帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百七十三〕成信の中将は(その一)

2012-01-07 00:03:31 | 古典

  



                                            帯とけの枕草子〔二百七十三〕成信の中将は(その一)



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百七十三〕成信の中将は

 
 成信の中将は、入道兵部卿の御子で、容姿がとっても良くて、心ばへ(才気・心のひらめき)もすばらしくていらっしゃる。伊予の国守の兼資の娘を見捨てて、親が娘を伊予へ連れて下って行くというころ、どのように哀れと思ったのか、暁には出発するというので、その宵に女のもとにいらっしゃって、有明けの月のときにお帰りなられたのでしょう、なをしすがたなどよ(直衣姿よ…思い直しのありさまよ)。

 その君、常に(後宮に)居てもの言い、人の身の上ばなしなど悪いのは悪いようにはっきりとおっしゃって、ものいみくすしう(物忌は神妙である)。つのかめなどにたてゝくふ物まつかいかけなどするもの(津のかめに立てて食らうもの、待つ貝懸けたりするもの・おとこ)の名を姓に持っている女が、異なる人の養子になって、たひらなど(平…立っていない)と言ったが、ただその元の姓を、若い女房たちが、話の種に言っては笑う。その女の様子は別に変わったところもない、すばらしいと言うには遠いが、それでも人と交際し風流な心もある人なので、御前にも、笑うのはみぐるしいなどと仰せになられるけれど、皆いじわるいためかな、本人に告げる人はいない。


 一条の院(今内裏)にお造りになられた一間の所(細殿)には、気にいらない人は寄せつけない。東の御門に向かっていて、とってもすばらしい小廂に、式部のおもとと共に夜も昼も居れば、主上も常に(門を出入りする人の様子を)ご覧に入って来られる。

「今宵は内で寝ましょう」といって、南の廂の間に二人で寝た後に、たいそう呼ぶ女がいるが、「うるさい」などと言い合わせて、寝ているふりしていると、なおもたいそうやかましく呼ぶので、「それおこせ、そらねならん(それ・あの二人を起こせ、そら寝であろう…)」と仰せになられたので、この兵部(この兵部の君…このつわもののつかさの君)が来て起こすけれど、よく寝ている様子なので、「さらにおきたまはざめり(とてもお起きになられないようです)」と、(来訪者に)言いに行ったが、そのまま、ゐつきて物いふなり(居ついてもの言っているのである…井つきて情けを交わすのである)。しばらくの間かと思っていると、夜がたいそう更けた。「権中将(成信)なのよ、これは何事を、そのように居座って言うのよ」といって、密かに私たちがただ笑っているのをどうして知ろうか、暁まで言い明かして(成信は)帰る。また、「この君(成信の君・兵部の君)、いとゆゝしかりけり(とっても感じがわるいことよ)。これからは寄って来ても、もの言わないわ。何事をそのように言い明かすのよ」などと笑っていると、遣戸を開けて女は入って来た(なにも言わない)。


 明くる朝、例の廂で、その人がもの言うのを聞けば、「雨がたいそう降るときに来る人はですね、感動します。日ごろはどこにいるのかわからなくても、つらくあたる事があっても、そうして濡れて来るならば、憂い事もみな忘れてしまうでしょう」とは、どうして言うのでしょう、そうでしょうか、昨夜も一昨日の夜もその前の夜も、全てこの頃、しきりに来る男が、今宵のひどい雨にもさし障ることなく来るのなら、やはり一夜も隔てないと思うのでしょうと、感心するでしょう。そうではなく、日ごろは顔も見せないで、あてにならないように過ごしている人が、そのような時に来たのは、けっして愛情があるのではないと思える。人それぞれの思い方だでしょうか。

もの事を見知り、人の思いを知っている女で、心ある女と見えるのと親しくして、男は数多く行くところもあり、元よりの縁とする女(正妻)などがいるので、しげしげとは見えないが、それでもやはり、そのようなひどい雨降るときに来たわ、などと女に語らせ、愛でられようと思う男の仕業ではないか。それも、ぜんぜん愛情がないようならば、男は実は何するためなのか作り事で来て見せていると思い気付くでしょう。

 
 されど、あめのふる時には、たゞむつかしう、けさまではればれしかりつるそらともおぼえず、にくゝて、いみじきほそどの、めでたき所ともおもえず。まいて、いとさらぬいへなどは、とくふりやみねかしとこそおぼゆれ。をかしきこと、あはれなることもなきものを。
 
(それにしても、雨の降る時には、ただいやな気分で、今朝まで晴れ晴れしかった空とも思えず、いやで、たいそうすばらしい細殿が、愛でたい所とも思えない。まして、まったくそうでは無い里の家などでも、すぐに降り止んでほしいと思えるよ。雨降りは・おもしろいことも、感動することもないものよ……それにしても昨夜、お雨が降っている時には、ただいやな気分で、今朝まで晴ればれしかった空気と思えない、にくらしく、いみじき細殿が愛でたい所とも思えない・汚された。まして、まったくそうでは無い井へなどでは、すぐにお雨降り止んでほしいなんて思うよ。すばらしいこと、しみじみ感動することもないのに・共寝されては)。


 言の戯れと言の心

 「なをし…直衣…直し…思い直し」「ころも…衣…心身の換喩」「つ…津…女」「かめ…瓶…女」「かひ…貝…女」「雨…おとこ雨」

 

 権中将源成信は、ものわすれせぬ(物忘れせぬ人だなあ…色ごと捨てられない女だなあ)とか、背の高い僧に、すくせ君にあこめなし(過ぎる背の君に着せる下着なし…縮む背のおとこ君に着せる下着はない)など、気の利いたおかしい冗談を言う人〔九〕。また、女の声はおどろくほど多く記憶していて聞き分ける人〔二百五十五〕。女の方から「(よしゑやし君がまにまに…ええわ君のご随意に)」〔二百五十六〕と言わせる魅力ある人。貴公子(一条天皇とは御いとこ)で容姿もよければ当然。ただ心中いかばかりであられたのか、よく思い直しされる人で、見染め見捨てた女人あまたでしょう。道長の養子であったが後に出家された。

父の入道兵部卿は、村上天皇皇子の致平親王で円融天皇と御兄弟。成信は正に貴公子である。

 

 女の元の姓は、「立てる(起こす)もの、おんながくうもの、かいかけるもの」「をとこ」を連想する。はし(端…)、き(木…)、ゑ(枝…)、つき(月…)、ゆみ(弓…)ふし(節…伏し…)などに関係がある。

 宮の仰せごと「それ起こせ…」は、成信と兵部が危うことになるのは必定とお思いになられたためではあるけれども、おかしみがある。成信の性情も女どもが日ごろ何を笑っていたかも、宮はすべてご存じであられたことが窺えるでしょう。女は姓を、たひら(平)に改めたけれど、女たちは、たいらではない姓で呼んで笑っていた。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。