帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔九十五〕五月の御精進のほど(その一)

2011-06-18 00:05:50 | 古典

 



                                 帯とけの枕草子〔九十五〕五月の御精進のほど(その一)

 

 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔九十五〕五月の御精進のほど)

 五月の御精進のとき、職の御曹司におられる頃、塗籠部屋の前の二間ある所を格別に設えたので、いつもの様子ではないのも趣がある。

一日より雨がちで、うっとうしく過ごす。退屈な気がして、「郭公の声尋にいかばや(郭公の声を尋ねに行きましょうよ…且つ恋う且つ乞うの声を尋ねに行きたいわ)」と言うと、女房たち・我も我もとばかり出かける。賀茂の奥に、何さきだったか、たなばたの渡る橋(かささき)ではなくて、にくき名ぞ聞えし(気に入らない名で呼ばれる…まつがさきさ・女が先と呼ばれる)、そのあたりに、郭公が鳴くと人が言いえば、「それは日ぐらしなり(それは蝉のひぐらしですよ…それは一日中ですよ)」と言う人もいる。そこへということで、五日の朝、宮の司(中宮職の役人)に車の案内を乞い、北門の陣(侍詰所)より、「さみだれはとがめなき物ぞ(五月雨は咎めないものよ…さ乱れは咎めないものよ)」と、車を寄せて四人ばかり乗って行く。羨ましがって、他の女房たち・「なお、いまもう一車で、いっしょに」などというけれど、「まな(いけません)」と仰せになられたので、聞き入れず情け無いことになって行くと、馬場という所で人が大勢で騒いでいる。「何をしているのか」と問うと、「交互に競技として真弓を射るのです。しばし、ご覧になってください」と、車を停めた。「左近の中将、皆様お着きです」と言うが、そのような人は見えない。六位の者などがうろついているので、「見たくないわ、はやく通り過ぎて」と言って、行きつづける。道の様子も、祭(賀茂の祭)のころが思い出されておもしろい。かくいふ(何とかさきという)所は、明順の朝臣(宮の伯父)の家のある所であった。「そこも、さあ見物しましょう」と言って、車を寄せて降りた。
 田舎風で、質素で、馬の絵を画いた障子、網代の屏風、三稜草の簾など、ことさら昔風なものを移設してある。屋敷の様子も簡素でわびしい、廊下のようなのも短く奥行きはないが、風情のあるところで、ほんとうに喧しいと思えるほどに鳴きあっている時鳥(ほととぎす・郭公…且つ乞う)の声を、口をしう(残念なことに)、宮にお聞かせできず、あれほど慕っていた女たちにもと思う。

 
明順「このような所では、こんなことを、見るとよいでしょう」と、稲というものを取り出して、若い外衆たちのきたなげではない、その辺りの家の娘など連れて来て、五、六人して稲の穂をしごかせ、また、見も知らぬくるくる回るものを二人して引かせて、歌を謡わせたりするのを、めづらしくてわらふ(珍しくて笑う)。時鳥(ほととぎす・郭公)の歌を詠もうとしていたのが紛れてしまった。

 唐絵に画いてあるような食膳で、食事を頂いたが、見入る人もいないので、家の主人(明順)は、「いとひなびたり(献立は・まったく田舎じみているのだ…あなた方は・田舎者のようだ)。こういう所へ来た人は、悪くすると主人が逃げ出してしまうほどに、(且つ乞うと)催促して召し上がるものですよ。しょうがないなあ、まったく、そのようでは、あなた方らしくない」などと言って座をとりもって、「このしたわらびはてづからつみつる(この下蕨は自ら摘んだのだよ…この下わらわは自らの手で摘み取ったのよ)」などといえば、「いかでかさ女官などのやうにつきなみてはあらん(どうしてあの女官のように居並んでいるのかしら…どうしてあの尿管のように尽き無みなのかしら)」、などわらへば(などと笑えば)、「さらば取りおろして。れいのはひぶしにならはせ給へる御まへたちなれば(それでは下におろそう、例の這い伏しに慣れておられる方たちだから・食べやすいでしょう……それでは取り下げよう、例の這い伏しに熟れているお前立ちなんだから・お気に召されなかったのだぞ)」と、食事の世話で騒いでいるうちに、「雨が降ってきた」と言うので、いそいで車に乗るときに、「さて、此の歌(鳴いている郭公の歌)はここで詠みましょうよ」などというが、「さはれ、みちにても(そうですが、帰り道ででも・且つ乞うと)」などと言って、みな車に乗った。
 
