二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

何か、疑問な行動。

2015年04月26日 04時13分06秒 | ニ言瓦版
面白い。
結局、勝てないチームの問題に見える。
阪神も、広島も。




「「なめとんか?」
 広島の黒田博樹(40)の口元は、そう言っているように見えた。
広島のホームで行われた25日の阪神戦。1―1で迎えた2回裏一死一塁。打席でバントの構えをしていた広島の黒田に対して、ボールカウント1-0から阪神の藤浪晋太郎(21)の投じた1球が、その顔あたりを襲う。黒田は、背中を向けて、転びながら、なんとか避けたが、続く3球目もぶつかりそうなほど厳しくインサイドへ。体を一回転させて、かわした黒田は、勢い余って、またお尻から転倒。血相を変えて起き上がると「おら!」と言葉を発しながらバットを持ったままマウンドへ歩みよった。藤浪は帽子をとって謝罪の意を示したが、両方のベンチから選手が一斉に飛び出してきた。怒りの醒めやらぬ黒田は、間に入ろうとする阪神の平田ヘッドに詰め寄った。緒方監督も和田監督と何やら口論。あわや大乱闘に発展しそうな騒動となった。
「藤浪君のバントをさせたくない気持ちはよくわかるが、2球続けてきたから。年齢は関係ない。自分の体は自分で守らねばならない。あそこで僕がヘラヘラしているようでは、チームにも影響を与えてしまう」
 試合後、黒田は、自らの行動をそう説明した。

 メジャーでは暗黙のルールと呼ばれる不文律がいくつか存在している。一方的な点差がついている試合での盗塁やバントなど、やってはならない侮辱行為で、その暗黙のルールのひとつに「ピッチャーへの厳しい内角攻めはやらない」というものがある。ドジャース時代にピッチャーが打席に立つナ・リーグで4年間プレーした黒田にしてみれば、その暗黙のルールは自然と身についているもの。メジャーの野球に詳しい評論家の与田剛氏は「メジャーだけでなく、日本でも基本的には、よほど勝敗に直結しない打席以外では、ピッチャーに対しては厳しく内角は攻めない。お互い本業であるピッチングに影響を与えるような攻めはしないという不文律は存在している」という。

 しかも、藤浪の内角への厳しい投球は、3球連続で続いた。黒田が怒るのも当然だったのかもしれないが、ただ、どう考えても藤浪の投球に故意性はなかった。本人も、試合後、「バントをやらせようと思って、しっかりと投げないまま(バント守備のために)先に走りだしてしまった。それで、ああいうボールになってしままった」と説明したが、ただでさえ、コントロールの荒れていた藤波が、バント処理をあせるあまり、手先を乱しただけのことだ。前述の与田剛氏も「バント守備のため三塁側にマウンドを降りることを先に考えると、体の重心が浮き、リリースポイントが早くなり、右打者のインサイドへの抜け球になる可能性が高まる」と、解説する。例え故意でなくとも、それが3球も続けば暗黙のルールにあてはめる必要があるのだろうか?黒田の行為を「大人げない」と批判するのは、阪神DCで評論家の掛布雅之氏だ。
「バッターはピッチャーが(死球を)狙ってきたかどうかは判別できるもの。藤浪の内角球は、故意ではなく、コントロールできなかっただけ。そこまでの他の打者に対する故意な内角攻めの伏線もなく、逆にコントロールが乱れていたことを見ればわかるだろう。巨人の菅野や中日の吉見のようなコントロールのいいピッチャーが2球も3球も、ああいうボールを続けたのならば、怒るのもわかるが、相手は、藤浪なのだ。黒田は、メジャーで、そういう感覚が染み付いているのかもしれないが、それをあの場面に引っ張り出してくるのはいかがなものなのか。自らも調子が悪く、そのイライラも募っていたのではないか。大人気ない行動だったと思う。あの騒動の後に、藤浪のピッチングにも明らかに動揺が見えた。ただ、今後、遺恨を残すことはよくない。明日、藤浪が試合前に頭を下げて、ノーサイドにしておくべきだろう」
 掛布氏の意見は、阪神側の立場からであることを差し引いても一理ある。

