BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

裁 ち 鋏

2009年07月04日 | その他
 不思議なことは、部屋の中にもある。
先日の「一号線北上」の宿の光景。
石油ストーブと窓下の壁の間に〔裁ち鋏〕が挟まっている。
どんな意味なのか、何故そのままにしてあるのか?。
アタシはしばらく見とれ、ぼんやりと考えた。
 考えたが思いつかない。取り出そうとしたが、おいそれとはいかない。
もし全力を出せば、取り出せる気配はあった。
でもそれは止めた。
目に付かないハズがない客室担当者(?)も、放置しているのだから。

 山奥の一軒宿、あの室内にはきっと〔裁ち鋏〕が似合うのだろうか。

 停

2009年07月03日 | 映画
 バス停をみるのが好きだ。それも時刻表に書かれた便数が
少ないほど、郷愁をかきたてられる。
どんな人がこのバス停から、何処へ旅立ったのか。
どんな人がこのバス停に、降りたったのか。
バス停に女が似合うのはどうしてだろう。ぽつんと1本だけのバス停横に、日傘
をさして女が待っていたら、もうそれだけでドラマだ。
 ただ暗い夜に、女がひとり 待っていたら、それは怖いけどね(笑)。

 映画「女はバス停で服を着替えた」監督 小沼 勝(2002年)を思いだす。
あるシーンが強烈に印象に残っていて、いつかアタシの作品でマネしたいのだが、
多分・・・。(笑)

 冷

2009年07月02日 | その他
 ドアーを開けるときはひざまずき、両手を添え、まるで日本間の
襖を開けるように所作する。閉めるときは〔有り難うございます〕
と深く頭を下げ、音をたてず柔らかく〔ソォー〕と閉める。
足で閉めたりすることはご法度で、必ず感謝の気持ちをこめて開閉するのだ。
 氷が造れるようになり、宅呑みが出来るようになった。例の当ブログでお馴染
み〔I〕さんが、死にものぐるいでやっと、中古の小さな冷蔵庫を手に入れたのだ。それが無いときの不便と行動の不自由を痛切に感じていた。そして文明の利
器が一つ手に入った喜びに満ちた生活を送っている。
 雨風をしのぐ屋根と壁、寒くない程度の夜具、それに命をつなぐ水があれば、
そして更に多少の食料を保存する器があれば、それはたいした文化的で人間的な
生活ではないかと、〔I〕さんが笑った。最も強力な省エネの実践者だ(笑)。
 人生を楽天するその極意は、ガラスとハガネのダブルエンジンハートだ。

ばくろう

2009年07月01日 | 映画
 あの時代の映画というのは、こんな程度のものだったのか。
あんな映画でも、有り難くみんな拍手喝采したのだろうか。
アタシは背筋に寒いものを感じ、見ていることが恥ずかしかった。
 主演の三船敏郎は、ただ闇雲にサケとバクチとケンカが大好き。そこにいろん
な人物がからむのだが、これがなんともイイカゲンな出入りをする。スジもシーン
も季節のつながりも、テキトウこの上ない。なぜあんな「駅馬車」(監督ジョーン・フォード)のような馬の追っかけシーンがあるのか分からないし、なんの必
然も脈絡もないのだ。監督は、ただなんとなくこんなシーンがあればいいと考え
たものを撮影し、無理くりそれを編集した。現場のスタッフは一体どんな気持ち
で、この映画に付き合ったのだろうか。ったく「映画にも程がある」なのだ(笑)
 こんなバカ映画を快作というなら、黒澤 明という映画監督は、世紀の奇跡的
名監督(初期の作品においてだが)であることが分かる。

 6月12日、〔北の映像ミュージアム〕主催「馬喰一代」という上映会だ。
上映会後のトークタイムで、こんな映画でも面白いと云わざろう得ない団体の長
や、公職いっぱいの小檜山 博さんが、気の毒だった。

 「馬喰一代」 監督 木村 恵吾  主演 三船 敏郎  京 マチ子
  ( 原作 中山 正男  大映東京 1951年 113分 )