帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十七〕細太刀

2011-06-08 00:08:33 | 古典

   



                         帯とけの枕草子〔八十七〕ほそたち

 

 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。


 
清少納言 枕草子〔八十七〕細太刀

 

 ほそたちにひらをつけて、きよげなるおのこの、もてわたるもなまめかし。


 文の清げな姿

細太刀に平緒付けて、身なりの良い男が、携えて通るのも、優美である。


 文の心におかしきところ その一

細身のお方で、ふつうのおを付けて、清げな男が、女のもとへ・渡ってゆくのも、初々しく艶っぽい。


 文の心におかしきところ その二

頼りなさそうなお人に、ひたすらなおをつけて、けがれのないおのこが、もてわたるも、初々しくもなまなましい。

 言の戯れを知り紀貫之のいう「言の心」を心得ましょう。
 「ほそ…細…繊細…細身」「たち…太刀…つわもの…立ち…おとこ」「ひらを…平緒…平たい紐を飾りとして腰に垂らしたもの…平常の男」「ひら…平…平常…平凡…ふつう…ひたすら」「を…緒…お…おとこ」「もて…持って…(もてあそぶ、もてなすの)もて」「わたる…通り過ぎる…女のもとへ渡る…しつづける」。


 言の戯れのわかる大人の女の読み物。

 作者は一つの言葉で多様な意味を表現している。

 第三章で「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、男の言葉、女の言葉」と記してあるのは、われわれの言葉は、多様な意味に聞こえるもの、和歌をはじめ文芸は、多様な意味を孕む言葉で作られてあるということ。
同時代の藤原公任は、歌論「和歌九品」で「上品上」と評価した歌の批評に、「これは言葉妙にして、余りの心さへあるなり」と述べるている。「絶妙に撰ばれ用いられた言葉によって、余りの情(心にをかしきところ)が表れている、その品が最上である」ということ。
 後の世に、定家の父藤原俊成は、和歌の言葉について「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕われる」と言うのも、上と同じ言語観を表している。

 
これらの言語観や「心におかしきところ」は、今や全て埋もれ木となった。
 
理性的、論理的、合理的、実証的という言葉で表される方法では、残念ながら、言の戯れも言の心も捉えることは出来ない。


 
伝授 清原のおうな
 
聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)
 
 
原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による