BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

曲 解 ?

2009年07月29日 | その他
 もしそれが曲解でなければ、一瞬の平和な光景だったと言うべきだろう。
いつも乗る地下鉄駅行きバス路線で、その行為の半分を目撃した。
 その人はアタシよりあとのバス停で乗車し、短い区間で先に降りた。アタシが
先に降りたり、あるいは駅で同時に降りれば、目撃することは無かったろう。
 降車時、お年寄りなどが、運転手に声をかけることはそう珍しい事ではない。
たいていは敬老パスで乗せて貰ったお礼を、短い言葉で伝えたりする。運転手が
それに表情で応えることもある。多分その方も声をかけたのだろうが、乗車口中
ドア付近に立っていたアタシには聞えなかった。何人かが降りて、何人かが乗り
ドアが閉まってバスは動いた。するといま降りた筈の方がバスに向かって腰を
折り、頭を下げていることに気付いた。ゆっくりと動いたバスの、その人が降り
立った位置に中ドアが過ぎたあたりで、穏やかに頭をあげ、短い白髪にグレーの
帽子を被せた。

 しかしあれほどに、乗せてもらった恩義を動作にして表現するものだろうか。
そしてそれは、あの人にとって習慣的流儀なのだろうか。それともなにか特別な
意味や理由があったのだろうか。
 ときに目撃した平和線の感心な〔姉と弟〕の光景は、以前にも書いた。必ずし
もアホな定刻発車命という場面ばかりではないのだし。(笑)