卯の花の満開に咲いたのを折って、車(しゃ…もの…おとこ)の簾や傍らなどに差し余って、覆いや棟などに、長い枝を葺いたように差したので、ただ、卯の花(白いお花)の垣根を牛に繋いでいると見える。供の男どもも、いみじうわらひつゝ(ひどく笑いながら)、「ここはまだまだ、ここはまだまだ」と差しあっている。

 人には会うだろうと思うのに、さらに、あやしげな法師や、げ衆の言うかいのない者ばかりが、たまに見えるのは、いと口をしく(ほんとうにがっかりで)、大内裏の・近くに来たけれど、「全くこのままやめるのは残念なので、この車の有様を、人に語らせてからやめにしょう」と、一条殿(藤原斉信の弟、公信の住む所)のあたりに停めて、侍従殿はおられますか、時鳥(ほととぎす・郭公…且つ乞う)の声を聞いて、今ですよ、帰ります」と言わせる。使者「只今まゐる、しばし、あがきみとなんのたまへる。さぶらひにまひろげておはしつる、急ぎたちて、さしぬきたてまつりつ(侍従殿は『ただ今参る、しばしお待ちを、わが君』とですねおっしゃいまして、侍所にくつろいでおられましたのを、いそいで立って指貫をお召しになられました……『ただ今まいります、しばしお待ちになって、あなた』とですねえ、おっしゃいまして、『おそばいらっして、間広げておられたのに、いそいで発って、さし抜きなさった』)」という。「待つべきにもあらず」と走らせて、土御門ざまへやるに(土御門の方へ遣ると…土御門様へ遣ると)、いつの間に装束をつけたのだろう、帯は道々結んで、「しばし、しばしお待ちを」と追ってくる。供に侍三、四人ばかり、ものもはかずに走っているようだ。「早くやれ」と、さらに急がして、(大内裏の)土御門に行き着いたところが、あえぎあえぎいらっしゃって、この車の様子を、いみじうわらひたまふ(ひどくお笑いになる)。

「うつゝの人ののりたるとなん、更に見えぬ。猶おりて見よ(この世の人の乗っているなんて、とても見えない、やはり降りて見なさいよ……ゆめのようにはかない人が乗っているようですよ、更には見ない。なお折りて見よ)」などと、わらひ給へば(お笑いになられるので)、供に走って来た人、ともにけうじわらふ(共に興じて笑う)。

「歌はいかが、それを聞きたいですね」とおっしゃるので、「いま、宮にご覧に入れて後にですね」などと言っているうちに、雨が本降りになった。「などか、ことみかど御門のやうにもあらず、この土御門しも、かうべもなくしそめけんと、けふこそいとにくけれ(どうして他の御門のようではなく、土御門ときたら、屋根もない造りに初めっからしてあったのかと、今日こそ、まったく気に入らないことよ……どうして他の御門のようではなく、土御門ときたら、上限もなく初めからしてあったかと、京こそ、ひどくにくらしいわ)」などと言って、「どのようにして帰ろうかな。こちらへは、ただ遅れまいと思ったので、人目も気にならず走れたが、奥に行くことは、ひどくぐあいが悪いよ」とおっしゃったので、「いざ給へかし、うちへ(さあいらっしゃいませ内裏へ……さあ来るのよ門内へ)」という。「ゑぼうしにては、いかでか(烏帽子では、どうでしょうか……笑奉仕には、どうですかね)」「とりにやり給へかし(冠なら取りにおやりなさいませ……枝、棒、子なら鳥におやりよ)」といっていると、雨は本降りなるので笠のない男ども車を門内に、ただ強引に引き入れた。侍従は一条殿より傘持って来たのをおさしになって、見返りしながら、こんどは、ゆるゆるともの憂げに、卯の花(白いお花)だけを取って行かれるのも、をかし(おかしい)。

