帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔二百八十八〕小原の殿の御母上

2012-01-26 00:03:35 | 古典

  



                                              帯とけの枕草子〔二百八十八〕小原の殿の御母上


 
 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言枕草子〔二百八十八〕をはらのとのゝ御母上


 をはらの殿(道綱)の御母上とおっしゃるお方は、普門という寺にて八講(経供養の法会)を(義兄が)したのを聴聞して、次の日、小野殿に人々多く集まって遊び(管弦、作歌、囲碁、花見など)して、文(詩など)作ったときに、

 たきゞこる事は昨日につきにしを いざをのゝえはこゝにくたさん

 (薪をきること・修業中の釈迦を念じること、は昨日で尽きたので、いざ斧の柄は、ここ小野で朽ち果てさせましょう・遊びに時を忘れましょう……多気気を伐ることは昨日で尽くしたので、いざ、をのの枝は、ここにて、朽ち果てさせましょう)。
とお詠みになられたのでしょう、これこそ、いとめでたけれ(とっても愛でたい歌だこと…懲りない心、断たぬ煩悩、とっても愛でたいことよ)。このあたりは、聞いた話になってしまったようである(小野殿に居合せたのではない)。

 
言の戯れと言の心

 「たきぎこる…薪樵る…薪をきる…釈迦を念じ修行する…多気気切る…多情を断つ」「こる…(木を)伐採する…(女の立場でいう)まぐあい折る」「木…言の心は男」「斧の柄くたす(故事)…囲碁など見ていて知らぬ間に長い時間が経っている…我を忘れて遊ぶ…をのの枝を朽ち果てさせる」「ここに…此処で…ここにて」「をののえ…斧の柄…男の身の枝」「ん…む…勧誘の意を表す…意志を表す」「めでたけれ…すぐれていることよ…喜ばしいことよ」。



 この歌、拾遺和歌集では、巻第二十「哀傷」にあって、小野殿の「花のおもしろかりければ」詠んだとある。小野殿の梅か桜(男花)を見て、男花の身の枝を朽ち果てさせるまで、お花見しましょうよと詠んだ、めでたい歌。ただし、をのの枝は朽ち果てるので、哀れで傷ましい歌。


 伝授 清原のおうな  

 聞書 かき人知らず (2015・10月、改定しました)

 
原文は、岩波書店 新 日本古典文学大系 枕草子による。