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帯とけの枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百八十九〕又、業平の中将のもとに
文の清げな姿
また、業平の中将のもとに、母の皇女が「(老いると)ますます見たくなる(我が子かな)」と、おっしゃっている。たいそう哀れで興味深い。(業平の君が泣きながら母上の文を)ひき開けて見ていただろうときのことが、思いやられる。
原文
又、なりひらの中将のもとに、はゝのみこの、いよいよみまく、との給へる、いみじうあはれにおかし。ひきあけてみたりけんこそ思やらるれ。
心におかしきところ
また(すばらしい母上がいらっしやる)、業平の中将のもとに、母の皇女が「(感極まれば)ますます見たくなる(子の君なのかな、心配していますよ)」とおっしゃっている。とってもあわれでおかしい。(業平の君が多くの女を)ひきあけて見ていただろうことが思いやられる。
言の戯れと言の心
「おい…老い…年齢など極まる…追い…ものごとが極まる…感極まる」「見る…目で見る…覯する…まぐあう」「ひき…接頭語…引き…めとり」「あけて…開けて…(めとり)ひらいて」
伊勢物語(八十四)を読みましょう。
業平の君は、如何なる志があったのか、田舎わたり(井中わたり)し、かり暮らし(女性遍歴)していた。御母上(伊登内親王)との往復書簡が「伊勢物語」にある。宮仕え(女の宮こ仕え)に忙しくて、母のもとへは参上していなかったころ、師走ばかりに急なことと御文があり、(業平が)驚いて開けて見れば、
老いぬればさらぬわかれのありといへば いよいよ見まくほしききみかな
(老いますと避けられない別れがあると言うので、ますますお目にかかりたい我が子かな……ものの極みで感極まれば避けられない峰の別れがあると言うから、ますます見たくなる子の君なのか・心配していますよ)。
彼の子(業平の君)、ひどく泣き出して詠んだ、
世の中にさらぬわかれのなくもがな 千よもといのる人のこのため
(世の中にそのような別れがなかったらなあ、母の命は千世もと祈る人の子のために……女と男の夜の仲にそのような別れがなかったらなあ、千夜もと祈るわが子の君のために)。
歌は、まことの心を清げな姿に包んである。聞き耳により、それぞれ異なる意味に聞こえるけれども。清げな姿の内に歌の本心がある。それが聞こえるのは、貫之の言う通り「歌の様を知り、言の心を心得ている人」だけである。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。