二言瓦版

「復讐は神に所属する。」 「旧約聖書」


暇つぶしの記事、名言、珍言、コラムの批判。
株式の名言など。

いいことだ。

2014年09月05日 17時55分12秒 | ニ言瓦版
いいことだ。
市、県で、発信と、国でもすることだ。
理想は、国民背番号で、めいめい、携帯電話、スマホに、国の登録があると、
一斉に、番号から流すのは、死亡者もすぐに、解る。
居場所もわかる。




「南海トラフ巨大地震を想定し、大阪府内の携帯電話に一斉に緊急速報メールを送る「大阪880万人訓練」(府など主催)が5日午前、府内で実施された。71.2%に当たる推定626万台に配信され、大勢の市民が足を止めて携帯電話の画面に見入ったほか、役所や病院、企業などでは避難訓練が行われた。府内では津波などで最大13万人の犠牲者が出ると想定されており、府は広島市の土砂災害を受け、訓練の時間帯や想定などを来年から見直す方針を固めた。

 今年3回目。府の人口全員に参加を呼び掛ける取り組みで、国内最大級。

 午前11時3分、「大阪府沿岸全域に大津波警報が発表されました。適切な避難行動をとってください」とのメールが府全域に届いた。訓練と連動して10〜30分後には33市町村(昨年18市町)が市民に向けて独自に訓練メールを発信。大阪市では、津波が予想される沿岸部の17区がメールに記され、「高い建物の3階以上等に避難してください」と呼び掛けた。密集市街地のある豊中市や門真市など内陸部でも、火災への注意を求めた。

 携帯各社の対策が進み、今回メールが配信された割合は昨年の58.9%、一昨年の約40%から上昇した。

 広島の土砂災害が深夜に発生したことから、松井一郎知事は「広島の災害で考えさせられた課題を受けて、訓練を行うのが我々に与えられた使命だ」と話し、訓練を見直す考えを示している。府では、実施時間を休日夜間にしたり、土砂災害を被害想定に加えたりする案が浮上しており、来年の訓練に向けて、見直しを本格化させる」



広島県も、バカな知事、市長のように、豪雨に流れているなか、終わった後、避難では、
笑い話と、死が、当たり前。

警戒警報は、携帯から、知らせること、スマホから、見せること。
夜中、発信すると、寝ている人は、死ぬが、起きている人は、避難する。
この違いは、携帯、スマホの判断は、自分になる。


蚊の感染も、テレビでなく、携帯から、警戒のメールが、必要かもしれない。地域で、危険のメール。
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厚生が問題に見える。

2014年09月05日 17時52分45秒 | ニ言瓦版
だんだん、広がっているのか。
なにか、違う。
空港の管理が、問題なのかもしれない。
感染した人が、入国しているから、起きる。
蚊の退治も、必要だ。
公園の消毒も、必要だ。
なにか、厚生労働省の怠慢に見える。
国内に、感染しないと、怠慢の管理しているからである。




「厚生労働省は5日、東京都新宿区の区立新宿中央公園でデング熱に感染したとみられる患者が確認されたと発表した。代々木公園(渋谷区)周辺以外での感染が発覚したのは初めて。

 厚労省によると、感染者は埼玉県に住む30代男性で、8月30日に発症。9月1日に同県内の医療機関で受診し、同5日に国立感染症研究所の検査でデング熱の感染が確認された。容体は安定している。

 男性は最近の海外渡航歴はなく、代々木公園周辺も訪れていなかった。8月18~26日に複数回、新宿中央公園で蚊に刺されたことなどから、同公園で感染した可能性が高いと判断した。 」