 
言の戯れを知り、紀貫之のいう「言の心」を心得ましょう

 「ほととぎす…郭公…かつこう…且つ恋う…且つ乞う…ほと伽す」「まつ…松…待つ…女」「下わらび…落葉の下の蕨…早蕨…下わらは…おとこ」「はひふし…ひれ伏し…這い伏し」「女官…にようくわん…尿管…筒…おとこ」「卯の花…白い花…憂のおとこ花…ことの果てのお花」「卯の花の車…白い花盛りのおとこ…(演じるは)おとこの性情」「車…しゃ…者…もの…おとこ」「土御門…大内裏の上東門…土御門路…土御門殿…道長邸」「門…身の門…女」「見…覯…まぐあい」「かうべもなく…頭も無く…頭脳も無く…屋根も無く…上限も無く…際限も無く」「けふ…今日…京…宮こ…感の極み」「ゑぼうし…烏帽子…枝・棒・端…鳥の巣つくり用品…笑奉仕…清少納言の侍りぶりの揶揄」。

 
「且つ乞う声を聞き、今帰る」との使者の言葉を聞いて、侍従殿は偶発的演劇の路上興行に参加して、即興で女性役を演じ、「さしぬき去る白いお花」を「お待ちになって・且つ乞う」とあえぎあえぎ追ってきた。

 
土御門(上東門)は大内裏の東にある屋根の無い門。この路を東に行くと、土御門殿と呼ばれる道長邸がある。その門の代わりに、本当の土御門に「白いお花盛りの車」を強引に引き入れさせた。この即興劇にも、好き好きしい「心におかしきところ」がある。深い心も清げな姿もある。

侍従殿(藤原公信)は、卯の花車を土御門に「ただ引きに引き入れた」のを見て、もの憂げに帰って行った。何を意味しているか、わかっていたでしょう。土御門には頭がないなどというのだから。


 土御門殿に対する抑圧された復讐感情の反発的衝動とでも言いましょうか、わかる人にだけわかる、鬱憤晴らしのお粗末、その顛末を記してある。上の通り宮にも御報告申しあげた。侍従殿の即興劇の話に女房たちは笑ったけれども、宮は……、つづきは次回に。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による


 


帯とけの枕草子〔九十四〕口惜しきもの

2011-06-16 00:16:26 | 古典

 



                     帯とけの枕草子〔九十四〕口惜しきもの



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで、読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔九十四〕口惜しきもの
 
 口惜しきもの(残念な情況…がっかりなこと)

五節、御仏名にゆきふらで、雨のかきくらしふりたる(五節や御仏名の日に雪が降らないで、雨が空を真っ暗にして降っている……ごせつの身ほとけの汝に、逝き経らで、お雨が心をまっ暗にして降っている)。

節会などに、さるべき御物忌のあたりたる(節会などに避けるべき御物忌み日が当たっている…切に逢う日に、女のもの忌みに当っている)。

いとなみ、いつしかと待事の、さはりあり、俄にとまりぬる(設営し何時しかと待つ行事がさし障りあって急に中止になった…営み、何時しかと待つと、障りあり、にわかに止めてしまった)。

あそびをもし、見すべき事ありて、よびにやりたる人のこぬ、いと口おし(管弦などの遊びもして、見せたいことがあって、呼びにやった人が来ない、ひどく残念……遊びもして、見せたいものもあって、呼びにやった男が来ない、がっかり)。