 だが、一方で与田剛氏のように黒田の暗黒のルールに従っての行動を支持する意見もある。
「藤浪の帽子をとった行動や対応を見る限り、故意でないことはわかる。リリースポイントがバラバラで技術がなかったのだろう。ただ、そういう危ないボールが2球も続けば、腹を立てるのは当然の行為。おそらく黒田からすれば、藤浪の素質と実力を認めた上で『おまえ何やってんの?こんなとこでコントロールできないでどうするの? お互いもっと高いレベルで投げあいをしなければならないのでは?』というメッセージもこめて怒って行動を起こしたのではないか」
 結局、あわや乱闘になりかけた2回は、その藤浪の暴投と、黒田のファーストゴロの間に走者が三塁へ進み、ゴメスのタイムリーエラーが生まれて広島が勝ち越し点を奪った。その後も、広島は、阪神の守りのミスにつけこんで大量11点を奪い「11-3」のワンサイドゲームで黒田が3勝目を手にした。

 3打点を挙げた會澤が、試合後、「黒田さんに勝ちがついてよかったです。黒田さん? 男気を感じます。なんとか1点という気持ちで打席に入りました」と語ったように黒田の例え19歳年下の投手に対しても、チームのために真剣に向かっていく姿が、大不振だった打線に火をつけることになった。黒田が「ヘラヘラしていればチームに影響を与える」とは、こういうことだったのである。

 試合後、黒田は、「お互いが勝ちたいと思うあまりに起きたこと。もうグラウンド上で起きたことを引きずることはない」と語った。藤浪は、決して暗黙のルールを破ったわけではなかったとは思うが、結果的にそうなったことで、黒田に「本当のプロの厳しさ」を教えられたのだと思う。黒田の言うように今回の乱闘寸前騒動を遺恨として引きずるのではなく、次の機会には「勝利のピッチング」という結果で黒田に“恩返し”をしてもらいたいものである。」


バントも、させないも、するも、
普通は、投手は、危険なボールは、投げない。
バントも、するもしないも、手に当たれば、使えない。
高校野球と違う。

それも、2回。


面白くない試合は、一番には、なれないことかもしれない。


=================



セ・リーグ勝敗表 2015/04/25



 1  ヤクルト  24  15  9  0  0.625      
 2  巨人   24  13 11  0  0.542  2.0    
 3  中日   26  14 12  0  0.538  0.0    
 4  DeNA  24  12 12  0  0.500  1.0  
 5  阪神   23  9  14  0  0.391  2.5    
 6  広島   21  8  13  0  0.381  




最下位の争いではないか。
阪神、広島。


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操作ミスだろう。

2015年04月26日 03時55分10秒 | ニ言瓦版
この事件、事故は、何か、交通事故であると、思うが。

ご冥福を祈ります。



「22日にバイク事故のため62歳で亡くなった俳優・萩原流行さんの妻・まゆ美さん(63)が25日、都内で、この日昼に遺体を火葬したことを明かした。萩原さん愛用のテンガロンハットを手に「主人の器はなくなりましたけれど、魂は私と生きています。一緒に進んでいくんだと感じているので、さみしさはありません」と気丈に振る舞った。


 火葬場には親族とごく近しい関係者のみが集まり、ひつぎにはハットやバンダナ、チーフといったウエスタングッズ、好物の大福を入れて天国に送り出した。最後に「本当にお疲れさま」と言葉をかけたという。

 萩原さんと親交のあったフリーアナウンサーの小倉智昭(67)からは「しのぶ会を開かない?」と提案されたが、まゆ美さんは「悩んでいます」と話した。

 また、警察の護送車が事故に関与していたのではないかとの問題には「今日も連絡を取り合いましたが、昨日の司法解剖でも結局ははっきりとした結論には至らなかったそうです。警察を信用するしかない」と話した。」



解らないのは、バンク事故は、操作ミスが現実ではないか。

軽率に、新しいバイクに乗りたいがため、夜でも、バイクで、走りたいという、衝動に走ったこと。
車、バイク、新しく買ったら、誰でも、乗りって、走りたい。
そして、操作も、不慣れで、それは、失敗する。
誰でも、経験があるものだ。
ギターでも、何でも、新しく買ったものは、ためて、失敗する。
それが、普通。

