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帯とけの枕草子〔二百六十八〕神は松の尾
言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。
清少納言枕草子〔二百六十八〕神はまつのお
文の清げな姿
神は松の尾、八幡の神。祭神は・この国の帝でいらっしゃったのでしょう、愛でたいことよ。行幸などには葱の花を御輿に飾ってさしあげる、たいそう愛でたい。大原野、春日の神、たいそう愛でたくていらっしゃる。
平野の社、空き屋があったので、「何する所か」と問うたところ、御輿宿(行幸の御輿の宿)と言ったのもとっても愛でたい。斎垣に蔦などがとっても多くかかって、もみじが色々だったので、「秋にはあへず(秋には逆らえず)」という貫之の歌が思い出されて、つくづくと久しく車を停めていたのだった。水籠りの神、また興味深い。賀茂の神は言うまでもない。稲荷の神。
原文
神は、まつのお、やはた、この国のみかどにておはしましけんこそめでたけれ。行幸などに、な木のはなの御こしにたてまつるなど、いとめでたし。おほはらの、かすが、いとめでたくおはします。
ひら野はいたづら屋のありしを、なにする所ぞとゝひしに、御こしやどりといひしも、いとめでたし。いがきにつたなどのいとおほくかゝりて、もみぢの色々ありしも、秋にはあへずとつらゆきがうた思いでられて、つくづくとひさしうこそたてられしか。
みこもりの神、又おかし。かもさらなり、いなり。
心におかしきところ
かみ(女)は、待つの男、八はた。この国の身門でいらっしゃったのでしょう(かみは)愛でたいことよ。み逝きなどには、な木のお花を身腰に奉るなど、とっても愛でたい。山ば越し・大原野、春日野のかみ(女)、とっても愛でとうございます。
ひら野は、ぐったりした屋(女)がいたので、何しているところかと問うたときに、身越し宿り、と言ったのもとっても愛でたい。井がきにつたなどがとっても多く掛って、飽き色していたので、「秋にはあへず(飽きには堪えられず)」という貫之の歌が、思い出されてつくづくと、永らく車とめていたことよ。
身籠りのかみ(女)、又おかしい。鴨(浮寝の女)言うまでもない、井成り。
言の戯れと言の心
「かみ…神…上…女」「まつのお…松尾…松の尾の神…待つの男…(女は)待つのよ男を」「八はた…八・二十…やたら多く…はた又…神世から女は、来べき宵なりと男を待った。待つには待たじと飛び出すと悲劇がはじまる」「みかど…帝…水門…御門…この国のみかどは女、古事記によると、みとのまぐあひ、により、この大八島の国をつぎつぎお産みになられたのは、女神のいざな美のみこと」「なぎのはな…葱の花…な木の花…男花」「いたづら屋…空き家…無駄な屋」「屋…家…女」「井…女」「かも…賀茂…賀茂の神…鴨…水に浮寝する鳥」「鳥…女」「いなり…稲荷…伏見稲荷の神…井成り」。
思い出した紀貫之の歌を聞きましょう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下、
神の社の辺りをまかりける時に、いがきのうちのもみぢを見てよめる つらゆき
ちはやぶる神のいがきにはふくずも 秋にはあへずうつろひにけり
(ちはやぶる神の斎垣に這う葛も、秋にはさからえず色移ろったことよ……ち早ぶる女の井かきに這うつる草も、飽きには堪えきれず、色つきたことよ)。
「ちはやぶる…神の枕詞…氏の枕詞…かみの枕詞…勢いの強い…盛んな…血早ぶる」「神…かみ…上…髪…女」「いがき…斎垣…井かき」「井…女」「くず…葛…つる草」「草…女」「秋…飽き…飽き満ち足り」「うつろひ…移ろい…色変わる…色づく…色果てる…色情尽きる」。
歌には人の生の心が、言葉の戯れに包まれて清げな姿をして在る。
貫之の歌は、枕草子の文と百年ほど隔たっているけれども、文芸の方法は同様で、言の戯れと言の心も変わらない。「かみ」の言の心は女。
伝授 清原のおうな
聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。