 
男も女も法師も、宮づかへ所などより、同じやうなる人もろともに、寺へまうで物へもいくに、このましうこぼれいで、ようゐよく、いはばけしからず、あまり見ぐるしともみつべくぞあるに、さるべき人の、馬にても車にてもゆきあひ、見ずなりぬる。いと口惜し。わびては、すきずきしきげすなどの、人などにかたりつべからんをがな、と思ふも、いとけしからず。
 (世間の人も法師でも、われらが・宮仕え所などより同じような思いの女たち諸共に、寺へ詣で、祭りなど、見物にも行くときに、車は、好ましく衣を垂らし、趣向を凝らし、いわば普通ではない。あまりに見苦しいとでも見たのでしょう、それを、世間の人が、馬にても車にても行き会って、見過ごして行った。まったく期待はずれ。がっかりして、好き好きしき外衆などが、世間の人に、車の様子を・語るでしょう、そうしてほしいと思うのも、全く異常である・どのように飾った車だったか、くわしい事情は次の〔九十五〕に述べてある)。


 
言の戯れを知り、紀貫之のいう「言の心」を心得ましょう

「くちをし…期待がはずれ…がっかりする…不満が残る」「五節…五人の舞姫の競演の行事…ご接…ご切」「五…ご…御…女の敬称」「接…接する…切…ひたすら」「御仏名…師走の十九日から三日間行われる法会…お・ほとけの・汝…おとこ」「な…名…汝…親しみを込めておとこをそう呼ぶ…名は無い」「さわり…差し障り…月ごとのさわり…さるべき御ものいみ」「あそび…管弦・詩歌・舞などをすること…思いのままに楽しむこと」「見…覯…媾…まぐあい」「すきずきしきげす…好き好きしいが言の心の通じない言語圏外の衆…好き好きしくて包みなくもの言う人々」「車…しゃ…者…もの…おとこ」「がな…そうして欲しい…実現できそうも無いことについての願望を表す」「けしからず…怪しからず(打消し)…まったく怪しい(戯れて強く肯定する言となる)…甚だしく異様だ」。


 世の中が期待したようにならなかった憤懣を、異なる事柄に代えて、あゝがっかりした、期待はずれだ、残念だなどと口ずさみ続ける。これを、うぞぶきという、謗りわざの一つである。

「うそぶき」も、心深く、姿清げに、心におかしきところを添えてある。これは藤原公任の捉えた和歌の表現方法だけれども、「うそぶき」も同じ文脈にある。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)

 

 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による



 


帯とけの枕草子〔九十三〕あさましきもの

2011-06-15 00:14:57 | 古典

 



                      帯とけの枕草子〔九十三〕あさましきもの

 

 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔九十三〕あさましきもの

 
あさましきもの(あきれること…なさけないこと)

さしぐしすりてみかく程に、物につきさへておりたる心ち(差し櫛擦り磨く程に、物に突き障りて折れた心地…挿し具肢、擦り、身搔くほどに、ものに尽き、障りて折れ逝く心地)。

くるまのうち返りたる(車がひっくり返っている…ものが色褪せている)。そのような大きな物は、ところ狭しと(堂々としていると)、思っていたのに、ただ、夢のような心地して、あさましうあへなし(あきれるほど頼りない…情けなくあっけない)。

人のためには恥ずかしく悪いことを、包むことなく言っている。

必ず来るだろうと思う男を夜一夜起き明かして待って、明け方にふと忘れて寝入ったところ、からすがたいそう近くで「かゝ(かあかあ…そうかそうかそういうことか)」と鳴くので見上げると、昼になっていたのだった。いみじうあさまし(まったくなさけない)。

見せてはならない人に他へ持って行く文を見せている・(おどろきあきれる)

