本来の意味は「人に憎まれるような人間が、かえって世間では威勢を
振るうものだ」とある。(大辞林)
今の日本の政治や企業倫理にも、まさにこのことばが当てはまる。
いや・・時代劇を観ていると、昔から政(マツリゴト)と民(国民)の関係は
ちっとも変わってない。
憎まれっ子が世にはばかるのは、世間がそれを許しているからでもある。
それにしても現代は、残念なことにごく自然に人を信じる、許す、
さりげなくいたわる、思いやるといった古きよき時代の日本の文化が、
どんどん失われて行っているような気がする。
個人情報ということばだけが先走り、信頼という何にも変えがたい人と人の財産が
奪われていく今、私たちは何を一番大事にすべきなんだろう。
変わらぬ歴史を変えていくには、憎まれっ子をただ漫然と世にはばからせて
ばかりではいかんのだ。
だけど、はてな。
では何をすればよいのか?
まずは知ること。自分で考え、選べるだけの知識と技術を持つべし。
それは何も政治に限ったことではないわけで。
マンネリ化した自分を変えるにも、まずは自分に関心を持つべし。
自分がわかれば、他人も見えてくる。
自分を大事にできれば、他人も大事にできる。
世の中は共存し、関係しあっている中で成り立っているということを信じて、
一人一人がお互いを大事に、信じる心を持っていられたら。
憎まれっ子にはない、あっけらかんと底抜けの明るさを携えて。