帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに

2012-01-27 00:07:29 | 古典

    



                                             帯とけの枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに


 文の清げな姿

 また、業平の中将のもとに、母の皇女が「(老いると)ますます見たくなる(我が子かな)」と、おっしゃっている。たいそう哀れで興味深い。(業平の君が泣きながら母上の文を)ひき開けて見ていただろうときのことが、思いやられる。


 原文

 又、なりひらの中将のもとに、はゝのみこの、いよいよみまく、との給へる、いみじうあはれにおかし。ひきあけてみたりけんこそ思やらるれ。


 心におかしきところ

 また(すばらしい母上がいらっしやる)、業平の中将のもとに、母の皇女が「(感極まれば)ますます見たくなる(子の君なのかな、心配していますよ)」とおっしゃっている。とってもあわれでおかしい。(業平の君が多くの女を)ひきあけて見ていただろうことが思いやられる。


 言の戯れと言の心

 「おい…老い…年齢など極まる…追い…ものごとが極まる…感極まる」「見る…目で見る…覯する…まぐあう」「ひき…接頭語…引き…めとり」「あけて…開けて…(めとり)ひらいて」



 伊勢物語(八十四)を読みましょう。

 
 業平の君は、如何なる志があったのか、田舎わたり(井中わたり)し、かり暮らし(女性遍歴)していた。御母上(伊登内親王)との往復書簡が「伊勢物語」にある。宮仕え(女の宮こ仕え)に忙しくて、母のもとへは参上していなかったころ、師走ばかりに急なことと御文があり、(業平が)驚いて開けて見れば、

老いぬればさらぬわかれのありといへば いよいよ見まくほしききみかな

(老いますと避けられない別れがあると言うので、ますますお目にかかりたい我が子かな……ものの極みで感極まれば避けられない峰の別れがあると言うから、ますます見たくなる子の君なのか・心配していますよ)。

彼の子(業平の君)、ひどく泣き出して詠んだ、

世の中にさらぬわかれのなくもがな 千よもといのる人のこのため

(世の中にそのような別れがなかったらなあ、母の命は千世もと祈る人の子のために……女と男の夜の仲にそのような別れがなかったらなあ、千夜もと祈るわが子の君のために)。


 歌は、まことの心を清げな姿に包んである。聞き耳により、それぞれ異なる意味に聞こえるけれども。清げな姿の内に歌の本心がある。それが聞こえるのは、貫之の言う通り「歌の様を知り、言の心を心得ている人」だけである。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。