採場からは魚を焼く良い匂いが漂って来る。ある日ドクとシアジャは伐採場で饅頭とスープをもらって飲む。それが魚のスープだと知ったシアジャは橋から落ちて死ぬ。自ら飛び込んだようにも見えたという。ドクはそうとは知らず麦畑へ一人入って行った。

 シアジャが死んでからドクはミミズを育て始める。そして、魚が河ではなく柳の林の中の水たまりにいるのを見て、不思議な興奮を覚える。

 数日後、両親が仕事にいっている間に雷が轟き大雨が降る。それにかまわず、ドクは一人で水たまりに行き、盗んだ竿にミミズを付け、魚を釣る。だが、魚はうまくかからない。激しい雨のため、水たまりから水があふれ、魚もあふれ出す。ドクはそばにあった木を拾い、魚を叩く。魚の白い腹の柔らかさに恐怖を感じながらも、次第に熱狂し、疲れも忘れ、アンワンが探し当て止めるまで魚を叩き続ける。たくさんの魚が死に、だが生きているかのように河へと流れていったった。
 帰り道、雨は止み、厚い雲の層の切れ目から黄金の光が溢れ出した。ドクはアンワンに言う。僕、もう魚はいらない、と。

 より多くの光が空から降り注ぎ、疎らだが清冽な鳥の鳴き声が背後で長く響く。橋と同じ高さまで逆巻く濁った水は、陽光に照らされて金属的な輝きと狂暴な音を発している。山野を覆うすべての気は河の中から湧き上がっていた。
アンワンとドクは村には帰らなかった。架けられたばかりの橋と共に消えてしまったのである。

 家の者がすべて世を去り、母チュウチュウの性格はがらりと穏やかになった。それは死ぬまで変わらなかったという。


         * * * * *


チベットでは、魚は一つの生命として神聖視されているとはよく聞くが、忌み嫌われているとは知らなかった。
同じように、文革期のチベットのごく普通の生活とその移り変わりについて知る機会は少ない。
阿来は美しい筆致で時に細やかに、時に非情に、時に幻想的に描いていく。山と光と水の美しさ、魚の死を思わせるなまめかしさ、少年たちの危うさが、物語以上にスリリングに伝わって来る。

魚目のドクは、自らの血と、習慣を超越した魚への執着によって、家と村の衰退を背負っていたかのようだ。それは後の『塵埃落定』の原形と言えるかもしれない。

阿来にはもう一つ『魚』と題された短編がある。それを読んでから、更に魚について考えたい。












阿来の新作 汶川大地震を描いた『雲中記』

2018-12-26 23:00:47 | 塵埃落定
阿来の新作 『雲中記』

今年は四川省で大地震が起こってから10年目に当たる。5月12日だった。私が初めてチベット地区へ行った次の年である。

震源地の近くを故郷とする作家阿来は、すぐさま妹のいる現地へ向かった。途中の車の中で同郷の作家たちと連絡を取り、壊れた小学校再建を目指すが、政府の政策と合わず叶わなかった。
様々な被災者たちの物語を目にしながらも、それを急いで作品にすることを封印した。次の年、山奥の小さな村の40年を通して地震とは違う現代史の揺れを描き出した『空山』を世に出す。今年、それは『ジル村の物語』として新たな装いで出版された。
作家としての当時の思いをインタビューで語っている。
https://m.thecover.cn/news_details.html?id=1514469&from=timeline&isappinstalled=0

そして今、地震を描いた作品が出来上がった。
なぜ阿来は地震後すぐに書かなかったのか。それは、書くのであればその作品を末長く読まれるに値するものにしたかったからであり、そうでなければ、地震で亡くなった方々に恥じることになると考えたからだという。長い間読まれ続けるにはどうしたらよいか。その題材と共に、どのように書くかが重要だ、よりよい方法が見つからなければ、その時を待とう。阿来はそう考えた。

地震から10年たった今年、2018年5月、阿来の心に一つの小さなエピソードがよみがえり、亡くなった多くの命を想って涙が止まらなくなった。書くべき時が来た、そう感じた阿来は、そのまま、長い間温めて来た作品に取り掛かった。その日、書斎で一人、涙を流しながら筆を進めたという。

題名は『雲中記』。雲中とは地震で消えてしまった村の名前である。雲中記の三文字は、また、清らかで美しい響きを持っている。この世にはたくさんの悲しみがあり、だから我々の魂は美しいものを必要としている。これは阿来の大切にしている美意識であり、必ず作品の中に反映されているだろう。