その結果は、死か、怪我で、すむか。

役者の仕事するならば、危険なことはなく、演じる研究の日々、人の観察が、
役者なのだろう。

事故の生活が、役者の本分。
病気で死ぬは、天命かもしれない。


難しいのは、事故死で、死ぬ、俳優は、彼の世に行くと、後悔することかもしれない。
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解らない

2015年04月26日 03時45分15秒 | ニ言瓦版
文春の記事は、いいが。
解らないのは、二番煎じで、売れるのだろうか。
新曲、新しい自分の曲、作らないのだろうか。
不思議でならない。
事務所が、問題なのかもしれない。




「ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』の新しい日本語吹き替え版が製作された。主人公マリアの声を担当するのは、声優初挑戦の歌手・平原綾香さん。

「お話を頂いたときは、『おお~、ついに!』という気持ちでした(笑)。実はすごく忙しい時期だったんですが、どうしてもマリアを演じたくて。この機会を逃したら、きっと後悔すると思いました」

 平原さんは高校時代、学校のミュージカルで長女リーズルを演じた経験もあり、なじみ深い作品だ。

「でもなにしろ名作中の名作ですから、不安でいろいろと研究しました。そして物語も音楽も、素晴らしい作品だと再確認しました」



 マリアを演じたジュリー・アンドリュースの歌い方を熱心に分析した。

「彼女は、意外と声が低くて野太いんです。まず英語のセリフや歌い方の抑揚を意識して練習を重ね、その上で自分らしさを出すように心がけました」

 来月には自身の新アルバム『Prayer』が発売され、6月からは全国ツアーも始まる。

「ツアーでは、『サウンド・オブ・ミュージック』の楽曲も歌う予定です。ぜひ聴きにきてください!」」




『サウンド・オブ・ミュージック』は、曲は、昔の歌。
ミュージカルをすることが、本来の内容。

あの時代の物語、最近は、当時の画像の綺麗さの復活、
当時の撮影場所も、見に行った、映像がテレビに出ている。
庶民の多くは、撮影された、現場を見ている。

何か、二番煎じ、4番煎じで、売れるのだろうか。


新しい曲、見出すことが、大切の見える。
あの曲しか、ヒットがいなのではない。


================

「イギリスの作曲家・ホルスト(G. Holst)の「惑星」」の第4曲「木星 快楽をもたらす者」 (Jupiter,the bringer of Jollity) を原曲としたシングル「Jupiter」(作詞:吉元由美、編曲:坂本昌之)でデビュー。なお、CDデビューにあたって、ホルストの原曲に日本語の歌詞をのせて歌うことを提案したのは平原綾香自身である。歌詞の一部には、平原綾香自らが書いた言葉“Everyday…”“私の両手で何ができるの?”“ありのままでずっと愛されている”“いつまでも歌うわあなたのために”などが織り込まれている。また、この楽曲はTBS系列ドラマ『3年B組金八先生(第7シリーズ)』の挿入歌などとして使われた。
「Jupiter」は発売2年半で100万枚(出荷)を達成。」


「作詞:吉元由美、編曲:坂本昌之」が、作れば、新曲が、生まれることか、売れないか、わかないが、
何か、問われるのは、作り手と、歌い人、分業では、難しい。
自分で、作ることか、問われるのは、才能あるものが、作ると、歌手は、売れるのかもしれない。
編曲と、作詞で、売れることかもしれない。


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面白いが、営業活動の成果だろう。

2015年04月26日 03時23分54秒 | ニ言瓦版
いろいろ、売るのは、大変だろうな。
女性グループの時代は、続くのかもしれない。






「今年の元日に発売された「元気種☆」がオリコン週間ランキング1位を取り、11月23日にはさいたまスーパーアリーナでのワンマンライブを控える仮面女子。その最上位ユニット・アリス十番の初期メンバーで最年長だった渡辺まありが、4月12日に卒業した。1月から冠番組『仮面女子のやっぱ全力だね~!』(テレビ東京)の放送がスタートするなど、順風満帆だった中、なぜ彼女は“卒業”という選択を選んだのだろうか? ユニットが勢いに乗ってきた矢先の出来事に、不安を感じたファンも少なくないはずだが、朗報もある。