むやみに、知りもせず見もしない事を、他の人がさし向かいで、あらがはす(反論し合う)こともせず言っている。

食べ物をふとこぼした心地、いとあさまし(ほんとうになさけない)。



 言の戯れを知り、紀貫之のいう「言の心」を心得ましょう

「くし…櫛…具肢…おとこ」「みかく…磨く…身搔く…見かく…覯の途中」「おり…折り…逝き」「車…しゃ…者…もの…おとこ…くる間」「うち返る…ひっくり返る(これは、つわものどもの闘争の跡)…染め色が褪せる…色情が衰える」「ところせしや…堂々としているのでは…窮屈なのでは」「ゆめの…夢のような…実が無いような」「かか…かあかあ…彼か…あれか…まちぼうけのふて寝か」「あらがはす…抗弁しあう…反論しあう」。



 うそぶきである。人の悪しきことを、あらぬ方に向かって言い立てている。それに清げな姿や心におかしきところで包んである。


 伊周、隆家と、叔父の道長との権力闘争のはて、伊周、隆家は、長徳二年四月、左遷の憂き目会った。中宮の受けられた衝撃と心労は如何ばかりであられたか。


 

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)

 

 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による


 


帯とけの枕草子〔九十二〕かたはらいたき物

2011-06-14 00:08:07 | 古典




                      帯とけの枕草子〔九十二〕かたはらいたき物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔九十二〕かたはらいたき物

 かたはらいたき物(いたたまれないこと)

まらうどなどにあひて物いふに、おくのかたに打ちとけ事などいふを、えはせいせできく、心ち(客人などに会ってもの言っているときに、奥の方で、うち解けた話をしているのを、制することができずに聞いている心地……稀に来る人に合って情けを交わすときに、女の奥の方でうちとけ言をいうのを、制することできずきかせている心地)。

思う人が、ひどく酔って、同じ事を繰り返している。

聞いているのも知らないで人の身の上を言っている、それは何様というほどの人のことでなくても、使っている人のことでも、いとかたはらいたし(ひどくにがにがしい)。

旅だった所で、げすども(外衆・話の通じない人たち)が戯れて居る。にくらしそうな稚児を、おのれの心地の可愛さのままに、いつくしみ、かわいがって、稚児の声のままに言った事など語っている。

才(学識)ある人の前にて、才のない人が、もの知り声で人の名など言っている。

特に良いとも思えない自分の歌を人に語って、人が褒めている訳を言うのも、かたはらいたし(むかつく)。



 言の戯れを知り言の心を心得ましょう。

「かたはらいたし…居たたまれない…はずかしい…にがにがしい…むかつく」。

「まらうど…客人…まれ人…訪れてくる男」「ものいふ…言葉を交わす…情けを交わす」「おく…奥…女」「え…得…することが出来ない」「うちとけごと…うち解け言…身内の話…睦言…気が緩んで発する言」「きく…聞く…効く…口を効く…聞かせる」。



 権力闘争の顛末を見聞きしていて、いたたまれない、にがにがしい、むかつく、と思ったとしても、その心情を素直に表すのは愚かなこと、できないこと、きけんなことである。
「うそぶく…吼えたてる…そらとぼける…鼻歌唄う」方法がある。それを普通は詩や歌で行うけれども、あえて散文で表してある、心におかしきところを添えて。

一度、枕草子を上のようなものとして、読んでみては如何でしょうか。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による



 


帯とけの枕草子〔九十一〕ねたき物

2011-06-13 00:09:32 | 古典

 