この作品の始めでこう書いた、と阿来は語っている。
地震で尊い命を失った人々に捧げる、そして、この地震の救済に当たった人々に捧げる、そして、モーツアルトに感謝する、と。
地震直後、阿来は何度も被災地を訪ねた。被災者を取材するためではなく、傷ついた人々と共もにいるためだった。成都から被災地に向かう途中、何度もモーツアルトのレクイエムを聞いた。この作品はその厳粛な哀悼の調べのもとで書かれたのだ。

雲中記は雑誌十月2019年第一期に掲載された。
日本で読める日が早く来ますように。










阿来初期短編『寐(眠る)』

2018-12-06 01:15:56 | 塵埃落定
「眠る」(要約)


予感は存在すると確信しなくてはならない。
「私」が羊飼いが自分の想像の世界に入って来るのを予感したのと同じように。

私はジープに乗って甘村にやって来た。かつての右派で自分は反逆者だと誇っている同乗の男が、小説を書く時に守らなくてはならないことを私に語っている。私は文学の世界と現実の世界の違いを考える。そして、羊と羊飼いの姿を見る。羊飼いは「来いよ」という。私は「来たよ」と答える。


12年前、流れ者の暮らしをしていた私はこの村で足を脱臼し、土地の医者の手当を受けた。医者は白楊の木の皮を私の足に巻き脱臼を直してくれた。医者は白楊の木が枯れるごとに、新たに木を植えて補充していた。

私はここで羊飼いに出会う。彼は十年間木を植えるための穴を掘り続けている。羊が木の葉を食べて枯らしてしまうからだ。山には七百個の小さな穴がある。なぜか分からないが、私はそのすべてをはっきりと分かっていた。それを想像力と呼ぶ。そして、羊飼いがこの日私がここに来るのをぼんやりと予感しているのも分かっていた。

あの医者はすでに亡くなっていて、私は一晩羊飼いの家に泊まる。羊飼いは父親の残した宝――磁器の瓶を写真に撮らせようとする。

その時羊飼いは突然私に言う。「あの時来たのはお前だろう」。十二年前、一人の少年がこの宝を盗みに来たが見つかってしまい、壁を超えようとして足を脱臼した。村の医者は親切にその子の傷を治した。その後、その子はこっそりと出て行った。「あの時お前はこの宝を盗りに来たのだ」。
よく覚えていない、と私は答える。「その子は宝を盗もうとしたのではなく、トウモロコシを盗もうとしたのかもしれない」。羊飼いはしばらく黙ってからうなずく。私は「帰るよ」という。羊飼いは「寝て行け」と言う。だが、私は寝付けない。私はすべてを忘れてしまったのかもしれない、そして、何も忘れていないのかもしれない。
その夜、私は医者の植えた木の夢を見た。この小説の作者が木の葉の間でイェイツの詩を暗唱していた。

青春のはじめての恍惚の後、私は
日々考え、ヤギを見つけたが
道筋は見つけられなかった
歌おう。もしかして、お前が考える間に
いくらかの薬草を抜き取ることが出来て、私たちの悲しみは
もうあのように苦くはなくなるかもしれない。



*****


想像と現実が入り混じる不思議な物語だ。現在の自分と過去の自分。過去に出会った羊飼い。お互いがお互いを予感し、それらが一つに重なっていく。それが創作であり、現実を超えた確かで同時にあやふやな想像を孕んでいる。
イェイツ。ヨーロッパ大陸に遍在していた古い民族・ケルトの詩人に阿来は惹かれたていた。その詩に触発された実験的作品と言えるかもしれない。








阿来初期短編 『老房子(古い家)』

2018-11-20 19:25:43 | 塵埃落定
『老房子(古い家)』1985 (要約)

山の中の朽ち果てた建物。それは何代にも渡りこの地を治めて来た白玛土司の城塞だった。
四十数年前の解放の時、若い土司はこの地を捨て内地へ行ってしまう。残された若い土司夫人は民国の兵たちに犯され、出産の時に命を失う。

この土司に仕えた門番。すでに108歳だ、と自らつぶやく。ある日若者が尋ねて来て手紙を渡す。それをきっかけに、自分が仕えた主人と古い建物を思い起こす。
あの時、土司夫人の叫び声によって窓に貼られた紙が破れ、貼りかえられないままに風に揺られ、風の吹き抜けていく音はまるで夫人のうめき声のように聞こえる。