 3月11日に発表された“組閣”では、仮面女子のスチームガールズから上位ユニットのアリス十番に昇格する澤田リサをはじめとする13名が昇格。新たに“仮面をかぶるメンバー”も誕生することになり、“新生・仮面女子”が始動しようとしている。今回は、4月12日に卒業した渡辺まあり(卒業前に取材)、仮面女子のリーダー・桜のどか、アリス十番になる澤田リサ、仮面女子候補生ユニットのOZからスチームガールズに昇格する水沢まい、同じく候補生ユニット・ぱー研!からアーマーガールズに昇格する楠木まゆにインタビュー。渡辺まありの卒業、そしてこれからの仮面女子について、秘められた想いを聞いた。

――今回の組閣でメンバーが大きく入れ替わってしまいましたが、仮面女子のリーダーでもある桜さんは、仮面女子を立て直さなければという思いはやはり強いですか?

桜のどか(以下、桜) すごく思いますね。メンバーはもう一丸となって新しい仮面女子に向かって頑張っていこうという思いしかないのですが、ファンから「今、仮面女子、大丈夫なのか?」という声を耳にするんです。でも、私からすると、そこは心配することじゃないと思うんですよ。これまでもメンバーの入れ替わりはありましたが、最終的に残っていくのは、意志の固いメンバーだと感じています。今年のはじめにオリコン週間ランキングで1位も取らせてもらい、今さいたまスーパーアリーナのワンマンライブに向かって水面下で着実に基盤を作っているところなので、ファンのみなさんには何も心配しないでいただければと思っています。早く安心してもらえるように形にしたいですし、“新生・仮面女子”をお見せするのが楽しみです!」




面白いことだ。
AKBの現象ということかもしれない。
組織、グループつくり、独自に、営業活動する、売る。

原点は、日々、訓練、場所で、演じることかもしれない。

考えると、江戸時代ではないか。
役者は、芝居小屋で、演じて、評される、客が明日も見に行く。

テレビで、仕事して、収入得る時代は、とうに、終わったことかもしれない。
視聴率が酷いのは、出ても、何一つ、メリツトがない。

商品の売る、営業活動みたいなのは、今かもしない。
ファンをつくり、場所で、公演。
その繰り返しが、原点。


これを勝手に、AKB現象と、いいたい。
江戸時代の芝居小屋は、それで、成り立っていた。
明日、芝居、続編、するかで、客がくる。

オリコン週間ランキング1位も、売る努力、営業活動の成果というのが、現実ではないか。
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考えると、解説は、いらない。

2015年04月26日 03時20分06秒 | ニ言瓦版
 池上氏の話は、理解することが多い。
そうなのかと、思う。

現実、自民党が、調べるのは、いいのか、悪いのか。
問われるのは、肝心なことは、この事件、何が問題か、庶民には、
理解不能である。




「元経産官僚・古賀茂明の『報道ステーション』(テレビ朝日系)での発言以降、自民党の暴挙が続いている。自民党情報通信戦略調査会がテレビ朝日と『クローズアップ現代』のヤラセが指摘されたNHKを呼びつけ事情聴取を行ったが、それだけでは飽き足らず、BPOへの申し立ての検討、さらには政府自身がBPOに関与する仕組みを作るとぶち上げたのだ。

 表現の自由が剥奪され、政府からの言論統制が敷かれるという恐るべき事態が進行しているわけだが、しかし、マスコミの動きは鈍い。

 リテラは一貫して、安倍官邸の圧力とメディアの弱腰を批判してきたが、残念ながら弱小メディアがいくら叫んでも、相手にはしてもらえない。「報道の自由」をきちんと主張する影響力のあるメディア、言論人はいないのか。そう思っていたら、あの池上サンがこの問題について、かなり踏み込んだ発言をした。

