(半懐紙1/2)
北京オリンピック、無事終わりましたね~。
選手はもとより、関わった全ての数知れない人たちに
「お疲れさまです」と心から
開会式とは違って閉会式では、国ごとではなく色んな国の選手たちが入り混じって、
自由に楽しそうに入場する様子は、見ていて清々しかったなぁ。
あれって、ある17才の男性が、国とか民族とかに関わらず共に手を取り
喜びを分かち合うのがオリンピックの意味では~って、オリンピック委員会に、
直接お手紙を出したのがきっかけらしいですね。 えらいっ!
「把手共行」(はしゅきょうこう)とは、禅語で、手をとって共に行くという意味。
悟りを開くとは自分の内なる仏性に目覚めること、そして仏と自己が調和、一体となって
手に手をとって生きるという旅を続けること、この喜びこそ「把手共行」の喜びなのだと。
国は違っても、男女の違いはあっても、年齢の違い、考え方の違い・・と
表面的なことは違うことばかりのようだけど、「存在」しているってとこは同じなんですよね。
人間も猫も犬も、虫も植物も、水も土も、今座っている椅子だって
今の時代、疑うことばかりが先行して、隣にいる人と手をつなぐなんて考えられないって
思うかもしれない。
でも体温って、ことばがなくても通じるものがあるって思う
オリンピックは、選手も観る私たちにとっても、ただ記録を競うものであって欲しくない。
オリンピックは、私たちの生きていく日常の「夢」であって欲しいなぁ
ともあれ、無事で何より。
北京オリンピック、無事終わりましたね~。
選手はもとより、関わった全ての数知れない人たちに
「お疲れさまです」と心から
開会式とは違って閉会式では、国ごとではなく色んな国の選手たちが入り混じって、
自由に楽しそうに入場する様子は、見ていて清々しかったなぁ。
あれって、ある17才の男性が、国とか民族とかに関わらず共に手を取り
喜びを分かち合うのがオリンピックの意味では~って、オリンピック委員会に、
直接お手紙を出したのがきっかけらしいですね。 えらいっ!
「把手共行」(はしゅきょうこう)とは、禅語で、手をとって共に行くという意味。
悟りを開くとは自分の内なる仏性に目覚めること、そして仏と自己が調和、一体となって
手に手をとって生きるという旅を続けること、この喜びこそ「把手共行」の喜びなのだと。
国は違っても、男女の違いはあっても、年齢の違い、考え方の違い・・と
表面的なことは違うことばかりのようだけど、「存在」しているってとこは同じなんですよね。
人間も猫も犬も、虫も植物も、水も土も、今座っている椅子だって
今の時代、疑うことばかりが先行して、隣にいる人と手をつなぐなんて考えられないって
思うかもしれない。
でも体温って、ことばがなくても通じるものがあるって思う
オリンピックは、選手も観る私たちにとっても、ただ記録を競うものであって欲しくない。
オリンピックは、私たちの生きていく日常の「夢」であって欲しいなぁ
ともあれ、無事で何より。
>直接お手紙を出したのがきっかけらしいですね。 えらいっ!
手紙出した若者すごいと おいらも思いましたん
ほんで その内容を聞き入れた 聞く耳持ったオリンピック委員会も めちゃすごいと思いましたん
何か大きな事件でも起こるのでは・・・と
心にいつもひっかかっていたので
閉会式までずっと期待と緊張の連続でした。
良かった良かった
おっしゃる通り国籍や男女差を超えた一人一人のかけがえのない存在としての交流の大切さも痛感しました。
そう信じたいですね
大きな混乱がなくて、ほんとよかったですよね
でも中国はこれからが大変でしょうね。
私は前半は高校野球を見ていたので、途中参加です(笑)
いつの時代もオリンピックの影には、痛みを負った人も少なからずいるわけで、また今回の中国は、オリンピックをきっかけに、新しい流れが生まれるのか否か、これからも中国からは目が話せないですね。
またそちらにもお邪魔しますね