                                        帯とけの枕草子〔九十一〕ねたき物



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔九十一〕ねたき物

 
ねたき物(悔しくてしやくにさわること)
 人
のもとに遣ったのも、人への返事も、書いて遣った後に、文字の一つ二つ思い直ししている。

 
急ぐもの縫っていて、うまく縫ったと思って針を引き抜いたら、前に糸尻を結んでいなかった。また逆さまに縫ったのも、ねたし(悔しい)。
 
南の院(東三条院の南殿)におられるころ、「急な御物である。誰も誰も、時間とらずに大勢で縫って参らせよ」ということで布を給わせられたときに、南面に集まって、御衣の片身づつ、誰が早く縫うかと、近くの者も顔も合わさず縫う様子も、まったく正気の沙汰ではない。命婦の乳母が、とっても早く縫い終えて、さっと置いた、裄の片身を縫ったのだが、逆さまなのに気づかないで、綴じ目をし終えず。惑い置いて席を立ったが、御背を合わすと、もとより間違っていたのだった。笑い騒いで、「早くこれ縫い直せ」と言うのに、「誰が悪く縫ったと認めて直しますか。綾などならば裏を見なくともなるほどと気づき直しましょう、無紋の御衣ですから、何を印にして気づきましょうか。直す人なんて誰がいるでしょう。まだ縫い終わっておられない人に直させてください」と言ってきかないので、「そんなこと言っていられますか」と、源少納言、中納言の君という人たち、もの憂げに取り寄せて縫っておられたのを、見て居たのこそ、をかしかりしか(滑稽だったことよ)。


 面白き萩、薄などを植て見るほどに、ながびつもたるもの、すきなどひきさげて、只ほりにほりていぬるこそ、わびしうねたけれ(おもしろい萩や薄など植えて観賞している間に、長櫃持った者が鋤きなどひっさげて来て、ただ堀りに掘って去ったのは、心細くて悔しいことよ……面白くなった端木、薄情なお花を、うえて見ているおりに、長ひつ持ったもの、好きひきさげて、ただ掘りにほって寝たのこそ、物足りずくやしいことよ)。

よろしき人などの有時は、さもせぬ物を。いみじうせいすれど、只すこしなど打いひていぬる、いふかひなくねたし(だれか適当な男が居るときは、そうはしないのに女がたいそう制しても、ただ少しなどと言って去る、言う甲斐もなく悔しい……ふつうの男でも或るときはそうではないものを、たいそう制しても、ただ少しとうち言い、引いて寝る、ふがいなく、ものたりなくて悔しい)。

 
 ずりやうなどのいへに、物のしもべなどのきて、なめげにいひ、さりとて我をばいかゞせんなど思たる、いとねたげ也(受領の家に、その役所の公僕などが来て、無礼にもの言い、さりとて我をばどうしょうもないだろうと思っている、ひどく悔しいのである……受け身の井へに、ものの下べなどが来て、無礼にいい、それでも我をば如何せん、何とも出来ないだろう・と思っている、とっても悔しいのである)。

 
 見まほしき文などを、人のとりて庭におりて見たてる、いと侘しくねたく思ていけど、すのもとにとまりて見たてる心ちこそ、とびも出でぬべき心ちこそすれ(見たいと思う文などを、夫が取って庭に下りて見て居るのが、ひどくわびしく悔しくて追って行くけれど、簾のもとに留まって我慢して見ている女の心地こそ、飛び出してしまいそうな心地する……見たいと思う踏みを男がとりさって、にわかに下りて見ているのが、ひどくわびしく悔しいので、追って逝くけれど、おとこがすのもとに留まって見ている心地だけは、飛び出してしまうでしょうが、という心地がする)。



 言の戯れを知り言の心を心得ましょう

「ねたし…くやしい…にくらしい…いまいましい」「はぎ…萩…端木…木っ端…おとこ」「すすき…薄…お花…薄情なおとこ花」「見…覯…まぐあい」「うえる…たねまく…まぐあう」「有…在る…健在」「いぬる…去る…寝ぬる…寝てしまった」「ふみ…文…踏み(体験)…行為」「受領…国司…受けて預かる…女」「いゑ…家…井へ…女」「しもべ…公僕…下部…おとこ」「す…簾…洲…女」「見…まぐあい」。



 「ねたし」と思えることを次々と、獅子のように吼えたてている。


 相手や本当の「ねたき」事柄は隠して、あらぬ方に向かって、ただ「ねたき」事柄を並べ立てる、それに「心におかしきところ」さえ添えてある。これを「うそぶき」という。謗りわざの一つである。
 心情を同じくするおとなの女たちの留飲も少しは下がるでしょう。


 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による