帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十六〕宮の五せつ

2011-06-07 00:08:41 | 古典

 



                       帯とけの枕草子〔八十六〕宮の五節



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。



 清少納言 枕草子〔八十六〕宮の五節

 
宮が五節の舞姫をお出しになられるときに、世話役十二人。他の所では女御や御息所の御方の人を(世話役として借りて)出すのは悪い事といわれているのを、宮は・どのようにお思いなられたか、宮の御方の女房を十人お出しになられ、いま二人は、女院(主上の御母上)と淑景舎(妹君)の女房、二人はもとより姉妹である。

 
 辰の日(舞の当日)の夜、青擦り染めの唐衣、汗衫を皆にお着せになられる。女房にさえ、かねてからはそのようにお知らせにならず、殿上人にはまして確りと隠して、皆、装束をつけ始めて暗くなるころに持って来て、赤紐(衣の肩に付けた飾り紐)を綺麗に結び垂らして、よく艶だしした白い衣、型木の模様は、わざわざ絵で描いてある。織物の唐衣(皆揃いの青擦染)を着ているのは、まことに珍しい中に、童女はまして、すこしなまめきたり(少し初々しい色気がある)。下仕えまで同じ衣で居たので、殿上人、上達部は驚き興じて、「小忌の女房」と名づけて、小忌の君達(青摺の衣を着て神事に奉仕する若者)は外に居てものなど言う。
 
 「五節の局を、日も暮れない時にみな壊しはじめて、透けてひどいさまで居させる、まったく心外なことである。その夜までは、麗しい姿のままでありたい」と宣はせて、そのように慌てさせたり惑わしたりしないようにされる。局の几帳などの開いたところは綴じながら、出し衣がこぼれ出でている。

 
小兵衛という女房(初な人)が、赤紐が解けたので「是むすばばや(これ結びたいけど)」と言えば、実方の中将、寄って結び直すので、ただごとではない。
 足引の山井の水は氷れるを いかなるひものとくるなるらん

(あしひきの山の井の水は凍っているのに、如何なる紐が解けているのだろう……あの山の井の水のように清らかな女は、春を迎えていないのに、結びもしない何のひもがとけているのだろうね)

と、実方が・言いかけている。小兵衛は年若くて、このように目立っているときなので、言いにくいのか返しもせず。その傍に居る女房たちも、ただただ聞き過ごしつつ何んとも言わないし、宮司などは聞き耳たてて聞いて居て、久しくなりそうで、いたたまれなかったので、私は・女房のもとに寄って、「どうしてこんなありさまでおられるぞ・早く返し歌を」とささやいたのである。四人ばかり人を隔てていたので、思いつくとしても言いにくい。まして、歌詠むと知っている人(実方)への返歌は、並々ではない出来でなければどうして言いだせようか、しかし慎んでいるのこそ悪いのだった、歌を詠む人が、こうしてはいられない、とくに愛でたくはなかっても、ふと言えばいいのだ。女官が指はじきしてまわるのが、いとほしければ(小兵衛には・可哀想で気の毒だったので)、
  うは氷あはにむすべるひもなれば かざす日影にゆるぶばかりを

(うわ氷のように淡くむすんでいる紐なので、かざす日の光に緩んだのです……うわべ凍り淡に契り結んだひもですもの、彼さす情熱の火に緩んだのですわ)

と弁のおもという女房に伝えさせると、小兵衛は・消え入る声でも言い出せないので、「なにとか、なにとか(何だって、何だって)」と、実方は・耳かたむけて問うているのに、少し言いどもりする人が、たいそう取り繕って愛でたく聞かせようと思ったので、聞き取れなかったのがかえって、はぢかくる心ちしてよかりしか(小兵衛が恥ずかしがって隠れている心地してよかったのだ…作者の恥じ隠れる心地してよかったのだ)。

 
舞姫の上りの送りなどに、疲れるといって行かない女房も、宮が宣わせられたので、あるかぎり連れ立って来て、他の所(舞姫の局)には似ず、あまりにも賑やかである。舞姫は、すけまさの馬の頭の娘、染殿の式部の卿の宮の正室の妹の四の君の御腹、十二歳で、いとおかしげなりき(とってもかわいらしかった)。

 
 果ての夜も、舞姫を背負いかつぎ出て騒いだりせず。すぐに仁寿殿より進んで、清涼殿の御前の東のすのこより、舞姫を先にたてて上の御局に参った間も、をかしかりき(おかしかった)。


 
歌の言葉の戯れを知り言の心を心得ましょう。

「山…山ば」「井…女」「水…女」「氷れる…水ぬるむ春を迎えていない…身も心にも春を迎えていない」「ひも…紐…緒…を…お…おとこ」「あは…泡…淡」「むすぶ…ひもを結ぶ…ちぎりを結ぶ」「ひかげ…日影…日の光…男の威光…男の情熱の火」「日…男」「かげ…光…影…陰」「ゆるぶ…緩む…心が緩む…締りがなくなる」。


 
何れの歌も、藤原公任のいう「深き心」はともかくとして、初々しい色気を題にした「清げな姿」があり「心におかしきところ」がある。

 
この章は、殿(道隆)健在の頃の話。「なまめかしき物」の続きで、初々しい色気といえば五節の舞姫に及ぶものは無いでしょう。


 五節の舞姫は競演なので、お揃いの制服を直前にお着せになられるなど、他所の舞姫の局を出し抜くためのわざ、宮の着想や実行力はすばらしいでしょう。また、女院の女房らを世話役に加えられたが、他所が気づかなければ、それだけでもおかしい。


 五節の舞は争いごとなので、歌を詠みかけられて返しもできなければ、舞姫の局の恥じだと思えば、いらだち、わかるでしょう。でしゃばって歌を代作したのではない。

 

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による