 4月24日、朝日新聞の連載「新聞ななめ読み」で「自民党こそ放送法違反だ」と政権与党への批判を展開したのだ。

〈これが欧米の民主主義国で起きたら、どんな騒動になることやら。放送局の放送内容に関して、政権与党が事情聴取のために放送局の幹部を呼び出す。言論の自由・表現の自由に対する権力のあからさまな介入であるとして、政権基盤を揺るがしかねない事件になるはずです。〉

 池上はいきなり、こう断じたうえで、その理由を述べる。

〈では、なぜ自民党の行動は問題なのか。自民党が呼び出した理由は、放送法に違反した疑いがあるから。放送法の第4条第3項に「報道は事実をまげないですること」とあるからです。
 しかし、実は放送法は、権力の介入を防ぐための法律なのです。
 放送法の目的は第1条に書かれ、第2項は次のようになっています。「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」
 つまり、「表現の自由」を確保するためのもの。放送局が自らを律することで、権力の介入を防ぐ仕組みなのです。〉

 放送法の本来の理念は権力の介入を防ぎ、表現の自由を確保するもの。池上はそう明確に指摘する。そして同法は戦前の言論統制の反省から、権力から独立するためのもので、自民党の行為こそが、放送法違反だと批判するのだ。

 だが、注目すべきは、池上が言論に介入する自民党を批判する一方で、メディアの対応をも批判していることだ。池上は新聞各紙の論調を取り上げながらこう指摘する。

〈いつもは論調に大きな違いのある新聞各紙が、この問題に関しては、自民党に批判的な立場で歩調を揃えています。それだけ重大な問題であるとの認識では共通しているのでしょう
その上で、毎日新聞の〈放送は自主・自立が原則であり、放送局を萎縮させるような政治介入は控えなければならない〉(4月17日付社説)という主張について、こう疑問を呈するのだ。

〈ただ、毎日の社説を読むと、「放送局を萎縮させるような政治介入は控えなければならない」と書いています。では、萎縮させないような政治介入ならいいのか、と突っ込みを入れたくなる文章です。〉

 池上は「政治介入は控えなければならない」ときっぱりと書くべきだったと指摘。そんな毎日新聞の態度が妙に微温的だとして、〈まさか萎縮なんか、していませんよね?〉と皮肉る。

 読売新聞に対しても同様だ。同紙はやはり社説で〈放送免許の許認可権は、総務省が持っている。意見聴取は、政権側による「圧力」や「介入」との疑念を持たれかねない〉(4月18日付社説)という主張を、〈「本当はそうではないけれど」という文意が垣間見えます。〉と批判する。

 確かに池上の指摘は本質をついたものだ。大手マスコミは表向き、批判のポーズをとっているが、実は完全に腰が引けている。

 そもそも、古賀問題の本質は官邸から『報ステ』への圧力だ。菅義偉官房長官は、古賀が1月23日の放送で安倍首相のイスラム国問題への対応を批判した後、「オフレコ懇談」で「俺なら放送法に違反してると言ってやるところだけど」と放送法を使って恫喝をかけている。

 また、放送中、菅官房長官の秘書官から『報ステ』の編集長あてに「古賀は万死に価する」という内容のショートメールが送りつけられてきたことも明らかになっている。

 ところが、新聞・テレビはこうした圧力の明確な証拠があるにもかかわらず、一切報じようとしないのだ。

「各社ともそのときのオフレコメモはもっているんですが、官邸と癒着する政治部が絶対に記事にさせないんです。だから、当たり障りのない批判を書いてお茶を濁している」(全国紙社会部記者)

 それでも、新聞は社説として主張を掲載するだけ、まだましかもしれない。最も直接的な当事者であるはずのテレビは、自ら論評することなく、事実と野党である民主党議員や学者のコメントをアリバイ的に垂れ流すのみだ。

 特に呼び出された当の『報道ステーション』の惨状は目を覆うばかりだ。各社が事情聴取について報じるなか、この問題にようやく触れたのは事情聴取の当日。しかも民主党の細野豪志政調会長のコメントを紹介しただけで、司会の古舘伊知郎にいたっては「視聴者にまっすぐ向いてニュースを伝える」と腰砕けぶりを見せつけるしまつだった。
 