夫人が犯された時、彼もその場を目撃した。一人の兵士が殺されて、床に血がたまっていた。だが、土司夫人は誇りたかく黙って立ちはだかっていた。恐怖に気を失った彼を夫人が手当てし、一つの床で寝る。
その後夫人が孕み、産み落とす時、彼は血まみれの子を取り上げ、土の中に埋める。難産のため夫人は命を落とす。
狩りに来た男の話では、その時門番の男も一緒に死んだと伝えられている、という。では、自分は…もう死んでいるのだろうか。

届いた手紙は、内地へ行った土司からで、内地で役人となり、夫人とは離婚するとあった。23年前に届いていた手紙。夫人はそれを読んだのだろうか。手紙には、門番のことも書いてあったのだろうか。
手紙は、強い風にさらわれて、山の下へと消えて行く。

門番は破れた窓の紙を貼り変えようと建物に入って行く。彼が歩くごとに、階段も壁も崩れていく。風が吹き、鹿の脂の灯が揺れ、窓の紙に燃え移る。そして彼の服にも炎が上がる。

夫人の産んだ子は自分の子だったのだろうか。そう、自分の子だった。炎の中で彼はそう考える。

*****

交差する過去と現在と幻。
この地の族長である土司の時代の終わりを、悲しく、血なまぐさく、幻想的に描いている。
『塵埃落定』へと続く一つの段階と言える。








阿来の初期短編  『生命』

2018-11-10 01:19:24 | 塵埃落定

阿来の『塵埃落定』をどのように訳したらいいのか。
フォークナーを読んでからずっと考えている。
その答えを得るために、阿来の初期の短編を読んでみることにした。
まず、『生命』。1985年の作と思われる。この中で阿来は詩を何よりも価値のあるものと訴えている。『塵埃落定』はやはり詩として訳すべきなのかもしれない。



『生命』(要約)

秋霜の降りた草原へと続く険しい山の中。長時間きつい道を登り続け、同行の馬も歩みを止める。二人の男はここで一休みすることにした。一人は長髪、一人は坊主頭。二人ともかつては僧だった。
解放によって彼らの寺は封鎖され、年取ったラマは寺を焼き死んだ。二人の若いラマも死んだと思われていた。だが彼らは生き延びていた。その後彼らは、迷信を破るためという理由で、工作隊から山で狩りをするよう迫られるが、殺すよりは自分が死ぬと言って断崖から跳び下りる。死んだ、と思われた。だが、彼らはこの時もまた生き延びた。それ以降、二人は戒を捨て、一人は髪を伸ばした。
それがこの二人である。夜雪が降る。彼らは衣にくるまって眠る。

同じころ同じ山の中、風に苦しみながら、若い郵便配達員が馬に新聞や手紙を積み、険しい登り道を進んでいた。自ら志願し、年老いた配達員の代わりに往復五日かる山の中の小さな村を目指していた。ホイットマンの詩を口ずさみながら。だが、激しい風と雪にその声も止み、喘ぐ馬を気遣って荷を下ろすと、その上に自分のコートを被せ、休むことにした。

深夜、二人のラマは遠くに馬のいななきを聞きつけ、駆けつけると、若者が意識を失っていた。僧たちに温められて若者は生き返える。

僧たちは若者になぜこここに来たのかと尋ねる。若者は答える。詩を書きたかったのだ、と。そして、今深く雄大な詩を読んでいるのを感じる、自分が雄大な詩を読むホイットマンになれると信じられる、と。
僧が訪ねる。怖くないのか?
怖くない。
何故?
そうやって死ねば価値がある。
価値?
そう、誇り高く死ねる,.人間らしく。

二人の僧は考える。自分たちのあの二回の死は価値のある死ではなかったのだ、と。
若者が尋ねる、どうしたんですか?
いや、何でもない。
僧は静かに微笑んだ


***** *****


若者が雪の中で口ずさんだホイットマンの詩
ホイットマン「草の葉」冒頭

申し分なく産みつけられ、一人の完全な母によって育て上げられ、
生まれ故郷の魚の形をしたパウマノクを出発して、
多くの国々を遍歴したあと――人の往来はげしい舗装道路を愛するものとして、
わたしの都市であるマナハッタのなか、さてはまた南部地方の無樹の大草原のうえの住民として、
あるいは幕営したり、背嚢(はいのう)や銃をになう兵士、あるいはカリフォルニアの抗夫として、
あるいはその食うものは獣肉、飲むものは泉からじかというダコタの森林中のわたしの住居に自然のままのものとして、
あるいはどこか遠い人里離れたところへ黙考したり沈思するために隠棲(いんせい)し、
群衆のどよめきから遠のいて合間合間を恍惚(こうこつ)と幸福に過ごし、
生き生きした気前のいい呉れ手、滔々(とうとう)と流れるミズリー川を知り、強大なナイアガラを知り、
平原に草を食う水牛や多毛でガッシリした胸肉の牡牛(おうし)の群れを知り、
わたしの驚異である大地、岩石、慣れ知った第五の月の花々、星々、雨、雪を知り、
物まね鳥の鳴く音と山鷹(やまたか)の飛び翔(か)けるのを観察し、
明け方には比類まれなもの、湿地種のシーダー樹林からの鶫(つぐみ)の鳴くのを聴き、
《西部》にあって歌いながら、ただひとりでわたしは《新世界》へと旅立つ。

