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帯とけの枕草子〔二百八十八〕小原の殿の御母上
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百八十八〕をはらのとのゝ御母上
をはらの殿(道綱)の御母上とおっしゃるお方は、普門という寺にて八講(経供養の法会)を(義兄が)したのを聴聞して、次の日、小野殿に人々多く集まって遊び(管弦、作歌、囲碁、花見など)して、文(詩など)作ったときに、
たきゞこる事は昨日につきにしを いざをのゝえはこゝにくたさん
(薪をきること・修業中の釈迦を念じること、は昨日で尽きたので、いざ斧の柄は、ここ小野で朽ち果てさせましょう・遊びに時を忘れましょう……多気気を伐ることは昨日で尽くしたので、いざ、をのの枝は、ここにて、朽ち果てさせましょう)。
とお詠みになられたのでしょう、これこそ、いとめでたけれ(とっても愛でたい歌だこと…懲りない心、断たぬ煩悩、とっても愛でたいことよ)。このあたりは、聞いた話になってしまったようである(小野殿に居合せたのではない)。
言の戯れと言の心
「たきぎこる…薪樵る…薪をきる…釈迦を念じ修行する…多気気切る…多情を断つ」「こる…(木を)伐採する…(女の立場でいう)まぐあい折る」「木…言の心は男」「斧の柄くたす(故事)…囲碁など見ていて知らぬ間に長い時間が経っている…我を忘れて遊ぶ…をのの枝を朽ち果てさせる」「ここに…此処で…ここにて」「をののえ…斧の柄…男の身の枝」「ん…む…勧誘の意を表す…意志を表す」「めでたけれ…すぐれていることよ…喜ばしいことよ」。
この歌、拾遺和歌集では、巻第二十「哀傷」にあって、小野殿の「花のおもしろかりければ」詠んだとある。小野殿の梅か桜(男花)を見て、男花の身の枝を朽ち果てさせるまで、お花見しましょうよと詠んだ、めでたい歌。ただし、をのの枝は朽ち果てるので、哀れで傷ましい歌。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。