熱帯の日本、この感染は、他にも恐ろしい、病気の感染があるのではないか。

健康保険が、かさむから、経費を減らすことは、病院に来るな、自己負担を上げること、
無駄と思う、検査カットなど、厚生労働省の怠慢に見える。

空港、港の検疫が、問題に見えてならない。



蚊に刺されて、熱が出た人は、保健所が、病院に行くことが、義務にすることかもしれない。
特に、海外で、熱が出て、空港か、港で、体温の検査が必要に思う。

しているのか、海外、特に、蚊の病気の地域から来た、飛行機の客の体温の管理が、必要に思う。

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2014年09月05日 04時17分32秒 | ニ言瓦版
面白い、ユニクロ対決か。


「テニスの錦織圭選手が全米オープンで3日(日本時間4日)、日本人として96年ぶりに4強入りし、スポンサー企業などが、盛り上がっている。
特にファーストリテイリングが運営する「ユニクロ」は錦織選手に加えて、
準決勝の対戦相手ノバク・ジョコビッチ選手(セルビア)ともスポンサー契約を結ぶ。
柳井正会長兼社長は、「契約選手同士の夢の対決の実現をうれしく思う」と話している。

 同社では公式サイトやフェースブックなどネットで大々的に「ユニクロ対決!どちらが勝つか」と即日、ページを展開した。両選手モデルのウエアもネット販売している。

 4日の日経平均株価は軟調だったが、錦織選手の関連銘柄はそろって好調と、こちらにも好影響をもたらした。ファストリは0.7%、森永製菓も0.46%上昇した。テレビ中継するWOWOWも0.68%の上昇だ。

 錦織選手が所属する日清食品も「同じ会社の仲間のがんばり」を喜ぶ。ブランド宣伝効果が高く、グローバル化のサポートになるとみている。ジャックスも錦織選手を使った広告出稿を増やす方針。」



売れるだろうな。
広告、投資とは、このようなことが、投資なのだろう。
経費も、タニマチの思考が、大切かもしれない。
広告とは、選手、育てるから、広告になる。


他のウエアの会社は、変な、広告することしかない。
投資とは、人材投資であると、感じる。

国の企業することだ。
税金を集めて、使うのでは、赤字。
人材の投資、企業化すれば、利、税収が増える。
年金、介護保険、雇用保険も、郵貯の預金も、投資は、必要なこと。

思うが、省ごとに、株式会社にすると、税金を借り手、配当を国が取る。
国会議事堂など、民営化して、使うとは、貸すとき、そして、
利を得て、税収にする。
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寂しいことだ。

2014年09月05日 03時45分54秒 | ニ言瓦版
寂しいことだ。
名力士ではないが、力士の将来の引退した後、生活、仕事を見出した人。
そして、多くの力士、有名な力士を知っていた人。
花籠部屋は、人材の宝庫だったのかもしれない。



「先月29日に死去した大相撲元小結でタレントの龍虎(りゅうこ 本名・鈴木忠清=すずき・ただきよ)さん(享年73)の通夜が4日、東京・実相会館・別館たちばなで営まれ、元横綱・北の富士勝昭、西川きよし、ヘレン夫妻ら約700人が訪れた。

西川きよし、龍虎さん通夜で偲ぶ「粋な人でした」

 祭壇は故人がリボンや蝶結びが好きであったことや生前関わりのあった方たちへの感謝の気持ちを表現して、蝶結びの形にデザイン。遺影は、約2年に撮影されたプロフィール写真が使用された。戒名は、四股名から「龍」、勝負の世界の出身のためこれからも「勝」ってほしいということから清淨院釋龍勝居士(せいじょういん・しゃくりゅうしょうこじ)。

 あすの出棺時には妻・貴子さんの手作り弁当を入れるといい「また出かけるので、いってらっしゃいと。おにぎりと里芋の煮っころがしとサンマを」と涙目で明かした。

 龍虎さんは、1957年に初土俵を踏み、小結まで昇進。75年5月に現役を引退した。その後タレントに転向し、TBS系『料理天国』(75年10月~92年9月)では、西川と共演し、名物試食人として人気を博した。先月29日に家族との旅行中に倒れ、静岡県内の病院に搬送されたが、帰らぬ人となった。