                                   富田砕花・訳



再び『塵埃落定』へ

2017-06-12 01:51:12 | 塵埃落定



 『ケサル王』を何とか訳し終え、もちろんまだまだ見直しは続けていくのだが、やっと再びこのブログの出発点である『塵埃落定』への旅へと立ち戻ることになった。ケサルから学んだことが力になってくれると期待しながら。

 阿来の初期の短編には、生まれ育った地―中国文化とチベット文化の接するアバという地方を舞台とし、作者と同時代と思われる若者が父親の姿を追い求める真摯な想いを描いたものが多い。父親は、早くに死んだり、失踪したり、兄の父だったりと、その姿は曖昧である。主人公の想いを映すかのように、山で囲まれた標高の高い村の風景は過酷で美しい。そしてそこにも文革の波と、遠い街の変化の兆しが押し寄せていて、村人の人間関係に微妙な変化を与えている。

 登場人物一人一人が生み出す物語を、阿来は丁寧に描いていく。もともとこの地には遥か昔から語り継がれて来た物語があり、それを語り伝える風習は今も残っている。そうした風土の中で語られるいくつもの現代の物語は、時には遥かに語り継がれて来た物語と折り重なり反応合うが、揺らぐことはない。
 こうして阿来によって一つ一つの個人史がこの地を語る確かな歴史となっていく。

 この地の物語は、後の長編『空山』に受け継がれることになる。

 語り伝えられる物語の代表であるケサルをもとに阿来が『ケサル王』を書くのはすでに約束されていたことなのかもしれない。初期の作品の中で、主人公の兄―街の大学で学び言い伝えについての本を出版した兄について、村人たちが彼は将来ケサルのような物語を書くだろうと噂しているのが象徴的で興味深い。

 さて、『塵埃落定』だが、この作品はある意味で幸せな物語と言えるだろう。
 主人公は生まれつき頭がおかしく周りから笑われながらも、霊感ともいえる特異な思考経路のもとに自分の一族が治める部族が進むべき道を暗示していき、傍にいる父親によってその存在を認められ、父親の命を狙う仇を喜んで受け入れ、自ら求めるかのようにその刀によって刺され、血を流す自分の姿を静かに眺めながら、物語を終えているのだから。
 初期短編に見られる、父親を渇望する苦しみはここにはない。主人公は自らがすべてを引き受けることしか知らないかのようだ。無垢という言葉がうかんでくるほどに。

 この物語の時代、東チベットには多くのものが行き交った。1900年代前半の西康省の設置、日中戦争による混乱、イギリス、インドの思惑、中華人民共和国の成立に向けて白い漢人と赤い漢人の戦いの渦からも逃れられなかった。
 明の時代からこの地方は朝廷から冊封された複数の“土司”によって統治されていたが、気性の荒い風土のため土司間の争いが絶えず、歴代の朝廷は事態収拾のために幾度となく兵を送っている。1930年頃からは、中国では禁止されたケシがここで密かに栽培され、中国の役人と繋がる土司も一時の繁栄を得る。だがそれもつかの間、アヘンによる様々な弊害により土地は痩せ経済は破綻し、中国側による支配が強まる結果となった。こうして終に土司という制度は終焉へと向かうこととなる。

 このような時代を背景に物語は主人公の語りによって進んで行く。放埓であり愚鈍であり怜悧であり、予知を孕み、受容し諦観し…予測不能な言葉の連なりの後、終には自分の死をも語って物語は終わる。
 阿来が幸運にも生み出した新たな語りの形と言えるかもしれない。



 『ケサル王』は家馬と野馬の言い伝えから始まっている。
この言い伝えは『空山』の中にも象徴的な部族史として描かれている。阿来にとって重要なテーマなのだろう。次はこの言い伝えについて考えてみようと思っている。


     ★ 『ケサル王』の第一回は 阿来『ケサル王』① 縁起-1 です  http://blog.goo.ne.jp/aba-tabi/m/201304