帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔百二〕二月つごもり比に

2011-06-27 00:38:26 | 古典

 



                      帯とけの枕草子〔百二〕二月つごもり比に



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔百二〕つごもり比に

 
二月末ごろに、風がひどく吹いて、空はたいそう暗いうえに、雪が少し降りだした時、黒戸に殿司(女官)が来て「こうして参っています」というので、近くに寄ったところ、「これ、公任の宰相殿の…」というのを見れば、懐紙に、

すこしはるある心ちこそすれ

とあるのは、なるほど今日の景色にたいそうよく合っている。これの本(上の句)はどのようにして付けるべきか、と思い悩んだ。「たれたれか(いらっしゃるのは・誰々か)」と問うと、「それそれ(誰某)」と言う。皆たいそう気おくれするほどの方々の中に、宰相(藤原公任)へのお応えを、どうしていいかげんに言い出せようかと、ただそればかりが苦しくて、御前(宮)にご覧に入れようとするが、主上がこられておやすみになっておられる。殿司は「とくとく(はやくはやく)」という。なるほど遅ければ、まったくとりえがないもので、それではと(上の句を付けた)、

空寒み花にまがへてちる雪に

(空寒くて花のように散る雪に 少し春ある心地はする……女、春を迎えてなくて、花のように散る白ゆきに、すこし張るものある心地がします)。

と、ふるぶる震えながら書いて渡して、どう思われるだろうかと、侘し(心細い)。この事の評を聞ければなあと思うが、謗られたら聞きたくないと思っていると、「俊賢の宰相など、猶内侍にそうしてなさん(やはり内侍にと奏上してそうしてやろう…なお内肢に挿して成してやろう)とですねえ、定められました」とだけ、左兵衛督で中将であられた方が語られた。

 


 言の戯れを知り、紀貫之のいう「歌の様」を知り「言の心」を心得ましょう

 「空…天…女」「さむ…寒…心に春を迎えていない…身に春を感じていない」「花…梅…おとこ花」「雪…白…おとこの色」「春…季節の春…心の春…青春…春情…張る」「なほないじにそうしてなさん…猶内侍に奏して成さむ…直、内肢に挿して、おとなの女に成してやろう」「内侍…尚侍・典侍(女官長・次官)…うぶな女には勤まらない役柄…内肢」「そうして…奏して…挿して…挿入して」「なさん…為してやろう…成してやろう」。

 


 藤原公任は、『和漢朗詠集』の編者、歌論『新撰髄脳』『和歌九品』の著者。「歌の様」を捉えて、優れた歌の定義を次のように述べた。「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしき所あるを優れたりといふべし」。ここに和歌の表現様式が示されてある。

 

この歌、早春の候の挨拶のように聞こえるのは、清げな姿。ぶるぶる震える文字で初な女を装って、心におかしきところを添えてある。深い心は無い。

源俊賢の評定の言葉は、此の「心におかしきところ」を受けた、より強烈なおかしさがある。これらは、言の戯れの中に顕われていて、字義の通り聞いていては、聞こえない。



 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず   (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による