eつれづれ管理者(66kV特高変電所、技術者)

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最低ではダメですか...

2017年04月16日 | eつれづれ

民進・結党以来最低 支持率6・6% 共産にも奪われ民進党の支持率低落に歯止めがかからない。
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が15、16両日に実施した合同世論調査で、民進党の支持率は6・6%と昨年3月の結党以来、最低を更新。国会で学校法人「森友学園」(大阪市)問題などを追及しても支持には結びつかず、足元では身内が離反する始末で、蓮舫執行部は八方塞がりの状況だ。
「先週、残念なことが続いたことが、そういう結果になっているのだろうと思う。国民に申し訳ない」
野田佳彦幹事長は17日の記者会見で低支持率の原因について、長島昭久元防衛副大臣の離党届提出や細野豪志元環境相の代表代行辞任が重なったことを挙げた。「極めて苦しい時期だが、改めて国会対策や選挙対策にしっかりと心して臨んでいきたい」とも語ったが、党勢回復の妙案は見えてこない。
支持率低迷の最大要因は、旧民主党政権を支えた無党派層の支持が戻らず、一部は共産党にも流れていることだ。今回の調査で「安倍晋三内閣を支持しない」と答えた人に支持する政党を問うと、民進党と共産党が14・5%で並んだ。さらに「支持政党なし」は53%にも上った。
安倍内閣の支持率59・3%も踏まえると民進党は政権に反発する数少ない人の支持さえつかんでいない実態が浮かび上がる。
昨年9月に就任した蓮舫代表には、次期衆院選に向けた「選挙の顔」として無党派層の取り込みが期待された。蓮舫氏は「提案型」の党運営を掲げ、一時は次期衆院選公約に「2030年原発ゼロ」を打ち出せないか模索もした。
しかし2030年原発ゼロは党最大の支持団体、連合の反発で表明を断念。前執行部から引き継いだ共産党との共闘路線も「政権担当能力への不安を増幅させ、無党派層への遠心力となった」(党閣僚経験者)面が大きく、支持率は10%前後の低空飛行が続く。
7月2日投開票の東京都議選をめぐっては、18人いた民進党都議のうち5人が離党届を提出し、さらに1人が提出の意思を固めた。小池百合子都知事が事実上率いる地域政党「都民ファーストの会」に流れる「離党ドミノ」も止まらない。
党内では、代表のリコールを検討する勢力もあるが、「党の再生を図るより分裂した方が手っ取り早い」(保守系議員)との声すら上がっている

