帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十三〕職の御曹司に (その四)

2011-06-03 00:02:03 | 古典

   



                      帯とけの枕草子〔八十三〕職の
御曹司に (その四) 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔八十三〕しきの御ざうしに

 里でも、まず明けるとすぐに、これが大事で見にやらせる。十日ぐらいに、「あと五日待つだけは有る」と言えば嬉しく思う。また、昼も夜も見に遣っていたが、十四日の夜中、雨がひどく降るので、これで消えてしまうだろうと、ほんとうに、いま一日二日は待ってよと、夜も起きていて言い嘆けば、聞く人は、物狂いと笑う。人(男)が出ていくとき、そのまま起きて居て、下男を起こさせるのに、起きないので、とってもにくらしく腹が立って、起き出した者を遣って(ゆき山を)見せると、「円座(座布団)くらいはございます。木守は『たいそう堅く守って、童子も寄せ付けずです、あす、あさってまでも、ございましょう。褒美を賜ります』と申しています」と言えば、とっても嬉しくて、早く明日になれば、歌詠んで、ものに入れて献上しょうと思う、たいそう待ち遠しく心細い。


 暗いうちに起きだして、折櫃などを持たせて、「これに、その、白いところを入れて持って来て、汚くなったようなところは、かき捨ててね」などと言って遣ったところ、とっても早く、持たせた物をひっさげて、「早くに、消え失せていました」と言うのでがっかりして、おもしろく詠んで人にも語り伝えさせるようにと、うめきつつ詠みあげた歌も、情けないことにその甲斐なくなった。

「どうしてそうなるの、昨日まではそのようにあるものが、夜の間に消えてしまうなんてこと」と言い、滅入れば、「こもりが申していたのは『昨日たいそう暗くなるまでございました。ご褒美を賜ろうと思っていたものを』と、手を打って悔しがって騒いでおりました」などと言いさわぐときに、内裏より仰せごとがあった。「さて雪は、けふまでありや(さて雪は今日まであるかな…さて白ゆきの山は京まであるものか)」との仰せごとがあったので、まったく残念で悔しいけれど、「年の内、ついたちまでも、ありませんと人々は申し上げました、昨日の夕暮れまでございましたのは、私としてはたいそう賢明だったと思います。けふ(今日…京)まであるのは余分なことでして。夜の間に、他の人が憎んで取り捨てたのではと推察致しております、と申し上げてください」などと伝えさせた。


 二十日に参上したときにも、先ずこのことを御前でも言う。「身はなげつ(身は投げた…中身は投げ与えた)」とばかりに、蓋だけ持って来た法師のように、家の者が空櫃を持って来たのには、びっくりしてあきれかえったこと、ものの蓋に雪の小山作って、白い紙に歌を念入りに書いて、献上しょうとしたことなどを申し上げると、いみじくわらはせ給(たいそうお笑いになられる)。

御前の人々も笑うので、宮「こうまで心入れて思い詰めたことを、違えてしまっては、こちらが罪を得ましょう。本当は十四日の夜、侍どもを遣わして雪を取り捨てたのです。返事に言い当てていたのはおかしかった。その女(こもり…雪山を堅く守っていた女)が出て来て、たいそう揉み手して崩さないでと言ったそうですが、『仰せごとであるによって、彼の少納言の里より来る使いの人に、このことを聞かすな。そんなことすれば、小屋も壊してしまうぞ』などと言って、左近の寮の南の築土などに雪はみな捨てたということです。『たいそう堅く多かった』などと言うからには、確かに二十日までは保ったでしょうね。今年の初雪も降り添えたでしょうしね。そのように言っているのを主上もお聞きになられて、『たいそう思慮のある争いごとだ』と、殿上人に仰せになったそうですよ。そういうわけだから、少納言よ・その詠んだ歌をいいなさい。今このように打ち明けたからには、勝ったのと同じことですよ」などと宮が仰せになられ、人々もそう言ったけれど、「どうして、そのような辛いことを聞きながら、こんな歌など申し上げられましょうか」などと、真に心からがっかりして、悲しがっていると、主上がいらっしゃって、「ほんとうに、年頃は宮が愛でたく思っている人と見受けていたが、これはこれは、なんだかあやしく見える」などと仰せになられると、いっそうせつなく辛く、泣き出しそうな心地がする。「いやもう、哀れ。たいそう悲しいこの世(夜)ですこと。後に降り積もりましたる雪(白ゆき)を、うれしく思っておりましたところ、『それは、好ましくない、かき捨てよ』と仰せごとがございましたのですよ」と申し上げると、「(少納言に)、かたせじ(勝たせない…味方しない)と思われたのだろうよ」と、うへも笑せたまふ(主上もお笑いになられる)。

 知るべき言の戯れと心得るべき言の心

「ゆきはけふまでありや…雪山は今日まで有るか…逝き山は京まであるものか」「雪山…白山…逝き山ば…おとこの白ゆきの山ば」「けふ…今日…京…山ばの頂き…宮こ…絶頂」「かたせじ…勝たせじ…方せじ…方人せじ…味方にならない…片せじ…片一方に偏らない…堅せじ(こもりが褒賞欲しさに雪山を固めるかもしれないが、そうはさせない)」「方…方うど…遊戯での味方」。


 
雪山をわざと取り去られた複数の理由を、主上は一言で言い表された。「言葉は・足らぬこそおかしけれ〔第三章〕」。


 女房たちへの宮の思し召しが、一人に片寄れば(ものを片一方だけ持ち上げれば軋むように)女達の仲が軋むためでしょう。五十日に(いかに)と、問われたときに、この度は的を外せと察するべきこと。


 最も悔しがる形になったのは、均衡を保つ為には効果万点でしょう。宮の配慮と思慮深さを読み取ってもらえれば良し。それに、すべては笑いの内に終わったでしょう、愛でたい。

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による