帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの枕草子〔八十四〕めでたき物

2011-06-04 00:12:24 | 古典

   



                                         帯とけの枕草子〔八十四〕めでたき物
 



 言の戯れを知らず「言の心」を心得ないで読んでいたのは、枕草子の文の「清げな姿」のみ。「心におかしきところ」を紐解きましょう。帯はおのずから解ける。

 



 清少納言 枕草子〔八十四〕めでたき物

 


 めでたき物、からにしき、かざりたち、作り仏のもくゑ、色あひふかく花ふさながくさきたる藤の花、松にかゝりたる。

(愛でたいもの、唐錦、飾り太刀、作り仏の木彫、色あい深く花房長く咲いている藤の花、松に懸かっている……ご立派と愛でたいもの、大きいにしき木、傘なり立ち、作りほと毛の木彫り、色合い深く長く咲いたお花が待つ女にかかっている)。

 言の戯れと言の心 
 「唐…舶来品…大きい」「錦…錦織…にしき木…男木…求婚のしるしとして女の家の門前に置いたもの」「かざり…飾り…かさり…傘り…傘状」「り…状態などが存続していることを表す」「たち…太刀…つわもの…おとこ…立ち」「仏…ほとけ…ほと毛…ぶつ…物…おとこ」「ほと…陰」「ゑ…絵…ゑる…彫る…彫刻」「藤…男木…不二…不死」「花…おとこ花」「松…待つ…女」「かかりたる…掛かっている…寄りかかている…かかわりあっている」。

 夜、主上が蔵人を近くでお使いになられているのを見ると、妬ましくさえ思える。 
 慣れてお仕えするのは三年四年ばかりで身なり悪くなって、許された衣の色もまあまあ程度に思うようになって、人々と交際するのは、言うかいもないことである。
 冠得る時期になって、蔵人を退くべき時が近くなるのさえ命よりも惜しがるべきことなのに、臨時の任官のことがあって、その機会に申し出て地方官に下っていくのこそ、言うかいもないと思える。昔の蔵人は、その年の春夏より(来年はお仕えできなくなるので)泣きだしたものだ。今の世では、はしりくらべ(競争…早い者勝ち)などしている。


 博士の才能あるのは、愛でたしと言うのも愚かである。顔はみにくげで、たいそう身分は低いけれど、高貴な人の御前に近づき参って、さるべきこと問わせられるのをお答えして、御文の師にてお仕えするのは、羨ましく愛でたいと思えることよ。祈願文、上表文、もの(詩歌集)の序文など作りだしてほめられるのも、とっても愛でたい。法師の才能あるのは、その上に、みなまで言うこともない。

 
 后の昼のお出まし。


 一の人のお散歩、春日詣。


 えび染の織物、すべて何もかも紫のものは愛でたいのである、花も糸も紙も。

 
 庭に雪(白ゆき…おとこの情念)の厚く降り積もっている一の人、紫の花の中では、かきつはた(杜若…業平の歌の)は、すこしにくき(少し気に入らない)。六位の宿直姿のいいのも紫のゆえである。

 言の心と言の戯れ
 「一の人…左大臣道長…長保元年(999)二月左大臣道長春日詣」「紫…高貴な色…稀な色…心澄んだ色…邪気のない色」「雪…逝き…白ゆき…男の思い」「雪…白ゆき…男の情念…おとこの欲望…一の人になれば消えるのが普通でしょう・いまだ高く積もっているのは醜い」「かきつはた…杜若…紫の花…少し憎いわけは、伊勢物語の業平の歌にある」。



 伊勢物語〔九〕の在原業平の歌を聞きましょう。
 らころも つつなれにし ましあれば  るばるきぬる びをしぞおもふ
各句の頭に据えられてある言葉をつなげば「かきつはた」となる。京を逃れ三河の国八橋という所に来て、このように遠くへ流れて来たことを惜しみ詠んだ。共に来た人みな、乾飯の上に涙を落とし、ふやけてしまったという。「かく来つつはたまたどこへ」と、行く末の不安を催す言葉となる。
 
 「からごろも…唐衣…色鮮やかな女の上着」「から…唐…空…空しい」「衣…心身の換喩…こころ」「着つつ…来つつ」「なれ…慣れ…なじむ…熟れ…萎れ…しおれる」「をしぞ…強めていう…惜しぞ…忘れ難い…心残りだ…残念だ」

 伝授 清原のおうな

 聞書 かき人知らず  (2015・9月、改定しました)


 原文は「枕草子 新日本古典文学大系 岩波書店」による