 メディアだけではない。比較的、リベラルだと思われていたジャーナリストや評論家も同様だ。例えばジャーナリストの江川紹子は局側から制約を受けたことがないとして、古賀をこう批判している。

「公共の電波で自分の見解を伝えるという貴重な機会を、個人的な恨みの吐露に使っている」
衆院議員でジャーナリストでもある有田芳生もいち早く江川に賛同するかたちで違和感を表明。また経済評論家の森永卓郎も「古賀さんは番組を壊してしまった」と批判し、社会学者の古市憲寿は「僕の知ってる限りでは(圧力は)ない」として「古賀さん自体は勝手なこと言ってるだけだと思うんですね」と断じた。『モーニングバード』(テレビ朝日系)のコメンテーターなどをつとめながら、反権力的姿勢をつらぬいているジャーナリストの青木理も「基本的に楽屋の話でしょう」と古賀批判を口にしている。

 繰り返すが、古賀が告発したのは『報ステ』への圧力であり、「個人的恨み」などではない。また、政権からの圧力は出演者に対して直接加えられるようなわかりやすいものでもない。彼らはこの騒動を古賀個人の問題に矮小化することで、結果的に政権による報道への圧力を正当化してしまっている。

 そんななか、ジャーナリストとしてもっともメジャーな存在である池上彰が誰よりも踏み込んで、政権与党を批判したというのは、さすがという他はないだろう。実際、今回に限らず、池上はこれまでも一貫して報道の自由を守るための主張を展開してきた。

 たとえば朝日新聞慰安婦報道に関しては、「週刊文春」(文藝春秋)14年9月25日号の連載コラムで、朝日バッシングに走るメディアをこう牽制した。

〈朝日の検証報道をめぐり、朝日を批判し、自社の新聞を購買するように勧誘する他社のチラシが大量に配布されています。これを見て、批判は正しい報道を求めるためなのか、それとも商売のためなのか、と新聞業界全体に失望する読者を生み出すことを懸念します。〉
 
 さらに、メディアは「売国」などという言葉を使うべきではない、「国益」にとらわれるべきではないとも主張した。

〈メディアが「国益」と言い始めたらおしまいだと思います。(略)私は、国益がどうこうと考えずに事実を伝えるべきで、結果的に国益も損ねることになったとすれば、その政権がおかしなことをやっていたに過ぎないと思います。〉(「世界」岩波書店/14年12月号)

 ほとんどのメディアが政権からの圧力を恐れ、批判を封印するなか、池上だけが正論を吐き続けているのだ。

 しかし、その池上は、もともと左翼でもなんでもないニュートラルな解説者だったはずだ。そんな池上がいつのまにか一番リベラルなポジションにいるという事実が、日本の言論状況の危うさを証明しているというべきだろう。





一つのテレビ局のあり方が、問われる。
『報道ステーション』と『クローズアップ現代』は、まるきり、違うことだが、調べるのは、どこが、するか、今の問題は、調査するのは、
必要、不必要より、違う気がする。

何か、記事の記事で、週刊誌と、マスコミが、話題づくり。

自民党も、その内容調べたということかもしれない。
政権にかかわることだから、それは、調べる。

庶民からすると、誰も、あの番組、その番組、見ないことになる。
正しい報道して、正しく、評して、酷いのは、テレビに出られないのが、普通の淘汰。
酷い新聞社は、記事のでった上げで、今後、信用は、消える。
スポーツ新聞の記事のが、大手の新聞、テレビ局より、信用が出るのが、現実で、それが、
視聴率になる。

『報道ステーション』と『クローズアップ現代』も、庶民は、信用しないのマスコミは、判断することだろう。
一度、番組を廃止、整理することが、必要かもしれない。


結局、マスコミの誤報、酷い記事、正しくない記事、正しい記事も、調べることろは、ないのかもしれない。
酷いテレビ、変なコメントする人は、仕事が、消えるのが、淘汰ではないか。
ニュースも、報道も、コメントで、食うやからがいるか、起きる。
映像と、専門家が、説明で、報道は、批判など、ないのかもしれない。
アメリカのニュース番組見たく、現場の記者の説明で、十分なのが、報道。

解説が問われるのは、必要ない解説者である。
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