 龍虎さんは、過去に心筋梗塞で倒れているが貴子さんは、「2ヶ月に1回、血液検査程度の検診をしていた。大事なときに油断してしまった」と後悔をにじませ、「来世で一緒になれればいい。あの人は嫌がるかもしれないけど」と故人に語りかけた。

 通夜にはそのほか、元横綱・北勝海の八角親方、元プロレスラーの坂口征二氏、現役力士の隠岐の海、佐渡ケ嶽親方、生島ヒロシ、やくみつる、岡田美里らが参列し、故人を偲んだ。」



力士も、俳優、タレントができる、才能があるのかと、思ったことだ。
人は、二毛作。
人生は、仕事も、退職、首になったあと、また、新しく、仕事見つけ出す。
才能・タレントを発揮する。
ご冥福を祈ります。


===============

生い立ち、経過。

「1957年1月場所、花籠部屋から初土俵(同期に第52代横綱・北の富士がいる)。同年11月場所まで鈴木山の四股名で土俵生活を送り、翌1958年1月から1959年9月まで花武蔵の四股名で土俵に上がった。1959年11月からは「出羽海部屋の武蔵川親方とは系譜上の関係がないから」として若神山を名乗るも、幕下中位から下位で停滞していたことに痺れを切らして1964年11月場所から花武蔵に戻す。1966年5月場所前には師匠の花籠から「漢語由来の四股名を名乗ると出世するよ。双葉山さんや大鵬がいい例だ。」と勧められて龍虎と改名し、以来引退までこの四股名で通す(1969年3月までは下の名前が昇だった)。若乃花には新弟子の頃からかわいがられ、二子山(若乃花)独立の際について行くことを志望しながら師匠花籠が移籍を認めた力士に含まれていなかったために移籍は認められず残留することになった。1967年3月場所新十両。1968年3月場所新入幕。初土俵より11年かけての幕内昇進は当時の最スロー記録であった。

新入幕の場所で11勝4敗の成績を挙げ敢闘賞を獲得。1969年5月場所(前頭2枚目)で大鵬から初金星を挙げ、この場所8勝7敗で殊勲賞を獲得。翌7月場所も東前頭筆頭で8勝7敗の成績を挙げた(この間、3場所連続優勝力士に土をつけるという珍しい記録をつくっている)が新三役に昇進できず、翌9月場所同位置で3勝12敗と大敗したが、その後はほぼ安定した成績を挙げ幕内上位を保持していた。ようやく1970年3月場所新三役(小結)。突っ張りを交えた気風のよい相撲振りと美男力士として人気を博し1970年9月場所、前頭11枚目で自己最高の13勝2敗を挙げた。

しかし、翌1971年11月場所6日目に前頭7枚目義ノ花戦で左アキレス腱を断裂して3場所連続全休で幕下まで落ちた。このケガが1972年1月場所より公傷制度が設けられるきっかけとなったが(2003年11月場所限りで廃止)、龍虎自身には適用されなかったため、世間の同情を集めた。

しかし、本人の不屈の闘志と努力が実を結び、幕下優勝(1972年9月場所、7戦全勝)、十両優勝(1973年3月場所、11勝4敗)と実績を重ね、1973年7月場所に再入幕する。その後も1974年9月場所で新横綱の北の湖から通算2個目の金星を獲得。1975年1月場所で小結となり三役にカムバックした(破門など協会からの離職によるブランクなしで幕下へ降下した元三役の三役復帰は史上初)。

ところが、1975年5月場所初日の前頭4枚目旭國戦で、今度は右アキレス腱を切断(復帰後2度目のアキレス腱断裂、計3度のアキレス腱断裂)して、その場所限りで現役引退。引退後は年寄放駒を襲名するも1977年に廃業し、タレントに転向した。」


初代の若乃花に、育てられたのかもしれない。
死んだ、昭和の名力士が、彼の世で、待っているのかもしれない。

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