過去の2位ではダメですか...この時が一番花だった様だ...もう、支持率下がり国民だれも民心党を相手にしなくなった。
ここに来て消えて無くなる運命となる様だ。

民進党が社民党になる日が目前に迫っている!? 東京都議会まさかの“議席ゼロ”も
国政選挙の行方を占う「先行指標」とされる東京都議選(7月2日投開票)が迫る中、民進党は「議席ゼロ」の危機に直面している。ここで思い出すのが、かつて革新系の美濃部亮吉都知事時代(昭和42~54年)にわが世の春を謳歌した後、平成13年の都議選で議席を失った社会党(社民党の前身)の末路。下り坂を転げ落ちる両党の共通項は少なくない。歴史は繰り返すのか-。
17日の記者会見。都議選公認候補の「離党ドミノ」に加え、長島昭久元防衛副大臣の離党など暗い話題が相次ぐ中、民進党の野田佳彦幹事長は「一番苦しいときだからこそ、一丸となって心合わせて進んでいけるよう努力したい」と強がってみせた。
都議会の歴史をひもとくと、民主党(民進党の前身)として初めて都議選に挑戦したのは、青島幸男都政だった9年。12議席を獲得し、自民、共産、公明に次ぐ都議会第4党となった。一方、この選挙で護憲の老舗政党、社民党は現有1議席を確保するのが精いっぱいだった。
民主党は、続く13年都議選で22議席、17年には35議席の大幅増となり、公明党を抜いて初めて都議会第2党の座を確保した。
その後も怒濤の勢いはとどまらない。21年の都議選は自民党38議席に対し、民主党は54議席と躍進し、直後の衆院選も圧勝し、政権交代につなげた歴史的な首都決戦でもあった。
■失政の民主政権
ところが、栄光の日々は長くは続かない。「ルーピー」こと鳩山由紀夫首相(当時)が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題でつまづき、菅直人政権は東日本大震災の対応で失政を重ねた。野田首相時代は消費税率アップをめぐる党内抗争に明け暮れ、ついには党分裂に発展。二大政党時代の到来を予感させた民主党政権の誕生は、有権者の期待を大きく裏切る結果となり、都議会民主党も25年都議選で15議席まで落ち込んだ。
今度の都議選も、党勢拡大が見込めない民進党に三くだり半を突きつけ、高い支持率を誇る小池百合子都知事が事実上率いる地域政党「都民ファーストの会」に駆け込む民進党の公認候補者が後を絶たない。
今度の都議選情勢について「民進党獲得議席は1ケタ台」との見方が強いが、「このままでは都議会から議席がなくなってもおかしくない」(民進党関係者)との声さえ漏れる。そこまでの惨敗でなかったとしても、12議席を割り込めば、初陣の9年都議選以来、獲得議席は過去最低となる。「党の顔」として期待された蓮舫氏の求心力は地に落ち、「蓮舫降ろし」の風が一気に吹き荒れるだろう。
■「山が動いた」が…  ある自民党関係者は「最近の民進党は『左巻き』が効きすぎて、ますます社民党に似てきてる」と指摘する。
その社民党は現在、国会議員4人という小所帯。「55年体制」の下、前身の社会党が自民党の対抗勢力として一翼を担い、最盛期200人以上の大所帯を誇った時代は今は昔なのだ。
振り返れば昭和40年、議長選に絡む汚職事件「黒い霧事件」で都議会が解散。自民党への不信感の高まりを追い風に、社会党が45議席を獲得し、比較第1党になった。美濃部都政時代の44年の都議選こそ自民党の後塵を拝したが、社会党はその後も20議席前後をキープしていた。
そんな中、もう一度「山」がやってきた。平成元年、当時の土井たか子委員長による「おたかさんブーム」で参院選を圧勝。消費税やリクルート事件などで厳しい選挙戦を強いられた自民党中心の与党を参院過半数割れに追い込み、「山が動いた」との名言を残した。
その前触れは、直前の都議選に表れていた。議席を減らす自民党を尻目に、社会党は29議席(前回比18議席増)を獲得し、第2党にのし上がったのだ。
だが5年の都議選では、小池氏が参加していた日本新党が20議席と躍進。一方で社会党は14議席に沈んだ。日本新党は都議選後の衆院選で35人が当選し、非自民・非共産連立政権の誕生につなげた。
自社さ政権では村山富市首相(当時)が6年に「自衛隊合憲」に転じた変節を境に、党は分裂し「下り坂」を転げ落ちるように勢いを失っていった。8年に社民党に党名を変更して党勢挽回を試みたが、翌9年の都議選も退潮傾向に歯止めをかけられず、わずか1議席どまり。石原慎太郎都政の13年都議選で議席ゼロとなった。その後も、ほそぼそと候補者を擁立するが、議席復活の兆しさえもみられない。
■「シロアリ化」
ここまで長々と民進党(民主党)および社民党(社会党)の党勢の推移を振り返ってきた。党分裂、党名変更、女性党首…。おどろくほど共通点が多い。
加えて民進、社民両党は「党首落選」という汚点さえもそっくりなのだ。昨年の参院選で社民党の吉田忠智党首が落選。民主党も26年衆院選で海江田万里代表(当時)が比例復活もできず、議席を失っている。
別の民進党関係者は、現在の民進、社民両党を含めた野党共闘を引き合いに「実態は安全保障関連法制の廃止を掲げている時点で社民党化している」と揶揄し、こう続けた。
「民進党内には共産党を『シロアリ』に例える議員がいたが、実は民進党自体がシロアリ化している。すでに心身ともに、むしばまれている」
世論を反映する「映し鏡」の色合いが濃く、国政選挙へのシグナルと受け止められる夏の首都決戦。民進党が社民党になる「議席ゼロ」の日は近いのかもしれない。